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84王妃様は手強かった
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王妃様は、マジョラム団長に何も答えなかった。ただ、悲しそうにほほ笑んでいた。
「ローズマリーは、健やかに過ごしていますか?」
尋ねられた団長は、なぜか私の顔を見る。確かに団長よりは私の方がマリ姫様と仲良しかもしれないけど。
「はい。以前とは違い、日中も起きていらっしゃることが増え、城の外へお出かけもされるようになりました。かなり回復されたことから、先日は姫様の生誕記念の式典が執り行われた程です。食欲もおありですし、特に私が作る日本の食事はお好みのようです」
「そうなの」
王妃様は涙ぐんていた。
「では、この村で私も携わっている寿子さん達の故郷の食事は、ローズマリーの口にも合うのかしら」
「必ず合うと思います。もし、王妃様が直々に城へ届けてくだされば、姫様はもっと元気になると思いますよ」
マジョラム団長は、私へ向かってよくやったとばかりに大きく頷いてみせる。団長は、何としても王妃様に城へお戻りいただきたいのだ。けれど、相手は王族という格上。私という一風変わった存在を使った絡め手を用いなければ、事態は動かないと考えているのだろう。よし。後もう一押しだ!
「王妃様、どうか姫様を喜ばせてあげてください」
元々王妃様はマリ姫様のことが大好きなのだ。心の奥底では、王妃様自身も会いたい、城に戻りたいと思っているんじゃないかな? でも、私が想像していた以上に王妃様の心境は複雑だったらしい。
「いえ。私は二度と、城へは戻りません。私のことは、死んだことにしてください」
死んだこと? 私の顔は、急に沸騰したように熱くなった。
「何言ってるんですか! そんなに死にたいんですか? 冗談でもそんなこと言わないでください。王妃様が倒れているのを見つけた私の両親も、それでは浮かばれません。これだけあなたを心配する人がいるのに、あんまりです」
しまった。相手は王妃様だ、と気付いた時には遅かった。でも、私が怒ったことに、マジョラム団長ですら咎めない。きっと内心は同じだったんじゃないかな。
王妃様は気不味そうに私から目を逸らす。顔色は、いよいよ氷河のような青白さになっていた。
「では、私から王とローズマリーに手紙を書きましょう。そして、ワラベ村の特産物を王家に献上する準備をします。どうか、それでご容赦ください」
最後は消え入りそうな声で。きっと、これでも王妃様としては最大限の譲歩だったのかもしれない。自分がまだ生きていることの告知、音信を持つこと、その二つが含まれているのだから。でも、どうしてここまで頑ななのだろうか。
王妃様は私の気持ちを見透かしたらしい。力なくほほ笑むと、ゆっくり彼女の中の真実を打ち明け始めた。
「ローズマリーが世界樹の次期代理人であることは、あの子が生まれた時から分かっていたことでした」
王妃様は、偉大な人物の生みの母となれたことを誇らしく思っていた。しかし、それは始めだけのこと。マリ姫様は身体が弱く、一日のほとんどが眠ったまま。国中からよりすぐりの医師を集めて診察させても、その原因は分からない。きっとこれも、マリ姫様が背負う運命の一つなのだろうと、王妃様は理解するようになった。
けれど、まだ幼く、しかも病弱な子どもに世界の命運を託すのはあまりに酷く感じられ、次第に王妃様は常にマリ姫様に付き添うようになる。マリ姫様の小さな手を握り、それを自らの頬に寄せ、こんな重すぎる責任を背負わせてしまったことを侘びて、泣いて暮らしていた。
時折、マリ姫様が目を覚ましている時には、同性の親子らしく刺繍してみたり、互いの服を選び合って着てみたり。遠くの国からやってきた商人がやってきた際は、一緒に可愛らしい食器や雑貨を選んだこともあった。それはそれは王妃様にとって幸せな時間。
しかし、少しずつ、少しずつ、その時、マリ姫様旅立ちは近づいてくる。
