薔薇の死神と神殺しの聖女

紺坂紫乃

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「ジャンヌ、例の組織に潜入させている構成員からの連絡はあった?」

「まだよ。向こうも難航しているみたい。正体がバレないようにするだけでも必死だって」

「そう。でも、現在地は解っているのよね。まだ吊り上げるのは早い、か……。ひとまず、引き続き内部の様子の報告と、移動したなら移動場所についてだけは連絡を断たないように伝えておいて」

 最近のリリィはバカロレア(国家資格試験)を目前に控えているというのに、精力的に『クラン』の仕事もこなしている。今は世界中でテロ行為を行っている過激派宗教組織の動向を詳細に探っている。
 だが、『クラン』はあくまで情報屋である。決してテロリストの逮捕を目的としている訳ではない。それでも、『クラン』がスパイまで放って調べているのは、情報屋ゆえだ。いつ、何時、警察機構や国際連盟から情報提供を求められるか知れないので、万全を期しているのだ。

「リリィ、今日はもう遅いわ。その辺にしておきなさい。……あと、彼氏が拗ねているわよ」
 苦笑しながらジャンヌは、リリィへ彼女お気に入りの猫の取っ手が付いた黒いマグカップを渡した。湯気が立つそれからはカモミールとローズヒップの香りがする。

「……良いの。あれは戒めだもん」

「昨日のことなら、そろそろ許してあげなさい。気の短いヴィンセントが珍しく我慢しているでしょ。その弊害へいがいが出ただけよ。反省しているじゃない。これは天変地異が起こるかもね」

「……弊害」

 リリィは僅かに甘いハーブティーを一口飲んだ。ジャンヌの言い分も解るし、ヴィンセントに我慢を強いているのはひとえに己なのだが、昨日の出来事はリリィにとってはあまりに衝撃的すぎたのだ。



 昨日、学校から帰るとジャンヌがいなかった。補佐役とは言っても、各国にいる『クラン』の支部長と直接連絡を取り合っているのは彼女だ、リリィはジャンヌから上がってきた報告とマスメディア、または政府関係の要所や警視庁の会話を傍聴して情報を得る。
 惣領の座に据えられて、改めてグランパの偉大さを知った。
 生前、グランパは「神界にも、人間界にも『クラン』がいない場所はない」と豪語していたのを思い出す。いったいどれだけの時間と人材を費やしたのか、『クラン』のデータバンクは複数のスーパーコンピューターでないと処理しきれない程の膨大な情報量だったのだ。

「ジャンヌ、今日は裁判所かなあ。今朝はなにも言ってなかったのにね」

 リリィはスマートフォンを取り出して、ジャンヌにメッセージを送った。すぐに返信があったので、身の危険がある訳ではなさそうだ、と一安心する。

「今、中央駅だって。リヨンに行っていたみたい。なんでまたリヨンに行ったんだろ」

 リリィが返信しながら首を傾げていると、意外にもヴィンセントが応じる。

「息子に逢いに行ったんだろうよ。確か、別れた旦那の両親に預けているって聞いたことがある」

「息子さん!? ……ああ、それでブライアン兄さんはジャンヌのことを『マダム』って呼んでいたのか」

 帰ってきたら写真を見せてもらおう、などと考えながら着替えをしようとリリィが自室に入ると、なぜかヴィンセントも続いて部屋に入ってきた。

「……なんで入ってくるの?」

「二人きりだから」

 なんとも彼らしい、潔い回答であったが、リリィはその意味を即座に解せず、まぬけにもぽかんと口を開けていた。その隙に腕を引いて抱き寄せられ、おとがいを救い上げられて唇が重なった。
 ようやく現状を理解したリリィが抗おうとした時には、既にヴィンセントの手がトップスシャツの裾から入り込んで素肌を撫でる。

