52 / 55
第四章:あなたが生きた未来で
第五十二話:始まりの屋上
しおりを挟む
大学の正門をくぐり、遥は懐かしい記憶を辿るように歩き出した。
かつて圭と手を取り合って通った図書館の脇の小道を抜け、体育館の裏手にある非常階段を目指す。
普段は立ち入り禁止の札がかかっているはずなのに、今日はなぜか外されていた。
まるで遥を招き入れるかのように、錆びた鉄骨の階段が、天空へと伸びている。
一歩一歩、階段を上るたびに、心臓の鼓動が大きくなる。
大学時代、遥と圭はよくこの屋上で時間を過ごした。
講義の合間、課題に疲れた時、時にはただぼんやりと空を眺めるためだけに。
ここには、二人の秘密の場所のような空気感があった。
街の喧騒が嘘のように遠ざかり、風の音だけが遥の耳元を撫でる。
圭はいつも、遥の隣で、穏やかに笑っていた。
屋上への扉を開けると、ひんやりとした風が遥の髪をそっと撫でた。
眼下に広がる街並みは、あの頃とほとんど変わっていない。
高層ビル群が立ち並び、車の流れがまるで生き物のように蠢いている。
しかし、遥の目に映る景色は、半年前に圭を失ってからの灰色の世界とは全く異なっていた。
彩りを帯び、生命力に満ちている。
錆びついたフェンスにもたれかかり、遥は大きく深呼吸をした。
胸いっぱいに吸い込む冬の澄んだ空気は、圭との思い出の香りがするような気がした。
ここで、圭と初めて出会ったのだ。
遥がデザインの課題に煮詰まって、屋上でひとり途方に暮れていた時、圭が偶然通りかかって声をかけてくれた。
それが、二人の恋の始まりだった。
「どうしたの? そんな顔して」
圭の優しい声が、今も遥の耳の奥で響く。
あの時、差し出された温かい缶コーヒーの温もりも、鮮明に思い出せる。
圭はいつも、遥が困っていると、当たり前のように寄り添ってくれた。
そして、遥がまだ気づいていない才能や、秘めた情熱を見つけ出し、そっと背中を押してくれた。
彼の存在が、遥の日常を、人生を、どれほど豊かにしてくれていたのか。
遥は、コートのポケットからタブレットを取り出した。
画面には、先ほどログインした「リーディング・ツリー」の圭のアカウントページが映し出されている。
『時の貯金箱』。
たった一つの投稿作品。
そして、たった一つの購入履歴。
遥は、圭のいない屋上のコンクリートの上に静かに座り込んだ。
冷たい地面の感触が、現実を遥に突きつける。
隣に圭はいない。
彼の温かい腕が、遥の肩を抱いてくれることはない。
しかし、不思議と孤独ではなかった。
彼の存在を、すぐそばに感じていた。
風が再び遥の髪をそっと撫でた。
それはまるで、圭の優しい指が、遥の頬をなぞっているかのようだった。
遥は、タブレットをそっと膝の上に置いた。
まだエッセイは開かない。
この場所で、圭の最後のメッセージを読むことの意味を、遥はゆっくりと噛みしめていた。
ここから始まった二人の物語。
そして、今、ここで、彼が遺した最後の贈り物を受け取る。
それは、別れではなく、新たな始まりなのだと、遥は直感していた。
タブレットの画面に、圭の名前が静かに灯っている。「Asagiri_Kei」。
その文字が、遥に語りかけているようだった。
彼の声が聞こえる気がした。
彼の温かい眼差しを感じる。
遥の頬を伝う涙は、もう悲しみだけではなかった。
圭がどれほど遥を愛し、その未来を願っていたかを知る、温かい感謝の涙だった。
彼は、遥の心の中で、永遠に生き続けている。
そして、このエッセイが、その確かな証となるだろう。
遥は、静かにタブレットの画面に指を伸ばし、その作品をタップする準備をした。
かつて圭と手を取り合って通った図書館の脇の小道を抜け、体育館の裏手にある非常階段を目指す。
普段は立ち入り禁止の札がかかっているはずなのに、今日はなぜか外されていた。
まるで遥を招き入れるかのように、錆びた鉄骨の階段が、天空へと伸びている。
一歩一歩、階段を上るたびに、心臓の鼓動が大きくなる。
大学時代、遥と圭はよくこの屋上で時間を過ごした。
講義の合間、課題に疲れた時、時にはただぼんやりと空を眺めるためだけに。
ここには、二人の秘密の場所のような空気感があった。
街の喧騒が嘘のように遠ざかり、風の音だけが遥の耳元を撫でる。
圭はいつも、遥の隣で、穏やかに笑っていた。
屋上への扉を開けると、ひんやりとした風が遥の髪をそっと撫でた。
眼下に広がる街並みは、あの頃とほとんど変わっていない。
高層ビル群が立ち並び、車の流れがまるで生き物のように蠢いている。
しかし、遥の目に映る景色は、半年前に圭を失ってからの灰色の世界とは全く異なっていた。
彩りを帯び、生命力に満ちている。
錆びついたフェンスにもたれかかり、遥は大きく深呼吸をした。
胸いっぱいに吸い込む冬の澄んだ空気は、圭との思い出の香りがするような気がした。
ここで、圭と初めて出会ったのだ。
遥がデザインの課題に煮詰まって、屋上でひとり途方に暮れていた時、圭が偶然通りかかって声をかけてくれた。
