【完結】『紅蓮の算盤〜天明飢饉、米問屋女房の戦い〜』

月影 朔

文字の大きさ
33 / 51
第三章:再起への光と動き出し

第三十三話:決定的な証拠

しおりを挟む
 淀屋の隠し蔵に「印」を忍び込ませることに成功したお凛は、次なる重要な段階へと移った。

 それは、あの米俵を回収し、それが本当に公儀の御蔵米であることを証明することだ。
もしそれができれば、淀屋の辰蔵が幕府をも欺く大罪を犯しているという決定的な証拠となる。

 しかし、淀屋の蔵から米俵を盗み出すのは、潜入以上に危険な行為だった。
淀屋も、まさか自分たちの隠し蔵に侵入者がいるとは思っていないだろうが、万が一見つかれば、ただでは済まない。

 お凛は義父と新助、乾物屋の女将と再び集まり、この新たな難題について話し合った。

「あの蔵から、私たちが印を仕込んだ米俵を回収しなければなりません。それが公儀の御蔵米であると証明するためには、鑑定が必要です」
 お凛は、皆の顔を見回しながら言った。

「そりゃ、そうやけど…どうやって運び出すんです? 夜中にこっそり忍び込んで、俵を一つだけ運び出すなんて、そない簡単な話やないですよ」
 新助が眉をひそめた。

「しかも、淀屋の蔵やろ? 見つかったら、ただじゃ済まへん。命も危ないわ」
 女将も、心配そうに言った。

 義父は、じっと考え込んでいたが、やがて口を開いた。

「米俵を一つだけ盗み出すのは難しい。だが、淀屋の船が、米を運び出す日を狙うのはどうじゃ。夜中に、あの蔵から別の場所へ米を運び出すことがあるはずだ。その時ならば…」

 お凛の頭の中で、閃きが走った。
「その時、淀屋の船に紛れ込む、ということですか?」

「そうじゃ。淀屋の船頭や人足は、夜の闇に慣れておる。だが、彼らが運び出す米の中に、わしらが目をつけた俵が混じっておるかもしれん。その中で、一瞬の隙を狙って、印のある俵を奪い取る」
 義父の言葉は、大胆でありながら、唯一の現実的な方法に思えた。

 だが、それはあまりにも危険な賭けだった。
淀屋の人間は、大坂中の米問屋でも一、二を争うほど気が荒い。もし見つかれば、ただでは済まないだろう。

「新助さん、あなたと仲間の方々に、その役目をお願いするのは…あまりにも危険すぎます」
 お凛は、思わず口にした。

 しかし、新助はきっぱりと言った。
「何を言うてはるんですか、お凛さん。あんた一人に危険な真似ばっかりさせるわけにはいきませんわ。それに、俺たちは、佐助さんを信じとる。この一件、なんとしてでも解決せなあかんのですわ」

 他の男衆も、力強く頷いた。
「そや! お凛さん一人に背負わせるもんやない!」

「みんなで力を合わせれば、きっとできる!」
 彼らの強い決意に、お凛は胸が熱くなった。

 かくして、新助と男衆は、再びあの渡し場と蔵の周囲を見張る日々に戻った。そして数日後、再び淀屋が夜中に米を運び出すという情報が入った。

 その夜。
川面は墨を流したように黒く、月は雲に隠れていた。淀屋の船が渡し場に接岸し、蔵の戸が開け放たれる。

 番頭の怒鳴り声と、人足たちの掛け声が、静かな闇に響く。米俵が次々と船に積み込まれていく。

 新助と男衆は、物陰に身を潜め、息を潜めてその時を待った。
彼らは、あらかじめお凛から渡された、夜目でも分かりやすいよう工夫された米俵の識別方法を頭に叩き込んでいた。

