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当て馬にされた公爵令息は、今も隣国の王太子に愛されている
北への進軍⑤
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アンドリア王子の蒼光宮の執務室は紅炎宮よりも穏やかな色合いでまとめられていた。
大きな窓から差し込む昼の光が、淡い青のカーテンを透かして室内に広がっている。
机の上には整理された書簡の山と、開かれた地図。
アンドリア王子は椅子に腰かけたまま、兄であるマクシミリアン殿下とその隣に立つ僕を見て微笑んだ。
「兄上がこうして足を運ばれるなんて、珍しいですね。
出陣前に心残りでも?」
軽口のような声音に、マクシミリアン殿下は小さくため息をついた。
「心残り、というより……頼みがある。いや、頼みたいことが山ほどある」
アンドリア王子が苦笑しながら立ち上がる。
「王都の留守を預かるのはいつものことです。兄上の代わりに政務も滞りなく進めますよ」
「それもだが……」と、マクシミリアン殿下は少し言葉を濁した。
その視線が、僕のほうへと向かう。
僕は小さく目を伏せて、マクシミリアン殿下の袖をそっとつまんだ。
「殿下……」
「――エリアスのことだ」
その一言で、アンドリア王子とレイナ様が顔を見合わせる。
マクシミリアン殿下は続けた。
「私が出発したあと、エリアスは王都に残る。数日は、彼の身を――特に、王宮内での扱いを――気にかけてほしい」
「まるで、兄上の執務よりそちらが大事みたいな言い方ですね」
とアンドリアが苦笑する。
「いや、まあ、否定はしないが」
レイナ様が小さく笑いながら、僕の肩を軽く叩いた。
「安心して。私も翠影の離宮(レイナの住んでいる離宮)からちょくちょく様子を見に行くわ。
王都のことも、エリアス様のことも、私たちに任せて」
僕は小さく頷いて、ほんの少し微笑んだ。
「ありがとうございます。……ですが、僕も、皆さんに迷惑をかけないようにします。
殿下が安心して戦地へ向かえるように…」
僕の言葉にマクシミリアン殿下は、ほんの一瞬だけ表情を崩した。
けれどすぐにいつもの王太子の顔に戻り、アンドリア王子の肩を軽く叩く。
「頼む、アンドリア。王都も、エリアスも、君に託す」
「ええ、任せてください。兄上の留守を守るのは、弟の務めですから」
そのやり取りを見届けながら、レイナ様はふと微笑んだ。
「なんだか……戦の前なのに、マクシミリアン殿下にはほっとするわね」
「そう感じてくれるなら、それでいい」
マクシミリアン殿下は穏やかに笑い、僕の肩に手を置いた。
その掌の重みは、別れの前のぬくもりを確かに伝えていた。
夜風が紅炎宮の回廊を渡っていく。
月の光が石床を照らし、白い静寂をまとっていた。
マクシミリアン殿下は窓辺に立ち、遠くの王都の灯を眺めていた。
兵たちはすでに休みに入り、明日には本隊の出陣。
「殿下……」
寝衣の上に薄い外套を羽織って、僕は殿下に静かに声をかけた。
マクシミリアン殿下は振り返り、僕を見つめる。
「眠れなかったのか」
「……はい。どうしても、マクシミのお顔を見ておきたくて」
僕は笑顔を作ろうとしたが、声が少し震えていた。
マクシミリアン殿下が歩み寄ると、僕の肩がわずかに強張る。
そのまま、静かに抱き寄せられた。
「心配なのは、私の方だよ。
戦よりも――君を王都に残していくことが、何より怖い」
「そんな……マクシミ……」
殿下の胸元に顔を埋める。
「僕の方こそ、マクシミが行ってしまうことが怖いのに。
どうして、そんなに穏やかでいられるのですか」
マクシミリアン殿下は微かに笑い、僕の髪に唇を寄せた。
「君が信じてくれるからだ。
君が、僕の帰りを待っていてくれるから――怖くても、進める」
僕は、マクシミリアン殿下の胸当ての留め金に触れる。
出陣用の装備の一部。明朝にはそれを身につけ、戦場へ向かうのだ。
その金具をそっと握りしめて、呟く。
「加護の光は……ずっと、殿下と共にあります。
たとえ僕が遠くにいても」
「それだけで、十分だよ」
マクシミリアン殿下はその手を取って、指を絡める。
「この手の温もりが、どんな光よりも強い加護だ」
ふたりの距離が、ゆっくりと近づく。
唇が触れた。
「マクシミィ、怪我しないでね」
「ああ、エリアス、君も気をつけろよ」
月が静かに傾く。
