(新章開始)当て馬だった公爵令息は、隣国の王太子の腕の中で幸せになる

蒼井梨音

文字の大きさ
11 / 165

紅炎の王子④

しおりを挟む
逃げ込んだ温室の中は静かで、夕陽が硝子越しに輝いていた。

花々が金色に染まって、どれも綺麗で、どれも僕より堂々としている。

僕はしゃがみこみ、小さな白い花にそっと触れた。

「……白、が好きなのか?」

低い声に振り向くと、入口に殿下が立っていた。

制服の襟元が少し乱れていて、演習の名残のように髪が光を含んでいる。

どうしてここに、と思ったけれど、口がうまく動かなかった。

「授業のあと、君がいなくなってたから」

マクシミリアン殿下はゆっくり近づいてきて、僕の隣に腰を下ろした。

手の届く距離に、彼の呼吸の音がある。
僕の鼓動が、ひどく落ち着かなくなった。

「……褒められるの、苦手なんだな」

「僕なんか、褒められるような人間じゃありません」

そう言うと、殿下は小さく息を吐いて笑った。

「“僕なんか”って」

彼の指先が伸びて、僕の髪についた花弁を取る。

触れられたところが熱くなって、思わず目を伏せる。

「君の魔法は、優しさでできてる」

「……優しさ?」

「回復魔法は力任せじゃ届かない。
君は、痛みを怖がらないんだ。
だから、癒せる」

その言葉が胸に落ちて、静かに広がっていく。

僕が誰かを癒やせるのは、強いからではなく、弱さを知っているから。

そんなふうに言われたのは、初めてだった。

目の奥が熱くなって、慌てて視線を逸らす。

夕陽が傾いて、温室の硝子に金と橙の光が溶ける。

その中で、殿下の横顔がやけに綺麗に見えた。

「……ありがとう」

かすれた声で言うと、は微笑んだ。

「これからは、その言葉の代わりに笑ってくれ。君の笑顔が、私は好きだ」

胸の奥で、何かが小さく弾けた。

初めて、過去の痛みよりも、今この瞬間の温かさの方が強く感じられた。

僕はそっと息を吸って、夕暮れの空を見上げた。

花の香りが淡く混じる空気の中で――

ああ、これが“恋”なのかもしれない、と初めて思った。


次の日。 
僕はマクシミリアン殿下に王城に誘われた。

胸の奥で小さく脈打つ鼓動を抑えられずに、僕は殿下に案内されながら、王宮へと足を踏み入れる。

陽光を受けて白い石壁がきらめく。その光景だけで、胸がいっぱいになる。

「王宮に来るのは初めて?」

殿下が軽い調子で問いかけてくる。

「は、はい……。まさか、僕なんかが来られるなんて」

「また。“僕なんか”て言う。そうじゃないだろう。
昨日の君の魔法は素晴らしかった。あれは命を繋ぐ魔法だ。最も尊い力だよ」

殿下の声音は穏やかで、それでいて、揺るぎない自信に満ちていた。

その言葉を疑う余地がないように感じて、僕は少しだけ、背筋を伸ばした。

殿下は僕を庭園へと案内してくれた。
夕暮れの光の中、白薔薇が風に揺れている。

「ここは僕のお気に入りの場所なんだ。考えごとをしたいときに来る」

そう言って、ベンチに腰を下ろす殿下の横顔がやけに眩しく見えた。
僕もおそるおそる隣に座る。
心臓の鼓動が耳の奥で鳴る。

「……殿下は、怖くないんですか?」

「何が?」

「人を……信じるのが。裏切られたら、傷つきます」

自分でも、なぜそんなことを口にしたのかわからなかった。

でも殿下は驚くことも笑うこともなく、ただ静かに僕を見つめた。

「怖いこともある。
でも、僕は信じる方を選ぶ。
信じないで後悔するより、信じて傷つく方がいい」

その言葉に、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

きっとこの人は、本当に強いんだ。
僕が憧れてしまう理由が、少しわかった気がした。

「……殿下は、すごいです」

気づけば小さな声が漏れていた。

「そうかな。君にそう言われると、少し誇らしい」

冗談めかして笑うその表情に、また心臓が跳ねる。

王宮の鐘が静かに鳴り響く。

夕暮れの風が、僕らの間をやさしく撫でていった。


馬車の中から見える王宮の灯りが遠ざかっても、僕の胸はまだぽかぽかしていた。

寮の部屋に戻ると、マルクが紅茶を淹れて待っていてくれる。

懐かしい、ルヴァニエールの香りがした。

「お帰りなさいませ、エリアス様。
お楽しみになられたようで」

「うん! 殿下がね、庭を案内してくださったんだ。
白い薔薇がいっぱいで……すごく綺麗だったんだよ!」

言葉が自然と弾む。
マルクは穏やかに微笑んで、ティーカップを僕の前に置いた。

「殿下はどんなご様子でしたか?」

「とても優しかったよ。
僕の魔法を褒めてくださったんだ。“命を繋ぐ魔法は尊い”って」

その言葉を思い出すだけで、頬が熱くなる。

「そんなふうに言ってもらえるなんて思ってなくて……
嬉しくて、ちょっと泣きそうだった」

「ふふ……それはよかったですね、エリアス様」

マルクは優しく頷く。

その声には本当に嬉しそうな響きがあったけれど、どこかで“慎重さ”もにじんでいた。

「殿下ってね、強い人なんだと思う。
怖がらないで信じるって、すごいよね」

「そうですね。強い方なのでしょう」

マルクは少しだけ視線を伏せ、紅茶の表面に映る灯りを見つめた。

(どうか、この方がまた傷つくことがありませんように)
そう祈るような静かなまなざしだった。

そのとき、壁際で腕を組んでいたレオンが小さく息を吐いた。

「……あまり殿下に近づきすぎるのはよくない」

「えっ?」

「相手は王太子なんだ。
エリアス様がどうこうできる立場ではない」

レオンの声はいつもより低く、冷静だった。

「そんなつもりじゃ……ただ、お話をしてくださって嬉しかっただけで……」

「分かってる。
でも、あの方の周りは貴方が思うよりずっと複雑だ」

