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⑧-③悪い魔法使いとその末路

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 南端の街から乗り合い馬車で東に約一時間。
 なだらかな山の麓に作られたゼルの村。
「いやー、まさか魔法使いの方がいらっしゃるとは」
 村長は恐縮したようだったが特に変わった様子――怨敵リディアの関与は感じ取れなかった。

「ウチがご一緒します」
 案内を申し出た少女はネルという名前らしい。ヨランダよりもいくつか年下だろう。
 そして貴族とは真逆――素朴な雰囲気の少女だった。

「よろしくお願い致します」
 ヨランダは少女を伴って山へと向かった。

「力仕事ですけど大丈夫ですか?」
 ネルは首を傾げ心配そうに聞いてきた。

(わたくし、そんなに頼りなく見えますの?)
 ぱっと見た感じでは戦闘訓練を積んだ自分よりも明らかに華奢なネル。
 彼女に農作業で培われた筋力が宿っている可能性は否定できないが、ヨランダはわずかに不満げな顔をした。

「虫刺されにも気を付けてくださいね?」
「わたくしは魔法使いです。大抵のことには対処できますわ」
「でもでも気を付けてくださいね。本当ですよ? ほんとにほんとに気を付けてくださいね?」
 筋力強化生命魔法で大木を振り回しつつ殺虫剤死滅魔法でも噴霧して見せればネルも安心できるのかもしれないが。

「あ、もし目にごみが入ったら……」
「この村はどんなお野菜を作っているんですの?」
 目から光線ビームを付け足す羽目になるのを避けるべく、ヨランダは話題を変えることにした。


「お手伝いさんだね?」
 既に作業は開始されていたらしく、年齢様々な男女二十人ほどが広い畑で作物を収穫している。
 午前中とはいえ山の中。蒸している上に虫も飛んでいた。なぜそんな山中に畑を作ったのかは不明だが、きっと理由があるのだろう――ヨランダはそんなことを考えつつ自己紹介を済ませた。

「野菜……いえ、果物ですの?」
 ずっしりとした質感の作物が地面になっていた。球状で緑と黒の縦じま模様。
 余程珍しい種類なのか、ヨランダは見たことがないらしい。

「ウチらが作ってるこれは野菜なんですよ」
「土に埋まってませんのに?」
「えへへ! 果物っていうのは木になるものを――」
「ネル、冒険者さんに偉そうなこと言う前に手伝いなさい」
 得意げに解説を始めたネルに中年の男性が声をかけた――どこか彼女と雰囲気が似ている。
 
「あれがウチのお父さん。いつもうるさいの」
「娘を気にかけて下さる良いお父様ですわ。浮気している訳でもないのでしょう?」
「浮気って」
 ネルがくすくすと笑う。
 周囲の村人たちも何人か頬を緩めていた。

「……わたくしも仕事に取りかからせていただきますわ」
 赤面したヨランダが収穫作業に加わった。


(この程度の作業で人を雇うなんて……)
 畑自体は確かに広いが、ヨランダ一人が加わったところで大した影響はないように思えた。実際、収穫作業の素人である彼女より何倍もの早さで村人たちは作業をこなしていく。

(妙ですわね)
 ヨランダは立ち上がり周囲を見回した。収穫に勤しむ人々に混じって件のクマが汗を流してはいなかったが。

「ネルさん」
「はい?」
 近くで作業をしていたネルに声をかける。
 タオルで額の汗を拭っている少女は微笑んだ。健康的な笑顔。

「人手が不足しているようには見えないのですが」
 疑問を――場合によっては魔法も――投げかけようとしたヨランダは反射的に後ろへ跳んでいた。
 見れば数十匹のミミズがネルの足元でのたくっている。

「ミミズは土を豊かにして野菜を健康にしてくれるんですよ」
「そんな知識を語られましても」
「お皿に盛れば何かの料理に見えますよね?」
「眼のお医者様にかかりなさい」
 人差し指と親指でフォークでも回すような仕草を始めたネルに、冷静な指摘したところで――

 ぼこ!

