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カルマイン編
愛しの白薔薇
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「いいかい白薔薇の君。騎士団の演習場には身内でなければ入れないんだ。だから、今から君は俺の恋人として振る舞ってもらう。いいね?」
「ウゥウッ!」
「恋人はダメだとイェネドが言っている」
「君はもしかしたら大胆な子なのかな。オーケー、なら婚約者にしよう。そちらの方がより受け入れてもらえる」
「ハワワワワッ」
イェネドの情けない悲鳴はシグムントにもしっかり届いている。しかし、ジリオンの目の前でイェネドと会話をするのは避けた方がいいだろう。シグムントは、珍しく頭を働かせていた。
ジリオンにリードを引かれるように、トボトボとついてくる。三人は今、例の塔のある森の中にいた。これから招かれる騎士団の演習場に長居をするつもりはないが、遅くなると夜の森を抜けて帰ることになる。
それは、いくらイェネドがいようとも怖いかもしれない。シグムントはご機嫌なジリオンに腰を抱かれたまま、困ったようにその顔を見上げる。
「あんまり遅くなると、イザルがグーで叩くから。俺はできれば早く帰りたいのだが」
「グーで叩く⁉︎ 君の美しいかんばせをか⁉︎ そんな乱暴で暴力的な男とともにいることはない! ますます君を返せなくなったぞ俺は!」
「乱暴で暴力……とは、多分同じ意味だと思うのだが」
「つまり暴力の二乗男と言うわけさ!」
「にじょうってなんだ? ジリオンは難しい言葉を知っているなあ」
関心すべきはそこではない。イェネドの肩には、ますます責任が重くのしかかっていた。ジリオンは香水がきついので、うまく鼻も効かせられない。ブシュンとくしゃみをしては、くしくしと前足で鼻を擦るのを先ほどから繰り返している。
ここは木漏れ日森に比べると魔素が少ないので、おそらく危険な魔物が出ることもないだろう。しかし、この森に足を踏み入れてから、イェネドの体には常に嫌な感覚がまとわりついていた。
「キュウン」
「どうしたイェネド、怖いのか?」
「怯えることはないさ。騎士ジリオンがいるからね! そして俺は第一騎士団副団長を務めている。そう、剣の才だけでなく、多方面の才にも秀でた男こそがジリオンなのだ!」
「才がたくさんあるのだなあ、イェネド。すごい若者もいたものだ」
フンス。イェネドがため息を返事の代わりにするのも、森に入ってから五回目だ。
庭園を出てからおおよそ半刻ほど。三人の目の前には巨大な演習場の一部が見えてきた。おそらく入り口なのだろう、開けた場所には円形闘技場の中へと続く石造の階段が見える。
その両脇を固めるように立つのは、銀色の鎧を見に纏う見目華やかな騎士である。腰布にはおそらく王家の紋章なのだろう、剣を守る蛇の図案が金糸刺繍で施されていた。
「ジリオン副団長、見回りお疲れ様です」
「うむ、お前たちもご苦労」
「して……そちらの女性と狼は」
「ああ、彼女は俺の婚約者だ。そして狼は彼女の飼い犬のようなものだ」
「ここ、婚約者⁉︎」
素っ頓狂な声をあげる騎士二人に、シグムントは慌てて言葉を飲み込んだ。この状況で男だと告げるのは良くない気がしたのだ。チラリとイェネドを見る。飼い犬扱いを受けて憤慨するかと思ったがそうでもなく、ただ諦めた表情で大人しくおすわりをしていた。
「そ、うですか……ですがジリオン様と釣り合う家柄なのですか?」
「彼女はオルセンシュタイン家に招かれるほどの家柄だ。口を慎めよアド。俺は愛おしいと思ったものを家柄関係なく愛すだけ」
「さすがジリオン様。痛く感動いたしました! つまり、垣根を越えた愛というわけですね、婚約者どの。あなたも懐の深いジリオン様に鼻が高いことでしょう」
「そ、そうなのか……鼻、鼻は確かに人より高いかもしれん」
そんなことを宣って、シグムントの目線はジリオンの鼻の高さを確かめる。頭の出来を露呈させるような振る舞いも、慎ましい女性に映るから始末が悪い。
ますます笑みを浮かべるジリオンの勘違いが助長されていることに、気がついているのはイェネドだけであった。
門番代わりの騎士二人に別れを告げて、演習場の中に併設されている宿舎へと連れて行かれる。イェネドはというと、シグムントに妙なことをすれば──── 本音はやりたくないのだが──── 尻に噛みついてやるつもりだった。
「白薔薇の君、この談話室で少し待っていてくれ。何か言われたら、このジリオンの名を口にするがいい。黒騎士君もいいね。トイレの際はお利口に申しつけるんだよ」
「ヴヴゥ……」
招かれた宿舎の談話室。中は貴族の好みそうな、随分と落ちつかない部屋であった。高そうな花瓶も、見つめていたら目がしぱしぱする絨毯も、雨粒が凍りついたようなシャンデリアも、全部が全部高そうだ。シグムントはふかふかのソファに腰掛けたまま、居心地が悪そうに肩を縮める。ついには我慢できなくなって、隣を叩いてイェネドを呼んだ。
「イェネド、ここはなんだか変なところだ。王様の住む部屋でもないのに随分と仰々しい」
「ワウウァアウ」
「む、やはりイェネドも目がチカチカするか。イザルとか、ルシアンの部屋が恋しいな。あの素朴な感じが安心するというに」
イェネドの上半身を膝に乗せたまま、ワシワシと頭を撫でて落ち着きを取り戻す。やはりイェネドにはセラピー効果があると再確認をすれば、一つしかない扉が開いた。
姿を現したのは、紺色の外套を纏った特徴的な男であった。重そうな前髪で顔を隠す男の見目は、おそらくイザルと同じ頃合いだろう。シグムントは目が合っているのかはわからないまま、動きを止めた男を前に首を傾げる。
「え、なんで?」
「む、どなたかな」
「しゃべ、え、ちょ、ちょちょちょいまっ」
「ちょ……?」
戸惑っているのだろう、己の赤い髪を撫で付けたり、扉の側面に意味もなく触れるなどして、男はしばらく冷静さを取り戻そうとしていた。その間、シグムントは一度だけイェネドと顔を見合わせたくらいだ。
やがて胸に手を当ててゆっくりと呼吸をした男が、意を結したように部屋へと足を踏み入れる。そんな様子を晒すものだから、むしろシグムントが緊張してしまった。
男はズンズンと歩み寄ってくると、徐にシグムントの目の前で跪いた。
「どうしてこちらにお出ましになったのですか。護衛は?」
「俺の護衛は……このイェネドだけだが……」
「イェネド……んん? いや……え、っと……五人目の……?」
「すまないが、誰かと勘違いをしているんじゃないかな。俺の名前はシグムントという」
シグムント……? 男は確かめるように復唱すると、そっとシグムントの細い手首を取る。脈を確認するように指先で触れ、そして再びシグムントの顔を見上げる。
「一応聞くけれど……シグムント。君はどこからきたんだ」
「知らない人になんでもいうなと怒られるから、名前しかあかせないんだ」
「……見たところ、魔力がかけらもないようなんだが」
「そうなんだ。俺も何かと不便で参っている」
困り顔を向けると、男はますます困惑を見せた。はくはくと唇を震わせたかと思えば、こちらが心配になるほどの深呼吸をする。やがて吸った空気と同じだけ長いため息を吐くと、シグムントの捲り上げた袖を直した。
「俺は国王直属の四騎士。炎を司るジズと申すもの。すまない、君がその……俺の知り合いに随分と似ていたからついね」
「そうか。この世には似ている顔が三人はいるというからな。うむ、俺もそっくりさんには会ってみたいものだが……君は迷惑そうだ」
「ああ、立場上そうやすやすと出くわされると困る人なんだ」
そう言って、ジズは肩をすくめた。ついでと言わんばかりにイェネドの頭をわしりと撫でる。ジズは再び立ち上がると、伸びをするかのように背骨を鳴らした。
「で、ここは関係者以外立ち入り禁止だし、ここは王族が過ごす場でもあるわけなんだけど……シグムントはなんでここいいるの」
「ジリオンが婚約者だと言えと。俺も帰りたいのだが、外も暗いし困っておる」
「あの馬鹿下まつげのせいか……まあいい、俺も予定があるから見送ることはできないんだけど……そうだな、こうしよう」
