上 下
32 / 66

⑦-②孤独と欲と魔法使い

しおりを挟む
「ふぅ、ここまで走れば十分さね」
 一行は大森林パデリを西へと進んでいた。
 枯れ葉が積もる時期ではないので土に足跡が残っているのは仕方がない。

「馬車からずいぶん離れちゃったわね……」
 村とは真逆である。それがアレクシアを不安にさせた。

馬車の方ひがしは奴らが待ち伏せてるかも知れないからね」
 周囲を窺うグローリーの表情もどこか暗い。もし馬に何かあれば賠償金の請求があるかも知れないが、それだけが理由ではないのだろう。

(馬車で三時間だったっけ?)
 ある程度は携帯しているが、積み荷の大半も荷台に積んだままである。
 仮に馬車が襲われたとして、牙人が食料に目もくれないとは思えなかった。

「じゃあ、休憩がてら読書といこうか。ディゴたちは警戒してな」
 暗い考えから逃れるように、アレクシアと大樹のうろに身を潜め背後を窺う。追って来てはいないようだが。
「見張りよろしくね」
 アレクシアはマシューの研究日誌を、グローリーは愚痴帳をめくり始めた。


(奴ら追って来ねえぜ)
(それに不満ってわけじゃねぇけど、逆に不気味だよなぁ)
 森に身を潜めてから小一時間。聞こえてくるのは風が揺らす木々の葉すれとアレクシアたちが頁ページをめくる音だけだった。

「ねえさん、収穫はありましたか?」
「『辞表を文字通り隊長に叩きつけた。加重の魔法をかけておいたので壁まで転がっていった。その姿は愉快極まりなかった』とさ。マシューってのは本当に救いようがないね。そっちはどうだい?」
「この人、略語や独自の隠語みたいなの多用しててよく分からないわ。でも小動物を使っての実験には成功したみたい」
「てことは……次は当然、人間で実験てことだよな?」
「それついての記述は見当たらないけど――」
(静かに!)
 いきなりナイフを抜いたグローリーの鋭い囁き。
 アレクシアが彼女を見やったときには、ディゴとジェイコブも何かに備えるように身を低くしていたが、どことなく彼らの顔色は悪い。

(なんだい、このどろどろした感触……)
 グローリーに至っては片膝を突き、がたがたと震えだしてしまった。

(わたしって鈍感?)
 問いかけたところで返事が返ってくるとは思えなかったが。
 アレクシアはとにかく周囲を見回した。何が迫っているにしろ、少しでも状況を把握しないことには放つべき魔法を選びようがない。

るううぅ……

 死へと誘う亡者の声を思わせる不気味な音。
 それが森を流れる風に乗って遠くから響いてくる――アレクシアは気づいてしまった。
「なに、これ……?」
 底なし沼に全身どっぷりとつかったような不快感。そして意識を歪められるような圧迫感が彼女を襲う。

『見られている』

 呻きにも似たこの鳴き声はそれ――それらが獲物に狙いを定めているという証明だった。彼女がもう少し鈍感で、気づいてさえいなければまともに抵抗出来たかも知れない。
「きゃあああああ!」
 叫び声を上げたのはアレクシアだけではなかった。他の三人も思い思いの叫びで恐怖を表現している。

「早く魔法を!」
 グローリーが指し示す先。森の奥から肉塊が転がってくる。
 正確には肉塊ではなく、巨大な蚯蚓ミミズのような生物が数匹こんがらがっているものだった。

人喰い虫マンイーターじゃねぇか!」
 地中に潜み、通りがかった獲物を地面に引きずり込み丸飲みにする魔物。その群生体。
 戸惑いつつも、アレクシアは木々の間を縫うように接近してくる白い肉塊に杖をかざした。

「いいわよ! 吹き飛ばして手頃な大きさにしてあげ――あれ?」
 放った魔法があさっての方へと飛んでいく。
 別にアレクシアが狙いを外したわけではなく――

(な、なに? 急に目眩が)
 土の味にむせ返りそうになりながらも顔を上げれば、なんのことはなかった。アレクシアが転倒しただけで、魔法はしっかりと杖をかざした方へと飛んでいた。

(これは……こいつの鳴き声!?)
 立っていられないほどの激しい目眩。本来は地上の獲物を捕捉するための音波――彼女らが先ほど感じた不快感の正体だった。
 集団で放ち、更に収束させることで対象を行動不能に陥らせる。知能を持たない魔物では本来獲得し得ない捕食術。