 ヨランダの背後で土が大きく噴き上がった。

(来ましたわね!)
 彼女は地中から飛び出してきた気配に向かって振り向きざまの拳を叩き込んだ。
 警戒していたので筋力を強化する時間があったのだろう。吹き飛ばされたクマは思い切り地面を転がった。

「今度は飛び出てきたよ!?」
「こっちへ来なさい!」
 ネルの父親が娘の腕を慌てて引っ張る。ほかの村人たちも素早く一カ所に――ヨランダの背後へと集まっていく。
 彼女をクマの天敵と勘違いしているのでなければ。

「『今度』とはどういう意味ですの?」
 ゆらりと立ち上がったクマへ視線を向けたまま、ヨランダが呻いた。とはいえ既に察してはいるようだが。

「あの……ウチらにはクマ退治で冒険者さんを雇うお金がなかったから」
 ギルドに正規の依頼を出すとして、猛獣退治と野菜収穫では報酬の桁も変わってしまう。年に数回の収穫物だけで生計を立てている村にとっては手痛い出費なのかも知れない。

「いつも襲ってくるというわけでもなかったんです」
「収穫作業を手伝わせて襲ってきたなら追い払わせようと? わたくしが魔法使いでなかったらどうするつもりだったのですの?」
 たまたまヨランダは一人でも大きな戦力になる魔法使いだったが、戦いに手練れた冒険者が普通は農作業を引き受けはしないだろう。
 駆け出しの冒険者であればクマの胃袋行きになってもおかしくはない。

「……ギルドの方に袖の下をお渡し致しまして、なるべく強い方をと」
 ネルの父が冷静に言ってきた。

(イザベラさん!?)
 アレクシアに似たようなことをしたヨランダが非難できる立場でもなかったが。

「ですが、追い払うなり鍋料理にするなりしていただければ追加の報酬をお支払い致します! 眼球も食べられるんですよ!?」
「ここ境界の国メイジェムですわよね!?」
「ウチは胆のうを食べたい!」
「内臓!?」
 食文化の違いを思い知ったヨランダにネルがとどめを刺した。
 手を挙げてぴょこぴょこと飛び跳ねる少女に目眩でもするのか、ヨランダは軽く額を押さえて深呼吸をして、

「まぁこのクマとは因縁がありますので、退治して差し上げますわ」
 黒い輝きを灯した両手を胸の高さに上げた。
 そして右半身を引き近接格闘の構えをとった。対するクマは両腕をぶらりとさせているだけだった。

あの女リディアの手下に何度も遅れをとるわけには行きませんの」
 握っていた拳を開き、手刀へと変化させた。それに合わせて死滅の輝きが炎のようにゆらめく。

「返り討ちですわ!」
 炎がヨランダの手刀を延長するように伸び、黒い水晶へと変わっていく――形作られたのは刃だった。
 叩き斬るのではなく突き殺すための細い刃。刺突剣。

「やあああああ!」
 距離を詰めたヨランダが正に突き殺す勢いで刃を突き出した。
 クマはいつの間にか握っていたおぞましい形状の短刀で少女の刃を受け、力任せにそのまま切り払うが。

「今度は負けませんわ!」
 ヨランダは体勢を崩さなかった。筋力強化と身のこなしで捌いたらしい。

「が、がおー!」
 羞恥なのかなんなのか、微妙にぎこちない咆哮と共に飛び掛かってきたクマの突きを打ち落とす。そのまま頭部を狙って斬り上げるが、クマには掠りもしなかった。
 さらに数回、互いの武器を打ちつけ合う。そして。

「今ですわ!」
「な!?」
 クマが驚きの声をあげた。どうやら中身は女らしい。
 刃同士が激突した瞬間、ヨランダの刃から雷光にも似た輝きが迸り、女の短刀を弾き飛ばした。
 よく耕された地面におぞましい短刀が深々と刺さる――大地に意思があったならさぞかし嫌がったことだろう。

「ほーっほっほっほっ! 油断なさりましたわね! ただの刃ではありませんのよ!」
「……やりますね」
 獣が口を開いた。着ぐるみを通しているためか、くぐもっていてはっきりと聞き取れないが。

「死滅の水晶をここまで凝縮するとは感心です」
 武器を創り出すのは創造魔法ジェネスの分野になる。畑違いの死滅魔法ダイルで形作られた刃にしてはヨランダの剣は恐ろしい程に頑強だった。
 ここまでのものを創れる魔法使いはそうそういない。

