ヤンキー、お山の総大将に拾われる。-理不尽が俺に婚姻届押し付けてきた件について-

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閃光の矛先

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「紛れものめ、一体どうやってここにきた。まさか牛頭の目を盗んできたかと言うのか。」
「わ、かんね…、や、何、っ…」
「ふん、記憶も曖昧か。ならばこの馬頭自ら送り返してやろう。こちらだ。」
「や、やだ…そ、そっちは怖い、いっ…!!」
 
 天嘉を片手で持ち上げた妖は、自分のことを馬頭と言った。見慣れない人間がいることに気づいていたらしい、天嘉は訳もわからないまま馬頭によって左手を掴まれ、片手のみで体の重心を支える形になり、あまりの痛みに顔を歪める。下手に動いてしまえば、肩を壊してしまうだろう。右手で体を安定させたいが、馬頭に縋るような形になってしまえば何をされるかわからない。
 ああ、なんでこんなことになってしまったのだろう。
 あれだけ忌諱していた背後の赤い橋に、どんどんと近づいていく。いやだ、やめてくれ。そう言いたいのに、喉が引き攣って声が出ない。一度あの橋を渡って仕舞えば、そう簡単にはこちらには戻ってこれないだろう、そんな気がするのだ。
 馬頭はのしのしと天嘉をぶら下げたまま向かっていく。異様な雰囲気を放つその場所は、まるで大口を開けて天嘉を待っているかのようであった。
 
「やだ…いやだ、行きたくない…蘇芳…!!」
 
 言いようのない怖気が走った瞬間だった。馬頭の頭上を、金色の閃光が走る。バサリと大きな羽の音がしたかと思うと、馬頭の動きが止まった。音のする方向へゆるりとその首をもたげた瞬間、天嘉の琥珀の瞳に映ったのは、怒りに顔を染め、恐ろしい顔をした蘇芳であった。

「獄卒風情が、誰のものに手を出している!!」
 
 蘇芳の背負う天空が、ありえない勢いで黒い雲に包まれる。その黄昏色の瞳で天嘉の苦痛に歪む顔を捉えると、蘇芳の瞳がキュルリと細まった。途端、馬頭の頭上に激しい雷雲が立ち込める。
 
「な…す、蘇芳だと!?」
「落雷を喰らいたくなければ嫁を離せ。それとも相応の覚悟ができておると言うことか。」
 
 聞いたこともない、酷く威圧的なその声は天嘉の知る蘇芳ではなかった。馬頭は大慌てで華奢な天嘉の身を放り投げると、投げ出されたその身は、蘇芳の影から飛び出してきた何者かに、しかと受け止められた。馬頭は、その馬顔を器用に恐怖の表情に歪めると、まるで転げるかのようにして蘇芳の前から逃げ出した。
 
「す、蘇芳がでた…!牛頭、牛頭うううう!!!」

 何がしかを叫びながら、走って橋を渡っていく。まるでその後を追いかけるように頭上の雷雲が空を滑るのを見送ると、天嘉は呆然としたまま、動けずにいた。何が起きたのか、天嘉の理解の範疇を超えていたのである。
 しかし、体の変化は実に如実に現れた。薄い胸が震えると、ヒュウ、と肩で呼吸をする、様子のおかしい嫁の姿を認めると、蘇芳は羽織を翻し、急ぎ足で天嘉の元に駆け寄った。
 
「天嘉!無事か!」
「ひ、…っぅ、」
 
 緊張が酷かった。張り詰めていた空気が緩んだ瞬間、天嘉の肺は呼吸を忘れたかのように不器用な収縮を繰り返す。小さく震えながら伸ばした手を引き寄せるようにして、蘇芳が天嘉を抱きあげた。
 
「お館様、ここはひとまずお屋敷にお戻りを。奥方様の容態を落ち着かせることが先決です。」
 
 聞き慣れない男の声が、蘇芳に語りかけた。お館様と呼ばれた蘇芳は、ああ。と小さく頷くと、震える天嘉の顔を胸元に埋めさせるかのようにキツく抱きしめる。意識がぼんやりとする。いやだ、そばにいて、天嘉の言葉にならない悲痛な思いを包み込むかのように、蘇芳がその華奢な身ごと大きく羽ばたく。
 