「は!? え、なにしてるの!?」
「んー?」

 さすがに下着のホックに触れられた時、幽体のメタトロンが怒りに満ち溢れてヴィンセントを吹き飛ばした。

「いって……おい、そいつは反そぶっ――!!」

 ヴィンセントを塵芥でも見るような眼で見下ろすメタトロンに続いて、目に涙を溜めたリリィが部屋にあるものを手あたり次第に投げつけてくる。その一つだった枕がヴィンセントの顔面にヒットし、彼の言葉は遮られる。

「こ、の、スケベ死神!! 出てって!!」

 わなわなと震えながらリリィは、ヴィンセントを部屋から叩き出した。




 ちょうど追い出されたところにジャンヌが帰宅した。

「ただい……なにをやっているの、貴方?」

 玄関を開けてみれば、大量の枕や観葉植物、果てはベッドマットレスに埋没していたヴィンセントがリリィの部屋の前に居た。リリィの部屋からは、なぜか黄金のオーラが漏れ出て結界のようになっている。

「……追い出された。なぜかは俺の方が知りたい」

 山積みになっている物の中から腕だけが見えているヴィンセントのくぐもった声が聞こえてきた。彼に訊いても埒があかないと判断したジャンヌは、とりあえずハンドバックをリビングに置いて、リリィの部屋の扉をノックする。

「リリィ、帰ったわよ! で、この状態はなんなの?」

「ジャンヌ! そのエロ神を捨ててきて!!」

「……とりあえず、なにがあったのかを話しなさい。あと天使も消えるように言って。事と次第によっては捨ててきてあげるから」

 ジャンヌに諭されて、部屋から出てきたリリィは目を真っ赤にして頬には涙の筋があった。しかも、ヴィンセントを避けるようにジャンヌの方へ駆けてくる。

「う……ふ、服の中に、手を入れてきた。……しかも……ブラも外そうと、して」

 しゃくりあげながら話すリリィの言葉を聞いて、やっとの思いでベッドマットレスの下から這い出たヴィンセントに向かって、今度はジャンヌが花瓶を投げつけた。

「ばっかじゃないの!? 自業自得じゃない!! ちょっとそこで頭冷やしてなさい!」

 またもや痛烈な一撃を受けたヴィンセントはこぶができている頭を押さえながら、リビングのソファに腰掛けた。そして、スマートフォンを取り出し、電話をかける。相手は数コールで出た。

『アロー』

「……お前のアドバイスの通りにやったら追い出されたぞ。しかも、ゴミ呼ばわりだ」

『え、ちょっと待って。アドバイスってこの間話したアレ?』

「それ以外になにがある」

『や……あれはあくまで俺と月の話だよ! あー……道理で、さっき月が包丁持って、フランスに行くとか言いだした訳かあ……。雪くんが部活でいないから、なだめるのに苦労したんだぜ? まあ、煽ったのは確かだけど……天使の年齢を考えようよ。やっと十四でしょ?』

 電話の向こうで明光はあからさまに溜息を吐いた。顔が見えずとも、その様子も目に浮かぶようだ。ついでに、リリィは月にまで報告したようで、そちらが鬼の形相をしている様も容易に想像ができた。

「アキテルの言う通りよ。まだ十四歳で純情なんだから。……この数年、貴方にしては大人しく待っていたのに、と思ったらアキテルが絡んでいたのね……ふうん」

『おおっと、月に呼ばれたから! じゃあね!』

 ジャンヌの登場に、逃げ足の素早い明光は即行で電話を切った。ヴィンセントは繋がっていないディスプレイに向かって「あの野郎……」と悪態を吐いている。
 ソファの後ろに立つジャンヌの顔色を窺うように振り返れば、彼女はまだ侮蔑の視線で見下ろしてくる。

「……リリィは?」

「もうお風呂に入ったわよ。貴方には逢いたくないって。……本当にあの子が絡むと盲目になるのね。六年待ったってのに、なんであと二年が待てなかったのよ?」

「ジジツコンってやつがあるって聞いた」

 ヴィンセントは人間界の作法や決まり事について疎い。その反面、どこで仕入れてくるのか、必要ない情報についてはやたらと詳しい時がある。
 今回は明光の入れ知恵のようだが、ジャンヌはただ呆れるしかなかった。

