(新章開始)当て馬だった公爵令息は、隣国の王太子の腕の中で幸せになる

蒼井梨音

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当て馬にされた公爵令息は、今も隣国の王太子に愛されている

束の間の安息、迫りくる試練②

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焚き火の火がすっかり消え、空にはたくさんの星が光っていた。
マクシミリアン殿下の天幕に入ると、外の冷気が嘘のように静かになる。
中には一つの寝台と、予備の毛布がいくつか。

「殿下、ぼくは床で大丈夫です」
「何を言っている。風邪をひくぞ」
「でも——」
言いかけたところで、マクシミリアン殿下が毛布を広げて微笑む。

「一緒に温まればいい。戦地だ、合理的な判断だ」
「……それ、合理的って言いますか?」
「言う。私の心の平穏のためにもな」

僕は、少し呆れてため息をついたけど、結局その腕の中に落ち着く。
胸に耳を当てると、規則正しい鼓動が聞こえる。
その音に、安心と眠気が溶けていく。

「明日も戦いがあるのに……殿下、寝ないと」
「寝るさ。君をこうして感じていると、どんな夢でも見られる」
「……もう。ずるいんですから」

やがて僕は、殿下の胸の上で静かに眠りに落ちる。
マクシミリアン殿下はその髪を撫でながら、囁く。

「おやすみ、エリアス。明日も守る。何があっても」

外では風が木々を揺らし、夜明け前の森がひっそりと息づいていた。
それでもこの小さな天幕の中だけは、穏やかな温もりに満ちていた。


淡い光が、薄い幕越しに差し込んでいた。
冷えた空気の中で、吐息だけがかすかにあたたかい。
僕は、静かな胸の鼓動に包まれて目を覚ました。
まだ眠りの余韻の中にある頭が、腕の重みとぬくもりを認識する。
顔を上げると、マクシミリアン殿下の穏やかな横顔があった。

「……殿下……」
「おはよう、エリアス。もう少し寝かせてやりたかったのに」

低く、やさしい声。
その声音が、まるで夜の続きの夢のようで、胸が熱くなる。

「……もう出発の時間ですか?」
「まだだ。皆の準備が整うまで、少し時間がある」

マクシミリアン殿下は微笑み、指先でエリアスの乱れた髪をそっと整える。
髪越しに感じるその手の温かさがくすぐったくて、小さく笑った。

「……人が見たら、驚きますよ」
「見ないように言ってある」
「そういう問題じゃ……」
「いいんだ。誰にも渡す気はない」

そのまっすぐな言葉に、僕は顔を赤くして俯くしかなかった。
朝靄が天幕の隙間から流れ込み、僕たちの間をやさしく撫でていく。

——束の間の、穏やかな朝。

天幕の外で気配がして、マクシミリアン殿下が名残惜しげに身を起こす。
「行こう。リュシアンが朝食を用意している。たぶん……顔が少し怖い」
「……怒ってますね、きっと」

苦笑しながら身支度を整え、ふたりで外に出ると、
リュシアンが腕を組み、きっちり整えられた制服のまま無表情で立っていた。

「おはようございます、殿下、エリアス殿。……お二人とも、よくお休みになれたようで」
「うん、ぐっすりと」
「それは何よりです」

リュシアンの声は淡々としているが、どこか皮肉めいて聞こえる。
マクシミリアン殿下は笑いを堪えながら、わざと軽く肩を叩いた。

「お前がそういう顔をするときは、だいたい何か言いたいことがある時なんだ」
「とくにありません。朝食を整えましたので、冷めないうちに早めにどうぞ」
「助かる。……それと——」

マクシミリアン殿下の声音が少し低くなった。
「私がいない間、エリアスを不安にさせなかったか?」

一瞬、リュシアンが言葉に詰まった。
僕が、はっとして、マクシミリアン殿下の横顔を見る。

「……不安に、というより……」
少し間を置いて、リュシアンは視線を落とした。
「私はあまり、慰めが得意ではありません。……ただ、殿下の代わりに傍にはおりました」

マクシミリアン殿下の口元がやわらかく緩む。
「お前らしい。それで十分だ。ありがとう、リュシアン」
「……いえ」

その返答に、リュシアンがほんのわずかに目を逸らす。
普段の冷静さの奥に、少しだけ照れのような色が滲んでいた。

僕はくすっと笑いながら、二人の間を見上げた。
「リュシアンがいてくれたから、僕は無事にここまで来られました」
「……職務です」
「でも、ありがとう」

僕がやわらかく笑いかけると、リュシアンは目を伏せた。
マクシミリアン殿下はその様子を見て、静かに息をついた。

「お前たちは、本当に……私の支えだ」

そう言って、マクシミリアン殿下は僕の肩に軽く手を置いた。
その手が離れると、空気の中にひとすじの冷たい風が流れた。

「出発の準備を。ヴァルデシアはもう近い」
マクシミリアン殿下の号令が響く。
兵たちが一斉に動き出し、金属の音が澄んだ朝の空気に溶けていく。

僕は、北へ続く白い靄の向こうを見つめた。
殿下の隣で笑えるこの朝が、いつまでも続きますように——
そう願いながら、そっと胸に手を当てた。

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