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④-①魔法使いの家庭事情

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 女が見下ろしている。自分が這いつくばっているせいか、恐ろしく長身に見える。
 嘲りの色を全く隠す様子がないことを考えれば『見下している』といった方が適切なのかもしれない。
「無様ね」
 彼女はこちらの顔に押し当てている足で頬を思い切り踏みにじってきた。女が足を動かす度に、プライドが硝子のように砕けていくのがわかる。
「さようなら」
 女――ヒュールは楽しそうに呟くと、振り上げた足を勢いよく振り下ろす。そして視界が暗転した。

「!?」
 ヨランダは目を覚ました。何かそういう玩具のように、上半身を勢いよく起こしシーツをはね飛ばす。
 周囲を見回せば、ここが大魔法院フェーンの治療室――保健室とも呼ばれているが――だと分かった。
 授業期間中には利用したことがないそのベッドに寝かされていたらしい。

「魔物の毒を含め一通り処置はしておきましたが、身体に異常を感じますか?」
 唐突な声に脇を見やれば、頬に傷のある女性が顔を覗き込んできた。
「ケアリー教師長」
「顔色が悪いようですが?」
 ヨランダは再び周囲を見回し時計を発見した。眉間に皺を寄せ凝視する。一定のリズムで動き続ける針に特段興味があるわけではなかったが。

(アレクシアさんに濡れ鼠にしてもらったのが……)
「あなたは一時間ほど眠っていましたよ。顔色が悪いようですが、身体に異常を感じますか?」
 大図書館での戦闘後、ヨランダたちはすぐにここへ運ばれた。
 そしてアレクシアは別室へ移され、ヨランダはここ、治療室で事情を聞かれつつ治療を受けた。どうやら最中に眠ってしまったのだろう。

「いいえ……そういえば助けて下さったのでしたわね」
「私は教師ですのでお礼は結構です。それにしても災難でしたね」
「呪い人と仰っていましたが……二十年前に滅ぼされた方々ですわよね?」
「……」
 ケアリーは懐から物騒な形状の刃物を取り出すと、それを使って爪の手入れを始めた。

「そうです。きっちり、一匹残らず、駆除したはずですが……どうやら彼女は逃れていたようです。
現在あの虫けらはジャイル教師長が追跡中ですが」
 軽い音。手入れ中のケアリーの爪が割れたらしい。それが理由というわけではないのだろうが、彼女の表情が変わる。
 凶悪な山賊ですら口笛を吹いてやり過ごすのではないかという程に恐ろしい形相。それは女性というか、人間という存在とはかけ離れたもののように見えた。

「見つけ次第駆除します。あなたが二、三日静養している間に処理可能でしょうからご安心なさい。それと、念のため寮から出ないように」
「よ、よろしくお願い致しますわ」
 その形相でにこりと微笑まれ、ヨランダの背中に悪寒が走った。なにか急用を思い出そうとしたところで保健室の戸がノックされ、勢いよく開かれる。

「大丈夫ですか!?」
 駆け込んできたのは、どこか気弱そうな少女だった。
「ミリアムさん? どうして……」
「私、今日の清掃に参加させてもらうはずだったんですけど、遅れちゃって……それでフェーンに着いたら大図書館が半壊してるし大騒ぎになってるじゃないですか!」
 彼女はベッドに駆け寄るとヨランダの手を取ると薄い胸で包み込むように抱きしめた。

「なななななんですの!?」
 僅かに伝わってくるミリアムの暖かさに思わず頬が赤くなる。
「ケアリー教師長から、停学になったアレクシアさんの八つ当たりで大図書館ごと吹き飛ばされたって聞きましたけど、本当なんですか!?」
「え? 八つ当たりでテロ起こすほどアレクシアさんは癇癪玉じゃありませんわ。この怪我は――あら?」
 教師長がいたところに目をやると、そこに彼女はいなかった。

「呪い人のことは他言しないように。した場合、後悔することになるでしょう」
 いないはずのケアリーの声が耳元に聞こえる。
「ときに、そのお話はケアリー教師長からお聞きになったと?」
「はい」
「……」
 ヨランダは囁かれた物騒な言葉に従うことにした。

「アレクシアさんにひどい目に遭わされましたのよ」
「もう、アレクシアさんどうしたんでしょう」
「やっぱり心配ですの?」
「最近、アレクシアさん荒れてますよね……理事長室を吹き飛ばしたり」
 ヨランダは深刻な様子のミリアムの肩にぽんと手を置いた。