マリ姫様は、将来必ずいなくなるのだ。元々親にとって、子どもに先立たれることは何よりの悲しみとなる。王妃様は悩み続けた。
マリ姫様と共に居たい。マリ姫様が、自分のお役目のことを理解し、全うしようとしていることも知っている。本来ならば、王妃としてその背中を押すべきなのだ。けれど、母としては死地に追いやることなど、もってのほか。このまま、どうすれば良いのかと自問自答を繰り返し続ければ、いずれ自分は狂ってしまう。それならばいっそのこと、マリ姫様がいない遠くへ行ってしまいたい。
「そう思って、遠くへ遠くへと逃げました。でも、離れれば離れるほど、ローズマリーの存在が大きくなるのです。それはとても不思議で苦しくて。なのに、そんな自分であれることが嬉しくもあり、許せなくもあり」
王妃様の言葉が途切れてしまった。きっと、まだ悩んでるんだと思う。私も悩んでいる。何が一番良いのか。そして、どうしたら、王妃様もマリ姫様も、このことにもっとちゃんと向き合えるようになるのだろうか、と。
実は出立前、私は脳内通信でマリ姫様と会話してきたのだ。
「王妃様。複雑な心境はよく分かります。でも、私は本人ではないし、同じ状況になったことがないので、分かったつもりだけになっているかもしれません。それでも、一つ、提案したいことがあります」
「何かしら」
王妃様の声が冷え冷えとしている。もう、放っておいてほしいのかもしれないけれど、マリ姫様の気持ちも知る今、私はここで引くわけにもいかないのだ。
「やはり、マリ姫様を見送ってあげてくださいませんか。何もしなくていいです。ただ最後まで、一緒にいてあげてくださいませんか」
たぶん、見送りができなければ、王妃様も後々後悔することになるような気がするのだ。もちろん、マリ姫様も。
王妃様は、結局何ら代わり映えのない私の言葉に、少し落胆しているようにも見えた。
「私が、城に行くとします。すると、当然のことながらワラベ村を離れることになります。そして、再びこの村に戻ってこれる保証はどこにもありません」
王妃様は力説する。この村は王妃様にとって特別であること。そしてこの地で、人の温かさを初めて知り、何より私のお母さんを友とすることができた。
元々ミネラール王国の王家に生まれた彼女は、姫として幼少期を過ごし、その後はハーヴィー王国で王妃となった生粋のロイヤル。一見華々しく、この世界では最も身分の高い女性の一人であるにも関わらず、実態は日々命を削るような張り詰めた日々。それが、この村に来てようやく開放され、彼女は姫でもなく、王妃でもなく、モリオンという女性として存在することができた。ようやく人生のゼロ地点に立てたような心地なのだ。
「寿子さんは、私のことを名前で呼びます。私は、肩書ではなく、個人としての感情をもつことができる。それがどれだけ貴重なことか。けれど城に行けば、たちまち元通りになってしまうことでしょう。寿子さんとの縁も切れてしまいそうですし」
そうだね。私はそこまでお母さんのことを買ってくれているとは思わなかったので、すぐには返す言葉が見つからなかった。確かに私の両親はただの異世界人で、珍しい存在とは言え所詮庶民だ。私のような救世主という役目を負っているわけでもない。となると、王妃様との距離はぐっと遠のいてしまう。
すると、クレソンさんが急に良い笑顔になって口を開いた。
「母上、お言葉ですが、その心配は杞憂に終わりますよ。寿子殿との縁は城に向かっても切れることはありません」
「どうして」
「なぜなら、エースは私の婚約者だからです。結婚した暁には、親戚として今後も交流を深めていくことはできるでしょう」
「寿子さんの娘が、私の息子と……?」
ここで、場違いなぐらいに驚いた顔していたのはサフランさんだ。
「え、あなた寿子さんの娘なの?」
「そうだよ」
「そうなのよ。うちの娘。仲良くしてあげてね」
サフランは、私を見る目が変わったようだ。急に畏まって、こちらに黙礼をしてくる。その変貌ぶりにこっちこそびっくりだよ! それ程に私の両親がこの村に貢献してきたということなのだろうね。
そんな横で、クレソンさんと王妃様の会話は続いていく。