 闇の中、米俵が次々と船に運ばれていく。
その中に、彼らが探し求めていた「印」を忍び込ませた米俵が確かにあった。

 新助は、他の男衆と目配せすると、一瞬の隙を狙って動き出した。

 番頭の目がよそに向いたその時、新助は素早く米俵の山に近づき、印のついた俵を掴み取ると、驚くべき速さで闇の中へと消えた。

 他の男衆が、その隙を隠すように別の俵を運び出し、淀屋の人足の注意をそらす。

 淀屋の番頭は、一瞬何か異変を感じたようだったが、すぐに米俵の山に目を戻し、異常がないことを確認すると、再び怒鳴り声を上げて作業を急がせた。

 彼らは、自分たちの隠し米が、一瞬の間に盗み出されたことに気づく由もなかった。

 新助は、息を切らしながら、盗み出した米俵を隠し運び、安全な場所へと急いだ。
そして、夜が明ける前に、その米俵を稲穂屋の裏木戸に運び込んだ。

 お凛は、新助から米俵を受け取ると、震える手で俵を開いた。中から現れた米は、一般に流通しているものとは明らかに異なる、質の良いものだった。

 そして、その中に、彼らが忍び込ませた小さな木製の欠片が、確かに見つかった。

「…これだわ」
 お凛の目には、確かな光が宿っていた。

 義父も、その米を見て、驚きを隠せないようだった。

「間違いない…この米は、公儀の御蔵米だ。この粒の揃い方、色艶…通常市場に出回るものではない」
 義父の言葉は、お凛の確信を裏付けた。

 これで、淀屋の辰蔵が公儀の御蔵米を不正に横流ししているという、決定的な証拠が手に入った。

 しかし、この証拠をどのように利用し、辰蔵を追い詰めるか。そして、佐助の無実を証明し、飢饉に苦しむ町の人々を救うためには、さらに周到な計画が必要だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。 失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。 その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。 裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。 市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。 癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』 ――新感覚時代ミステリー開幕!

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』

月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕! 自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。 料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。 正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道! 行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。 料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで―― お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!? 読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう! 香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない! 旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること? 二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。 笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕! さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!

【完結】「大家さんは名探偵!~江戸人情長屋と七不思議の謎~」

月影 朔
歴史・時代
江戸下町の「あやかし横丁」にある、賑やかな福寿長屋。 ここの大家、おふくは涼やかな美貌と温かい人情を持つ、皆の太陽だ。 長屋に伝わる「七不思議」や日常の騒動を、彼女は持ち前の知恵で見事に解決。「大家さんは名探偵!」と評判になる。 しかし、おふくには誰にも言えない秘密の過去があり、それがやがて長屋全体を巻き込む危機を招く。 絶体絶命のピンチに、おふくを救うのは、血縁を超えた長屋の「家族」の絆だった。 江戸情緒あふれる人情と、手に汗握る謎解き、そして絆の力が光る、感動の物語。 福寿長屋の七不思議に隠された真実、そして大家おふくの秘密とは――?

夢幻の飛鳥2~うつし世の結びつき~

藍原 由麗
歴史・時代
稚沙と椋毘登の2人は、彼女の提案で歌垣に参加するため海石榴市を訪れる。 そしてその歌垣の後、2人で歩いていた時である。 椋毘登が稚沙に、彼が以前から時々見ていた不思議な夢の話をする。 その夢の中では、毎回見知らぬ一人の青年が現れ、自身に何かを訴えかけてくるとのこと。 だが椋毘登は稚沙に、このことは気にするなと言ってくる。 そして椋毘登が稚沙にそんな話をしている時である。2人の前に突然、蘇我のもう一人の実力者である境部臣摩理勢が現れた。 蘇我一族内での権力闘争や、仏教建立の行方。そして椋毘登が見た夢の真相とは? 大王に仕える女官の少女と、蘇我一族の青年のその後の物語…… 「夢幻の飛鳥~いにしえの記憶」の続編になる、日本和風ファンタジー! ※また前作同様に、話をスムーズに進める為、もう少し先の年代に近い生活感や、物を使用しております。 ※ 法興寺→飛鳥寺の名前に変更しました。両方とも同じ寺の名前です。

半蔵門の守護者

裏耕記
歴史・時代
半蔵門。 江戸城の搦手門に当たる門の名称である。 由来は服部半蔵の屋敷が門の側に配されていた事による。 それは蔑まれてきた忍びへの無上の褒美。 しかし、時を経て忍びは大手門の番守に落ちぶれる。 既に忍びが忍びである必要性を失っていた。 忍家の次男坊として生まれ育った本田修二郎は、心形刀流の道場に通いながらも、発散できないジレンマを抱える。 彼は武士らしく生きたいという青臭い信条に突き動かされ、行動を起こしていく。 武士らしさとは何なのか、当人さえ、それを理解出来ずに藻掻き続ける日々。 奇しくも時は八代将軍吉宗の時代。 時代が変革の兆しを見せる頃である。 そしてこの時代に高い次元で忍術を維持していた存在、御庭番。 修二郎は、その御庭番に見出され、半蔵門の守護者になるべく奮闘する物語。 《連作短編となります。一話四~五万文字程度になります》

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

処理中です...