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第三章:再起への光と動き出し
第三十二話:印を込めて
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お凛が考案した潜入計画は、周到な準備を必要とした。
淀屋が隠し米を運び込む夜に、怪しまれずに蔵の様子を探り、公儀の御蔵米であることを証明する「印」を米俵に忍び込ませる。
それは、極めて繊細かつ大胆な作業だった。
まず、問題の「印」だ。
後日、その米を回収した際に、確実に自分たちの手で仕込んだものであると証明できるものでなければならない。お凛は思案を重ね、あるものに目をつけた。
それは、稲穂屋で使っていた、佐助が手彫りした小さな木製の看板の欠片だった。
店が潰された際、壊れた看板の一部を、お凛が大切に取っておいたのだ。
「これなら…」
お凛は、欠片を手に取った。
木の欠片は小さく、特徴的な形をしている。これを米俵の隙間にそっと忍び込ませるのだ。
次に、淀屋の輸送日時を正確に把握する必要があった。
新助と彼の仲間たちは、交代で例の渡し場と蔵の周囲を見張り続けた。昼間は遠巻きに、夜はさらに慎重に身を隠し、淀屋の動きを観察した。
彼らは、飢えと寒さの中、身を削るようにして情報を集めてくれた。
数日後、新助から報告が入った。
「お凛さん、今度の丑の刻、また淀屋が米を運び込むみたいですわ。いつもの見張り役が、いつもと違う表情してましたんや。これは間違いないと思います」
新助の目には、確信の色が宿っていた。
いよいよ決行の時が来た。お凛は、新助と、もう一人の人足仲間、そして乾物屋の女将に、最後の打ち合わせをした。義父は奥の間から、静かに見守っている。
「新助さん、あなたとあの男衆には、淀屋の船が接岸し、米俵を蔵に運び込む際、その木製の欠片を米俵の隙間に、決して気づかれないように忍び込ませていただきたいのです。ほんの一瞬の隙を狙って、手早くお願いします」
お凛は、木製の欠片を新助に手渡した。
新助は、欠片を握りしめ、真剣な顔で頷いた。
「へい、承知しました。命に変えても、旦那さんのためにも、必ずやり遂げますわ」
「女将さんには、私が川を船で通り過ぎる際、もし淀屋の者がこちらに気づこうとしたら、何らかの合図を送っていただきたいのです。そして、もし万が一、私が危険な目に遭いそうになったら、助けを求めてください」
お凛は、緊張した面持ちで女将に頼んだ。
「任せておくれやす。あんたに何かあったら、わしらが黙ってるわけないわ」
女将は、力強くお凛の手を握った。
そして、当日の夜。空は厚い雲に覆われ、月明かりはほとんどない。闇は、彼らの行動を隠すには好都合だった。
お凛は、地味な身なりに身を包み、人目に付かぬよう、古ぼけた小舟に乗り込んだ。
新助と男衆は、すでに渡し場の近くの物陰に身を潜めていた。彼らの心臓は、不安と緊張で高鳴っていたが、お凛への信頼と、不正を暴くという強い思いが、彼らを支えていた。
刻々と時間は過ぎ、夜中の丑の刻に近づいていく。川面を渡る風が、一層寒さを感じさせた。遠くから、櫂の音が聞こえてきた。淀屋の船が、闇の中にその姿を現したのだ。
船は音もなく渡し場に接岸し、数人の人足が素早く綱を固定した。
淀屋の番頭らしき男が指示を出し、蔵の重い戸がゆっくりと開け放たれた。中からは、米俵がうず高く積まれているのが、かすかに見えた。
新助たちは、息を潜め、その時を待った。
淀屋の人足たちが米俵を運び出し、蔵の中へと運び込んでいく。その一瞬の隙を狙って、新助は身を低くして蔵の入り口に近づいた。
その頃、お凛を乗せた小舟は、闇に紛れてゆっくりと渡し場に近づいていた。
お凛は、凍える指で櫓を漕ぎながら、蔵の入り口に目を凝らした。開け放たれた戸の向こうに、うず高く積まれた米俵が見える。そして、その米俵の色と形。
それは、まさしく公儀の御蔵米の特徴と一致していた。
(間違いない…!)
