【完結】『いくさ飯の若武者 ~乾坤一擲、兵糧奮闘記~』

月影 朔

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第五部:帰還、そして束の間の平穏

第五十八話:凱旋の玉手箱、開けば広がる祝の幸

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 長かった帰還行軍は、ついに終わりを告げようとしていた。

 遠くに見えていた武藤家の居城が、日を追うごとにその威容を増していく。

 兵士たちの間には、故郷へ帰れるという強い期待と共に、言い知れぬ緊張感が漂っていた。

 戦場での日々、飢餓、多くの仲間の死。
自分が無事に帰還できたという安堵と、あの地獄を共に生き抜いた者たちだけが共有できる、重い空気。

 そして、故郷で待つ日常、あるいは、すでに届き始めている新たな戦乱の予感への不安。

 様々な感情が、胸の中で渦巻いていた。

 軍は、城下町を抜け、城門へと向かう。

 門の前に立つ兵士たち、そして城壁の上から見守る人々。
その視線を受けながら、兵士たちは背筋を伸ばし、最後の力を振り絞って一定の足音で進む。

 門をくぐる音。

 城の内側に入った瞬間、張り詰めていた糸がぷつりと切れるような感覚。

 ようやく、「帰ってきた」のだ。

 城内では、帰還した兵士たちを迎えるための、盛大な準備が進められていた。

 負傷者の手当、仮の宿営場所への誘導、そして何よりも、彼らにとって最初にして最も重要な、心身を満たす食事の準備だ。

 この日の大規模な食事の準備は、単に城の兵糧方だけが行ったのではない。

 軍目付代・井上治部少輔は、兵が帰還する数週間前、被害が比較的少なかった一部の一般兵を先行して帰還させ、城の兵糧方と連携して新鮮な食材を集め、準備を進めるよう指示していたのだ。

 井上は、兵士たちがどのような飢餓を経験したかを知っていたからこそ、その帰還の際には、物理的にも精神的にも、最大限の慰労が必要だと考えたのである。

 兵糧方・千兵衛も、井上から先行部隊の手配と、城に豊富で上質な食材が集められていることを知らされていた。

 千兵衛は、兵士たちの過酷な体験と、彼らが帰還後にどのような食事を必要としているかを深く考え、この歓迎の宴のために、ある特別な料理の構想を温めていた。

 城の広い台所と、その外に設えられた大規模な炊事場では、複数の大釜で、湯気の立つ、真っ白な白米が大量に炊き上げられている。

 それは、飢餓の戦場では想像もできなかった光景だ。

 その隣では、新鮮な肉(猪、鹿、鶏、豚など、様々だ)が下処理され、豪快に調理される準備が進められている。

 城の菜園で採れたばかりの瑞々しい野菜も大量に運ばれてくる。

 この日の祝膳の主役は、千兵衛が構想した、見た目にも驚きのある料理だ。

 彼は、様々な種類の肉を丁寧に刻み、湯で戻した乾燥肉や乾燥魚(戦場での経験を活かす)と混ぜ合わせる。

 そこに、刻んだ新鮮な野菜、そして大量の鶏卵を溶きほぐして加える。

 醤油や味噌、そして貴重な酒や甘味でしっかりと味付けをし、全体が均一になるようにねりねりと混ぜ合わせる。

 出来上がった肉と野菜と卵の混合物を、大きな型にぎゅっと詰め込み、巨大な塊とする。
それを、蒸し器でじっくりと時間をかけて蒸し上げる。

 蒸し器からは、肉と野菜、卵、そして調味料の複雑で、濃厚な、食欲をそそる香りがぶわっと広がる。

 出来上がったのは、「凱旋の玉手箱、開けば広がる祝の幸(がいせんのたまてばこ、ひらけばひろがるいわいのさち)」だ。

 見た目は、まるで巨大な饅頭か、あるいは美しい漆塗りの箱のような、つやつやとした塊だ。

 城の兵糧方が、これを運び、兵士たちの前に据える。

 そして、兵士たちの目前で、この「玉手箱」に刃が入れられる。

すっと切り込みが入ると、中から、色鮮やかな断面が現れる。

 肉の茶色、野菜の緑やオレンジ、そして玉子の黄色が、層になったり、モザイク状になったりして現れるのだ。

 湯気が立ち上り、中からさらに強い、豊かな香りが解放される。

 兵士たちは、目の前で繰り広げられる、想像もしていなかった光景に、皆目を見開く。

 そして、中から現れた美しく、美味しそうな断面を見て、どよめきと共に歓声が上がる。

 これは、単なる料理ではない。まるで宝物のような見た目だ。

「なんだ、あれは!?」

「す、凄い……!」

「美味そうだ……!」

 兵士たちは、切り分けられた「玉手箱」の温かい塊を受け取る。

 見た目の美しさと、鼻腔をくすぐる豊かな香りに、感動すら覚える。

 そして、待ちきれない様子で口に運ぶ。

 もぐもぐと噛みしめる。

 まず感じるのは、様々な肉から来る重層的な旨味だ。
そこに、野菜の優しい甘みと、玉子の豊かな風味が加わる。

 柔らかく、ジューシーな食感。

 そして、醤油や味噌、酒、甘味で整えられた濃厚な味付けが、全体を完璧にまとめ上げている。

 噛むほどに、様々な食材の味が渾然一体となり、口いっぱいに広がる。

 それは、戦場で味わった、飢餓と絶望の味とは全く違う。
飢餓を乗り越えるための「いくさ飯」とも違う。

 故郷で食べた、最も美味しかった記憶を遥かに超えるような、驚くべき美味さだ。

 体中に、温かい滋養と、圧倒的な幸福感がじんわりと染み渡るのを感じる。

 心も体も、全てが満たされていく。

 食事をする兵士たちの顔には、感嘆と喜び、そして深い安堵が入り混じった、輝くような笑顔が浮かぶ。

 皆、夢中で「玉手箱」を頬張りながら、隣の兵士と興奮した声で話す。

 飢餓の地獄、帰還の苦難。

 その全てが、この一口の美味さで報われたかのようだ。

 千兵衛は、驚きと喜び、そして満たされた表情で食事をする兵士たち、そして、輝くような笑顔を見せる兵士たちを見て、心の中で兵糧哲学を唱えた。

「乏しき中にこそ、美味は宿る。
これぞ、いくさ飯。」

 この日の「玉手箱」は、単なる食事ではなかった。

 それは、井上の先を見越した準備と、千兵衛の卓越した創意工夫によって実現した、兵士たちの生存と努力への最大の報酬であり、心身の全てを満たす、最も驚きと喜びに満ちた「いくさ飯」だった。

 軍目付代・井上治部少輔は、帰還した兵士たちが、「玉手箱」と祝膳を食べる様子を、満足げな、しかし複雑な思いで見つめていた。

 先行部隊の準備が、これほどまでの宴として結実したことに確かな手応えを感じている。

 彼は千兵衛の元へ歩み寄り、その並外れた発想と技術に心からの称賛を述べた。

「千兵衛。
見事だ。
この料理は……
皆の苦労を、全て吹き飛ばしてくれただろう。」

 井上は、自身も「玉手箱」を一口。

 その想像以上の美味さに、感嘆を漏らす。
そして、満たされた兵士たちの顔を見つめながら、静かに続けた。

「だが……
この宴も、長くは続かぬかもしれん。
既に、各地で不穏な動きが……
次のいくさも、遠からず来るだろう。」

 兵士たちは、凱旋の祝膳を存分に味わう。
帰還の旅は終わった。

 しかし、未来は不確実だ。
新たな戦乱の予感は、すぐそこに迫っている。

 兵士たちは、「凱旋の玉手箱」という最高の食事を糧に、来るべき新たな時代を生き抜くための、束の間の休息と確かな力を得る。

 物語は、束の間の平穏を経て、新たな局面へと向かう。

【今回のいくさ飯】
『凱旋の玉手箱、開けば広がる祝の幸』

戦場と帰還の旅を終えた兵士たちへ贈られる、事前の手配と工夫により実現した、驚きと喜びの豪華な祝膳メイン料理。
戦場からの帰還行軍を終え、無事に武藤家の拠点に到着した兵士たちのために、井上治部少輔の事前の手配(先行部隊による食材準備)と、千兵衛の構想・指揮により実現した祝宴のメイン料理。
様々な種類の肉(生肉、干し肉など)と新鮮な野菜、そして大量の鶏卵などを混ぜ合わせ、大きな型で固めて蒸し上げた、見た目にも豪華で美しい複合料理。
切り分けた断面に、肉、野菜、卵の色が層状あるいはモザイク状に現れ、兵士に視覚的な驚きと感動を与える。
味も濃厚で複雑、柔らかくジューシーで、戦場で味わった飢餓や単調な食事とは比較にならない美味さ。
心身の全てを満たし、戦い抜いたことへの最大の報酬となる。
千兵衛の並外れた発想と技術が光る、まさに「いくさ飯」の最高峰。
(現代のテリーヌ、ミートローフ、複合蒸し料理、豪華なケータリング料理の概念。帰還、祝宴、驚き、美味しさ、井上治部少輔との連携)
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