「田舎のクマさんはしゃべりますのね」
 勝ち誇ったようにそう言うと、ヨランダは着ぐるみの首元に刃を突き付けたまま哄笑をあげた。

「最後のは障壁ですか?」
「……よく分かりましたわね」
 障壁――魔法力による防護とは別の、魔法としての防御壁。身動きが取れなくなってしまう結界とは違い、形状やサイズに融通が利く分、鉄壁とまではいかないが。
 黒水晶と筋力強化。そして障壁。三つの魔法を同時に展開する魔法使いの卵。

学生こどもがこれほどとは……さすがはサレイ」
 その言葉に――ヨランダが不快そうに眉をひそめた。

「もう結構。さっさとリディアさんに失敗の報告をしにお帰りになったら?」
「? それはどなたのことですカ?」
 異質な音。噛んだのでなければ舌を別のことに使ったのだろう。

 ひゅっ!

「な……!」
 小さな針――含み針がヨランダの左腕に刺さっていた。
 いつかの記憶が甦る。

(またあんな醜態を!)
 焦り。それと同時にいくつもの疑問がヨランダの頭に出現した。
 ただの針か毒なのか――毒だとしたらその種類。抜くのか放っておくのか。抜くのだとしたら敵前で右手の刃を解除しなくてならない。
 そして死ぬのか死なないのか――いくつもの疑問。不安だった。
 それらすべてを蹴散らして思考の頂点に躍り出たのは。

 ”戦いを継続するのかしないのか”

「あっ」
 視線を針から女へと向けるまで数秒。女の両手には武器が握られていた。
 二本の短刀を逆手に構えたクマ。その姿に隙は微塵も見当たらない。それだけでなく、空気が硬化したような圧迫感。

「この……!」
 ヨランダは突きを繰り出したが――間違いなく焦っていた。
 狙いはあやふや。心と体の連携すらとれていない。 
 
 かきんっ!

 グロテスクな二振りの凶器が、ヨランダの剣をいとも容易く斬り落とした。


 その一時間ほど後のこと。
 村外れの切り株に腰かけているヨランダがいた。
「ウチらのせいでご迷惑を……」
 憔悴しきった様子のヨランダは何も答えなかった。
 あの後、着ぐるみの女は誰も襲わずに立ち去り、収穫作業は滞りなく終わったらしい。
 ”らしい”というのは、例によってヨランダは気絶――短刀の柄で頬を引っ叩かれて――させられたためだった。

「もう死んでしまいたいですわ」
 ネルに向けたわけではなかったが。

「ごめんなさいー! だってだってウチらの野菜あんまり売れないから――」
「……なんであなたが泣くんですの」
 ヨランダは泣き出したネルを抱き寄せてあやすように背中を撫でた。

(泣きたいのはわたくしですのに) 
 ネルに聞こえないように嘆息した。刃を突き付けた時点で気絶なりさせてしまえばよかったのだろうが、ヨランダはそうしなかった。
 油断と驕り。すべきことをやり尽くした上での敗北であればまだ気持ちは軽かったかもしれない。

(疲れましたわ)
 ヨランダはふらりと立ち上がった。
 不安そうに見上げてくるネルに軽く頭を下げる。

「ご迷惑をおかけいたしました」
「あ……」
 ふらふらと頼りない足取りで去っていく。

(アレクシアさんのようにはいきませんわね)
「あの! 帰っちゃうんですか!?」
「街に戻ります。報酬は結構ですから……放っておいてください」 
「ネル!」
 緊迫した声に、立ち去りかけていたヨランダも振り向いていた。

「ウチに用ですか?」 
 声の主は畑で収穫作業をしていた男性だった。収穫とは違う汗を大量にかいていて顔色も悪い。

「おめぇんとこの父さんがクマに襲われっちまったぞ!」
「父さんが!?」
(クマ……?)
 子供のおやつを持ち去るクマのことではないらしい。

「お話を聞かせて頂けませんか?」
「あんたぁまだいてくれたんだな!? とりあえず一緒に来てくれ!」
 男は二人を村医者の所に案内した。
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