6 / 182
A Caged Bird ――籠の鳥【改訂版】
(6)
しおりを挟む
「遥、もしまたあいつらが接触してきても、絶対に拒否してくれ」
ぜいぜいと息を乱しながら父が言った。
「俺は子どもの体を売ってまで生きながらえたくはない。それは間違っている」
父の手が伸びて遥の頬に触れる。
「病気の痛みや苦しみは、俺だけのものだから。大丈夫、引き受けられるよ。この痛みは、昔お前を捨てて死のうとした罰だと思う。だから、耐えてみせる。お前は自分の体を大事にして。端金のために自分を犠牲にしちゃ駄目だ。まして、それが俺の治療費のためだとしたら、死んでも死にきれない」
「父さん」
「頼むからあんな連中と関わり合いにならないでくれ。絶対に巻き込まれないで穏やかに生きてほしい」
父の手が遥の手を握る。
「わかった。約束する。約束するよ、父さん」
父の目に涙がたまり、目尻へと落ちていった。遥の頬へも涙が伝い、ぽたぽたとジーンズの腿を濡らした。
父が言ったとおり再びあの男が現れた。
「断ると言っただろうが」
「お父様に緩和ケアを施さなくてよろしいのですか?」
そうやって道すがら話しかけて遥を誘惑しようとした。遥は足を止めて男に向き直った。
「あんたに俺たち親子の何がわかる? 二度と姿を見せるな」
弱いと思っていた父の最後の意地を通させてやるのが子どもとしての最後の親孝行だと、心の底から思っていた。
高額医療費支給制度があると知りながら、父は入院を拒んだ。そして安楽死を頼めるのなら、頼みたいような苦しみの中で亡くなった。遥の稼ぐなけなしのアルバイト代を、自費分の医療費に充てさせたくないというのが理由だったと気がついたのは、父が亡くなってからだった。
まだ温かい父の頬に手を当て、遥はつぶやいた。
「ありがとう、父さん」
永遠にまぶたを閉ざした顔がとても穏やかだったのだけが遥の救いだった。
父が亡くなり、遥は身の回りのことを整理しだした。葬儀は行わず、火葬のみ。たったひとりの骨上げだった。
遺骨を墓に埋葬しなければならないが、遥は墓のことを父から聞いていなかった。父の両親は亡くなったのは確かだ。ただ祖父母の墓参りに行った記憶もなければ位牌も家にはない。もしかしたら墓がないのか? そんな煩雑なことも調べなくてはならないと知らさられた。
だからこそ大学退学の決意は早かった。そもそも父を心配させたくなくて無理に通っていただけだ。教授に話をしてから退学届を提出した。簡単に書類が受け取られることに、遥は皮肉っぽい笑みが浮かぶとともに、寂しく感じた。
ごめんね、父さん。この約束だけは守れないよ。
学歴に関する父の願いは、生活の前には無理だった。
「お父さんはお気の毒だったわね」と大家の老女が訊ねてきた。
「遥君はこれからどうするの?」
「大学は退学しました。とりあえずはバーテンダーの仕事で暮らしていくつもりです」
「水商売をしていたの」
驚いたような顔を見せた大家はじろじろと遥を眺める。遥はいぶかしく思いながらも答える。
「学校と両立させるためだったので、夜に働いていました」
「じゃあ、そのお仕事は続けるのね。もしそうなら、別のところに移ることも考えてもらえないかしら」
遥は眉をひそめた。
「出て行けと言うことですか?」
太めの大家は肉厚の手を振って見せた。
「無理にとは言わないわよ。今までずっと家賃をきちんと入れてもらっていたし。ただ、新規に入る場合は水商売の方には遠慮してもらってるのね。そういう人との兼ね合いがね」
遥は小さく首を横に振った。
「急には僕も対応しきれないので、父の件が一段落してからでいいですか」
「ええ、ちょっと考えてみてくれる」
大家が去って、つきたくないのにため息が唇を割った。世間は金がない者に無慈悲なのだと思い知る。
だからこそ体だけは守る――