外では風が梢を鳴らし、夜の匂いが漂う。
離れる前の最後の夜、
僕たちはただ、互いの鼓動を確かめ合うように抱き合っていた。
大きな窓から差し込む昼の光が、淡い青のカーテンを透かして室内に広がっている。
机の上には整理された書簡の山と、開かれた地図。
アンドリア王子は椅子に腰かけたまま、兄であるマクシミリアン殿下とその隣に立つ僕を見て微笑んだ。
「兄上がこうして足を運ばれるなんて、珍しいですね。
出陣前に心残りでも?」
軽口のような声音に、マクシミリアン殿下は小さくため息をついた。
「心残り、というより……頼みがある。いや、頼みたいことが山ほどある」
アンドリア王子が苦笑しながら立ち上がる。
「王都の留守を預かるのはいつものことです。兄上の代わりに政務も滞りなく進めますよ」
「それもだが……」と、マクシミリアン殿下は少し言葉を濁した。
その視線が、僕のほうへと向かう。
僕は小さく目を伏せて、マクシミリアン殿下の袖をそっとつまんだ。
「殿下……」
「――エリアスのことだ」
その一言で、アンドリア王子とレイナ様が顔を見合わせる。
マクシミリアン殿下は続けた。
「私が出発したあと、エリアスは王都に残る。数日は、彼の身を――特に、王宮内での扱いを――気にかけてほしい」
「まるで、兄上の執務よりそちらが大事みたいな言い方ですね」
とアンドリアが苦笑する。
「いや、まあ、否定はしないが」
レイナ様が小さく笑いながら、僕の肩を軽く叩いた。
「安心して。私も翠影の離宮(レイナの住んでいる離宮)からちょくちょく様子を見に行くわ。
王都のことも、エリアス様のことも、私たちに任せて」
僕は小さく頷いて、ほんの少し微笑んだ。
「ありがとうございます。……ですが、僕も、皆さんに迷惑をかけないようにします。
殿下が安心して戦地へ向かえるように…」
僕の言葉にマクシミリアン殿下は、ほんの一瞬だけ表情を崩した。
けれどすぐにいつもの王太子の顔に戻り、アンドリア王子の肩を軽く叩く。
「頼む、アンドリア。王都も、エリアスも、君に託す」
「ええ、任せてください。兄上の留守を守るのは、弟の務めですから」
そのやり取りを見届けながら、レイナ様はふと微笑んだ。
「なんだか……戦の前なのに、マクシミリアン殿下にはほっとするわね」
「そう感じてくれるなら、それでいい」
マクシミリアン殿下は穏やかに笑い、僕の肩に手を置いた。
その掌の重みは、別れの前のぬくもりを確かに伝えていた。
夜風が紅炎宮の回廊を渡っていく。
月の光が石床を照らし、白い静寂をまとっていた。
マクシミリアン殿下は窓辺に立ち、遠くの王都の灯を眺めていた。
兵たちはすでに休みに入り、明日には本隊の出陣。
「殿下……」
寝衣の上に薄い外套を羽織って、僕は殿下に静かに声をかけた。
マクシミリアン殿下は振り返り、僕を見つめる。
「眠れなかったのか」
「……はい。どうしても、マクシミのお顔を見ておきたくて」
僕は笑顔を作ろうとしたが、声が少し震えていた。
マクシミリアン殿下が歩み寄ると、僕の肩がわずかに強張る。
そのまま、静かに抱き寄せられた。
「心配なのは、私の方だよ。
戦よりも――君を王都に残していくことが、何より怖い」
「そんな……マクシミ……」
殿下の胸元に顔を埋める。
「僕の方こそ、マクシミが行ってしまうことが怖いのに。
どうして、そんなに穏やかでいられるのですか」
マクシミリアン殿下は微かに笑い、僕の髪に唇を寄せた。
「君が信じてくれるからだ。
君が、僕の帰りを待っていてくれるから――怖くても、進める」
僕は、マクシミリアン殿下の胸当ての留め金に触れる。
出陣用の装備の一部。明朝にはそれを身につけ、戦場へ向かうのだ。
その金具をそっと握りしめて、呟く。
「加護の光は……ずっと、殿下と共にあります。
たとえ僕が遠くにいても」
「それだけで、十分だよ」
マクシミリアン殿下はその手を取って、指を絡める。
「この手の温もりが、どんな光よりも強い加護だ」
ふたりの距離が、ゆっくりと近づく。
唇が触れた。
「マクシミィ、怪我しないでね」
「ああ、エリアス、君も気をつけろよ」
月が静かに傾く。
外では風が梢を鳴らし、夜の匂いが漂う。
離れる前の最後の夜、
僕たちはただ、互いの鼓動を確かめ合うように抱き合っていた。
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