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⑨-①呪縛と寝巻と私の子

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 ライラメル邸。南端の街ギズウォーの中心である。地理的にではなく、この街の支配者が住むという意味だが。
「お……お嬢様!?」
 アレクシアの顔を見るや門の前を清掃していたメイドが声を上げた。よほど仰天したのか、万歳のポーズで硬直している。ちなみに彼女が持っていたほうきは空高く放り投げられていた。

「どうしたんですか!? あと一歩でショック死するところでしたよ!」
 若いメイド――バーサ。彼女の甲高い声が響く。

「砂場からお子様たちを追い払って蟻地獄ごっこでもしてきたような薄汚れっぷりはどうしたんですか!? あまりに哀れなお姿にお嬢様って呼ぶのを一瞬ためらってしまいました!」
「一歩と言わず二、三歩おしてあげてもいいわよ?」
 バーサがぴたりと口を止めた。ひきつった笑みで指の骨を鳴らし始めたアレクシアに自らの失言を悟ったのではなく。

「サレイのほほほ娘!」
 バーサはヨランダを指差し、声を荒らげた。

「さてはお嬢様を蟻地獄に引きずり込まれる蟻ごっこに誘ったのは貴方ですね!? いくらお嬢様が変わり者とはいえ埃と土まみれでお屋敷にのこのこ姿を現すはずがありません! 良いでしょう! 薄汚れたお嬢様に代わってボクが成敗して――」

 ざんっ!

「……これはわたしを成敗そうじしたいってこと? それとも可愛い誤射かしら?」
 先ほどバーサが放り投げたほうきだろう。それがアレクシアの頭に命中した。

「油断大敵ってことだと思います!」
「どっちかって聞いてるのに第三の選択肢を答えるんじゃないわよ!?」
「その二択だとげんこつコースを免れないじゃないですか!」
「馬鹿者!」
「いたい!?」
 アレクシアが鈍器――杖に氷を張り付かせたもの――を振り下ろす前に、鈍器よりかは軽いげんこつがバーサの背後から振り下ろされた。
 とはいえバーサは頭を抑えてしゃがみ込んでしまったが。

「キャサリンはお嬢様のご帰宅をお伝えしろ。ダリアとエリーはこの馬鹿者バーサに言葉遣いとほうきは空を飛ぶべきものではないと教えてやれ」
 長身で逞しい肉体。違和感を放つひらひらのメイド服――護衛隊長のアンジェラだった。

「了解」
「了解ー」
「ぅ了解ぃ」
 部下たちが素早く――バーサは頬を引っ張られながら――屋敷へと向かった。
 残ったアンジェラは右手を腹に置き背筋を伸ばした。

「失礼いたしました。きっっっつく指導しておきますのでどうかご容赦を」
 口調は冷静だったが彼女の顔は真っ赤に染まっていた。血圧まではごまかせないらしい。

「拳の見せ場になりそうね」
「耳が必要な内容でないことは確かです」
「ま……まぁほどほどにしてあげて」
 バーサに同情したらしいアレクシアが頬を掻きながら呻いた。

「では、きっついコースに致します」
 妙にがたいの良いメイドはあくまで平静を装った。


 門をくぐると広大な庭園だった。両断するように石畳の通路が門から屋敷まで伸びている。
「泉……ですの?」
 水が湧いているのだろう。水中で舞い踊る砂を眺めながらヨランダが呟いた。
 横を歩くアレクシアは特に珍しくもないといった様子で答えた。

「この辺りって地下水が豊富なのよ。だから植物が元気に育つんだって」
 見たことのない植物――境界の国ギズウォーのものではないのだろう――の生育状態は分からないがどれも青々とした葉を広げている。不満があるようには見えない。

「それにしても見事ですわね」
 庭園中には馬や騎士などの彫像が等間隔にいくつも置かれている。
 それらは全て入口の方を向いており、さながら侵入者を迎え撃つ衛兵隊のようだった。

「パパが防犯上の理由で彫像をたくさん置かせたって聞いたことあるわ」
「そうなんですの?」
 広い庭園は屋敷への到達を少しでも遅らせるため。彫像は問題が起きた場所を迅速に伝達するためなのだろう。