それだけが、遥の父への誓いだった。
ぜいぜいと息を乱しながら父が言った。
「俺は子どもの体を売ってまで生きながらえたくはない。それは間違っている」
父の手が伸びて遥の頬に触れる。
「病気の痛みや苦しみは、俺だけのものだから。大丈夫、引き受けられるよ。この痛みは、昔お前を捨てて死のうとした罰だと思う。だから、耐えてみせる。お前は自分の体を大事にして。端金のために自分を犠牲にしちゃ駄目だ。まして、それが俺の治療費のためだとしたら、死んでも死にきれない」
「父さん」
「頼むからあんな連中と関わり合いにならないでくれ。絶対に巻き込まれないで穏やかに生きてほしい」
父の手が遥の手を握る。
「わかった。約束する。約束するよ、父さん」
父の目に涙がたまり、目尻へと落ちていった。遥の頬へも涙が伝い、ぽたぽたとジーンズの腿を濡らした。
父が言ったとおり再びあの男が現れた。
「断ると言っただろうが」
「お父様に緩和ケアを施さなくてよろしいのですか?」
そうやって道すがら話しかけて遥を誘惑しようとした。遥は足を止めて男に向き直った。
「あんたに俺たち親子の何がわかる? 二度と姿を見せるな」
弱いと思っていた父の最後の意地を通させてやるのが子どもとしての最後の親孝行だと、心の底から思っていた。
高額医療費支給制度があると知りながら、父は入院を拒んだ。そして安楽死を頼めるのなら、頼みたいような苦しみの中で亡くなった。遥の稼ぐなけなしのアルバイト代を、自費分の医療費に充てさせたくないというのが理由だったと気がついたのは、父が亡くなってからだった。
まだ温かい父の頬に手を当て、遥はつぶやいた。
「ありがとう、父さん」
永遠にまぶたを閉ざした顔がとても穏やかだったのだけが遥の救いだった。
父が亡くなり、遥は身の回りのことを整理しだした。葬儀は行わず、火葬のみ。たったひとりの骨上げだった。
遺骨を墓に埋葬しなければならないが、遥は墓のことを父から聞いていなかった。父の両親は亡くなったのは確かだ。ただ祖父母の墓参りに行った記憶もなければ位牌も家にはない。もしかしたら墓がないのか? そんな煩雑なことも調べなくてはならないと知らさられた。
だからこそ大学退学の決意は早かった。そもそも父を心配させたくなくて無理に通っていただけだ。教授に話をしてから退学届を提出した。簡単に書類が受け取られることに、遥は皮肉っぽい笑みが浮かぶとともに、寂しく感じた。
ごめんね、父さん。この約束だけは守れないよ。
学歴に関する父の願いは、生活の前には無理だった。
「お父さんはお気の毒だったわね」と大家の老女が訊ねてきた。
「遥君はこれからどうするの?」
「大学は退学しました。とりあえずはバーテンダーの仕事で暮らしていくつもりです」
「水商売をしていたの」
驚いたような顔を見せた大家はじろじろと遥を眺める。遥はいぶかしく思いながらも答える。
「学校と両立させるためだったので、夜に働いていました」
「じゃあ、そのお仕事は続けるのね。もしそうなら、別のところに移ることも考えてもらえないかしら」
遥は眉をひそめた。
「出て行けと言うことですか?」
太めの大家は肉厚の手を振って見せた。
「無理にとは言わないわよ。今までずっと家賃をきちんと入れてもらっていたし。ただ、新規に入る場合は水商売の方には遠慮してもらってるのね。そういう人との兼ね合いがね」
遥は小さく首を横に振った。
「急には僕も対応しきれないので、父の件が一段落してからでいいですか」
「ええ、ちょっと考えてみてくれる」
大家が去って、つきたくないのにため息が唇を割った。世間は金がない者に無慈悲なのだと思い知る。
だからこそ体だけは守る――
それだけが、遥の父への誓いだった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる