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36リークしたのは僕※
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★今回はリンデン視点のお話です。リンデンは、第八騎士団第六部隊所属の唯一の文官です。
隊長室はお通夜のようだった。オレガノ隊長はいつも以上にやる気が無くて、決裁すべき書類は溜まる一方。コリアンダー副隊長もどこかぼんやりしていて、時折窓の外を眺めては何か思い悩むかのように深いため息をつく。そうなると僕だって、愚痴の一つも言いたくなるというものだ。
「エースくんがいないからって、そんなに気を落とすことないじゃないですか。僕を見習って、隊長達もちゃんと仕事してください」
普通の隊は、僕のような文官は数人いるのが当たり前。それを自分で言うのもなんだけれど、弱冠十五歳で全てをこなしているのは神業に近い。この稀有な人材を大切にしないと、そのうちボイコットしちゃうんだからな! でも、結局はオレガノ隊長のナデナデご褒美につられて、真面目に仕事をしてしまう僕。
「そうだな、リンデンはよくやっている。でもエースは、世間慣れしていないというか、危なっかしいところがあるんだ。どうしても一人息子を初めての御遣いに行かせる父親の気分になっちまうんだよ」
オレガノ隊長は、ひとしきり僕の頭をくしゃくしゃにしてしまうと、ようやく一枚目の書類を手に取ってくれた。僕は、急ぎの用件とそうでないもの、すぐに決裁できそうなものと、そうでないものなどに、きちんと分けてある。少年の身でここまでの気遣いをしているのだから、もっと撫でて褒めてくれても良いと思うのだ。
「だからこそエースは経験を積むことが必要だろう。と分かってはいるのだが……自ら余計なことに首を挟んでいくあの性格は、未だに信用できん」
そう言いながら、コリアンダー副隊長は応接セットのローテーブルの上の号外を手に取った。これはさっき、僕が置いた。先ほど用事で北門へ出向いた際に、風に飛ばされてきたものだ。内容は、三日前の深夜、コリアンダー副隊長の新しい実家の屋敷が半壊し、宰相が第二騎士団に拘束されたというスクープ。宰相は、政務を行わなくなった王に代わって国を動かし、様々な成果を上げている。その一方で、彼は後ろ暗いことも多く行っているということは世間一般の常識だったので、大抵の人が当然の報いだと思ったことだろう。
しかし、この号外を当事者が読むとどんな顔をするだろうか。僕はそれが見たかった。号外には、副隊長たちの名前は一切出てこない。では、なぜ当事者だと知っているのかって? それは、僕の過去と関係がある。
僕は元々平凡な男爵家の三男だ。五歳の時に、偶然王立魔術学園の学園長に才能を見出されてからは、ずっと天才だともてはやされてきた。そして、一人有頂天になって学園の寮と研究室に引きこもっていたことが仇となり、早速人生の曲がり角を迎えることになる。調子に乗っていた僕は知らぬ間に学園内でたくさんの敵を作っていて、気づいたら事故と見せかけて家族全てが殺されてしまったのだ。
僕は天涯孤独になり、十三歳で男爵を継ぐことになってしまう。けれど僕にとって、爵位なんてどうでも良いものだった。どちらかと言えば、お荷物とも言える。学術や魔術と領地経営は完全に別物だし、貴族社会の中で駆け引きをしながら綱渡りのような生き方をしていくのも魅力的には思えなかった。僕はコミュニケーションが得意ではないし、一人でもくもくと何かをするのが好きだ。どう考えても領主向けではない。ならば、男爵家の領地をしかるべきところに引き継いだ方が、領民のためにもなる。
そして僕の意を汲んで手を差し伸べてくださったのが、オレガノ隊長のご実家だった。しかし、事は何の障害もなく運んだわけではない。アルカネット様が、領地を手放すことに難色を示されたのだ。