「ご両親の仲は良好なのですね」
 そう言って深々と嘆息したヨランダに何かを察したのだろう。

「……まぁね」
 アレクシアは控えめに肯定した。

「ただいま」
 エントランスには分厚い絨毯が敷かれていた。そこにはオーレリア――この街の支配者が立っている。唐突な来訪にも関わらず彼女のアフタヌーンドレスにはしわ一つない。

(なんてお美しい方……)
 圧倒的だった。赤い髪もスタイルも、その何もかもが美しい。
 彼女を巡って国のひとつやふたつ滅んだのだと聞かされてもすんなりと納得してしまったろう――それほどまでに美しい。

「おかえりなさい」
 彼女は優美な微笑みで帰宅した娘を出迎えた。
 そしてヨランダに右手を差し出す。

「南の領主ライナスに代わり歓迎申し上げます」
 オーレリアに魅入られていたらしいヨランダは慌てて握手に応じた。

「わ、わたくしは――」
 回らない舌でなんとか名乗ろうと試みていた彼女をアレクシアが抱き寄せた。

「ママ、お風呂はいれる? サレイの子を汚れたままにしておけないわ」
「まったくもう……」
 嘆息したオーレリアは控えていたメイド――キャサリンに目配せをした。

「こちら」
「行くわよ」
「え……あ……し、失礼いたします!」 
 ヨランダはぺこりとお辞儀をしてからアレクシアに引っ張られていった。
 三人が屋敷の奥へ消えてから、

「アレクシアちゃんがお友達連れてきたわ!」
「はい、奥様」
 オーレリアは片足でくるりと回転し、アンジェラの方を向いた。
 少女のように表情を輝かせ、豊かな胸の前で両手をぱちんと打ち鳴らした。

「しかもサレイの娘さんー」
「ぃやるわねぇ」
 身を潜めていたらしいアンジェラたち護衛部隊の面々が家具や柱の後ろから姿を現し、少し遅れて天井に張り付いていたバーサが着地した。

「奇跡ですね!」

 ごちんっ!

 失言した部下に上官の拳が振り下ろされ、鈍い音が響くと同時にダリアとエリーが動いていた。
「まったくー」
「ぁありえないぃ」
 声すら出せないバーサの両手を引っ張り凄まじい速さで適当な部屋に連れて行った。
 一糸乱れぬ連携。戦場であれば勝負は既についているのだろう。

「今……虚空から戯言が聞こえたような気がしたけど」
「虚空からは何も生まれません」
「まぁいいわ! ヨランダちゃん歓迎大作戦よ!」
「かしこまりました。では、外出の許可を」
「発砲を許可します!」
 アンジェラが求めたものとは違ったが、彼女は虚空に溶け込むような素早さで姿を消した。


 脱衣所で服を全て脱いでからヨランダは気づいた。
「……わたくし、着替えをもっていませんわ」
「ママが用意してくれるから大丈夫よ」
 一足早く裸になったアレクシアがタオルで胸元を隠しながら浴場へと向かった。

「アレクシアさんのお古とか?」
 身体にタオルを巻いたヨランダも彼女の後を追った。

「ママのかも」
「え!? サイズが絶対に合いませんわ……」
「わたしのなら合う?」
 胸を反らしたアレクシアの胸部は――とにかく破壊的だった。

「オーレリア様似なのだということは分かりました」
 ヨランダの体型とて未発達というわけではないのだろうが、比べる相手が少し――いや、かなり悪かった。

「触れないと分からないでしょうけど、これ偽物なのよ」
「え”!?」
 ヨランダは思わず顔を上げていた。真顔のアレクシアと目が合う。

「まじですの!?」
「信じちゃった!?」
 顔を見合わせたまま時間が止まる。浴場内に立ちこめる湯煙を見る限り、時が止まったわけではないようだが――いかな悠久の流れとて、肩を竦めるくらいはしたのかも知れない。

「まったくアレクシアさんは……ふふ」
 ヨランダ手で口元を隠しながら笑った。

「冗談はそのくらいにして、とりあえず一息つきましょ」
「安心しましたわ。ライラメルの秘密を知ってしまったなら、わたくしここから出られませんものね」
「まだわからないけどね?」
 いたずらっぽく笑い、アレクシアはシャワーで全身を洗い始め、ヨランダもそれに続いた。

