アイデンティティは奪われましたが、勇者とその弟に愛されてそれなりに幸せです。

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カルマイン編

でちゃう

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 マラキアの店では、シグムントの外套と数枚の着替えを手に入れた。すぐ枝に引っ掛けて服をダメにするので、素材はアラクネの糸が織り込まれている丈夫なものだ。

「火炎耐性はあるか」
「お前さん、火に体突っ込む気でいるのか」
「シグムント、余計なことは言わないんでしょ」
「ムン……」

 窘められるようにルシアンに頭を撫でられた。
 この先でシグムントが魔力を行使することがあれば、真っ先に炎を纏うだろう。だから聞きたかったのだが、どうやらこれも余計なことらしい。
 むすりとするシグムントの前では、マラキアが引きずるようにして大きな箱を出してきた。どうやら騎士団に納品するものらしい。本数を数えるなり、取り出した大きな布を被せるようにして収納した。

「なんだそれ」
「こういうでかいもん運ぶときに使う収納布だよ。悪いがこれから用事があってな。ギュスターヴに行くんだ」
「アゥン‼︎」
「うおっ、なんだお前も一緒にくるか?」

 マラキアの言葉に大きく反応を示したのはイェネドだ。ビョン、と跳ねるなり尻尾を振り回すようにして興味を示す。
 ギュスターヴにはメイディアの実家であるオルセンシュタイン家の屋敷がある。どうやらルシアンの言葉を覚えていたらしい。

「魔物も狩るしな、それ、俺らもついていっちゃダメか」
「構わねえけど……、遊撃隊は騎士団とは不仲なんだろう? あそこには演習場があるが、来るのか」
「気にかけてもらってありがとう。大丈夫、俺にだって理性的な一面はあるさ」

 イザルとシグムントが、疑うようにルシアンへと目を向けた。理性的な一面があるだなんて知らなかったといわんばかりにだ。マラキアもまた怪訝そうな顔をしていたが、無理やり納得をしたらしい。まあいいかで話を終えると、収納布をくるんと丸めて体に巻きつけた。
 ギュスターヴへは馬車を乗り継いで行くようだ。マラキアはしっかりと店に施錠をすると、そうだと一つ提案をした。

「ギュスターヴまでの護衛をしてくれよ。そうしたら白い兄ちゃんにやった外套はタダでいい。なんならお前らの柄物の手入れも道中してやろう、どうだ」
「そりゃあ願ってもねえ話だけど、……」

 イザルの目が、ルシアンへと向いた。その視線の意味は、シグムントのことである。
 道中、愚かを晒して正体をバラしたらと思ったのだ。視線の意味をきちんと理解したらしい。ルシアンはシグムントの肩を抱き寄せると、そっと耳に唇を寄せた。

「道中シグが魔族だってバレてしまったら、パーンってなるからね」
「ぱ、パーン……。それは、俺の体が弾け飛ぶってことか……」
「シグだけじゃなくて、俺たちもだよ。だから、シグは絶対にバレちゃダメ。いいね?」
「う、うん……パーンっは、こ、困るものな……うむ……」

 ルシアンがどんな具合にシグムントを窘めたのか、イザルには聞こえなかった。しかし神妙な顔で頷く様子を見れば、ルシアンの言い分は信じたようだ。

「マラキア殿、道中は俺たちに任せるが良い。主にイザルとルシアンが守るだろう」
「そうかい心強いねえ」

 フンス、と意気込むシグムントを、イェネドが呆れたような目つきで見やる。
 どうやら馬車はマラキアが持っているらしい。馬を預けている牧場に一度よるというので、シグムントたちは歩いて十分程度の牧場まで足を運んだ。
 