 嘘だろう。俺、地面に足ついてねーじゃん。 
 呼吸は酷く苦しいのに、天嘉は重力を無視した浮遊感に身を任せると、そんなことを思った。
 ああ、この香りだ。
 
 蘇芳の服に焚き付けられた白檀の香。天嘉はその香りをゆっくりと肺に取り込むと、不思議なことに、先ほどよりも余程呼吸がしやすくなったのだ。蘇芳の背に回した腕が、縋り付くようにしてその布地を掴む。
 あれだけ求めていた嫁からの抱擁が。まさかこんな形になるとは。蘇芳は天嘉の小さな震えをその腕に感じながら、その大きな羽でで空を舞う。
 黄昏時になる前で良かった。そう安堵したのだろう。抱き込まれた天嘉には、いつもよりも脈の早い蘇芳の鼓動を感じた。
 息苦しくて、体は酸素を欲しているけれど、それでも天嘉はぼんやりとする思考の中、己が蘇芳に心配をかけたということは理解していた。
 居た堪れなくて、天嘉は少々窮屈そうにその身を縮ませる。怒られるかな、怒られるよな。ああ、嫌だな。天嘉は蘇芳の胸に顔を埋めるようにしながら、か細い声でごめんといった。
 聞こえていたのかはわからない、だけど、蘇芳の羽の音が少しだけ強くなった気がした。





 この家の主である蘇芳が、嫁御と出かけて行った方面の東の空が、恐ろしい暗雲に覆われた事を目にした途端、屋敷の妖かしたちは蜘蛛の子を散らしたかのように大わらわになった。

「影法師共、湯浴みの支度と、寝床を準備なさい。お前は青藍殿を呼びに行ってまいれ。そしてお前は清め酒を蔵へ取りに行け。塩も忘れるなよ。」

 のんきに繕い物をしていたツルバミは、影法師からの異変の一報を聞くと、急にスイッチが入ったかのようにタスキをかけて家の一切を取り仕切る。

 玄関に慌ただしくかけていくツルバミを追うように、化け行灯の左右兄弟がついて行く。まろびでるように飛び出したツルバミが空を仰ぐと、二羽の大きな鳥影が視界に入ってきた。

「左右兄弟、出迎えのための行灯回廊を。蘇芳様のご帰還である。」
「御意」

 ツルバミの号令に、その身を分身させるようにして道筋を作る。赤く浮かび上がった見事な回廊を通って、酷く厳しい顔をした蘇芳が天嘉を抱きかかえながら帰宅した。背後に直属の部下である烏天狗を従え、音も無く降り立った二人を迎えるように、ツルバミは三つ指をついて出迎えた。

「お帰りなさいませ。支度はすべて滞りなく。」
「青藍は。」
「まもなくかと」
「宜しい。下がれ、奥座敷へは青藍以外許すな。」
「御意に。」

 ツルバミは頭を下げたまま蘇芳の言葉に端的に答えると、通り過ぎた後すぐに炊事場へとかけていく。
 まったく、えらいことになった。普段おおらかな蘇芳が一度キレると、なかなかに収まりがつかぬのだ。影法師は、蘇芳が向かう奥座敷までへの道を隔てる襖を、歩みの妨げにならぬようにと次々と開けていく。
 付随してきた烏天狗は、その鳥面を外さぬままに蘇芳の後について行った。蘇芳の統べる部隊の隊長である鴉天狗だ。見事な濡羽色の大きな黒翼を畳みながら、無言で随行する様子はなんとも物々しい空気である。

「まさか、自身の部隊をお出しになるとは…」

 彼らは山に紛れ込む穢れを払う精鋭部隊だ。おおらかな蘇芳が頭として君臨するその部隊は、闖入者に対しては一切の情けを許さない。
 そんな精鋭部隊の隊長を呼び出していたなどと、どれほどまでの出来事が起こってしまったのだろう。ツルバミはげろりと喉を鳴らすと、影法師から受け取った神酒を盆に載せて奥座敷へ向った。