彼、アルカネット様は僕の親戚筋にあたり、現在王家直属の魔術師団を束ねている主席魔術師。つまり、かなり強い権力を持っている。僕は大人しく男爵を継ぐしかないのかと途方に暮れていたけれど、お優しいアルカネット様はある条件を提示してくださった。領地と貴族の名を捨てて自由になることを認めてくださる代わりに、オレガノ隊長の元で働けとおっしゃったのだ。僕は、隊長の実家にお礼として尽くす形にもなるし、十三歳の少年が突然一人で世間へ出るよりは生活のアテがあった方が良い。同時に、これはアルカネット様の手足の一つとなることも意味していた。
僕とアルカネット様は、その時が初対面だったわけではない。彼がまだ女装していなかった頃、一度だけ顔を合わせたことがある。親族の葬儀の時だ。僕の母親の姉が産後の肥立ちが悪くて亡くなり、誰もが残された僕の従兄弟達を憐れむ中、彼だけは全く違っていたのをよく覚えている。
「愛は、親子間だけに存在するものではない。これから君たちは、様々な人間を愛し、愛され、尊敬し、人間として成長していくことができる。だから前を見よ。親はなくとも、お前たちは自分達で自分達の居場所を見つけられるはずだ」
生まれたばかりの赤ん坊を含め、子ども達一人ひとりの頭を撫でてそう告げるアルカネット様を、僕は生まれて初めて信頼できそうな人だと思った。
気づけば、彼を凝視しすぎてしまっていたらしく、アルカネット様は僕に向かって手招きをする。期待と不安を抱きつつ、まだ幼い足取りで彼の元へ駆けていくと、その大きな手で僕の頭も撫でてくれた。僕には、特に声をかけられたわけではない。それでも僕は、その瞬間天才や神童という名前を捨て、一人の少年としての存在を彼に認めてもらえたかのような錯覚に陥った。そして、これも一つの愛なのだと思った。
だから、アルカネット様に必要とされることは嬉しい。例え、宰相が熱を上げている第一王女に対抗して女装するという奇行に走ったとしても、僕は彼の愛を信じている。彼も彼なりの愛を貫くために、僕を好きに使ってくれたらいい。
コリアンダー副隊長は、表情全く崩すことなく、号外を元のテーブルの上に戻した。
「リンデン、宰相の釈放はそろそろか?」
「僕みたいな下っ端文官に尋ねられてましても……」
副隊長は含みのある視線を隠さない。この人は、薄々僕のしていることに気づいているのかもしれないな。そう思うと背中がゾクリと冷たくなった。
最近では、『ハヴィリータイムズ』にある記事を寄稿した。王子の同性愛疑惑というネタは、雑誌編集長の心を鷲掴みしたらしく、見事採用。クレソン王子の価値を落とすことは、宰相の価値を高め、ひいてはアルカネット様の望みに貢献することができる。ただ今回は、クレソン王子自身への精神的ダメージは与えられなかったことが残念かな。こっそり隊長室で雑誌を読んでいる後ろ姿は、嬉しそうだったから。
僕は、こういった回りくどいことの他にも、アルカネット様付きの部下と密に連絡をとり、随時第八騎士団第六部隊の動きをお伝えしている。それによると、確かにコリアンダー副隊長の言う通り、釈放は秒読みだという話が入ってきていた。アルカネット様は、ご自身は身を隠しながらも各所に的確な指示を出し、少しずつ第二騎士団を懐柔しているとのこと。宰相には取り巻きも多いし、すぐにこれまでと同じ日常が戻ってくるのだろう。
さて、気になるのはコリアンダー副隊長の動きだ。この前の夜会の際、彼が参加することは事前に把握できていたものの、まさかディル班長まで行くことになるとは思っていなかった。ディル班長は庶民出身なので、そういった場にはほとんど足を運ばないはずなのに。何か勘付かれてしまったのだろうか。
第一騎士団団長の動きも怪しい。彼はコリアンダー副隊長と同期入隊で、二人はけっこう仲が良い。彼らは魔術で手紙を往復させることができるので、秘密の会話を重ねている可能性もある。とにかく、あの時の第二騎士団の動きは、あまりにもタイミングが良すぎていた。第一騎士団団長は王を唯一の主と崇め、騎士の鏡のような人物。その地位にしては気性も穏やかな方だけれど、宰相が王を無視して政務を牛耳っている実態には不満を燻ぶらせているとの噂だ。副隊長と呼応する動きは、今後もあるかもしれない。