「私達の結婚はやはり城で行うことになるでしょう。エースは異世界人ですし、宰相が暗躍している今、より強固な後ろ盾も必要なんです。寿子さんたちも、異世界人だから、こちらの婚礼の準備も分からないでしょうし、母上の力が必要になります。まずは一度、城に戻ってきてもらえませんか?」
実の息子からの直談判だ。今度こそ、王妃様の心を動かすことができれば良いのだけれど。
部屋の中の全員が王妃様に注目していた。そして、痛いほどの祈りの視線を一身に浴びた王妃様が放った言葉は――。
「いえ、帰らないわ」
中でも、特に落胆した顔をしていたのは、意外にもステビアさんだった。
「発言してもよろしいでしょうか」
「許可します」
王妃様の許可をもって、ステビアさんは少し前に進み出た。この人、ちゃんと敬語も使えるんだね。真面目なところ、初めて見たよ。
「私は、ハーヴィー王国第七騎士団所属のステビアと申します。我が騎士団は、第八騎士団第六部隊と比べると安全な職場ではありますが、それでも管轄する王都は日々様々な危険に晒されているため、治安維持のために日々しのぎを削り、悪を働く者や魔物の一掃に努めています」
ステビアさんはかなり緊張しているのか、時折言葉を噛みそうになりながらも、気迫だけは王妃様に食らいつくような勢いだ。
「そんな私を毎日支えてくれるのは家族、特に両親の存在です。私は貴族の中でも底辺に属するものですが、それでも貴族の品格や流儀、責務を忘れることはありません。いつ死ぬか分からぬ仕事ではありますが、このお役目を頂戴できたことに誇りを持っていますし、そんな私を両親は笑顔で見送ってくれました」
ステビアさんの両親、青薔薇祭で息子に本気で優勝を狙わせるあたり、わりと乱暴な人なのかなと思っていたけれど、そうでもないようだ。絆が強い家族なのだということが伝わってくる。
「一方、姫様は私とは比べ物にならない程の大役を担っておられます。本当に逃げ出したいのは、王妃様ではなく姫様かもしれません。私ならば姿を消してしまうかもしれませんし、心の弱い人ならば、重責に耐えかねて命を絶ってしまうかもしれない。なのに姫様は、全てを受け止めていらっしゃる。これ程崇高で神聖な方はいらっしゃいません」
ステビアさんは、ここで一度口を閉じた。そして、少しタメを作ってから王妃様を再びしっかりと見据える。
「王妃様は、まだまだなさらなさればならないことがあります。まずは、姫様を褒めて差し上げてください。そして、出立の時まで支えて差し上げてください」
王妃様は、少しハッとした顔で、唇をしっかり結んだまま話に聴きいっていたかと思う。まだ若いステビアさんは、まっすぐに訴えていた。肩書ではなく、マリ姫様のお母さんとしての役目に目覚めてほしいとの願いが込められている。
彼は、話し終わってもその場を離れてソファに戻らなかった。王妃様のお言葉を待っているのだ。
「ステビア、顔を上げてちょうだい」
「はい」
王妃様の顔が、少しだけ母親になっていた。
「もし城に戻れば、私はローズマリーマリーをどこかに幽閉してしまうかもしれません。たぶん、私は半分狂いかけている。正直私は自分のことが信じられないのです」
王妃様は、マリ姫様への想いを語り始めた。
マリ姫様は、王妃様と同じ黒髪系の娘だ。むしろ、真っ黒で、カラスの濡れ羽色というものである。一方王妃様自身は、黒よりは薄く、グレーよりは濃いというお色。ミネラール王家では、代々漆黒の髪の子どもが生まれていたので、ほんの少し色が薄いだけで、周囲から疎んじられる存在だったらしい。さらには、魔術も中途半端だったこともあり、半ば厄介払いされるようにしてハーヴィー王国へ嫁いてきたそうだ。
「でも、私は真っ黒の髪の娘を生むことができました。これは、私が人生で成した何よりの功績だと思っています」
王妃様が長男のクレソンさんを捨て置いて、マリ姫様に異常にこだわる理由が少しだけ分かった気がした。と、ここで王妃様が私の方へ振り向く。
「そういえば、あなたも黒髪ね」
「そうですね。故郷では、民族的にこういう色が多いんです。姫様なんて、転生する前から真っ黒の髪ですよ。とてもカッコいい男の子でした」
