(新章開始)当て馬だった公爵令息は、隣国の王太子の腕の中で幸せになる

蒼井梨音

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色づく思い③

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その後、班のみんなが無事を確認して、少し休憩をとることになった。

ぼくは落ち葉の上に腰を下ろして、水筒の温かいお茶を飲む。

視線を上げると、少し離れた場所で殿下が剣を拭っているのが見えた。

あんなに強いのに、どうしてあんなに優しいんだろう。

魔獣はもう消えたのに、心臓の鼓動だけはまだ落ち着かない。

それが恐怖なのか、恋なのか――自分でも、よくわからなかった。

夜の森は、昼とはまるで別の世界みたいだった。
冷たい風が枝を揺らして、どこか遠くで梟が鳴いている。

あれから山小屋に戻って、夕食を済ませてキャンプファイヤーが行われた。
みんなは思い思いに火を囲み、疲れた顔で笑い合っていた。

魔獣の一件もあったけれど、幸い大きな怪我人はいない。

僕は、焚き火の向こうに座るマクシミリアン殿下の横顔を見つめていた。

炎の明かりが揺れるたび、殿下の瞳がきらめく。

――あのとき、剣を振るった手。 

――「君の魔力が美しかった」と言ってくれた声。

思い出すだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。

でも、その温かさは、少しだけ苦しかった。

「……隣、いいか?」 

不意に声をかけられて、心臓が跳ねた。
マクシミリアン殿下が、僕の隣に腰を下ろした。

距離が近い。
ほんの少し手を伸ばしたら、指が触れてしまいそう……。 

「はい、もちろん……!」

「疲れてないか。アンドリアが張り切りすぎてないか」

「え、あ……はい、大丈夫です。
アンドリア殿下は……その……とても元気です」
思わず笑ってしまう。

殿下もつられて微笑む。 

焚き火の光がその笑みをやわらかく照らす。
しばらく、火の音だけが聞こえた。
パチ、パチ、と木が爆ぜる音。
どこからか、夜の冷たい風が吹き抜ける。

「……君は、怖くなかったか?」 

「え?」

「昼間のことだ。魔獣が現れたとき」

殿下の声は静かで、でもその奥に、かすかな心配が滲んでいた。

「正直、少し……怖かったです。
でも……殿下がすぐに動いてくださったから」

「君がいたから、俺も動けた。
……あの光を感じ取ったからかな」

その言葉に、心臓がぎゅっと縮む。

火の粉が弾けて、ぼくたちの間にふわりと舞い落ちた。

「僕……怖がりだし、いつも周りに助けてもらってばかりで……」

「助け合うのが仲間だ。
君は、もう一人じゃない」

殿下が少しだけ視線を落とし、穏やかに笑う。 

その横顔を、焚き火の光が包んでいた。

どうして、こんなに優しいんだろう。 

どうして、僕なんかにこんな言葉をくれるんだろう。

そう思うたびに、胸の奥がじんじんしてくる。

「……殿下」

「うん?」

「僕も、殿下みたいに強くなりたいです」

「君はもう、十分強い。――君の光は、優しさは、力だよ」

その一言が、まっすぐ胸に落ちた。

何かを返そうと口を開きかけたけれど、声が出なかった。

ただ、焚き火の熱と、殿下の近くにいるぬくもりを感じていた。 

ふと風が吹いて、火が揺れた。

その瞬間、殿下の外套がはらりとぼくの肩にかかる。

「冷えるだろう」

「え、あ、そんな……! 殿下が……」

「いい。君が風邪をひく方が困る」

困る、なんて。
そんな言葉を、王太子である殿下に言われるなんて。
息が詰まりそうだった。

でも、外套の中は温かくて、僕の頬までじんわり熱くなる。
火が小さくなって、周りの声も遠くなっていく。
夜の空気が澄んで、星がひときわ明るい。

この時間が、ずっと続けばいい。

そう思った瞬間、胸の奥が、きゅうっと締めつけられた。

――僕は、他国の公爵令息。

――殿下は、王太子。

……わかってる。
わかってるのに、心はどうしても追いつかない。

「……ありがとうございます、殿下」

「何に?」

「今日、守ってくださって。あと……優しくしてくれて」

「それは、俺の方こそだ。……君が笑ってくれると、私も救われる」

焚き火の火が、ふっと消えかけて、また小さく灯った。

その光の中で、殿下が僕を見つめていた。
息をするたび、胸が痛い。 

でも、その痛みごと、愛しいと思ってしまった。
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