では、王はどうしているかというと、王妃が失踪されてから随分経つ今も、ぼんやりとした毎日を送られていると聞く。おそらく、王妃捜索隊が改めて結成されるなどしない限り、王としての自覚や責務を思い出すことはないだろう。でも、捜索隊の派遣を決定するのは騎士団総帥の仕事だ。それを宰相が担っている今、夢のまた夢である。
それにしても、二日前から第一王女のローズマリー姫が城から行方不明になっているらしい。王家の紋章の入った大きな馬車が王都内を駆け抜けていくところを多くの人が目にしている。さらに、姫付き侍女と思われる者達がそわそわしていることから、馬車の中にいたのは彼女だと推測されているのだ。これは貴族社会でもすでに噂になっているから、大事になりそうな予感。何せ第一王女は本当は存在しないのではないかなどという噂まで出回っていたぐらいだ。そろそろ、王女が公衆の面前に姿を現さなければならない日は近いと思われる。
でも僕はアルカネット様の味方なので、王女にはもう帰ってこないでほしい気もする。けれど、そうなると今度は宰相の気が狂いかねないから、それはそれで心配だ。
宰相は五年前、ご息女を亡くされた。第一王女と同い年の一人娘。彼女は元々身体が丈夫ではなかったらしく、領地で療養していたところ、天気の良い日に森の近くへピクニックに出かけていったらしい。そこで悲劇は起こった。平素は静かで平和な森なのに、なぜか急に魔物が溢れ出し、犠牲になってしまったのだ。食い散らかされて、ご遺体はほとんど残っていなかったと言う。そして、宰相に妙なスイッチが入ってしまったのだった。
突然始まった第一王女への溺愛。おそらく自分の娘と重ね合わせていたのだろう。この辺りから、宰相はより強い権力を持つことに固執するようになっていった。
あぁ、これから世の中はどうなっていくのだろう。エースくんの登場でますます先のことが読めなくなってきた。僕としては、アルカネット様さえ笑顔でいてくれれば、それでいいんだけどね。
と、噂をしていたら何とやら。急に外が騒がしくなってきた。「おかえり」の大合唱が聞こえる。エースくんが、帰ってきたのかな?
隊長室はお通夜のようだった。オレガノ隊長はいつも以上にやる気が無くて、決裁すべき書類は溜まる一方。コリアンダー副隊長もどこかぼんやりしていて、時折窓の外を眺めては何か思い悩むかのように深いため息をつく。そうなると僕だって、愚痴の一つも言いたくなるというものだ。
「エースくんがいないからって、そんなに気を落とすことないじゃないですか。僕を見習って、隊長達もちゃんと仕事してください」
普通の隊は、僕のような文官は数人いるのが当たり前。それを自分で言うのもなんだけれど、弱冠十五歳で全てをこなしているのは神業に近い。この稀有な人材を大切にしないと、そのうちボイコットしちゃうんだからな! でも、結局はオレガノ隊長のナデナデご褒美につられて、真面目に仕事をしてしまう僕。
「そうだな、リンデンはよくやっている。でもエースは、世間慣れしていないというか、危なっかしいところがあるんだ。どうしても一人息子を初めての御遣いに行かせる父親の気分になっちまうんだよ」
オレガノ隊長は、ひとしきり僕の頭をくしゃくしゃにしてしまうと、ようやく一枚目の書類を手に取ってくれた。僕は、急ぎの用件とそうでないもの、すぐに決裁できそうなものと、そうでないものなどに、きちんと分けてある。少年の身でここまでの気遣いをしているのだから、もっと撫でて褒めてくれても良いと思うのだ。
「だからこそエースは経験を積むことが必要だろう。と分かってはいるのだが……自ら余計なことに首を挟んでいくあの性格は、未だに信用できん」
そう言いながら、コリアンダー副隊長は応接セットのローテーブルの上の号外を手に取った。これはさっき、僕が置いた。先ほど用事で北門へ出向いた際に、風に飛ばされてきたものだ。内容は、三日前の深夜、コリアンダー副隊長の新しい実家の屋敷が半壊し、宰相が第二騎士団に拘束されたというスクープ。宰相は、政務を行わなくなった王に代わって国を動かし、様々な成果を上げている。その一方で、彼は後ろ暗いことも多く行っているということは世間一般の常識だったので、大抵の人が当然の報いだと思ったことだろう。