 足腰のしっかりとした黒毛の馬が二頭、マラキアの所有する馬車へと繋がれた。その馬に挟まれるようにしておすわりしているイェネドだけは、狼の顔に絶望を貼り付けている。

「本当は二頭でかまわねえんだが、あのワンコロは図体がでけえから馬車ん中が狭くなるだろう。ま、犬は走らせておけというしな」
「イェネド、そんなしょぼくれた顔をするな。心細いなら俺が跨ろうか」
「ぎゃわん……」

 そういうことじゃない。と否定したイェネドを労ることなく馬車は出発した。丸一日かけて進むのだ。イェネドからしてみれば、そんな長距離を走りぬけるだなんて随分と久しぶりである。
 馬車はガタゴトと車輪で悪路を削るように動き出した。これから向かうギュスターヴへの道は整備された様子もない。前から馬車が来たら、すれ違うことも難しそうな道だ。緑色の草花が囲むようにして伸びる道の両脇は薬草畑を囲む土手であり、一歩踏み外せば真っ逆さまに落ちるだろう。

「人なんか乗せ慣れてねえからよ。酔っちまったら言ってくれ」
「俺らは鍛えてっからある程度は気になんねえけど」
「シグムントは……」
「うん?」

 イザルとルシアンの視線が、真っ直ぐにシグムントへと向けられる。
 馬車なんて乗ったことあるのだろうか。と言った目だ。ようやく二人の言いたいことがわかったらしい。シグムントはニコリと微笑んだ。

「落馬ならうまいぞ‼︎ 気にするな」
「いや縁起でもねえこと言わねえでくれえ‼︎」
 
 満面の笑みで言うことではない。逆にマラキアを驚かせる形となったシグムントは、ギュスターヴにつくまで三回ほどイザルとルシアンに介護されることになる。この時は、まさかそんなに酔うとは思わなかったんだもん。と後に語っていた。


 こうしてイザルとルシアンが無意識のうちに育児と介護スキルを上げる羽目になったギュスターヴへの道のりは、シグムントの乗り物酔いを抜けば実に穏やかな道のりだった。
 騎士団の元に行く前に一休みをしようと言われ、マラキアは演習場を望む見晴らしのいい高台に馬車を停めた。宿を出てからマラキアと出会い、そこからずっとギュスターヴまで進んだのだ。ルシアンもイザルも、口には出さないが顔に疲労を貼り付けている。
 イェネドはというと、こちらも馬の足並みに合わせて駆け抜けてきたせいか、喋る余力は残ってないと言わんばかりに身を投げ出している。毛並みを整えるように、馬がイェネドの背中をくすぐる。体をほぐされているようにも見えるそれは、悪路を駆け抜けた同士への労りなのかもしれない。

「うぇえ……」
「そんなに三半規管が弱いなんてなあ。ほら、水のめ」
「い、今飲んだら……またはく……」

 木の根元にもたれかかるように、シグムントがぐったりとしていた。ただでさえ白い顔が、さらに白い。薄い腹に手を置いてげんなりとしている様子が、そこはかとなく哀れみを誘う。
 マラキアが手渡そうとした水は、仕方ないと言わんばかりにイザルへと渡された。

「ここで野営をするけど、おまえさんは狩も無理そうだなあ……。そこの犬も、動けんかあ」
「俺がシグムント見てるから、イザルはマラキアと狩に行けよ」
「騎士団と鉢合わせたくねえからだろうがったく……」
「話が早くて助かる」

 イザルから投げ渡された水を受け取ると、インベントリから取り出した木皿に水を注ぐ。ヘロヘロと近づいてきたイェネドに水を与えるルシアンを前に、イザルは仕方ないと言わんばかりに了承した。

「吐き気どめの薬草生えたら摘んでくるか」
「そこまでしなくていいぜ。つか草にも詳しいのかあんた」
「長く生きてるとね、そう言う知識が必要になるんだよ」

 マラキアは困ったように笑みを浮かべる。せいぜい五十代そこそこにしか見えないが、随分と年寄りのようなことを言うのだなと思った。イザルとそこまで変わらない大柄なマラキアは、慣れた森なのだろう。口にできるキノコやら実をもぐと、かぶっていた帽子の中に入れていった。