レオンの鋭い視線に、僕は言葉を失った。
けれどマルクがそっと口を開いた。

「レオン。あまり水を差さないであげてください。
エリアス様が、久しぶりに笑ってお話しされているのですよ」

レオンは一瞬だけ目を伏せ、肩をすくめた。

「……ああ。悪かった」

短くそう言って、窓の外へ目を向けた。

僕はティーカップを両手で包みながら、二人を見上げた。

「心配してくれてありがとう。
でも……大丈夫。
殿下は、そんな人じゃない気がするんだ」

言いながら、自分でも少し信じたいように聞こえた。

マルクは小さく微笑み、レオンは黙って窓の外を見つめる。

夜風がカーテンを揺らし、外では鐘が静かに鳴っていた。

胸の奥で灯った光はまだ消えず、僕はその温もりをそっと抱きしめた。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

一人、辺境の地に置いていかれたので、迎えが来るまで生き延びたいと思います

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
大きなスタンビートが来るため、領民全てを引き連れ避難する事になった。 しかし、着替えを手伝っていたメイドが別のメイドに駆り出された後、光を避けるためにクローゼットの奥に行き、朝早く起こされ、まだまだ眠かった僕はそのまま寝てしまった。用事を済ませたメイドが部屋に戻ってきた時、目に付く場所に僕が居なかったので先に行ったと思い、開けっ放しだったクローゼットを閉めて、メイドも急いで外へ向かった。 全員が揃ったと思った一行はそのまま領地を後にした。 クローゼットの中に幼い子供が一人、取り残されている事を知らないまま

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

嫌われ魔術師の俺は元夫への恋心を消去する

SKYTRICK
BL
旧題:恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する ☆11/28完結しました。 ☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます! 冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫 ——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」 元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。 ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。 その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。 ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、 ——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」 噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。 誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。 しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。 サラが未だにロイを愛しているという事実だ。 仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——…… ☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

姉の聖女召喚に巻き込まれた無能で不要な弟ですが、ほんものの聖女はどうやら僕らしいです。気付いた時には二人の皇子に完全包囲されていました

彩矢
BL
20年ほど昔に書いたお話しです。いろいろと拙いですが、あたたかく見守っていただければ幸いです。 姉の聖女召喚に巻き込まれたサク。無実の罪を着せられ処刑される寸前第4王子、アルドリック殿下に助け出さる。臣籍降下したアルドリック殿下とともに不毛の辺境の地へと旅立つサク。奇跡をおこし、隣国の第2皇子、セドリック殿下から突然プロポーズされる。

美人なのに醜いと虐げられる転生公爵令息は、婚約破棄と家を捨てて成り上がることを画策しています。

竜鳴躍
BL
ミスティ=エルフィードには前世の記憶がある。 男しかいないこの世界、横暴な王子の婚約者であることには絶望しかない。 家族も屑ばかりで、母親(男)は美しく生まれた息子に嫉妬して、徹底的にその美を隠し、『醜い』子として育てられた。 前世の記憶があるから、本当は自分が誰よりも美しいことは分かっている。 前世の記憶チートで優秀なことも。 だけど、こんな家も婚約者も捨てたいから、僕は知られないように自分を磨く。 愚かで醜い子として婚約破棄されたいから。

望まれなかった代役婚ですが、投資で村を救っていたら旦那様に溺愛されました。

ivy
BL
⭐︎毎朝更新⭐︎ 兄の身代わりで望まれぬ結婚を押しつけられたライネル。 冷たく「帰れ」と言われても、帰る家なんてない! 仕方なく寂れた村をもらい受け、前世の記憶を活かして“投資”で村おこしに挑戦することに。 宝石をぽりぽり食べるマスコット少年や、クセの強い職人たちに囲まれて、にぎやかな日々が始まる。 一方、彼を追い出したはずの旦那様は、いつの間にかライネルのがんばりに心を奪われていき──? 「村おこしと恋愛、どっちも想定外!?」 コミカルだけど甘い、投資×BLラブコメディ。

処理中です...