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⑦-⑬孤独と欲と魔法使い

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 マシェット――マシューは数年前まで西の領主ルシェン家のバレット騎士団に所属していた。
 周囲と打ち解けることをせず、任務に赴く時もほとんど一人だった。
 そしてどんな敵も二本の槍で八つ裂きにする魔法使い。
 ”孤独な”マシュー。
 蔑称に近い二つ名も、彼にとってはどうでも良かった。他人が自分をどう呼ぼうと知ったことでないというのがその理由。
 とはいえ目の前でそう呼ばれれば相応の対応をするのだろうが――組織の中にそんな命知らずはいなかった。騎士団の強者たち誰もが認識しているルール。

「こんのやろおおおおおおおお!」
「おおおおおおお!?」
 そんな彼。”孤独なマシュー”に飛び蹴りからの打ちおろし――そして着地と同時に掌底を叩きこむ女性がいた。
 彼と同期入隊のヒルダ・エバーンだった。
 長身であるマシューよりもさらに背が高く、短めの青い髪をオールバックにしたその姿からは――まぁ少なくとも菓子作りが趣味ではないのだろうという推測はできた。

「本当にお前は!」
「どうしたのだ?」
 騎士団支部の壁に軽くめり込んだままマシューは余裕の笑みを浮かべた。
 鼻血が垂れてはいたがハンカチはズボン後ろのポケットの中だったので、そのまま口を続けた。

「私に気があるのは分かるが、不意打ちからの制圧コンボは度が過ぎると思わないか?」 
「……お前らも見てないで仕事に戻れ」
 ヒルダはマシューを完全に無視し野次馬――角人を片手でねじ伏せるような強力な魔法使いたち――を追い払った。
 彼らのもうひとつのルール。

”マシューはヒルダに任せろ”

 その通りにさっさと仕事へと戻っていった。

「ペリザ大隊長に辞表ぶん投げたって本当か!? 大隊長だぞ!? 私たちを適当な理由で百年牢屋送りにできる奴を壁まで転がしたって正気かよ!?」
 人払いが済むと彼女はマシューを左手一本で宙づりにして叫んだ。
 大声で喚き散らして良い内容ではなかったが。

「うむ。私ほどの魔法使いの昇進を二十三回も却下する間抜けに用はない」
 その力量に見合わずマシューは部下を従える立場――階級に達していなかった。
 小隊長補佐。下から三番目の階級。

「それにしても加重の魔法をかけた特別製の辞表は実に愉快な光景を見せてくれた」
 ヒルダの剣幕に欠片も動じず、むしろ冷静に言ってのけた。
 愉快な光景とやらを思い出したのか、マシューは”ククク”とさえ笑った。

「おまえなあ……ちょっとは周りを見ろよ」
 呆れたように呻きつつヒルダは周囲を警戒するようにぐるりと見回し――舌打ちをした。
 それから声を潜めつつ、 
(柱の陰に憲兵がいる。大隊長がお前のことを反逆罪で捕らえるって騒いでるぞ。憲兵奴らの編成が済む前に逃げろ)
「憲兵? 権力くらいしか取り柄の無い連中など今すぐばらばらにして――拳に破壊デステグの光を灯すのはやめてもらえないだろうか? すごく怖いのだが」
 獣のような眼光で睨みつけられる理由が分からないらしいマシューは困惑したような顔をして見せた。
 彼の頼みを聞いたわけではなかったが。ヒルダは輝きを消すとマシューを解放した。
 そしてポケットから地図を取り出し、マシューの胸元にねじ込む。

「ふ……日も暮れていないというのに大胆だな」
(南のパデリ大森林に私の隠れ家がある。その地図をもって今すぐ行け!)
「その前に憲兵百人分の命より大事な研究資料を取ってこようと思うのだが」
「今すぐの意味が分かってねぇようだな」
「いや、理解している……だからグーでぶん殴るのは思いとどまってくれ」
 マシューは、拳のみならず双眸にまで赤い輝きを灯したヒルダからさりげなく距離をとった。