しかし、この号外を当事者が読むとどんな顔をするだろうか。僕はそれが見たかった。号外には、副隊長たちの名前は一切出てこない。では、なぜ当事者だと知っているのかって? それは、僕の過去と関係がある。
僕は元々平凡な男爵家の三男だ。五歳の時に、偶然王立魔術学園の学園長に才能を見出されてからは、ずっと天才だともてはやされてきた。そして、一人有頂天になって学園の寮と研究室に引きこもっていたことが仇となり、早速人生の曲がり角を迎えることになる。調子に乗っていた僕は知らぬ間に学園内でたくさんの敵を作っていて、気づいたら事故と見せかけて家族全てが殺されてしまったのだ。
僕は天涯孤独になり、十三歳で男爵を継ぐことになってしまう。けれど僕にとって、爵位なんてどうでも良いものだった。どちらかと言えば、お荷物とも言える。学術や魔術と領地経営は完全に別物だし、貴族社会の中で駆け引きをしながら綱渡りのような生き方をしていくのも魅力的には思えなかった。僕はコミュニケーションが得意ではないし、一人でもくもくと何かをするのが好きだ。どう考えても領主向けではない。ならば、男爵家の領地をしかるべきところに引き継いだ方が、領民のためにもなる。
そして僕の意を汲んで手を差し伸べてくださったのが、オレガノ隊長のご実家だった。しかし、事は何の障害もなく運んだわけではない。アルカネット様が、領地を手放すことに難色を示されたのだ。
彼、アルカネット様は僕の親戚筋にあたり、現在王家直属の魔術師団を束ねている主席魔術師。つまり、かなり強い権力を持っている。僕は大人しく男爵を継ぐしかないのかと途方に暮れていたけれど、お優しいアルカネット様はある条件を提示してくださった。領地と貴族の名を捨てて自由になることを認めてくださる代わりに、オレガノ隊長の元で働けとおっしゃったのだ。僕は、隊長の実家にお礼として尽くす形にもなるし、十三歳の少年が突然一人で世間へ出るよりは生活のアテがあった方が良い。同時に、これはアルカネット様の手足の一つとなることも意味していた。
僕とアルカネット様は、その時が初対面だったわけではない。彼がまだ女装していなかった頃、一度だけ顔を合わせたことがある。親族の葬儀の時だ。僕の母親の姉が産後の肥立ちが悪くて亡くなり、誰もが残された僕の従兄弟達を憐れむ中、彼だけは全く違っていたのをよく覚えている。
「愛は、親子間だけに存在するものではない。これから君たちは、様々な人間を愛し、愛され、尊敬し、人間として成長していくことができる。だから前を見よ。親はなくとも、お前たちは自分達で自分達の居場所を見つけられるはずだ」
生まれたばかりの赤ん坊を含め、子ども達一人ひとりの頭を撫でてそう告げるアルカネット様を、僕は生まれて初めて信頼できそうな人だと思った。
気づけば、彼を凝視しすぎてしまっていたらしく、アルカネット様は僕に向かって手招きをする。期待と不安を抱きつつ、まだ幼い足取りで彼の元へ駆けていくと、その大きな手で僕の頭も撫でてくれた。僕には、特に声をかけられたわけではない。それでも僕は、その瞬間天才や神童という名前を捨て、一人の少年としての存在を彼に認めてもらえたかのような錯覚に陥った。そして、これも一つの愛なのだと思った。
だから、アルカネット様に必要とされることは嬉しい。例え、宰相が熱を上げている第一王女に対抗して女装するという奇行に走ったとしても、僕は彼の愛を信じている。彼も彼なりの愛を貫くために、僕を好きに使ってくれたらいい。
コリアンダー副隊長は、表情全く崩すことなく、号外を元のテーブルの上に戻した。
「リンデン、宰相の釈放はそろそろか?」
「僕みたいな下っ端文官に尋ねられてましても……」
副隊長は含みのある視線を隠さない。この人は、薄々僕のしていることに気づいているのかもしれないな。そう思うと背中がゾクリと冷たくなった。