「まぁ八つ当たりというほど非道なものでもありませんでしたわ。卒業も近いことですし、家を継ぐという責任の重さで情緒不安定になってるだけでしょう」
「ヨランダさんはサレイ家の跡継ぎで、しかも将来はマーヤ騎士団を率いることになるのに落ち着いてますよね。さすがです!」
「え? ええ、まぁ……」
 ヨランダはきらきらと目を輝かせながら尊敬の眼差しを向けてくるミリアムをやんわりと遠ざけた。

「あの、ところでアレクシアさんはどこに――」
 遠ざかった分だけヨランダに顔を寄せたミリアムに、背後から声がかけられた。

「割り込むようで悪いんだが……」
「ひゃあっ!」
 接近にまったく気づいていなかったらしいミリアムが叫び声をあげた。
「いきなりななな何ですか!? 女の人が寝てるんですから、ノックしてくださいよ!」
 彼女は身を翻して振り向くと、ヨランダを守るように両腕を広げ立ちはだかる。

「えーっと……」
 頬を掻きながら、そんな少女を見下ろしているのはヴィオラだった。
「戸が全開だったからな。立ち入り自由なのかと思ったよ」
「私、開けっ放しでした……?」
「透明で触れることもできない戸だっていうなら別だけどな」

 皮肉というわけではなかったが、ミリアムは申し訳なさろうに頭を下げた。
「ごめんなさい」
「こちらはミリアムさん。少しそそっかしいんですけど、とても良い人なんですのよ」
「オレはヴィオラだ。それはそうと、あんたが例のミリアムか……よろしくな」
「よ、よろしくお願いします!」
 ミリアムは『例の』の意味が気になったようだが、問いただしはせずにヴィオラが差し出した手を慌てて握った。

「申し訳ないんだが、大図書館の件でヨランダに話がある」
 ミリアムは確認するような視線をヨランダに送った。
「ヴィオラさんはクリフォード理事長のお知り合いですの」
「あ……じゃあ私、もう帰りますね。ヨランダさん、お大事になさってください」
 そう言うと、ミリアムはヴィオラに頭を下げてから出ていった。保健室の戸が静かに閉じられ、彼女が走り去る音が聞こえてくる。

「なんのご用ですの?」
 ヴィオラはばつが悪そうに銀髪の毛先をいじっていたが、意を決したように口を開いた。
「オレたちのトラブルに巻き込んですまなかった。挙げ句怪我までさせてしまって、本当に申し訳ない」
 気落ちしたようすのヴィオラを数秒眺めて――ヨランダは、はっとしたように声をあげた。

「アレクシアさんのゴーレム退治だかの件ですのね? ヴィオラさんもご一緒してらしたのですか」
「いや、オレは陰ながらアレクシアを監督するって立場だったんだが……ギルドの情報より十割増しに面倒な事件で色々とぎりぎりになってな」
「で、あの呪い人も関係していたんですの?」
「いいや。あの虫けらが大図書館にいた理由はこっちが知りたい位だよ」
 ヴィオラは髪を弄りながら呻いた。

「でしたらお気になさらないで結構ですわ。ゴーレムにはわたくしから挑んだのですから、怪我もわたくし自身の未熟故に、ですわ」
「……そう言って貰えると、正直助かる」
「そういえばアレクシアさんのご容体はいかがですの?」
「ああ、怪我の程度は軽い。お前さんが心配していたと伝えておく。それと、サレイの御当主には後ほど伺わせて頂くよ」

 ヴィオラの言葉に、ヨランダがぶんぶんと頭を左右に振った。そのまま言ってくる。
「そ、そのは必要ありません! 父は多忙な方ですし、呪い人の件は伏せておくようにとケアリー教師長から言付かっております!第一、アレクシアさんの癇癪で傷を負っただなんて父が聞いたら根ほり葉ほり調査しだしかねません!」
「本当にいいのか?」
「ええ!」

 冷や汗すらかきつつの否定に何も感じないではなかったのだろうが、ヴィオラは軽く頷いただけだった。
「わかった。それはそうと、ずぶ濡れの件はアレクシアにきつく言い聞かせておくから、仕返しは平手三発までに抑えて欲しい。あの眼鏡を真っ黒に塗りつぶしたいって気持ちも分かるんだがな」
「その件は――!」
「自分一人だったら間違いなく殺されてたってのを理解してないようだからな。一度その辺りも含めてきっちりと教えてやるのもオレの仕事だろうしな」
 固めた拳を震わせながら何かを決心したらしいヴィオラに、ヨランダが慌てて言い縋った。

