【完結】『いくさ飯の若武者 ~乾坤一擲、兵糧奮闘記~』

月影 朔

文字の大きさ
30 / 59
第三部:兵糧戦線、前進!

第三十話:道中の病、梅干しの効用

しおりを挟む
 武藤家の大軍は、戦場を目指し、雪がちらつくような寒空の下を行軍を続けていた。

 疲労は蓄積し、兵士たちの顔には生気が乏しい。
寒さ(第28話)、そして乏しい食事(第26話)が、彼らの体力を奪っていく。

 それに加え、新たな脅威が兵士たちを蝕み始めていた。

 病だ。

 数万の兵士が密集して移動する。
衛生状態は悪く、水場も限られている。
一人が風邪をひけば、あっという間に周囲に広がる。

 発熱や咳、そして腹の具合を悪くする者が増え始めた。
荷車に乗せられて運ばれる病人や怪我人(第16話)の数が、日を追うごとに増えていく。

「げほっ、げほっ……
体がだるい……」

「腹が、どうにもごろごろして……」

 行軍中に病に倒れることは、死に直結しかねない。
適切な手当ても、安静にすることも難しい。

 病人が増えれば、軍全体の戦力も落ちる。
兵士たちの間に、病への不安がじわりと広がっていく。

 千兵衛は、第二師団の兵糧責任者として、この状況を深刻に受け止めていた。
飢餓と同じくらい、あるいはそれ以上に、病は軍を弱体化させる。

 特に、消化器系の病が流行すれば、兵士たちは食事をとることすら困難になり、体力はみるみる落ちていくだろう。

「病になる前に、何かできることはないか……」

 千兵衛は、備蓄品や、昔から伝わる知恵について考えを巡らせた。
病を防ぐ力、体に良いとされているもの。

 そこで彼の頭に浮かんだのは、「梅干し」だった。

 梅干しは、塩漬けにした梅の実を干したものだ。
塩分と酸が強く、それ自体が優れた保存食となる。

 そして、食欲を増進させ、消化を助け、さらにばい菌を殺す力があるとも言われている。
戦場のような不衛生な環境では、これほどありがたいものはない。

 もちろん、梅干しは貴重品だ。
大量の備蓄があるわけではないが、以前、兵糧奉行の備蓄庫で見かけたのを覚えていた。

 千兵衛は、梅干しを、行軍中の兵士たちが手軽に持ち運び、食べられるように「飯団子」に組み込むことにした。

 これならば、飯と共に梅干しの効用を取り入れることができ、単調な携帯食に変化もつけられる。

 彼は、配給用の米や雑穀をいつも通り炊く。
そこに、兵糧奉行から特別に回してもらった、わずかな梅干しを加える。

 梅干しは、そのまま丸ごと入れるか、あるいは細かく刻んで飯に混ぜ込む。
塩味を調え、全体が均一になるように混ぜ合わせる。

 梅干しの赤やピンクが、飯に彩りを加える。

 混ぜ合わせた飯を、手に塩水をつけて、ぎゅっと力を込めて握る。
行軍中に持ち運んでも崩れないように、しっかりと。

 握るたびに、梅干し特有の、すっぱいような、しょっぱいような、独特の香りがぷんぷんと漂う。

 それは、飢餓と寒さ、そして病の匂いが漂う陣中には珍しい、刺激的な香りだ。

 出来上がった「梅干し入り飯団子」は、見た目は通常の飯団子と大差ないが、微かに梅干しの色がついていたり、中に梅干しが隠れていたりする。

 そして、何よりも、そのすっぱい、しょっぱい香りが、他の飯団子とは一線を画している。

 千兵衛は、完成した梅干し入り飯団子を、その日の行軍中の休憩時間に、兵士たちに配給させた。

 皆、飯団子を受け取り、その匂いを嗅いで、少し顔をしかめる。

 梅干しだと気づいたのだろう。

 千兵衛は、飯団子を差し出しながら、この料理に込めた思いを語った。

「乏しき中にこそ、美味は宿る。
これぞ、いくさ飯。」

 兵士たちは、顔をしかめながらも、恐る恐る梅干し入り飯団子を口にする。

 もぐもぐ…と噛みしめる。

 口の中に広がるのは、すっぱい! 
そしてしょっぱい! 
強烈な酸味と塩味だ。

 顔がきゅっと歪む。
しかし、その酸味の後から、飯の甘みと、梅干し特有の深い風味が追いかけてくる。

 それは、眠っていた食欲をかき立て、体に活力を与えるかのようだ。

「す、すっぺえ!」

「しかし……なんだか、体がしゃきっとしたぞ」

「病に効くってやつか!」

 兵士たちの間に、驚きと、そして納得の声が上がった。

 彼らは、梅干しが体に良いという伝聞を知っている。
この強烈な酸味と塩味が、自分の体を病から守ってくれるのだという信念が、彼らの心を勇気づけた。

 それは、物理的な効果だけでなく、心の健康にも繋がる。

 この梅干し入り飯団子は、行軍中の病という見えない敵に対する、千兵衛の食による防御策となった。

 携帯でき、衛生的に優れ、そして兵士たちの心に「病に打ち勝つ力」を与えたのだ。

 しかし、梅干しの備蓄は限られている。
全軍に定期的に配給できる量はない。

 誰に、どれだけ、どの頻度で配給するのか。
それは、兵糧奉行預かりとして、軍全体の食糧と健康を管理する千兵衛に突きつけられる、難しい判断となる。

 また、兵士たちの健康管理や病への対応は、兵糧奉行だけでなく、軍医や衛生担当といった他の部署も関わる領域だ。

 梅干しの配給を巡って、彼らとの連携や、あるいは意見の対立が生じる可能性もある。

 飢餓、寒さ、疲労、資材不足、そして疫病。行軍は続く。
千兵衛は、限られた兵糧と知恵で、これらの多面的な敵と戦い続ける。

 そして、この梅干し入り飯団子は、彼の戦いが、食料そのものだけでなく、軍全体の健康と、そして組織間の連携にも及んでいくことを示唆する一品となった。

 飢餓との戦いは、ますます複雑な様相を呈していく。

【今回のいくさ飯】
『病を防ぎ、活力を与える。梅干し入り飯団子』

 炊いた米や雑穀に、刻んだり丸ごと入れたりした梅干しと塩を混ぜて握った飯団子。