「大事な大事な研究資料はあとで届けてやる。行け。今すぐ」
「イエッサー」
 マシューは透明化の魔法を展開して走り去っていった。
 彼の足音が聞こえなくなってから――

「これで私も同罪……まぁ仕方ねぇか」
 ヒルダは――憲兵が身を潜めている――柱に向かって中指を突き立てた。


「そうして私の洞窟暮らしが始まったのです!」
 叫び終えたマシェットは目が覚めるほどに鮮やかな色のジュースを一気に飲み干した。

「なんかもう既に頭がくらくらするんだけど……」
 会議室。マシェットとテーブルを挟んで向かい合っているアレクシアは額に指をあてて呻いた。
 気が遠くなるような感覚があるのはビビッドカラージュース(強酸性仕込み)の香りだけが原因ではないらしい。 

「たっぷりあった時間で研究を進めていきまして、英知の種の研究は進んでいきました」
 鶏や人喰い虫ミョーモー君に魔法で教育を施したのは実験の一環だったらしい。 

「その成果をヒルダが――」
 マシェットは首元を緩めた。
 目を瞑り、苦し気に口を開く。
「ペリザ大隊長に私の復帰を打診したのです……」


 すぐに大隊長自身が洞窟に乗り込んできた。一人だった。
 研究費用として洞窟に大量の金貨を運び入れ、握手さえ求める姿に――マシューは”おかしい”と気付くべきだった。
 しかし、完成の暁には復帰どころか大幅な昇進さえ約束したペリザの言葉に舞い上がっていた。
 本来、階級が八つも上の大隊長が――ついでに言えば赤っ恥をかかせた相手にこれだけの資金を供給するという行為の裏。

「……」
 ヒルダは自分がとんでもない過ちを犯したのではないかと内心不安に思ってはいたが――

「貴様のおかげで道が開けたぞ。礼を言わせてもらおう」
「そりゃあ良かった」
 見たことのない彼の表情に、そうではないと自分に言い聞かせていた。

「四階級昇進の確約か……日記に愚痴を書き連ねる日々ともおさらばということだな」
 彼は出世欲に駆られていた。


 それから半年。
 マシューとの連絡係として騎士団に復帰していたヒルダ。彼女が洞窟を訪れた。
 週一回、進捗の報告書を受け取りペリザへと届けるのが彼女の仕事の全てだった。
 いつもの仕事。大森林パデリの奇怪な生物たちにも見飽きて退屈なピクニックと化していたが。

(現場に戻りてぇな――ん?)
 踏むたびにもちもちと音を立てる苔。
 それが密生する洞窟入口の坂でヒルダは違和感に足を止めた。

(なんだ?)
 その正体を特定できないまま彼女は坂を上った。

「ご苦労だな」
「なんだこりゃ?」
 坂を上った先のじめじめとした空洞。そこには数十人の牙人が整列していた。
 男女が混じってはいたが、まるで軍隊のようだった。

「ついにやったぞ! さぁこれをペリザに届けるがいい!」
 得意げに差し出された報告書に目を落とす。
 
 ”知能がある生物の教育――洗脳の成功″

 読んでいくうちにヒルダは自分の過ちを悟った。
”牙人という、比較的知能が高い生物の記憶干渉に成功。数日で人語と高度な戦闘訓練を習得”
 ここまでは彼女が想定していた範囲内だった。
 獣や怪物を何かの役に立てる魔法。国の――人々のためになるだろうという思い。だが。

”次のステップとして人間での実験に切り替えるべきである”

 ヒルダは報告書をぐしゃぐしゃに丸めて地面へと投げつけた。
 目を剥いて驚愕――これも見たことのない表情だった――したマシューに指を突き付ける。

「人で実験って冗談だよなぁ? 生命魔法ソウミュで治療すんのとは真逆ってわかってんのか?」
破壊魔法デステグで殺すのと何が違うというのだ?」
(まじかよ?)
 ヒルダの想定を上回っていたものがふたつ。
 マシューの能力とその変貌。