「驚いた……貴方、リリィと結婚する気なの!?」

「別におかしいことではないだろう。神界でも夫婦になる奴らは居るし、人間も最終的には夫婦になって子孫を残していく。現にアキテルとユエはこの間婚約したらしい。だから、キセイジジツを作ればリリィも結婚を意識するんじゃないか、とアキテルが言っていたから……実行に、移して……」

 なぜか話せば話すほど、ジャンヌの眼つきが剣呑になっていく。大して恐ろしいとは思わないが、彼女を敵に回すと本気でリリィに近づけなくなる。
 グランパがいない今、この家の所有権も全てリリィが継承したが、管理できるまでの年齢に至るまでは実質ジャンヌが管理している。なので、ジャンヌから「アパルトマンへの出入り禁止」と「リリィとの交際禁止」を宣告されると、ヴィンセントには手の打ちようがない。その場合はリリィを連れて逃げようかとも考えていたが、肝心の彼女に拒まれている今となっては、この計画も実行は不可能だ。

「あのね、ヴィンセント。神界と人間界の決定的な違いに『法律』と『年齢』があるのよ。アキテルとユエは『法律で定められた結婚してもいい年齢』に達したから、婚約したの。ユエとリリィの歳の差は三つ。これは私達からすれば、たかが、と思うかもしれないけれど、生まれたての赤ん坊と三つになる子供は成長の度合いが全く違う。それと同じよ。リリィはスーパーコンピューター並みの知能をしていようが、『クラン』という巨大組織のボスであろうが、まだ心は十四歳なの。……それと貴方、『既成事実』がなんたるかもよく解ってないでしょ。恋人であろうが、同意のない性行為は単なる強姦よ。――今日リリィにしでかしたことの重大さをよく理解して、とっとと神界に帰りなさい。明日までこのアパルトマンには立ち入り禁止!!」

「結局、出入り禁止か……」

 ヴィンセントはそう呟いてソファから立ち上がると、吸い込まれるように影の中に消えた。
彼が消えたのを見計らっていたのか、もこもことした部屋着姿のリリィがひょっこりと顔を出す。

「ジャンヌ……ヴィンセント、帰った?」

「ええ、明日までは来ないわよ。安心なさい」

 ふわふわの水色のタオルで髪を乾かしながら、リリィはヴィンセントの残り香がするソファに腰掛けた。

「……なんで、いつも私とヴィンセントはすれ違うんだろ。私が子供だから? 彼とは住む世界が違うってことなのかな?」

 並んでソファに腰掛けていたジャンヌは、まだ少し濡れているリリィの柔らかい髪をそっとタオルで包み込んだ。強く擦らず、優しい手つきでタオルに髪を挟んで軽く叩きながら乾かしていく。

「そうじゃないわ。人間同士でも価値観の違いで別れる夫婦やカップルなんか世界中にうじゃうじゃ居るでしょ。ヴィンセントは使い方を間違えていたけど、事実婚は社会問題化しているしね。まあ、結婚を意識しているってことは、それだけ貴女の将来を本気で考えているってことよ」

 仕上げとばかりに、タオルを広げて頭に被せ「今日はもう休みなさい」と微笑む。その表情に抗えず、リリィは深く頷くと自室に戻って行った。



 そして翌日、学校から帰ってくると、ソファでいつものように適当な本を読んでいる黒い後頭部を発見した。一晩、顔を合わせたらなんと話したものかを考えたが答えはでないまま、朝を迎えてしまった。
 その後も仕事に逃避してしまった為、丸一日、ヴィンセントと会話をしていないことになる。仕事に打ち込みながらも、打開策を考えあぐねていると「帰る」とヴィンセントが短く告げて、読みかけの本をソファに置きっぱなしで立ち上がった。