「男の子……?」
マリ姫様。今から私、最後の切り札であり、あなたからの伝言を王妃様に伝えます。どうか、お城から私達を見守っていてね。
私は、軽く深呼吸をして王妃様へ向き直った。
「ローズマリーは、健やかに過ごしていますか?」
尋ねられた団長は、なぜか私の顔を見る。確かに団長よりは私の方がマリ姫様と仲良しかもしれないけど。
「はい。以前とは違い、日中も起きていらっしゃることが増え、城の外へお出かけもされるようになりました。かなり回復されたことから、先日は姫様の生誕記念の式典が執り行われた程です。食欲もおありですし、特に私が作る日本の食事はお好みのようです」
「そうなの」
王妃様は涙ぐんていた。
「では、この村で私も携わっている寿子さん達の故郷の食事は、ローズマリーの口にも合うのかしら」
「必ず合うと思います。もし、王妃様が直々に城へ届けてくだされば、姫様はもっと元気になると思いますよ」
マジョラム団長は、私へ向かってよくやったとばかりに大きく頷いてみせる。団長は、何としても王妃様に城へお戻りいただきたいのだ。けれど、相手は王族という格上。私という一風変わった存在を使った絡め手を用いなければ、事態は動かないと考えているのだろう。よし。後もう一押しだ!
「王妃様、どうか姫様を喜ばせてあげてください」
元々王妃様はマリ姫様のことが大好きなのだ。心の奥底では、王妃様自身も会いたい、城に戻りたいと思っているんじゃないかな? でも、私が想像していた以上に王妃様の心境は複雑だったらしい。
「いえ。私は二度と、城へは戻りません。私のことは、死んだことにしてください」
死んだこと? 私の顔は、急に沸騰したように熱くなった。
「何言ってるんですか! そんなに死にたいんですか? 冗談でもそんなこと言わないでください。王妃様が倒れているのを見つけた私の両親も、それでは浮かばれません。これだけあなたを心配する人がいるのに、あんまりです」
しまった。相手は王妃様だ、と気付いた時には遅かった。でも、私が怒ったことに、マジョラム団長ですら咎めない。きっと内心は同じだったんじゃないかな。
王妃様は気不味そうに私から目を逸らす。顔色は、いよいよ氷河のような青白さになっていた。
「では、私から王とローズマリーに手紙を書きましょう。そして、ワラベ村の特産物を王家に献上する準備をします。どうか、それでご容赦ください」
最後は消え入りそうな声で。きっと、これでも王妃様としては最大限の譲歩だったのかもしれない。自分がまだ生きていることの告知、音信を持つこと、その二つが含まれているのだから。でも、どうしてここまで頑ななのだろうか。
王妃様は私の気持ちを見透かしたらしい。力なくほほ笑むと、ゆっくり彼女の中の真実を打ち明け始めた。
「ローズマリーが世界樹の次期代理人であることは、あの子が生まれた時から分かっていたことでした」
王妃様は、偉大な人物の生みの母となれたことを誇らしく思っていた。しかし、それは始めだけのこと。マリ姫様は身体が弱く、一日のほとんどが眠ったまま。国中からよりすぐりの医師を集めて診察させても、その原因は分からない。きっとこれも、マリ姫様が背負う運命の一つなのだろうと、王妃様は理解するようになった。
けれど、まだ幼く、しかも病弱な子どもに世界の命運を託すのはあまりに酷く感じられ、次第に王妃様は常にマリ姫様に付き添うようになる。マリ姫様の小さな手を握り、それを自らの頬に寄せ、こんな重すぎる責任を背負わせてしまったことを侘びて、泣いて暮らしていた。
時折、マリ姫様が目を覚ましている時には、同性の親子らしく刺繍してみたり、互いの服を選び合って着てみたり。遠くの国からやってきた商人がやってきた際は、一緒に可愛らしい食器や雑貨を選んだこともあった。それはそれは王妃様にとって幸せな時間。
しかし、少しずつ、少しずつ、その時、マリ姫様旅立ちは近づいてくる。
マリ姫様は、将来必ずいなくなるのだ。元々親にとって、子どもに先立たれることは何よりの悲しみとなる。王妃様は悩み続けた。
