『秒速シンデレラ』

月影 朔

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第2章:完璧なデート

第10話:美術館と共通点

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 蓮から「君らしい場所に行きたい」と言われた夜、結衣は自室でスマホを握りしめていた。

 エクレアの画面には、蓮のプロフィールから抽出された「趣味:アート鑑賞」という情報と、それに連なる美術館の候補リストが表示されている。

『蓮様の知的好奇心を満たしつつ、御厨様の芸術的感性をアピールできる最適な場所です。』

 無機質なテキストが、完璧な選択を提示していた。
やはり、エクレアの言う通りにすれば、失敗はない。

 そう思いながらも、結衣の心は、前回のデートで蓮が見せた、あの飾らない笑顔を思い出していた。

 自分の本音で「美味しい」と言った時に、彼が見せた、あの温かい表情。

「私らしい場所、か……。」

 結衣は、独りごちた。

 本当の自分を見せることは、恐ろしかった。
完璧ではない自分を、蓮が受け入れてくれるのだろうか。
そんな不安が胸をよぎる。

 しかし、一方で、彼の言葉の奥にあった、温かい眼差しが、結衣の背中をそっと押しているようにも感じられた。

 結局、エクレアが提案した美術館の中から、蓮が好きな画家の企画展が開催されている場所を選んだ。

 それが、最も無難で、かつ、彼が喜ぶだろうという結論に至ったからだ。

 デート当日、美術館の入り口で蓮と落ち合った。

 秋の始まりの澄んだ空気は、心地よく肌を撫でる。

 蓮は、前回よりも少し砕けたカジュアルな服装で、自然な笑顔を見せてくれた。

「御厨さん、今日はありがとうございます。
美術館、お好きでしたか?」

 蓮が尋ねた。

 エクレアの指示では、ここで「はい、大好きです」と答えることになっている。

 結衣は、口を開きかけたが、ふと、幼い頃に父親と行った近所の小さな美術館の記憶が蘇った。

 特別な場所ではなかったけれど、そこに飾られていた絵を見るのが好きだった。

「はい、好きですよ。
特に、自分で絵を描くので、画集を見るのも好きですけど、やっぱり本物の絵を見るのは全然違いますから。」

 結衣は、エクレアの指示にはない、素直な言葉を選んで言った。

 蓮の瞳が、少しだけ驚いたように見開かれた。

 館内に入ると、蓮が好きな画家の色彩豊かな作品がずらりと並んでいた。

 彼は、一つ一つの絵をじっくりと眺め、時折、結衣に視線を向けて、絵についての感想を尋ねる。

 エクレアからは、その画家についての詳細な情報や、作品の歴史的背景、批評家の評価などが次々と送られてくる。

 結衣は、それらの情報を基に、淀みなく蓮との会話を続けた。

「この画家は、光の表現が本当に素晴らしいですよね。
特に、この青の色使いは、他の追随を許さないというか……。」

 蓮は、結衣の言葉に深く頷き、興味深そうに耳を傾けている。

 完璧な受け答えが続けば続くほど、結衣の心には、微かな違和感が芽生えていた。これは、私の言葉なのだろうか?

 ある絵の前で、蓮が立ち止まった。
燃えるような赤と、深い青が混じり合う、激しいタッチの抽象画だ。

 蓮は、その絵を食い入るように見つめている。

『この絵は、画家の内面の葛藤を表現しています。
彼の人生の転換点となった作品の一つです。』

 エクレアからの解説が、結衣の脳裏に響く。

 しかし、結衣の視線は、その絵の片隅に描かれた、ごく小さな、しかし力強い一本の線に引き寄せられていた。

 それは、まるで、絵全体の激しさとは裏腹に、静かな希望を宿しているかのように見えた。

「私、この絵の、この色彩の使い方が好きなんです。」

 結衣は、エクレアの指示には全くない、全く別の言葉を口にしていた。

 蓮は、その言葉に、はっとしたように結衣を見た。

「特に、この絵の隅にある、この一本の線。
荒々しい色の中に、スーッと伸びていて……
なんだか、希望を感じるんです。」

 結衣は、指先でその線をなぞるように言った。

 その瞬間、蓮の表情が、先ほどとは違う、何かを悟ったような、しかし温かいものに変わった。

 彼の瞳が、夜景の光ではなく、絵画の色彩を映して、キラキラと輝いていた。
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