「イザル、そこの藪には蛇が出る。毒はないが噛まれるなよ」
「うっぉ……、あ、ああ……」
「はは、言うのが遅くてすまん」

 マラキアの注意は予言に変わっていた。聖剣の鞘で受け止めるようにして蛇を避けたイザルに笑うと、マラキアの瞳は聖剣へと向けられた。
 黙りこくるマラキアに、違和感を覚えたイザルが顔を上げる。その瞳が真っ直ぐに剣に注がれていることに気がつくと、イザルは黙って腰に差し戻した。

「……重そうな剣だな」
「ああ、捨ててえんだけどよ。この旅が終わるまでは無理だな」
「そうか」

 会話は、たったそれだけで終わった。マラキアの様子に訝しげな顔をしたイザルであったが、慣れぬ森で迷わぬようにと背を睨みつけるだけで終わった。
 
 その頃、ルシアンはというと。体調がすぐれない魔族二人を横に侍らせるようにして、火を起こしていた。もうすぐ夜がやってくる。旅がいつまで続くかわからない以上は、インベントリの中の備蓄は減らさない方がいいだろう。
 それを理解した上でのマラキアの提案は、実を言うとありがたかったのだ。ルシアンは木端を火にくべながら、片手間にシグムントの頭を撫でる。

「うぅ……お、お腹すいた……」
「いっぱい吐いたもんね、干果実でも食べて口直しする?」
「うん……」

 ルシアンの言葉に、イェネドも反応を示す。太腿に顎を乗せるようにして見上げる様子に、ウェアウルフのプライドのかけらもない。ルシアンはワシワシとイェネドの頭も撫でると、インベントリから干した無花果を取り出した。
 小さくちぎるようにして、シグムントの口元に運ぶ。そうしないとすぐに喉を詰まらせることは、先日学んだばかりである。ルシアンがそうやって与えるせいで、イェネドも魔獣型の時は甘えるように口を開けて待つようになってしまった。
 構わないのだが、人型の時なら絶対にしてやらない。誰が好き好んでゴツい男にアーンなんてしてやるか。

「むぐ……」
「イザルにバレたら怒られそうだから、これ一個だけだぞ。イェネドもな」
「はぐ……」

 パチンと弾ける焚き火の音はいいものだ。時折折った枝を火の根元に差し込む。ルシアンの腹にシグムントの腕が回ったことに気がつくと、腕を上げるようにして顔を覗き込んだ。

「情熱的なのは嬉しいけど、まだ具合悪い……?」
「お、お腹ぐるぐるする……」
「え、出そうなやつ?」
「生まれそうなやつだ……」

 生まれる?
 げっそりとしたシグムントの死にそうな言葉に、ルシアンはポカンとした。生まれるって何がだろうと思ったのだ。
 シグムントが雄なのは、体に触れたからもちろん理解している。もしかしたら生まれると言っているだけで、普通に腹を壊しているだけかもしれない。
 これは近くの草むらまで連れて行った方がいいのだろうかと辺りを見回そうとしたルシアンの耳に、不穏な言葉が続けられた。

「い、一発、一発火球でも放てば……治ると思う……」
「いや、この真下に騎士団の演習場があるから……それやっちゃうとまずいかな……」
「や、やっぱり……っ、うう、か、体が準備しちゃうぅ……」
「え、ちょま、まってシグムント、服買い換えたばかりでそれはまずいっ」

 体が準備しちゃうとは⁉︎ 
 シグムントの言い回しに、ルシアンの男の妄想が掻き立てられたのは否めない。腹を抱えるようにして喘ぐように呼吸をするシグムントに、さすがのイェネドも顔色を変えた。
 ルシアンが慌てて立ち上がると、ぐったりとしたシグムントの両脇に手を突っ込むように持ち上げた。その時だった。
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