「アレクシア!?」
 迫ってくる人喰い虫マンイーター
 倒れ伏し、その巨体を虚ろな眼差しで見つめるだけの魔法使い。

(わたし……負けたの?)
 後は押し潰されるだけの#獲物__アレクシア__――
「冗談じゃないわよ!」
 でもなかった。
 横たわっていた少女の体が赤い燐光を纏うと、ふわりと浮き上がる。
 アレクシアは眉を吊り上げつつ、浮遊したまま向きをかえて魔物と対峙した。

「大丈夫かい?」
 グローリーが素早く駆け寄り肩を貸す。
「も、もちろんよ!」
 髪を逆立てたアレクシアは、安心させるように微笑んだ。赤い輝きが彼女の全身を覆っているのは、魔法力で強引に体を持ち上げているためだった。
 グローリーに身を預け、未だ治まらない目眩に堪えながら魔法を紡ぐ。
 犬歯を剥きだしにして、叫ぶ。

「あんたが獲物よ!」
 土まみれにされた怒りではなかった。
 最強の破壊魔法の使い手こと、クリフォードが頭を抱えるアレクシアの気の強さ。今は根性として発揮されているが。
 鳴き声程度でへし折れるものでもないらしい。

「でかすぎじゃないかい!?」
 アレクシアの前方に巨大な光弾が出現した。
 赤黒い輝きを放つ特大の砲弾は、魔法に通じていない者たちでもはっきりと破滅的な結果を想像できた。

お頭おじょうちゃんが撃ったら担いで逃げろ。殿しんがりは俺がやる!」
「あいよ!」
 ディゴとジェイコブがアレクシアたちの後方へと待避していく。
 説明するまでもなく、広範囲を跡形もなく消滅させるものだと理解したらしい。

「二人は下がったよ」
「了解!」
 魔物の巨塊と魔法の巨塊。食欲と意地がぶつかり合う――寸前。

 ぴー! という笛のような音。
 それが響き渡ると同時に人喰い虫マンイーターが転がるのをぴたりと止めた。

「なんなの!?」
 笛がもう一度鳴り響くと、魔物は元来た道を戻っていく。先ほどまでの勢いもなく、のらりくらりと暢気な様子であった。
「味方?」
 目眩から解放されたらしいアレクシアは光弾を消し、周囲を見回し始めた。
 彼女だけでなくグローリーも駆け寄ってきたディゴたちと共に、怪訝な様子で辺り警戒している。と――

「いらっしゃいませ!」
「うひゃあ!?」
 頭上から小さな人影がいきなり飛び降りてきた。

「あたしの獲物だね!」 
「『いらっしゃいませ』は歓迎の言葉だと思うのですが、なにゆえナイフが閃くのでしょうか!?」
 人影は少女に見えた。緑色の肌と、ぴんと立った耳。そして突き出た上顎の犬歯。

「牙人風情がやるじゃないか!」 
 グローリーの刃をひらりひらりとかわしたのは牙人の少女だった。

「いややややや! 怪しい者ではありません!」
 素早く距離をとった少女は、慌てたように両手を前に突き出した。 
 獣のように尖った爪。皮膚など簡単に引き裂いてしまいそうだったが。

「女の子?」
 アレクシアがグローリーの背後から首だけを出して呟く。

「牙人ってのは外見の成長は子供で止まるんだぜ。だからこんなんでも立派な怪物ってわけだ」
 左右に展開したディゴたちが腰を落としつつ武器を構えた。 

「いややややや! 確かに私たち牙人はヒトの皆様から煙たがられておりますが、私たちは違うのです!」
「煙たいってーか討伐対象だからな。さっき燻製にされかけたから煙たいってのも外れちゃいないぜ」
 斬りかかろうとした二人をグローリーが止めた。
 彼女は牙人を観察するようにじっと見つめている。

「あんた本当に牙人かい?」
 人間でいえば十二~三歳ほどの少女の外見で、質素な麻の服を着ている。定期的に水浴びでもしているのだろう、肌に汚れはなく悪臭も漂ってはこなかった。
 背筋を伸ばした姿はメイドにすら見える。

「牙人ってのは体に毛皮巻き付けて、じめじめした洞窟で腐肉を貪ってるもんだと思ってたが……」
 気づいたらしいディゴたちも首を傾げた。

「狩りをご希望ですか?」
「狩り……?」
「いややややや? ご立派な武器をお持ちでしたので、つい」
 小首を傾げ――唐突に、はっとしたように口を手でふさいだ。

「自己紹介が遅れました。私、シャンと申します」
「申されても」
 ディゴが呻く。シャンとやらは全く理解できないのか、疑問符を浮かべている。

「毒草薬草採集コースですか? 魔法使いの方にはもってこいですよ」
「あ、なんか楽しそうね」
「もちろんです!」
 シャンは、ぴょこんと飛び上がり喜びを表現すると、両手でアレクシアの手を握った。
 グローリーが再度ナイフを構えたが、気づいた様子もなく握った手を上下にぶんぶんと振り始める。

