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⑧-④悪い魔法使いとその末路

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「父さん!」
 ベッドに腰かけ、医者に手当てをされている父親にネルが抱きついた。腕に包帯を巻かれた父親は安心させるように娘の背中をぽんぽんと叩く。
 医者は今後の生活に支障をきたすような怪我はしていないと告げると部屋から出ていった。親子に気を使ったのだろう。

(これが本来あるべき親子の姿なのでしょうね)
 強制的な決まりではない以上、そうならないこともあるようだが――

「……」
 何か言いたそうなヨランダの視線に気づいたらしいネルの父が、慌てて説明を始めた。


 どうやら――気絶したヨランダの為に――水を汲みに川へ行ったらクマに襲われたらしい。
 体長は五メートルほど。恐ろしく長い爪で樹木をなぎ倒し、牙は四本で額に大きな傷があるとのことだが。

(……見間違いでしょうね)
 瞼を半分下したヨランダはそう結論付けた。命が脅かされる程の危機に直面していたのであれば、蝶を空飛ぶ貝と見間違えてもおかしくはない。
 獣の姿を正確に記憶するより優先すべきこともあったろう。

(長い爪云々はともかく、クマってかなりの速度で駆けるはずですのに良く逃げ切れましたわね)
 大型の怪物には劣るといっても、農作業に携わる者が体力的に勝っているとは思えなかった。
 話半分としても体長二メートル超の猛獣。一般人にしてみれば怪物と変わらない。 

「感激です!」
「……抱きつかないでくださいな」
 ヨランダはネルを連れて件の川へと向かっていた。

「ウチが案内します! 絶対絶対絶対許しません!」
 山の案内なら他の村人でも良かったのだが。
 彼女の決意をへし折るには叩きのめすくらいしか方法がなさそうだったので仕方なく――というのが理由だった。
 とはいえ短刀を振るわない方のクマなどヨランダ金の卵にとってはものの数ではないので、案内人の年齢は大した問題ではなかったが。

「あそこが父さんの言ってた川です……あれ?」
 木の陰から顔だけを覗かせて川原を窺う二人の少女は――

「どういうことですの?」
 揃って疑問符を浮かべた。
 砂利の川原にクマが痛々しい姿で仰向けに倒れ伏している。額に傷跡がある体長二メートルほどのクマ。その顔は変形するほどに激しく腫れ上がっていた。正面から何度も殴打されたのだろう。

「近づいてみますからここにいてくださいます?」
「はい……」
 クマというよりその怪我の度合いに怯えた様子のルネは素直に頷き――腹を捌かせろと騒ぐかと思っていたらしいヨランダは少し意外そうな顔をした。

「可哀想ですがお鍋にした方が良さそうですわね」
 理由は不明だが同情を引くほどにぼろぼろのクマ。
 しかし、人の味を覚えた獣は好んで人を襲うようになるといわれている。ここで見逃せば次は重大な結果をもたらすかも知れない。

「……しかし無残ですわ。凄まじく凶暴で挨拶代わりに爪を剥がしに襲ってくるような方がこの山に潜んいるんですわね」
 ネルの父親が助かったという点においては感謝すらしたいが、そういった輩と遭遇エンカウントしたくはなかった。
 クマに軽く同情しつつも黒い輝きを手に灯したとき、

「ガ……グアアアアア!?」
 クマが目を覚ました。
 ヨランダは身構えたが、上体を起こしたクマは尻餅をついたままの体勢でヨランダから思い切り後ずさった。
 二百キロはあるであろう体重が砂利の川原に長い軌跡を刻んだ。

「すごい怯え方ですわね」
 クマはがたがたと震えながら、降参だとでもいうように両手を真上に挙げている。

「なんて芸達者な」
 知能を植え付ける魔法でもかけられたのかと疑うような仕草だった。

「あ! 逃げちゃいますよ!?」
 クマはゆっっっくりと――こちらを刺激しないためだろう――背を向けると抜き足差し足で川へと向かった。
 そして一気に渡り、森の奥へと逃げていく。
 ずたぼろの有様で怯え狂いながら逃走を図ったその背中に、死滅魔法ダイルを撃ち込むのはたやすかったが――

(あそこまで怯えられるとさすがに困りますわね)
 なにが原因なのかはわからないが、あの個体が人に対して牙を剥くことはもうないだろう。

「ウチが捕まえます!」
「ネルさん!?」
 ヨランダに討つ気無しと判断したらしい少女はクマの後を追って川を渡った。

「お鍋にして父さんに食べてもらいます! 食べたものを返してもらいます!」
「……なんか怖いこと言ってるような気がしますわ」
 ヨランダは背中に形容し難い感覚を背負ってネルの後を追った。


 森に消えていく二人の少女を別のクマが眺めていた。
(やりすぎ……ですか?)
 手に持った残虐な形状――刃が潰されている上に妙に肉厚で鈍器と変わらない――の短刀を見つながら女はひとりごちた。仕留めるのではなく痛めつけるのが目的の武器。悪趣味ではあるが有用でもある。とりわけ拷問などに。

 ヨランダを気絶させた後、女は畑を去った。蒸れる着ぐるみを脱いで涼んでいたら妙な気配を察知し――急行してみれば川辺で野生のクマが男性を襲っていた。
 とりあえず滅多打ちにして人間と野生との境界線を越える恐ろしさを教え込んだのだが。