「あ……待って!!」

 咄嗟に彼を止めてしまったものの、うまく言葉が紡げずにいるとジャンヌが気を利かせて、書斎へと行ってしまったので、ますますリリィは言葉に窮す。

「……あー……昨日は俺が全面的に悪かった。その、先走りすぎた、じゃない。つまり……」

 いつも仏頂面で、良くも悪くも大人で、ぶっきらぼうな恋人が今は戸惑いを見せる。きっと、こんな姿を晒すのはリリィの前だけだろうと考えると、無意識にリリィはヴィンセントのシャツの胸倉を掴んでいた。
 殴られると思ったのだろう、ヴィンセントは殴りやすいよう少しだけ屈んで、目を瞑る。しかし、予想に反してリリィが取った行動は掠めるだけのキスだった。

「……つ、付き合いだした日に、次は私からって、約束したの……ずっと保留にしてたから……! だから、えっと……」
 ヴィンセントの混乱が伝播したのか、顔から湯気でも出しそうなほどに真っ赤になったリリィはしどろもどろに言い訳を考える。
 その様子を見て、なぜか冷静を取り戻したヴィンセントが、いつもより割り増しで冷静にリリィに向き合う。

「リリィ」

「な、なに……?」

「……お前、逆効果って知ってるか? 俺は今、猛烈に襲いたいのを我慢している」

「な……! 全然反省してないじゃない!!」

「ジャンヌが書斎で聞き耳を立ててなかったら危なかった。あと二年なんだな。だったら、二年後の、お前の誕生日にアベルとグランパに報告しよう」

 どうやら二年後の誕生日が特別な日になるのは決定事項らしい。

 ――この死神はどれだけ熱烈なプロポーズをしているのか解っているのだろうか。

 そして、やはり言葉にして欲しいと願ってしまうのは、人間の性(さが)なのだろうか。

「あの、それって……結婚の約束ってことで受け取るけど、良いの?」

「それ以外になにがある?」

 気がつけば彼の固い胸板に顔を埋めて、リリィは天に囁いた。嬉しくても涙が出ることを、リリィは初めて知った。

――ねえ、アベル、グランパ。“神殺し”の私を幸せにしてくれるのは、死神みたい。


◇ 

 暦の上では春を迎えたというのに、まだ東京は夜になると冷え込む。その寒風の中を、彼女は鼻歌を歌いながら、オフホワイトのトレンチコートを翻す。ご機嫌なまま、低めのヒールを鳴らしてマンションの廊下を進む。口にくわえたミントのロリポップキャンディのせいで、いささか音程が怪しい。襟足だけ結んだ灰茶のしっぽがリズムに合わせて揺れる。
 そのテンションのまま、鍵のかかっていない玄関を開けた。

「ただいまー」

「おかえり。今日はバッハ? 廊下に響いてたよ」

「まあね。なんか今日は讃美歌の気分だったからさ。明光は?」

「さっき電車に乗ったって。毎日残業で大変だね」

 黒いエプロンを付けて、灰茶色の髪の少年は笑う。キッチンから漂う香ばしいガーリックの香りに素直な腹が鳴いた。

「いい匂い。今日はイタリアン?」

「残念、ハズレ。フレンチだよ。それにしても、姉さんはやっぱり勘が良いのかな? それとも天使からのお知らせ?」

 快活に笑う弟に彼女は首を傾げた。

「ダイニングテーブルの上。今日、ポストに入ってた」

 まさか、とトレンチコートをハンガーにも掛けずに脱ぎ捨てて、彼女はダイニングテーブルの上の一通のエアメールを手に取る。

「あ、こら! コートはちゃんとして!!」

「ははっ!! あーとーで!! 先を越されちゃったなあ。後で電話しなきゃ!」

 弟の叱責もどこ吹く風だ。
 彼女は、高らかに歌う。エアメールを空にかざして。

 ――親友の天使は、きっと誰よりも美しくウエディングドレスを着こなすはずだ。

「『主よ、人の世の喜びよ』だね」

「ピッタリでしょ?」

 にかりと白い歯を見せて笑う本条月は、きっと天使の次に白いドレスを着るのだ。
 雪がその姿を見られるのは、きっともう少しだけ先のお話し。


end
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