最近では、『ハヴィリータイムズ』にある記事を寄稿した。王子の同性愛疑惑というネタは、雑誌編集長の心を鷲掴みしたらしく、見事採用。クレソン王子の価値を落とすことは、宰相の価値を高め、ひいてはアルカネット様の望みに貢献することができる。ただ今回は、クレソン王子自身への精神的ダメージは与えられなかったことが残念かな。こっそり隊長室で雑誌を読んでいる後ろ姿は、嬉しそうだったから。
僕は、こういった回りくどいことの他にも、アルカネット様付きの部下と密に連絡をとり、随時第八騎士団第六部隊の動きをお伝えしている。それによると、確かにコリアンダー副隊長の言う通り、釈放は秒読みだという話が入ってきていた。アルカネット様は、ご自身は身を隠しながらも各所に的確な指示を出し、少しずつ第二騎士団を懐柔しているとのこと。宰相には取り巻きも多いし、すぐにこれまでと同じ日常が戻ってくるのだろう。
さて、気になるのはコリアンダー副隊長の動きだ。この前の夜会の際、彼が参加することは事前に把握できていたものの、まさかディル班長まで行くことになるとは思っていなかった。ディル班長は庶民出身なので、そういった場にはほとんど足を運ばないはずなのに。何か勘付かれてしまったのだろうか。
第一騎士団団長の動きも怪しい。彼はコリアンダー副隊長と同期入隊で、二人はけっこう仲が良い。彼らは魔術で手紙を往復させることができるので、秘密の会話を重ねている可能性もある。とにかく、あの時の第二騎士団の動きは、あまりにもタイミングが良すぎていた。第一騎士団団長は王を唯一の主と崇め、騎士の鏡のような人物。その地位にしては気性も穏やかな方だけれど、宰相が王を無視して政務を牛耳っている実態には不満を燻ぶらせているとの噂だ。副隊長と呼応する動きは、今後もあるかもしれない。
では、王はどうしているかというと、王妃が失踪されてから随分経つ今も、ぼんやりとした毎日を送られていると聞く。おそらく、王妃捜索隊が改めて結成されるなどしない限り、王としての自覚や責務を思い出すことはないだろう。でも、捜索隊の派遣を決定するのは騎士団総帥の仕事だ。それを宰相が担っている今、夢のまた夢である。
それにしても、二日前から第一王女のローズマリー姫が城から行方不明になっているらしい。王家の紋章の入った大きな馬車が王都内を駆け抜けていくところを多くの人が目にしている。さらに、姫付き侍女と思われる者達がそわそわしていることから、馬車の中にいたのは彼女だと推測されているのだ。これは貴族社会でもすでに噂になっているから、大事になりそうな予感。何せ第一王女は本当は存在しないのではないかなどという噂まで出回っていたぐらいだ。そろそろ、王女が公衆の面前に姿を現さなければならない日は近いと思われる。
でも僕はアルカネット様の味方なので、王女にはもう帰ってこないでほしい気もする。けれど、そうなると今度は宰相の気が狂いかねないから、それはそれで心配だ。
宰相は五年前、ご息女を亡くされた。第一王女と同い年の一人娘。彼女は元々身体が丈夫ではなかったらしく、領地で療養していたところ、天気の良い日に森の近くへピクニックに出かけていったらしい。そこで悲劇は起こった。平素は静かで平和な森なのに、なぜか急に魔物が溢れ出し、犠牲になってしまったのだ。食い散らかされて、ご遺体はほとんど残っていなかったと言う。そして、宰相に妙なスイッチが入ってしまったのだった。
突然始まった第一王女への溺愛。おそらく自分の娘と重ね合わせていたのだろう。この辺りから、宰相はより強い権力を持つことに固執するようになっていった。
あぁ、これから世の中はどうなっていくのだろう。エースくんの登場でますます先のことが読めなくなってきた。僕としては、アルカネット様さえ笑顔でいてくれれば、それでいいんだけどね。
と、噂をしていたら何とやら。急に外が騒がしくなってきた。「おかえり」の大合唱が聞こえる。エースくんが、帰ってきたのかな?
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