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その百五十四 決着の刻
しおりを挟むビゼンの爪が左目を傷つけた。
緒野正孝の天霊矛が脇の急所から肺へと侵入、勢いのままにさらに奥へ。心臓の一部分をも貫く。
ゴボリと喉が鳴った。
せりあがってくる不快さ。シャクドウはたまらず吐こうとする。でもできなかった。そのときにはすでに喉の奥深くへと、刃を突き入れられていたから。
すぐさまこれを抜こうとするも、それよりもさきに動いたのは南部弥五郎の指先。
引き金がひかれ、かちり。
ズドンッ!
低くくぐもった音とともに発射されたのは深緑色の弾丸。
これは星の欠片を鍛えて造られた特別な弾。頑強にて禍躬殺しの威力を秘めるも、重く、十全に飛ばそうとすれば、通常よりもずっともっと多くの火薬が必要となる。
だから発射とともに火筒の筒身が耐えかねて破裂。
反動にて南部弥五郎の身は吹き飛ばされる。しかし弾はたしかに放たれた。
火筒の暴発により飛び散った破片が、口や喉の奥をズタズタに斬り裂く。
放たれた深緑色の弾丸。貫いたのは脳と胴体をつなぐ頸部。肉壁に穴を穿ち、骨を砕き、血管や神経を断ち切り、脳漿(のうしょう)をぶちまける。
内より発生した衝撃により大きくのけぞったシャクドウ。
天を仰ぎ「カハッ」
喀血し血泡を吐いたとおもったら、たちまち真紅の隻眼から光が消えて、がくりとうな垂れる。ふっと全身からチカラが抜けて肩が下がる。両腕もだらりと落ちた。
が、それもほんのわずかなこと。
うな垂れ沈黙した首はぶらりそのままに、弛緩していた全身からは気焔が立ち昇り、両の腕が活動を再開する。ばかりか槍を手に脇に食らいついている緒野正孝と、倒れている南部弥五郎へと食指をのばす。
頸部を破壊されたというのに、なおも動く。
いかに超常の禍躬とてふつうならばありえないこと。
それを可能にしているのはシャクドウの背に生えた第二の首。
シャクドウは二にして一。個にして個にあらず。たとえ首がひとつやられても、残りにて手足を動かすことが可能であったのだ。
半身、あるいは母に等しい存在を殺され、第二の首は激怒。
復讐心をたぎらせ、男たちを狙う。
いちはやく危機を察した緒野正孝、今度はうまく槍を手放す。後方へと飛び退り黒爪の範囲よりからくも脱する。
けれどもいまだ倒れたままの南部弥五郎は逃げられない。
隊長が危ない! させじと山楝蛇の隊員らが援護射撃を行う。
しかし巻き込みかねないのと、残弾数が乏しく十分な弾幕を張れない。
禍躬は止まらず。
だが時間稼ぎにはなった。
隙をついて駆けつけたのは山狗のビゼン。間一髪のところで主人の救出に成功する。襟首をくわえて、シャクドウの腕が届かないところまで必死に引きずっていく。
◇
遠ざかる男たち。
まんまと獲物に逃げられてシャクドウが「ぐるる」と悔しげな唸り声を発する。
だがそのときになってようやくあることに気がついた。
もう一頭の山狗、コハクの姿がどこにもいない……。
はっとしてあわてて素早く周囲に視線を走らせるシャクドウ。
するといつのまにやら自分を中心にして、疾風が渦を巻いているではないか!
渦の中にてときおりギラリと光るのは深緑色の刃。
疾風の正体は霊の永遠白の小太刀を口にくわえたコハク。
地を駆けし獣。四肢を躍動させ走れば走るほどにずんずんと加速していく。
対するシャクドウ。いまだ下半身が埋もれた不自由な身にて、首をひとつ失ったことにより著しく狭くなった視野のせいで、どうしてもその姿を完全には捉えきれない。
渦がじょじょに狭まっていく。
最高速へと到達したコハクが勢いのままに、内へ内へと。
かつてないほどの助走。限界まで高められ蓄えられた速さがチカラへと変換されて刃に宿る。
そこに殺意はない。
禍躬と山狗。
宿縁の相手といよいよ決着の刻を迎えるにあたって、コハクの胸に去来するのは亡き忠吾の教え。
すべての生命に対する感謝と敬意を忘れてはいけない。狩りに憎しみを持ち込んではいけない。もしも持ち込めば心が乱れ、必ずや相手へと向けた牙や爪が己へと跳ね返ることであろう。
その通りであった。前回の戦い、五連滝ではそれが敗因のひとつとなった。
だからもう同じ轍は踏まない。
ついに風の渦が収束。
中心にて対峙するシャクドウとコハク。
コハクはあえてシャクドウの背中側から接近する。これにより背中の顔と正面から向かい合うことになった。
禍躬特有の真紅の双眸と、山狗の樹液を煮詰め凝り固めたかのような琥珀色の双眸。
互いの瞳の中に相手の姿がしっかりと映り込む。
「コハク!」
「シャクドウ!」
同時に宿敵の名を叫びながら禍躬と山狗が吠える。
シャクドウが渾身のチカラにて第三の腕を振るう。コハクはその腕をかいくぐり跳躍、刹那、霊の永遠白の小太刀が閃いた。
―― 山狗の血 堕ちた神と地を駆けし獣(完) ――
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