マリ姫様と共に居たい。マリ姫様が、自分のお役目のことを理解し、全うしようとしていることも知っている。本来ならば、王妃としてその背中を押すべきなのだ。けれど、母としては死地に追いやることなど、もってのほか。このまま、どうすれば良いのかと自問自答を繰り返し続ければ、いずれ自分は狂ってしまう。それならばいっそのこと、マリ姫様がいない遠くへ行ってしまいたい。
「そう思って、遠くへ遠くへと逃げました。でも、離れれば離れるほど、ローズマリーの存在が大きくなるのです。それはとても不思議で苦しくて。なのに、そんな自分であれることが嬉しくもあり、許せなくもあり」
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実は出立前、私は脳内通信でマリ姫様と会話してきたのだ。
「王妃様。複雑な心境はよく分かります。でも、私は本人ではないし、同じ状況になったことがないので、分かったつもりだけになっているかもしれません。それでも、一つ、提案したいことがあります」
「何かしら」
王妃様の声が冷え冷えとしている。もう、放っておいてほしいのかもしれないけれど、マリ姫様の気持ちも知る今、私はここで引くわけにもいかないのだ。
「やはり、マリ姫様を見送ってあげてくださいませんか。何もしなくていいです。ただ最後まで、一緒にいてあげてくださいませんか」
たぶん、見送りができなければ、王妃様も後々後悔することになるような気がするのだ。もちろん、マリ姫様も。
王妃様は、結局何ら代わり映えのない私の言葉に、少し落胆しているようにも見えた。
「私が、城に行くとします。すると、当然のことながらワラベ村を離れることになります。そして、再びこの村に戻ってこれる保証はどこにもありません」
王妃様は力説する。この村は王妃様にとって特別であること。そしてこの地で、人の温かさを初めて知り、何より私のお母さんを友とすることができた。
元々ミネラール王国の王家に生まれた彼女は、姫として幼少期を過ごし、その後はハーヴィー王国で王妃となった生粋のロイヤル。一見華々しく、この世界では最も身分の高い女性の一人であるにも関わらず、実態は日々命を削るような張り詰めた日々。それが、この村に来てようやく開放され、彼女は姫でもなく、王妃でもなく、モリオンという女性として存在することができた。ようやく人生のゼロ地点に立てたような心地なのだ。
「寿子さんは、私のことを名前で呼びます。私は、肩書ではなく、個人としての感情をもつことができる。それがどれだけ貴重なことか。けれど城に行けば、たちまち元通りになってしまうことでしょう。寿子さんとの縁も切れてしまいそうですし」
そうだね。私はそこまでお母さんのことを買ってくれているとは思わなかったので、すぐには返す言葉が見つからなかった。確かに私の両親はただの異世界人で、珍しい存在とは言え所詮庶民だ。私のような救世主という役目を負っているわけでもない。となると、王妃様との距離はぐっと遠のいてしまう。
すると、クレソンさんが急に良い笑顔になって口を開いた。
「母上、お言葉ですが、その心配は杞憂に終わりますよ。寿子殿との縁は城に向かっても切れることはありません」
「どうして」
「なぜなら、エースは私の婚約者だからです。結婚した暁には、親戚として今後も交流を深めていくことはできるでしょう」
「寿子さんの娘が、私の息子と……?」
ここで、場違いなぐらいに驚いた顔していたのはサフランさんだ。
「え、あなた寿子さんの娘なの?」
「そうだよ」
「そうなのよ。うちの娘。仲良くしてあげてね」
サフランは、私を見る目が変わったようだ。急に畏まって、こちらに黙礼をしてくる。その変貌ぶりにこっちこそびっくりだよ! それ程に私の両親がこの村に貢献してきたということなのだろうね。
そんな横で、クレソンさんと王妃様の会話は続いていく。
「私達の結婚はやはり城で行うことになるでしょう。エースは異世界人ですし、宰相が暗躍している今、より強固な後ろ盾も必要なんです。寿子さんたちも、異世界人だから、こちらの婚礼の準備も分からないでしょうし、母上の力が必要になります。まずは一度、城に戻ってきてもらえませんか?」