どうやらジリオンの上司らしい。ジズは一人ゴチると、徐に手のひらを虚空にかざす。すると、細い炎が陣を描くように浮かびあがり、火の中から炎の蝶が姿を現した。
「それは……魔物では?」
「俺の力で作り出した、ただの炎の造形魔法さ。本物に見えるなら褒め言葉として受け取るよ」
そう言って、ジズはシグムントへ微笑みかける。それでも、目の前をひらひらと飛ぶ炎の蝶は、深夜の国にいる魔物によく似ていた。思わず指先で触れようとして、手首を掴まれる。無言で首を横に振られてしまっては、シグムントも無理に触れることはできなかった。
「ジリオンには君が帰ったと伝えておく。さあ行くがいい。この蝶は安全に君を元いた場所へと連れていってくれるよ」
「あ、ああ……」
「あと、その彼だけど……まあいい。わんころ、お前も気をつけて帰れよ」
イェネドの頭をわしりと撫でる。ジズはシグムントの背を押すように、部屋の外へと追い出した。シグムントの目の前でヒラヒラと飛ぶ蝶が、役目を果たすかのように先を飛ぶ。暗い通路も、オレンジ色の灯りがぼんやりと照らしてくれていた。
「アゥ」
「なんだイェネド」
「フギュ……」
「……ああ、それは俺も……なんとなく理解しておるよ」
寄り添うように歩く。イェネドの滑らかな毛並みを撫でながら、シグムントは一人静かにごちた。
炎の造形魔法がいかに優れていようとも、精霊と魔物の間に存在する炎の蝶が太陽の国にいるはずがない。不安定な存在は、潤沢な魔素を宿す深夜の国の迷いの森にしか、生息していないからだ。そんな稀有な存在を一度でも目にし、造形魔法で表現するものとなれば、おそらくジズは深夜の国に訪れたことがあるのだろう。
「あの紺色の外套……なんと言っていたかな彼は……」
演習場から外へと繋がる出口で、炎の蝶は止まっていた。まるで、早く来いとでもいうようにだ。シグムントはまるで巣穴から出る小動物のようにひょこりと出口から顔を出すと、キョロりとあたりを見渡した。
外は、静かな暗い森が広がっているだけだ。炎の鱗粉をキラキラと輝かせ、シグムントの隣を蝶が飛んでいく。イェネドに言われるままに体を預ければ、蝶を追うように森の中へと繰り出した。
「ウゥウッ!」
「恋人はダメだとイェネドが言っている」
「君はもしかしたら大胆な子なのかな。オーケー、なら婚約者にしよう。そちらの方がより受け入れてもらえる」
「ハワワワワッ」
イェネドの情けない悲鳴はシグムントにもしっかり届いている。しかし、ジリオンの目の前でイェネドと会話をするのは避けた方がいいだろう。シグムントは、珍しく頭を働かせていた。
ジリオンにリードを引かれるように、トボトボとついてくる。三人は今、例の塔のある森の中にいた。これから招かれる騎士団の演習場に長居をするつもりはないが、遅くなると夜の森を抜けて帰ることになる。
それは、いくらイェネドがいようとも怖いかもしれない。シグムントはご機嫌なジリオンに腰を抱かれたまま、困ったようにその顔を見上げる。
「あんまり遅くなると、イザルがグーで叩くから。俺はできれば早く帰りたいのだが」
「グーで叩く⁉︎ 君の美しいかんばせをか⁉︎ そんな乱暴で暴力的な男とともにいることはない! ますます君を返せなくなったぞ俺は!」
「乱暴で暴力……とは、多分同じ意味だと思うのだが」
「つまり暴力の二乗男と言うわけさ!」
「にじょうってなんだ? ジリオンは難しい言葉を知っているなあ」
関心すべきはそこではない。イェネドの肩には、ますます責任が重くのしかかっていた。ジリオンは香水がきついので、うまく鼻も効かせられない。ブシュンとくしゃみをしては、くしくしと前足で鼻を擦るのを先ほどから繰り返している。
ここは木漏れ日森に比べると魔素が少ないので、おそらく危険な魔物が出ることもないだろう。しかし、この森に足を踏み入れてから、イェネドの体には常に嫌な感覚がまとわりついていた。
「キュウン」
「どうしたイェネド、怖いのか?」
「怯えることはないさ。騎士ジリオンがいるからね! そして俺は第一騎士団副団長を務めている。そう、剣の才だけでなく、多方面の才にも秀でた男こそがジリオンなのだ!」
