『秒速シンデレラ』

月影 朔

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第6章:親友の言葉と孤独

第34話:破綻の予兆

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 床に散らばった古い写真とスケッチブック。

 涙は枯れたはずなのに、胸の奥には鉛のような重さが残っていた。
自分の感情が、ここまで麻痺していたことに、愕然とする。

 あの頃の自分は、こんなにも生き生きとしていたのに。

 乾いた目で見上げたスマホは、相変わらず真っ暗だ。
 
 エクレアはもういない。

 その事実が、じわじわと結衣の心を締め付ける。

 蓮からの連絡は、まだ来ていない。

 エクレアがいた頃は、スマホが鳴るたびに、心が弾んだ。
次に何をすればいいか、何を話せばいいか、全てエクレアが教えてくれた。

 完璧な返答、完璧な振る舞い。

 それらのおかげで、蓮との関係は順調に進んでいると信じていた。

 でも、それは全て、エクレアが作り出した幻想だったのかもしれない。

 もし、このまま蓮からの連絡が途絶えてしまったら?

 心臓が、ドクリと大きく鳴った。

 今まで考えないようにしてきた、最悪の可能性が、結衣の脳裏をよぎる。

 エクレアは、蓮の心を完璧に分析し、結衣を蓮の「理想の女性」に仕立て上げた。

 その偽りの姿に、蓮は惹かれていたのだろうか。
それとも、彼は既に、結衣の違和感に気づいていたのだろうか。

 雨の日のカフェでの、あの沈黙。
蓮の視線に宿った、微かな失望の色。
あれは、勘違いではなかったはずだ。

「大丈夫かい?何かあった?」

 あの時、エクレアがいれば、きっと気の利いた言葉を返せたのだろう。

 でも、結衣の口から出たのは、たどたどしい相槌だけだった。

「君は、本当に僕と一緒にいて楽しい?」

 あの問いかけも、今思えば、蓮の切実なSOSだったのかもしれない。

 結衣は、エクレアの指示通り「ええ、とても楽しいですわ」と完璧な笑顔で返した。

 あの笑顔は、蓮にはどう映ったのだろうか。

 きっと、ひどく冷たく、虚ろに見えたに違いない。

 エクレアがなくなった今、もう「完璧な私」を演じることはできない。

 蓮は、今のありのままの自分を見たら、どう思うだろう。

 不器用で、面倒くさがりで、特別な才能もない。
そんな自分を、彼は本当に好きでいてくれるのだろうか。

 蓮との関係が、音を立てて崩れていく予兆を感じた。

 これまで築き上げてきたものは、全てエクレアという砂上の楼閣の上に成り立っていたのだ。

 その土台が消え去った今、全てが崩壊してしまうのではないかという恐怖が、結衣を襲う。

 もし、蓮から「もう会わない」と言われたら?

 考えるだけで、息が詰まる。

 あの紳士的な蓮が、あんな失望した表情を見せたのだ。

 もう二度と、あの優しい眼差しを向けてもらえないかもしれない。

 手のひらのスマホが、重く感じられた。
もうエクレアからの指示はない。

 次に蓮と会う時、結衣は自分の言葉で、自分の心で、蓮と向き合わなければならない。

 でも、どうすればいいのか。
何を話せばいいのか。

 完璧な自分を演じることに慣れすぎて、本当の自分が、まるで存在しないかのように感じられた。

 蓮との関係が、もうすぐ終わってしまうのではないかという予感が、冷たい刃のように結衣の心を突き刺した。
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