実の息子からの直談判だ。今度こそ、王妃様の心を動かすことができれば良いのだけれど。
部屋の中の全員が王妃様に注目していた。そして、痛いほどの祈りの視線を一身に浴びた王妃様が放った言葉は――。
「いえ、帰らないわ」
中でも、特に落胆した顔をしていたのは、意外にもステビアさんだった。
「発言してもよろしいでしょうか」
「許可します」
王妃様の許可をもって、ステビアさんは少し前に進み出た。この人、ちゃんと敬語も使えるんだね。真面目なところ、初めて見たよ。
「私は、ハーヴィー王国第七騎士団所属のステビアと申します。我が騎士団は、第八騎士団第六部隊と比べると安全な職場ではありますが、それでも管轄する王都は日々様々な危険に晒されているため、治安維持のために日々しのぎを削り、悪を働く者や魔物の一掃に努めています」
ステビアさんはかなり緊張しているのか、時折言葉を噛みそうになりながらも、気迫だけは王妃様に食らいつくような勢いだ。
「そんな私を毎日支えてくれるのは家族、特に両親の存在です。私は貴族の中でも底辺に属するものですが、それでも貴族の品格や流儀、責務を忘れることはありません。いつ死ぬか分からぬ仕事ではありますが、このお役目を頂戴できたことに誇りを持っていますし、そんな私を両親は笑顔で見送ってくれました」
ステビアさんの両親、青薔薇祭で息子に本気で優勝を狙わせるあたり、わりと乱暴な人なのかなと思っていたけれど、そうでもないようだ。絆が強い家族なのだということが伝わってくる。
「一方、姫様は私とは比べ物にならない程の大役を担っておられます。本当に逃げ出したいのは、王妃様ではなく姫様かもしれません。私ならば姿を消してしまうかもしれませんし、心の弱い人ならば、重責に耐えかねて命を絶ってしまうかもしれない。なのに姫様は、全てを受け止めていらっしゃる。これ程崇高で神聖な方はいらっしゃいません」
ステビアさんは、ここで一度口を閉じた。そして、少しタメを作ってから王妃様を再びしっかりと見据える。
「王妃様は、まだまだなさらなさればならないことがあります。まずは、姫様を褒めて差し上げてください。そして、出立の時まで支えて差し上げてください」
王妃様は、少しハッとした顔で、唇をしっかり結んだまま話に聴きいっていたかと思う。まだ若いステビアさんは、まっすぐに訴えていた。肩書ではなく、マリ姫様のお母さんとしての役目に目覚めてほしいとの願いが込められている。
彼は、話し終わってもその場を離れてソファに戻らなかった。王妃様のお言葉を待っているのだ。
「ステビア、顔を上げてちょうだい」
「はい」
王妃様の顔が、少しだけ母親になっていた。
「もし城に戻れば、私はローズマリーマリーをどこかに幽閉してしまうかもしれません。たぶん、私は半分狂いかけている。正直私は自分のことが信じられないのです」
王妃様は、マリ姫様への想いを語り始めた。
マリ姫様は、王妃様と同じ黒髪系の娘だ。むしろ、真っ黒で、カラスの濡れ羽色というものである。一方王妃様自身は、黒よりは薄く、グレーよりは濃いというお色。ミネラール王家では、代々漆黒の髪の子どもが生まれていたので、ほんの少し色が薄いだけで、周囲から疎んじられる存在だったらしい。さらには、魔術も中途半端だったこともあり、半ば厄介払いされるようにしてハーヴィー王国へ嫁いてきたそうだ。
「でも、私は真っ黒の髪の娘を生むことができました。これは、私が人生で成した何よりの功績だと思っています」
王妃様が長男のクレソンさんを捨て置いて、マリ姫様に異常にこだわる理由が少しだけ分かった気がした。と、ここで王妃様が私の方へ振り向く。
「そういえば、あなたも黒髪ね」
「そうですね。故郷では、民族的にこういう色が多いんです。姫様なんて、転生する前から真っ黒の髪ですよ。とてもカッコいい男の子でした」
「男の子……?」
マリ姫様。今から私、最後の切り札であり、あなたからの伝言を王妃様に伝えます。どうか、お城から私達を見守っていてね。
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