「才がたくさんあるのだなあ、イェネド。すごい若者もいたものだ」
フンス。イェネドがため息を返事の代わりにするのも、森に入ってから五回目だ。
庭園を出てからおおよそ半刻ほど。三人の目の前には巨大な演習場の一部が見えてきた。おそらく入り口なのだろう、開けた場所には円形闘技場の中へと続く石造の階段が見える。
その両脇を固めるように立つのは、銀色の鎧を見に纏う見目華やかな騎士である。腰布にはおそらく王家の紋章なのだろう、剣を守る蛇の図案が金糸刺繍で施されていた。
「ジリオン副団長、見回りお疲れ様です」
「うむ、お前たちもご苦労」
「して……そちらの女性と狼は」
「ああ、彼女は俺の婚約者だ。そして狼は彼女の飼い犬のようなものだ」
「ここ、婚約者⁉︎」
素っ頓狂な声をあげる騎士二人に、シグムントは慌てて言葉を飲み込んだ。この状況で男だと告げるのは良くない気がしたのだ。チラリとイェネドを見る。飼い犬扱いを受けて憤慨するかと思ったがそうでもなく、ただ諦めた表情で大人しくおすわりをしていた。
「そ、うですか……ですがジリオン様と釣り合う家柄なのですか?」
「彼女はオルセンシュタイン家に招かれるほどの家柄だ。口を慎めよアド。俺は愛おしいと思ったものを家柄関係なく愛すだけ」
「さすがジリオン様。痛く感動いたしました! つまり、垣根を越えた愛というわけですね、婚約者どの。あなたも懐の深いジリオン様に鼻が高いことでしょう」
「そ、そうなのか……鼻、鼻は確かに人より高いかもしれん」
そんなことを宣って、シグムントの目線はジリオンの鼻の高さを確かめる。頭の出来を露呈させるような振る舞いも、慎ましい女性に映るから始末が悪い。
ますます笑みを浮かべるジリオンの勘違いが助長されていることに、気がついているのはイェネドだけであった。
門番代わりの騎士二人に別れを告げて、演習場の中に併設されている宿舎へと連れて行かれる。イェネドはというと、シグムントに妙なことをすれば──── 本音はやりたくないのだが──── 尻に噛みついてやるつもりだった。
「白薔薇の君、この談話室で少し待っていてくれ。何か言われたら、このジリオンの名を口にするがいい。黒騎士君もいいね。トイレの際はお利口に申しつけるんだよ」
「ヴヴゥ……」
招かれた宿舎の談話室。中は貴族の好みそうな、随分と落ちつかない部屋であった。高そうな花瓶も、見つめていたら目がしぱしぱする絨毯も、雨粒が凍りついたようなシャンデリアも、全部が全部高そうだ。シグムントはふかふかのソファに腰掛けたまま、居心地が悪そうに肩を縮める。ついには我慢できなくなって、隣を叩いてイェネドを呼んだ。
「イェネド、ここはなんだか変なところだ。王様の住む部屋でもないのに随分と仰々しい」
「ワウウァアウ」
「む、やはりイェネドも目がチカチカするか。イザルとか、ルシアンの部屋が恋しいな。あの素朴な感じが安心するというに」
イェネドの上半身を膝に乗せたまま、ワシワシと頭を撫でて落ち着きを取り戻す。やはりイェネドにはセラピー効果があると再確認をすれば、一つしかない扉が開いた。
姿を現したのは、紺色の外套を纏った特徴的な男であった。重そうな前髪で顔を隠す男の見目は、おそらくイザルと同じ頃合いだろう。シグムントは目が合っているのかはわからないまま、動きを止めた男を前に首を傾げる。
「え、なんで?」
「む、どなたかな」
「しゃべ、え、ちょ、ちょちょちょいまっ」
「ちょ……?」
戸惑っているのだろう、己の赤い髪を撫で付けたり、扉の側面に意味もなく触れるなどして、男はしばらく冷静さを取り戻そうとしていた。その間、シグムントは一度だけイェネドと顔を見合わせたくらいだ。
やがて胸に手を当ててゆっくりと呼吸をした男が、意を結したように部屋へと足を踏み入れる。そんな様子を晒すものだから、むしろシグムントが緊張してしまった。
男はズンズンと歩み寄ってくると、徐にシグムントの目の前で跪いた。
「どうしてこちらにお出ましになったのですか。護衛は?」