梅干しの強い塩分と酸が保存性を高め、食欲を増進させ、疲労回復や病の予防に効果があると言われている。
行軍中の携帯食として、病が流行する陣中で重要な役割を果たす。
梅干しのすっぱい、しょっぱい味が兵士の心身をしゃきっとさせる。
(現代の梅干しおにぎり。疲労回復、食中毒予防、抗菌効果)
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

【アラウコの叫び 】第1巻/16世紀の南米史

ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。 マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、 スペイン勢力内部での覇権争い、 そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。 ※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、 フィクションも混在しています。 また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。 HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。 公式HP:アラウコの叫び youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス insta:herohero_agency tiktok:herohero_agency

半蔵門の守護者

裏耕記
歴史・時代
半蔵門。 江戸城の搦手門に当たる門の名称である。 由来は服部半蔵の屋敷が門の側に配されていた事による。 それは蔑まれてきた忍びへの無上の褒美。 しかし、時を経て忍びは大手門の番守に落ちぶれる。 既に忍びが忍びである必要性を失っていた。 忍家の次男坊として生まれ育った本田修二郎は、心形刀流の道場に通いながらも、発散できないジレンマを抱える。 彼は武士らしく生きたいという青臭い信条に突き動かされ、行動を起こしていく。 武士らしさとは何なのか、当人さえ、それを理解出来ずに藻掻き続ける日々。 奇しくも時は八代将軍吉宗の時代。 時代が変革の兆しを見せる頃である。 そしてこの時代に高い次元で忍術を維持していた存在、御庭番。 修二郎は、その御庭番に見出され、半蔵門の守護者になるべく奮闘する物語。 《連作短編となります。一話四~五万文字程度になります》

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

【完結】『からくり長屋の事件帖 ~変わり発明家甚兵衛と江戸人情お助け娘お絹~』

月影 朔
歴史・時代
江戸の長屋から、奇妙な事件を解き明かす! 発明家と世話焼き娘の、笑えて泣ける人情捕物帖! 江戸、とある長屋に暮らすは、風変わりな男。 名を平賀甚兵衛。元武士だが堅苦しさを嫌い、町の発明家として奇妙なからくり作りに没頭している。作る道具は役立たずでも、彼の頭脳と観察眼は超一流。人付き合いは苦手だが、困った人は放っておけない不器用な男だ。 そんな甚兵衛の世話を焼くのは、隣に住む快活娘のお絹。仕立て屋で働き、誰からも好かれる彼女は、甚兵衛の才能を信じ、持ち前の明るさと人脈で町の様々な情報を集めてくる。 この凸凹コンビが立ち向かうのは、岡っ引きも首をひねる不可思議な事件の数々。盗まれた品が奇妙に戻る、摩訶不思議な悪戯が横行する…。甚兵衛はからくり知識と観察眼で、お絹は人情と情報網で、難事件の謎を解き明かしていく! これは、痛快な謎解きでありながら、不器用な二人や長屋の人々の温かい交流、そして甚兵衛の隠された過去が織りなす人間ドラマの物語。 時には、発明品が意外な鍵となることも…? 笑いあり、涙あり、そして江戸を揺るがす大事件の予感も――。 からくり長屋で巻き起こる、江戸情緒あふれる事件帖、開幕!

魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~

古道 庵
歴史・時代
「母を、自由を、そして名前すらも奪われた。それでも俺は――」 天正十年、第六天魔王・織田信長は本能寺と共に炎の中へと消えた―― 信長とその嫡男・信忠がこの世を去り、残されたのはまだ三歳の童、三法師。 清須会議の場で、豊臣秀吉によって織田家の後継とされ、後に名を「秀信」と改められる。 母と引き裂かれ、笑顔の裏に冷たい眼を光らせる秀吉に怯えながらも、少年は岐阜城主として時代の奔流に投げ込まれていく。 自身の存在に疑問を抱き、葛藤に苦悶する日々。 友と呼べる存在との出会い。 己だけが見える、祖父・信長の亡霊。 名すらも奪われた絶望。 そして太閤秀吉の死去。 日ノ本が二つに割れる戦国の世の終焉。天下分け目の関ヶ原。 織田秀信は二十一歳という若さで、歴史の節目の大舞台に立つ。 関ヶ原の戦いの前日譚とも言える「岐阜城の戦い」 福島正則、池田照政(輝政)、井伊直政、本田忠勝、細川忠興、山内一豊、藤堂高虎、京極高知、黒田長政……名だたる猛将・名将の大軍勢を前に、織田秀信はたったの一国一城のみで相対する。 「魔王」の血を受け継ぐ青年は何を望み、何を得るのか。 血に、時代に、翻弄され続けた織田秀信の、静かなる戦いの物語。 ※史実をベースにしておりますが、この物語は創作です。 ※時代考証については正確ではないので齟齬が生じている部分も含みます。また、口調についても現代に寄せておりますのでご了承ください。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

処理中です...