「数日で非戦闘員が軍人になり、敵を洗脳し味方にする。これが完成すれば大陸の統一すら可能になるだろう。素晴らしいとは思わないのか?」
「軍人が戦ってるのは平和のためだろ? 守るべき人々を戦地に駆り出す魔法なんざいらねぇんだよ」
「……気が咎めるなら罪人でも使えばいいだろうに」
「こんのやろ――」
 殴りつけようとした瞬間。違和感が天井から降ってきた。
 そして喉に鋭い痛み。

「やめろ!」
 遅かった。マシューが仕込んだ高度な戦闘訓練――暗殺術がヒルダを襲った。
 気配を絶ち、洞窟の天井に張り付いていたグレイン。別に襲わせようと潜ませていたわけではなく。ただ自分の成果を披露するためだけのはずだった。

「がぶ……ぐあ」
「ヒルダ!?」
 マシューはグレインを引きはがすと壁に放り投げた。

「お、俺はマシュー様を……」 
「しっかりしろ!」
 隠れ家でさえなければ彼女も対応できていたのかもしれない。
 もしくは驕った悪ふざけなどしなければ。

「あれは世に出しちゃ……だめだ……マシュー……」 
「よし! 二人だけの秘密にしようではないか! ペリザに知れれば処刑台送りは免れまい。ゆえに傷が癒え次第他の国へずらかるのが良いだろう。貴様との逃亡生活はそれはそれで興味深い人生ではないか!? ふはははは、さぁ起きろ! 私をはり倒す貴様がこんな傷で倒れるわけがないだろう?」
「魔法は……誰かを幸せにするために……あ、あるんだ」
 そう言い終えると、マシューの腕をへし折らんばかりの力で握っていた手がすり抜けるように地面へと落ちた。 

「……ヒルダ?」
 輝きを失った彼女の瞳からはあらゆる色が消え失せていた。
「嘘だ違う。私はこんなものを望んではいない。嘘だ違う嘘だちちち違うこんなこんな結果があってたまるか!」
 彼の言葉が現実を打ち消すことはなかった。


 七日後。
 音信が途絶えたもちもち洞窟へとペリザが――やはり一人でやってきた。

「……ヒルダが死にました」
 酒に溺れ果てていたマシューは洞窟の不潔な地面にうずくまったまま、起きたことを伝えた。
 だが――

「素晴らしい!」
 泥だらけの報告書を手に取っていたペリザの声が響き渡る。アルコールにどっぷりと浸かっている脳にもがんがんと響く。

「”剛拳”ヒルダを牙人どもが殺したと? なんという!」
「彼女は死んだのですよ!?」
 激昂し、立ち上がったマシューに宙づりにされてもペリザは顔色を変えなかった――マシューの体臭にはうんざりしたようだが。

「お前の能力がもたらすであろう結果に比べればどうでもいいことだ。彼女の死など適当な理由で処理しておいてやる。お前は任務に集中しろ」
 任務。正式な仕事であるのなら。

なぜ洞窟こんなばしょで作業を……)
 酔いなどとうに醒めていた。
 マシューは冷えきった眼差しを未だ宙づりにしているペリザへと向けた。

「……私の研究へ投資は貴方の独断なのでは? 騎士団の上層部は関知していない。違いますか?」
「完成の暁には約束を果たす。問題があるか? しかし本当にお前の研究は素晴らしい。大陸の統一すら可能にするだろう!」
 報告書を読むペリザの瞳には――野望や野心といった類の――ぎらぎらとした輝きが宿っていた。

「……」
 マシューは自分が怪物なのだと悟った。
 孤独に苛まれた挙げ句、欲に逃避し――目の前の怪物と同じ存在に成り果てていたということに。

「で、ヒルダを殺した牙人どもはどこにいる? 試作品も渡してもらおう」
「どうぞ」
 ペリザを解放した彼は懐から英知の種を取り出した。
 そして、りぃんというベルの音。

「えほ……」
 惚けたような表情のペリザ。英知の種の影響下にあるらしい。

「いやなに怪物相手の実験には成功していましたからな。さて、貴方には真人間になって頂きましょう」
 記憶を操作されたペリザは目をきらきらと輝かせながら街へ帰っていった。
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