それが、二人の恋の始まりだった。
「どうしたの? そんな顔して」
圭の優しい声が、今も遥の耳の奥で響く。
あの時、差し出された温かい缶コーヒーの温もりも、鮮明に思い出せる。
圭はいつも、遥が困っていると、当たり前のように寄り添ってくれた。
そして、遥がまだ気づいていない才能や、秘めた情熱を見つけ出し、そっと背中を押してくれた。
彼の存在が、遥の日常を、人生を、どれほど豊かにしてくれていたのか。
遥は、コートのポケットからタブレットを取り出した。
画面には、先ほどログインした「リーディング・ツリー」の圭のアカウントページが映し出されている。
『時の貯金箱』。
たった一つの投稿作品。
そして、たった一つの購入履歴。
遥は、圭のいない屋上のコンクリートの上に静かに座り込んだ。
冷たい地面の感触が、現実を遥に突きつける。
隣に圭はいない。
彼の温かい腕が、遥の肩を抱いてくれることはない。
しかし、不思議と孤独ではなかった。
彼の存在を、すぐそばに感じていた。
風が再び遥の髪をそっと撫でた。
それはまるで、圭の優しい指が、遥の頬をなぞっているかのようだった。
遥は、タブレットをそっと膝の上に置いた。
まだエッセイは開かない。
この場所で、圭の最後のメッセージを読むことの意味を、遥はゆっくりと噛みしめていた。
ここから始まった二人の物語。
そして、今、ここで、彼が遺した最後の贈り物を受け取る。
それは、別れではなく、新たな始まりなのだと、遥は直感していた。
タブレットの画面に、圭の名前が静かに灯っている。「Asagiri_Kei」。
その文字が、遥に語りかけているようだった。
彼の声が聞こえる気がした。
彼の温かい眼差しを感じる。
遥の頬を伝う涙は、もう悲しみだけではなかった。
圭がどれほど遥を愛し、その未来を願っていたかを知る、温かい感謝の涙だった。
彼は、遥の心の中で、永遠に生き続けている。
そして、このエッセイが、その確かな証となるだろう。
遥は、静かにタブレットの画面に指を伸ばし、その作品をタップする準備をした。
0
あなたにおすすめの小説
〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー
i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆
最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡
バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。
数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
旦那様に学園時代の隠し子!? 娘のためフローレンスは笑う-昔の女は引っ込んでなさい!
恋せよ恋
恋愛
結婚五年目。
誰もが羨む夫婦──フローレンスとジョシュアの平穏は、
三歳の娘がつぶやいた“たった一言”で崩れ落ちた。
「キャ...ス...といっしょ?」
キャス……?
その名を知るはずのない我が子が、どうして?
胸騒ぎはやがて確信へと変わる。
夫が隠し続けていた“女の影”が、
じわりと家族の中に染み出していた。
だがそれは、いま目の前の裏切りではない。
学園卒業の夜──婚約前の学園時代の“あの過ち”。
その一夜の結果は、静かに、確実に、
フローレンスの家族を壊しはじめていた。
愛しているのに疑ってしまう。
信じたいのに、信じられない。
夫は嘘をつき続け、女は影のように
フローレンスの生活に忍び寄る。
──私は、この結婚を守れるの?
──それとも、すべてを捨ててしまうべきなの?
秘密、裏切り、嫉妬、そして母としての戦い。
真実が暴かれたとき、愛は修復か、崩壊か──。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 いいね❤️励みになります!ありがとうございます!
愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました
蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。
そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。
どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。
離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない!
夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー
※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる