『秒速シンデレラ』

月影 朔

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第1章:はじまり

第1話:幸せへの第一歩

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 真夏の午後、教会の中はひんやりとした空気に満ちていた。

 ステンドグラスから差し込む七色の光が、友人・梓のウェディングドレスをきらびやかに彩る。

 白いヴェールの下で、梓は幸せそうに微笑んでいた。

 その姿は、絵本から抜け出してきたお姫様そのものだ。

 隣の席に座る列席者たちが、口々に「綺麗」「感動した」と囁き合う声が、結衣の耳には遠く聞こえた。

 彼女の指先は、スマホの画面の上をさまよっていた。

 ドレスアップはしているものの、肌にまとわりつくレースの感触がどうにも落ち着かない。

 手元のバッグの中には、梓へのささやかなお祝いのイラストと、未だ締め切りに追われている仕事の資料が詰め込まれている。

 視線を正面に戻すと、蓮の花が飾られた祭壇の向こうで、梓と新郎が誓いのキスを交わした。

 祝福の拍手が教会いっぱいに響き渡る。

 結衣も形ばかりの拍手を贈るが、その胸には、温かい感動とは裏腹の、じわりと広がる冷たい水のような感覚が広がっていた。

 ──ああ、梓は本当に幸せを掴んだんだな。

 小学生の頃からの親友の晴れ姿は、素直に喜ぶべきものだ。

 けれど、結衣の心の奥底では、自分とはあまりにもかけ離れた「完璧な幸せ」を目の当たりにし、言いようのない焦燥感が渦巻いていた。

 結衣にとっての日常は、家とアトリエを往復する日々。

 クライアントの要望に応えることに汲々とし、自分の描きたいものが描けず、心はいつも乾いていた。

 恋愛においては、もう何年もご無沙汰で、最後に胸が高鳴ったのは、遠い記憶の中の少女漫画に出てくる王子様だったかもしれない。

 結婚式の豪華な披露宴会場でも、その焦燥感は消えなかった。

 煌びやかなシャンデリア、美味しい料理、楽しそうに談笑する人々。

 結衣は隅の席で、スマホの画面をぼんやりと眺めていた。

 SNSのタイムラインには、友人たちの「#リア充」「#幸せすぎ」といった投稿が流れてくる。

 皆、それぞれの場所で輝いているように見えた。

「結衣ちゃん、全然食べてないじゃない」

 梓が心配そうに声をかけてきた。

 白いドレスがライトを反射して、まぶしい。

「ううん、大丈夫。
幸せそうで何よりだね、梓」

 精一杯の笑顔を作って応える。

 だけど、その笑顔はきっと、どこか歪んで見えていたに違いない。

 披露宴も終盤に差し掛かり、友人たちが新郎新婦を囲んで記念撮影を始めた。

 結衣も誘われたが、つい「お手洗い」と言って席を立ってしまった。

 こんな自分を、あの輝かしい場所に立たせるなんて、とてもできなかった。

 廊下のソファに腰を下ろし、結衣はスマホを手に取った。

 何とはなしにニュースアプリを開くと、とある広告が目に飛び込んできた。

【AIで玉の輿?】最新恋愛サポートAIがあなたの人生を「秒速」で変える!

 その文字が、結衣の目を強く引きつけた。

 まるで砂漠を彷徨う旅人が、目の前に湧き出した泉を見つけたかのような感覚だった。

「AI……」

 結衣の脳裏に、今まで抱いてきた漠然とした理想の男性像が、具体的なイメージとして浮かび上がった。

 高収入で、優しくて、知的で、そして、結衣の才能を理解してくれる人。

 そんな理想の相手と出会い、結婚し、キラキラと輝く毎日を送れたら、どんなに満たされるだろう。

 ふと、自分の部屋に転がっているスケッチブックが頭をよぎった。

 描きかけのイラストには、いつも同じ表情の女性が描かれている。
感情が抜け落ちたかのような、ただ美しいだけの女性。

 今の自分を表しているようだった。

 指先が、広告の「詳細はこちら」というボタンに吸い寄せられる。

 焦燥感に苛まれ、乾ききった心の奥底から、どうしようもなく切実に幸せへの渇望がこみ上げてきた。

 このAIが、私を退屈な現実から救い出し、望む未来へ連れて行ってくれるかもしれない。

 その期待が、どんよりとした胸の底に、小さな光を灯し始めた。
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