「ヴィオラさん!? その件でしたら、わたくし気にしておりませんから、彼女には穏便に接して頂ければと……」
 しかしヴィオラは首を縦には振らなかった。
「普段いがみ合っているとはいえ、背中を預け合った仲間にあんな真似する奴は……ってどうした?」
 ヨランダは頬を赤く染め、顔の前で指を組み落ち着かない様子でもじもじと体をくねらせ始めた。

「仲間という響きがどうも……なんというか恥ずかしいですわ」
「お前たちが息ぴったりな理由が分かった気がする」
「と、とにかく! アレクシアさんはあなたが思ってらしてる程、外道でも癇癪玉でもお馬鹿さんでもありませんわ。そこのところ、くれぐれもよろしくお願い致します。そう! これをヴィオラさんの謝罪を受け入れさせて頂く条件と致しましょう!」
「……そう言われると反撃のしようがないな」
「本当に物騒ですのね」
「そういう時代だったからな」
「え?」
 ヨランダの疑問符に、ヴィオラは肩を竦めた。

「オレの用件は終わった。とりあえずゆっくり休んでくれ」
「ヴィオラさん、ちょっと……」
 立ち去りかけたヴィオラにヨランダが慌てて声をかけた。僅かに怪訝な表情を浮かべつつも、ヴィオラは再びヨランダの側に戻った。

「あなた、わたくしに仕えてみませんこと?」
「ん?」
 唐突な問いかけにヴィオラは目をぱちくりと瞬かせた。少なくとも彼女が予想していたなかには含まれていなかったらしい。
「ですから、アレクシアさんからわたくしに鞍替え致しません? ライラメルとご縁があるのかも知れませんが、それなりの報酬を用意させて――」
 呆れたというよりは、疲れたようなヴィオラのため息がヨランダの口を閉じさせた。

「お前さんは金でふらふら動く奴を信頼できるのか?」
「え……あの……」
 ヴィオラの視線がヨランダに突き刺さる。睨むという訳ではなく、僅かに目を尖らせた程度ではあったが彼女を沈黙させるには充分だった。

「オレは金で他人を自由にできると思ってる奴を信頼できない」
「まぁ……そうですわね」
「お前さんは金まみれのぼんぼんって訳じゃないだろ。何かあったのか? それが大図書館での件がらみなら、オレにも責任があるし、話を聞かせてくれないか?」
 自嘲めいた笑みと共に俯いたヨランダは、閉じられたカーテンへ視線を移した。

「浅ましい姿をお見せしたことお詫び致しますわ。お忘れになってください。ほんの金貨百枚でヴィオラさんを釣ろうだなんて……」
 そう力なく呟くと両手で顔を覆ってしまった。
「お、おい……言い過ぎたか? っていうか金貨百枚って本気か!? あ、いや、なんていうかそこじゃないな。悪かった。本当に悪かった。あんな目に遭ったばかりの非戦闘員に浴びせる言葉じゃ――」
「あんな目ってなんですの!?!?」
 驚きを通り越しもはや怯えの域であろう彼女の顔色に、ヴィオラが怯んだ。

「の、呪い人と面倒なゴーレムに殺されかけたってことだが……訂正する部分があるのか??」
「そうですわ! わたくし殺されかけたんですのよ……ですから少しひとりにして下さいません? 今のわたくし、これ以上どなたかとお話していられる気分ではありませんの。どうかお察し下さい」
 呼び止めたのは彼女だったが、ヴィオラは指摘しなかった。

(相当まいってるみたいだが……)
 ヨランダはもう会話をする気がないのかヴィオラから目を逸らしたまま動かない。両手で握りしめられたシーツを見やりつつ、ヴィオラは出来る限り柔和な口調で語りかけた。

「オレに話せないならお父上に相談してみたらどうだ? サレイの御当主が相手なら大抵の悩みは裸足で逃げ出すだろ。背中から踏みつけて高いヒールで踏んづけるのも簡単だろうって話だ」
「……」
(これも乙女心ってやつか?)

 何の反応も示さなくなったヨランダに別れを告げ、ヴィオラは治療室を後にした。
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