「俺の護衛は……このイェネドだけだが……」
「イェネド……んん? いや……え、っと……五人目の……?」
「すまないが、誰かと勘違いをしているんじゃないかな。俺の名前はシグムントという」
シグムント……? 男は確かめるように復唱すると、そっとシグムントの細い手首を取る。脈を確認するように指先で触れ、そして再びシグムントの顔を見上げる。
「一応聞くけれど……シグムント。君はどこからきたんだ」
「知らない人になんでもいうなと怒られるから、名前しかあかせないんだ」
「……見たところ、魔力がかけらもないようなんだが」
「そうなんだ。俺も何かと不便で参っている」
困り顔を向けると、男はますます困惑を見せた。はくはくと唇を震わせたかと思えば、こちらが心配になるほどの深呼吸をする。やがて吸った空気と同じだけ長いため息を吐くと、シグムントの捲り上げた袖を直した。
「俺は国王直属の四騎士。炎を司るジズと申すもの。すまない、君がその……俺の知り合いに随分と似ていたからついね」
「そうか。この世には似ている顔が三人はいるというからな。うむ、俺もそっくりさんには会ってみたいものだが……君は迷惑そうだ」
「ああ、立場上そうやすやすと出くわされると困る人なんだ」
そう言って、ジズは肩をすくめた。ついでと言わんばかりにイェネドの頭をわしりと撫でる。ジズは再び立ち上がると、伸びをするかのように背骨を鳴らした。
「で、ここは関係者以外立ち入り禁止だし、ここは王族が過ごす場でもあるわけなんだけど……シグムントはなんでここいいるの」
「ジリオンが婚約者だと言えと。俺も帰りたいのだが、外も暗いし困っておる」
「あの馬鹿下まつげのせいか……まあいい、俺も予定があるから見送ることはできないんだけど……そうだな、こうしよう」
どうやらジリオンの上司らしい。ジズは一人ゴチると、徐に手のひらを虚空にかざす。すると、細い炎が陣を描くように浮かびあがり、火の中から炎の蝶が姿を現した。
「それは……魔物では?」
「俺の力で作り出した、ただの炎の造形魔法さ。本物に見えるなら褒め言葉として受け取るよ」
そう言って、ジズはシグムントへ微笑みかける。それでも、目の前をひらひらと飛ぶ炎の蝶は、深夜の国にいる魔物によく似ていた。思わず指先で触れようとして、手首を掴まれる。無言で首を横に振られてしまっては、シグムントも無理に触れることはできなかった。
「ジリオンには君が帰ったと伝えておく。さあ行くがいい。この蝶は安全に君を元いた場所へと連れていってくれるよ」
「あ、ああ……」
「あと、その彼だけど……まあいい。わんころ、お前も気をつけて帰れよ」
イェネドの頭をわしりと撫でる。ジズはシグムントの背を押すように、部屋の外へと追い出した。シグムントの目の前でヒラヒラと飛ぶ蝶が、役目を果たすかのように先を飛ぶ。暗い通路も、オレンジ色の灯りがぼんやりと照らしてくれていた。
「アゥ」
「なんだイェネド」
「フギュ……」
「……ああ、それは俺も……なんとなく理解しておるよ」
寄り添うように歩く。イェネドの滑らかな毛並みを撫でながら、シグムントは一人静かにごちた。
炎の造形魔法がいかに優れていようとも、精霊と魔物の間に存在する炎の蝶が太陽の国にいるはずがない。不安定な存在は、潤沢な魔素を宿す深夜の国の迷いの森にしか、生息していないからだ。そんな稀有な存在を一度でも目にし、造形魔法で表現するものとなれば、おそらくジズは深夜の国に訪れたことがあるのだろう。
「あの紺色の外套……なんと言っていたかな彼は……」
演習場から外へと繋がる出口で、炎の蝶は止まっていた。まるで、早く来いとでもいうようにだ。シグムントはまるで巣穴から出る小動物のようにひょこりと出口から顔を出すと、キョロりとあたりを見渡した。
外は、静かな暗い森が広がっているだけだ。炎の鱗粉をキラキラと輝かせ、シグムントの隣を蝶が飛んでいく。イェネドに言われるままに体を預ければ、蝶を追うように森の中へと繰り出した。
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