(……クマの為にもあれくらいしなくてはと思ったのですが)
 少女二人の反応を見るにやり過ぎてしまったらしい。

「仕方ありませんね。とにかく彼女たちを追って――」
 着ぐるみの女は背後からの殺気に素早く反応した。前方に身を投げ出しつつ短刀を構え、洗練された動作で振り返る。
 氷のようなもので創られた槍。構えているのは若い女だった――素っ気ない表情に青い瞳。だが細い眉はややつり上がっている。

「お前が誰かは知らない……けど、冒険者への悪意ある干渉はギルド構成員として看過できない」
「見事なものです」
 他意の無い称賛だったが、女は槍を僅かに引き攻撃態勢に入った。
 恐ろしいほどの魔法力を込められている魔法の槍。そこに冷たい殺気を付け足し、女は淡々とした口調で続けた。淡々と。脅しではなく本気なのだと着ぐるみの女は直感していた。

「これ以上あの子を傷つけるなら私が相手になる。殺す」
「”棺の”イザベラさん。あなたがそんなことを言うとは……意外です」
「どこでそれを?」
「意外ですか?」
「着ぐるみの変質者に知られてるとか気持ち悪い」
「誰が変質者ですか!?」
「意外だとでも言うつもり?」
 大人二人が睨み合っている間に。少女二人の気配は森から消え失せていた。


 その二日後である。宴会がお開きになった直後。
「ヨランダっていう冒険者はどこにいるんですか!?」
 悪意はないのだろうが、アレクシアは受付のテーブルに両手を思い切り叩きつけていた。
 特段気にした様子もなくイザベラは普段通りの口調で少女に問いかけた。

「あなたはその子のなに?」
「なにって……」
 ヨランダは――ヨランダだった。
 何かと噛みついてくる同年齢の少女。笑い声がやたらにうるさく、校内で顔を合わせると即座に魔法戦が始まる。
 それは五年間、変わらなかった。五年間。長い付き合い。

「と、ともだち的な……」
 アレクシアは頬を赤らめると、落ち着かない様子でくねくねと体をよじり始めた。

「くねってもらってるところ悪いけど、個人的な情報は漏らせない」
「これ!」
 先ほど分け合った報酬の金貨だった。

「なんて美しい友情」
 金貨を受け取ったイザベラはうっとりとした声を出したが。
 やはり無表情だった。


「二日も行方不明!?」
 収穫作業中に行方不明。
 かいつまんだ状況を説明されたアレクシアはギルドを飛び出していった。

「……イザベラさんはもう行かないんですか?」
 エマだった。口元を隠すようにお盆を持っている。言いたいことはあるが口に出せない時の仕草だった。

「探索は別の魔法使いに任せてある。だから私は別の方向から探ってる」
 イザベラは机に置かれていたファイルを開いた。エマがにょきっとのぞき込む。

「未解決の依頼……ですか?」
「あなたには早い。また今度、ね」
「はい……」
 泣きそうな顔でエマが仕事に戻った。そんな彼女の背中を見つめつつ。イザベラはため息をついてから視線を落とした。
 彼女が眺めているページには”少女の行方不明事件一覧”とタイトルがついている。

(あの子たちの気配は急に消えた。獣や滑落が原因とは考えられない)
 着ぐるみの女クマと対峙していた最中、異変に気づきヨランダたちを追ったが、彼女たちを発見することはできず――空から捜索にあたってもそれは同じだった。

(大規模な結界……または拠点を構築しているのかもしれない。そうなると発見は困難)
「アレクシアさんがいなくなっちゃったら悲しいですよぉ」
「……」
 いつの間にか忍び寄っていたエマが淋しそうに呟いた。

「森を探索してるのはそれなりに強力な変質者――魔法使いだから安心して」
「これはなんて読むんですか?」
 エマが指さした先には”人狩り老婆”と書かれていた。


「ヴィオ!」
 鍵を開け、突き破りかねない勢いでドアを開く――無人だった。
 アレクシアは風呂場からベッドの下、そして保冷庫の中までを探したが。

(部屋にいないって……どこ行っちゃったのよ!?)
 クオル村から先に帰ったはずのヴィオラの姿は見当たらない。
 飛行の魔法が使えれば次は大魔法院フェーンの理事長室辺りに突撃していたのだろう。

(急がないとまずいわ)
 行方不明で丸二日。危険な数字だった。

(ていうかなんで一人で冒険しごと引き受けてんのよ!? ミリアムか誰か連れていけばいいじゃない)
 アレクシアはとにかく不安だった。
 山中での収穫作業中に――実際は突発的に引き受けたクマ退治だが――行方不明というのも彼女の不安を増大させた。
 
(まさかクマに襲われたとか――)
 仮にも魔法使い。真正面からであればヨランダに勝てるクマなど探す方が難しいのだろうがあり得ないとは言いきれなかった。

(つまみ食いしようとして川に落ちたのかも――山が気に入って洞窟に居を構えちゃってたり!?) 
 よく分からない不安がアレクシアの心に圧し掛かっていく。

「大丈夫かい?」
 他をあたろうと部屋を出たアレクシアの前には、追いかけてきたらしいグローリーたち。

「……ヨランダが行方不明なの」
「そのようだね。手伝うよ」
「本当!? じゃあ……えっと、お金を――」
 革袋を取り出そうとしたアレクシアの手をグローリーが掴んだ。

「あんたの仲間ともだちならあたしらの仲間さ。仲間助けるのに金はいらないね」
 仲間。言葉ひとつで不安が消えていく。

「ありがとう!」
 アレクシアが思わずグローリーに飛びついた。 
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