「私たちがご案内させて頂きます採集ポイントはヒトの方々には知られていないところばかりです! ちょっとした倦怠感から深刻な意識障害まで、様々な症状を引き起こす毒草を心ゆくまで採集して頂けますよ。ポイントを他言しないといった旨の宣誓書にサインを頂くことになりますが」
「なぜ毒薬を勧めた?」
大森林パデリのような辺境にいらっしゃる方々が、薬の原料を採りにくるはずがありません。足のつかない毒薬をお求めに決まってるじゃないですか」
 言った自分で納得するように頷きながらシャンは快活に言ってのけた。

「真っ当に真っ当じゃない思考してるね。ちょっと寒気がしたよ」
「お客様たちもしかして」
 ここまで来てやっと疑問をもったのか、シャンは円らな瞳に疑問の色を載せてこちらを見やった。

「もしかして冒険者の方々ですか?」
「違うって言ったら信じるのかい?」
 その辺りにいくらでもいる無意味に――としか思えない――怪しい動植物たち。グローリーは、彼ら以上に怪しいシャンをうろんな目つきで眺めた。

「そうですか……やはりこの時が来てしまいましたか」
 シャンは深々と嘆息すると、今度は輝くような笑顔をグローリを向けた。そして二歩、彼女に近づいた。

「ところで、ミョーモー君たちはどうでしたか!?」
「人間の感性からずれにずれた名前のソイツは、さっきの人喰い虫マンイーターのことかい?」
「はい! 彼らはとっても賢い魔物で、人を襲わないんですよ。もう一度ご覧になりませんか? きっときっとお気に召すかと――」
 シャンは標的をグローリーに定めたらしい。なぜ彼女なのかはわからないが。

「きっぱりと召さないよ。さっき思いきり転がってきてうちのリーダーアレクシアを踏みつぶしかけたじゃないか」
「いややややや! 恐れながら、それはお客様が迎撃体勢に入られたからだと思います。そうでなければ歓迎の鳴き声でお出迎えさせて頂いていたはずですよ!」
「『胃袋にようこそ』ってかい?」
 グローリーの背後で拗ねたような表情のアレクシアが”きっと勝ってたのに”とぼやいた。

「いややややや! ですから……」
 後ずさっていたシャンが何か思いついたのか、ぽんっと手を打った。

「そうです! 村で話し合いをしてみませんか? お昼ご飯時の今なら、お芋とナッツのクッキーをごちそうできますよ!」
「毒草の話を思い出したのは俺だけか?」
「あれは営業トークですので」
「暗殺グッズの原料採取を営業と割り切るか……侮れねぇな」
「あなた方はクオル村に雇われたのでしょう? 幸いご宿泊コースもございますのでゆっくりと話し合いましょう! さあさあ!」
「さっきから気になってたんだけだど、コースってなに? あ!? ちょっと、ひっぱらないでよ!」
(殺るぜ)
「待ちな」
 グローリーがディゴたちを制した。ついでに後ろを指さす。 

「え?」
 振り向けば背後には牙人たちが立っていた。五人ほどで、全員が女性というか少女だった。
 腕にはかごを持っており、きのこやらなにかの植物、さらには有機物なのか無機物なのかよく分からないようなものがどっさりと入れられている。

「まじか?」
「まじかよ?」
 殺気があればまた別なのだろうが、戦い慣れしたディゴとジェイコブでさえ存在に気づいていなかったらしい。

「歓迎部隊の精鋭にお気づきとは……恐ろしい方ですね」
「一応聞いておくけど、それはなんだい……?」
「私たちが誇る絶対お客様ご満足部隊のことです。普段は食料の調達を担当してもらっているのですが――魔物を警戒してもらうこともございます。とにかくご案内致します! さあさあさあ、初めてのお客様ですよ。みなさんも手伝ってください!」
『お客様!?』
 無邪気な笑顔を浮かべながら少女たちがわらわらと群がってくる。
 営業スマイルともとれるが。

(殴る訳にいかねぇよな?)
(それはまずい気がするぜ)
 ディゴとジェイコブはなすすべもなくぐいぐいと背中を押されている。
 効果はてきめんらしい。

「え? ねえ、これどうするの!?」
「どうったって、行くしかないよ」
 牙人たちにぐいぐいと背中を押され森の奥へと進んでいく一行。
『今夜は寝かせませんよ!』
 少女たちは声を揃えて歓迎の声を張り上げた。

「意味わかってて言ってんのかね……」
「いややややや?」

 様々な疑問を残したまま――冒険者たちは森の奥へと消えていった。
しおりを挟む