(新章開始)当て馬だった公爵令息は、隣国の王太子の腕の中で幸せになる

蒼井梨音

文字の大きさ
48 / 165
当て馬にされた公爵令息は、今も隣国の王太子に愛されている

北への進軍⑤

しおりを挟む
アンドリア王子の蒼光宮の執務室は紅炎宮よりも穏やかな色合いでまとめられていた。
大きな窓から差し込む昼の光が、淡い青のカーテンを透かして室内に広がっている。
机の上には整理された書簡の山と、開かれた地図。
アンドリア王子は椅子に腰かけたまま、兄であるマクシミリアン殿下とその隣に立つ僕を見て微笑んだ。

「兄上がこうして足を運ばれるなんて、珍しいですね。
出陣前に心残りでも?」
軽口のような声音に、マクシミリアン殿下は小さくため息をついた。

「心残り、というより……頼みがある。いや、頼みたいことが山ほどある」

アンドリア王子が苦笑しながら立ち上がる。
「王都の留守を預かるのはいつものことです。兄上の代わりに政務も滞りなく進めますよ」

「それもだが……」と、マクシミリアン殿下は少し言葉を濁した。
その視線が、僕のほうへと向かう。
僕は小さく目を伏せて、マクシミリアン殿下の袖をそっとつまんだ。
「殿下……」

「――エリアスのことだ」
その一言で、アンドリア王子とレイナ様が顔を見合わせる。
マクシミリアン殿下は続けた。
「私が出発したあと、エリアスは王都に残る。数日は、彼の身を――特に、王宮内での扱いを――気にかけてほしい」

「まるで、兄上の執務よりそちらが大事みたいな言い方ですね」
とアンドリアが苦笑する。
「いや、まあ、否定はしないが」

レイナ様が小さく笑いながら、僕の肩を軽く叩いた。
「安心して。私も翠影の離宮(レイナの住んでいる離宮)からちょくちょく様子を見に行くわ。
王都のことも、エリアス様のことも、私たちに任せて」

僕は小さく頷いて、ほんの少し微笑んだ。
「ありがとうございます。……ですが、僕も、皆さんに迷惑をかけないようにします。
殿下が安心して戦地へ向かえるように…」

僕の言葉にマクシミリアン殿下は、ほんの一瞬だけ表情を崩した。
けれどすぐにいつもの王太子の顔に戻り、アンドリア王子の肩を軽く叩く。

「頼む、アンドリア。王都も、エリアスも、君に託す」
「ええ、任せてください。兄上の留守を守るのは、弟の務めですから」

そのやり取りを見届けながら、レイナ様はふと微笑んだ。
「なんだか……戦の前なのに、マクシミリアン殿下にはほっとするわね」

「そう感じてくれるなら、それでいい」
マクシミリアン殿下は穏やかに笑い、僕の肩に手を置いた。
その掌の重みは、別れの前のぬくもりを確かに伝えていた。


夜風が紅炎宮の回廊を渡っていく。
月の光が石床を照らし、白い静寂をまとっていた。

マクシミリアン殿下は窓辺に立ち、遠くの王都の灯を眺めていた。
兵たちはすでに休みに入り、明日には本隊の出陣。


「殿下……」
寝衣の上に薄い外套を羽織って、僕は殿下に静かに声をかけた。

マクシミリアン殿下は振り返り、僕を見つめる。
「眠れなかったのか」
「……はい。どうしても、マクシミのお顔を見ておきたくて」

僕は笑顔を作ろうとしたが、声が少し震えていた。
マクシミリアン殿下が歩み寄ると、僕の肩がわずかに強張る。
そのまま、静かに抱き寄せられた。

「心配なのは、私の方だよ。
戦よりも――君を王都に残していくことが、何より怖い」

「そんな……マクシミ……」
殿下の胸元に顔を埋める。
「僕の方こそ、マクシミが行ってしまうことが怖いのに。
どうして、そんなに穏やかでいられるのですか」

マクシミリアン殿下は微かに笑い、僕の髪に唇を寄せた。
「君が信じてくれるからだ。
君が、僕の帰りを待っていてくれるから――怖くても、進める」

僕は、マクシミリアン殿下の胸当ての留め金に触れる。
出陣用の装備の一部。明朝にはそれを身につけ、戦場へ向かうのだ。
その金具をそっと握りしめて、呟く。

「加護の光は……ずっと、殿下と共にあります。
たとえ僕が遠くにいても」

「それだけで、十分だよ」
マクシミリアン殿下はその手を取って、指を絡める。
「この手の温もりが、どんな光よりも強い加護だ」

ふたりの距離が、ゆっくりと近づく。
唇が触れた。

「マクシミィ、怪我しないでね」
「ああ、エリアス、君も気をつけろよ」


月が静かに傾く。
外では風が梢を鳴らし、夜の匂いが漂う。
離れる前の最後の夜、
僕たちはただ、互いの鼓動を確かめ合うように抱き合っていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

一人、辺境の地に置いていかれたので、迎えが来るまで生き延びたいと思います

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
大きなスタンビートが来るため、領民全てを引き連れ避難する事になった。 しかし、着替えを手伝っていたメイドが別のメイドに駆り出された後、光を避けるためにクローゼットの奥に行き、朝早く起こされ、まだまだ眠かった僕はそのまま寝てしまった。用事を済ませたメイドが部屋に戻ってきた時、目に付く場所に僕が居なかったので先に行ったと思い、開けっ放しだったクローゼットを閉めて、メイドも急いで外へ向かった。 全員が揃ったと思った一行はそのまま領地を後にした。 クローゼットの中に幼い子供が一人、取り残されている事を知らないまま

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

【本編完結】断罪される度に強くなる男は、いい加減転生を仕舞いたい

雷尾
BL
目の前には金髪碧眼の美形王太子と、隣には桃色の髪に水色の目を持つ美少年が生まれたてのバンビのように震えている。 延々と繰り返される婚約破棄。主人公は何回ループさせられたら気が済むのだろうか。一応完結ですが気が向いたら番外編追加予定です。

嫌われ魔術師の俺は元夫への恋心を消去する

SKYTRICK
BL
旧題:恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する ☆11/28完結しました。 ☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます! 冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫 ——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」 元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。 ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。 その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。 ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、 ——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」 噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。 誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。 しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。 サラが未だにロイを愛しているという事実だ。 仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——…… ☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

姉の聖女召喚に巻き込まれた無能で不要な弟ですが、ほんものの聖女はどうやら僕らしいです。気付いた時には二人の皇子に完全包囲されていました

彩矢
BL
20年ほど昔に書いたお話しです。いろいろと拙いですが、あたたかく見守っていただければ幸いです。 姉の聖女召喚に巻き込まれたサク。無実の罪を着せられ処刑される寸前第4王子、アルドリック殿下に助け出さる。臣籍降下したアルドリック殿下とともに不毛の辺境の地へと旅立つサク。奇跡をおこし、隣国の第2皇子、セドリック殿下から突然プロポーズされる。

処理中です...