お凛は、心の中で確信した。
その時、新助が素早く動いた。
米俵の隙間に、手にした木製の欠片をそっと忍び込ませる。ほんの一瞬の作業だったが、心臓が破裂しそうなほど緊張したに違いない。
彼は、無事に任務を終え、再び闇の中に身を潜めた。
お凛は、蔵の中を目に焼き付け、小舟を静かに漕ぎ進めた。
その直後、女将からの合図で、淀屋の番頭がこちらに目を向けようとしているのが分かった。
しかし、お凛はすでに蔵の前を通り過ぎ、闇の中へと消えていく寸前だった。
無事に任務を終えた新助と仲間たちも、それぞれ別の道からその場を離れた。
危険な賭けだったが、彼らは見事にそれをやり遂げたのだ。
稲穂屋に戻ったお凛は、疲労困憊していたが、その目には確かな手応えが宿っていた。
公儀の御蔵米の隠匿場所の特定と、その証拠となる「印」の仕込み。
これで、淀屋の不正を暴くための、決定的な一歩を踏み出すことができた。
淀屋が隠し米を運び込む夜に、怪しまれずに蔵の様子を探り、公儀の御蔵米であることを証明する「印」を米俵に忍び込ませる。
それは、極めて繊細かつ大胆な作業だった。
まず、問題の「印」だ。
後日、その米を回収した際に、確実に自分たちの手で仕込んだものであると証明できるものでなければならない。お凛は思案を重ね、あるものに目をつけた。
それは、稲穂屋で使っていた、佐助が手彫りした小さな木製の看板の欠片だった。
店が潰された際、壊れた看板の一部を、お凛が大切に取っておいたのだ。
「これなら…」
お凛は、欠片を手に取った。
木の欠片は小さく、特徴的な形をしている。これを米俵の隙間にそっと忍び込ませるのだ。
次に、淀屋の輸送日時を正確に把握する必要があった。
新助と彼の仲間たちは、交代で例の渡し場と蔵の周囲を見張り続けた。昼間は遠巻きに、夜はさらに慎重に身を隠し、淀屋の動きを観察した。
彼らは、飢えと寒さの中、身を削るようにして情報を集めてくれた。
数日後、新助から報告が入った。
「お凛さん、今度の丑の刻、また淀屋が米を運び込むみたいですわ。いつもの見張り役が、いつもと違う表情してましたんや。これは間違いないと思います」
新助の目には、確信の色が宿っていた。
いよいよ決行の時が来た。お凛は、新助と、もう一人の人足仲間、そして乾物屋の女将に、最後の打ち合わせをした。義父は奥の間から、静かに見守っている。
「新助さん、あなたとあの男衆には、淀屋の船が接岸し、米俵を蔵に運び込む際、その木製の欠片を米俵の隙間に、決して気づかれないように忍び込ませていただきたいのです。ほんの一瞬の隙を狙って、手早くお願いします」
お凛は、木製の欠片を新助に手渡した。
新助は、欠片を握りしめ、真剣な顔で頷いた。
「へい、承知しました。命に変えても、旦那さんのためにも、必ずやり遂げますわ」
「女将さんには、私が川を船で通り過ぎる際、もし淀屋の者がこちらに気づこうとしたら、何らかの合図を送っていただきたいのです。そして、もし万が一、私が危険な目に遭いそうになったら、助けを求めてください」
お凛は、緊張した面持ちで女将に頼んだ。
「任せておくれやす。あんたに何かあったら、わしらが黙ってるわけないわ」
女将は、力強くお凛の手を握った。
そして、当日の夜。空は厚い雲に覆われ、月明かりはほとんどない。闇は、彼らの行動を隠すには好都合だった。
お凛は、地味な身なりに身を包み、人目に付かぬよう、古ぼけた小舟に乗り込んだ。
新助と男衆は、すでに渡し場の近くの物陰に身を潜めていた。彼らの心臓は、不安と緊張で高鳴っていたが、お凛への信頼と、不正を暴くという強い思いが、彼らを支えていた。
刻々と時間は過ぎ、夜中の丑の刻に近づいていく。川面を渡る風が、一層寒さを感じさせた。遠くから、櫂の音が聞こえてきた。淀屋の船が、闇の中にその姿を現したのだ。
船は音もなく渡し場に接岸し、数人の人足が素早く綱を固定した。
淀屋の番頭らしき男が指示を出し、蔵の重い戸がゆっくりと開け放たれた。中からは、米俵がうず高く積まれているのが、かすかに見えた。
新助たちは、息を潜め、その時を待った。
淀屋の人足たちが米俵を運び出し、蔵の中へと運び込んでいく。その一瞬の隙を狙って、新助は身を低くして蔵の入り口に近づいた。
その頃、お凛を乗せた小舟は、闇に紛れてゆっくりと渡し場に近づいていた。
お凛は、凍える指で櫓を漕ぎながら、蔵の入り口に目を凝らした。開け放たれた戸の向こうに、うず高く積まれた米俵が見える。そして、その米俵の色と形。
それは、まさしく公儀の御蔵米の特徴と一致していた。
(間違いない…!)
お凛は、心の中で確信した。
その時、新助が素早く動いた。
米俵の隙間に、手にした木製の欠片をそっと忍び込ませる。ほんの一瞬の作業だったが、心臓が破裂しそうなほど緊張したに違いない。
彼は、無事に任務を終え、再び闇の中に身を潜めた。
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しかし、お凛はすでに蔵の前を通り過ぎ、闇の中へと消えていく寸前だった。
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危険な賭けだったが、彼らは見事にそれをやり遂げたのだ。
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