「天嘉、こちらを向きなさい。」
「す、蘇芳…」

 
 酷く幼く、なんとも呼吸のし辛そうな嫁御だと思った。

 烏天狗の十六夜は、奥座敷の襖の前で座りながら見張りをしていた。
 これから、あの嫁はお館様の手によってお浄めをされるだろう。救いだったのはあの嫁の勘が働いて、黄泉へと足を踏み入れる手前だったことだ。
 しかし、馬頭に掴まれたのは不味かった。牛頭馬頭の片割れ、地獄に住まう獄卒のなかでも下位の妖かし。
 あれらは異物に対する察知力が非常に優れている。おそらく、妖力の薄い嫁御に異常を感じ、死者が獄都から逃れてきたと思ったのだろう。
 職務に対する並々ならぬ思いがあるからだろうが、今回は死者ではなく、生者だ。そんな生を全うしている状態の者に獄卒が触れたらどうなるか。それは死世である獄都との繋がりができてしまう。
 火傷だけで済めばいい。しかし、それで済まねばいよいよ不味い。人としての生を完全に終わらせなければ、天嘉はこの里で益々生きづらくなるだろう。

 襖の奥で、天嘉のか細い悲鳴が聞こえた。十六夜は、人の嫁後のことよりも、まず己の主人である蘇芳の心に傷が残らぬようにと願った。
 お浄めは、好いている相手にするにはいささか重すぎる。それを、己の待ち望んでいた番いに行わざる終えない蘇芳の心情を考えると、十六夜は天嘉に対して少しばかりの蟠りを腹の中に燻らせる。
 控えめな侍従であるツルバミが、そっと物陰から顔を出した。十六夜に対しても礼を尽くすこの蛙は、いつも立場をわきまえている。

「十六夜殿」
「ツルバミ、相変わらず見事な手腕であった。俺はお前ほど主に尽くす蛙を知らん。」
「へえ…お褒めの言葉痛み入ります…、して、何があったのかお伺いしても…?」

 ツルバミは、どうやら案じているらしい。十六夜はふむ、と逡巡すると、まあ存じているだろうと蘇芳から聞いた天嘉の話をすることにした。

「知っての通り、お館様の番は人である。からして、道中迷子になった際に運悪く獄卒と出くわした。」
「うん?はあ、すみませんが…天嘉様はお人ではなくお狐様でいらっしゃいます。」
「いいや、人だ。お館様は青藍からも確認を取ったようだし、すまほなる人のつかう文明の利器とやらも青藍も見たという。人の里から来た猫又にも確認を取った。やはり現世の人は皆一様に小さき黒曜石の板をすまほとよび、使いこなしていたそうだ。俺はまだ拝謁したことはないが、奥方様は人である。」

 ゲッ、ツルバミの息の詰まるような鳴き声がぽろりと溢れた。すまほ、たしかにツルバミも見た。関心が全面に出てしまっていたが、確かに菩提獏なる珍妙なズタ袋ももっていた。
 なんとも珍しい声色が気になって、十六夜がツルバミを見る。そこにはなんとも器用に青蛙面をさらに青褪めさせたツルバミが、わなわなと震えていた。

「つ、ツルバミは、なな、なんという…!!と、というか誠にございましたか!?天嘉殿は虚言を申した訳ではなかったと!?」
「ああ、だから妖力もないのだ。まあ、今は腹についた分だけだな。」
「そ、…総大将の嫁が人とは…よ、世の中何が起こるかわかりませぬな…」
「それを俺たちが言うのか。」

 人からしてみたら、俺達のほうが異端である。十六夜は博学で、知識欲を満たすために山に落ちていた人の書物を密かに集めていた。嫁である姑獲鳥のお市からは、またこんな珍妙なものをと言われるのだが、知らなくていいことなんてこの世にはないと思っていた。

「確か、こういうとき人はなんと申すのだったか。」
「はあ…なにやら十六夜どのは…本当に好奇心が旺盛でいらっしゃる…」

 そんなこんなでマイペース二人が外で会話にうつつを抜かす中、影法師を伴ってきた青藍が、酷く狼狽えた顔で姿を表した。

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