「ふぅ……」
 軽く二十人は入れそうな浴槽に肩を並べて浸かっている。どちらも宙を見つめたままである。体力と魔法力を大きく消耗しているのだけが理由ではないだろう。

「聞かないんですの?」
 たゆたう湯の音が支配する空間に少女の声が斬り込んだ。

「……わたしね、ママと上手くいってないの」
「え?」
 天井から落ちてきた滴が湯に突撃する。一瞬だけ乱戦になった。

「仲が悪い訳じゃないのよ。会えば話すし、嫌ってもいないのよ」
 アレクシアは毛先をいじりながら、どこか困ったような顔でその理由を打ち明けてきた。


「ママからプレゼントよ」
「すごい!」
 九歳になった日。オーレリアは娘にぬいぐるみを贈った。

「この子はジェシカ。女の子なの!」
 幼いアレクシアは、はにかみながら母にそう宣言した。
 ぬいぐるみならベッドを埋め尽くすほど所有していたが、ジェシカへの執着はその中でも群を抜いていた。娘の好みに直撃させる贈り物。さすがは母親といったところだろう。

「プール? クマさんはお水が苦手じゃないかしら?」
「しぼれば大丈夫!」
「あらあらお友達を捻じっちゃうの?」
「友達だから一緒にいくの」
 プールだけでなく、どこへ行くにもアレクシアはジェシカを連れていた。

「娘よ! パパだぞ」
「パパ! わたしけっこんするの!」
「……報告しろ」
 ライナスは笑顔のままくるりと愛娘に背を向けた。父の目がきらりと――その輝きだけで魔物が飛びかかるのを躊躇するような鋭さだった――光った。
 音もなく近寄ってきたアンジェラがライナスにそっと耳打ちをする。

「はっはっはっ! ジェシカは女の子だろうに、女の子同士だと結婚は無理ではないか?」
 振り向いたライナスは笑顔であったが。

「まったくアレクシアはおませさんだな。パパったら連結魔法中隊を出撃させちゃうところだったぞ」
「うん? ごめんなさい」
「はっはっはっ」
 壁際まで下がったアンジェラは談笑する父娘を眺めながら呻いた。

「連結魔法中隊……二百五十人の魔法使いで何をどうなさるおつもりだったのか。本気ではあるまいが……」
「目がまじ」
「あれは本気ねー」
「ぅ恐ろしいぃ」

 そんなことなどありつつも健やかに育っていった。が――
 それから数週間後のある日。習い事から帰宅したアレクシアは、部屋に戻るなり絶句した。

「なんで……」
 ベッドの中央にはジェシカが――それと分かる程度に斬り裂かれていた。

「なんで!? なんでよ!」
「お嬢様?」
「やだー!」
 駆けつけたメイドたちが声をかけてもアレクシアは泣き叫び続けた。

「アレクシアちゃん」
「ママ! ジェシカが!」
「死んじゃったのね」
「死……」
 アレクシアが声をひきつらせた。その単語の意味は分かるのだろう。

「お墓を作ってあげましょうね」
「やだー! やだよ! やだやだやだ! お墓なんかいらない!」
 身を屈めた母に抱きつき、ひときわ大声で泣き叫ぶアレクシア。

「魔法を使えば生き返るわよ」
「まほう?」
 ぴたりと泣きやんだ娘に、オーレリアは優しく囁いた。

「アレクシアちゃんが魔法使いになれば、ジェシカを生き返すことができるのよ」
「本当に!?」
「ええ」
「なる! わたし、魔法使いになる!」
 オーレリアはやり方を間違えた。

「よろしくおねがいします!」
 その日からアレクシアは魔法使いとしての道を歩み始めた。ライナス配下の魔法使いたちに徹底した教育を施される毎日。それから数ヶ月で彼女は魔法力に目覚めてしまった。
 異様な早さ。祖父に王宮魔法使いをもつとはいえ異常だった。

「絶対に生き返すからね!」
 その理由――いや、原因がジェシカへの想いだったのは言うまでもなく、そしてオーレリアの思い通りだった。
 アレクシアが十歳になるまでは。 
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