40代のオネエおじさん男娼を一晩買ったら沼った話 〜エリィの虚像〜

サバ無欲

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「つっかれたぁぁ……」

 バイトを終えたエリシアは真っ昼間の明るい太陽を受けて溶け出しそうだった。小さな教会の隣に位置する三階建てアパートのワンルームの鍵を開けて、勢いよくベッドに飛び込む。まだ靴も脱いでいない。シャワーはもう明日にしよう。

 ——絵は……描きたい。すごく描きたい。

 油絵の具のにおいが充満する部屋で、枕元に積んだスケッチブックの一冊を取ってめくる。卒業前に学校からいくつもくすねてきた新品だ。サイドテーブルの上に置いてある鉛筆立ても引き寄せる。中身はすべて黒。ラフ画用。

 胸の下に枕を敷き、目の前にスケッチブックを置く。疲れた時にラフ画を描くいつもの体勢だった。デッサン用の消しパンもある……よし。

「……ふぅうー……」

 さぁ思い出せ。

 チョウチンアンコウの食道と胃の中、ポスターだらけの壁に太っちょの黒服、シャンデリアの影、紫の床に半円形の卓。酒と煙草と香水のにおい。

 ……大丈夫、覚えている。描ける。

 エリシアは無意識に爪を噛んだ。そして右手で鉛筆を持ち、動かしながら意識をまた記憶の中に沈めた。沈めば沈むほど手は勝手に動いてくれる。様々な表現技法を徹底的に叩き込まれたから、芸術学校に進んだのはやっぱり正解だった。家族からは大反対されたが、それまで独学だった自分の世界が一気に広がったのだ。描くスピードだって段違いに速くなった。

 スケッチブックをめくる。
 あの人。エリィさん。

 素敵だった。すばらしかった。青白いスポットライト、弓状にとがったつま先、水の中で燃えてたなびく長い赤髪……描いて、描いて、描いてゆく。ベッドの枕元に先のちびた黒鉛筆を転がした。これまでもそうしてきたせいで、シーツには黒い汚れが散乱している。

 洗う暇はなく、クリーニングに出すお金も持ち合わせていなかった。学費は奨学金で賄えたとはいえ、日々の暮らしはカツカツだ。しかも今後は奨学金もない。

 描こう。

 エリシアは躊躇わなかった。あの一瞬を、紙と鉛筆を動かしながらえがいてゆく。陰茎も睾丸も手が動くまま素直に描いた。描きながらふつふつと、あの時の怒りが鮮明に胸に押し寄せる。

 どうして。どうして。どうしてあんなふうに嗤われなければいけないのだろう。すばらしかったのに。息を呑むほど、目が離せなくなるほどすばらしかったのに。あの時エリシアが嘔吐したのは生理痛の苦しさからだけではなかった。彼女はあの瞬間、下卑た罵詈雑言でエリィを取り囲むすべての客を拒絶したのだ。

 体が、彼を罵る事を許さなかった。

 許さない。
 許せない。

 黙らせてやる、何もかも。誰も彼も黙らせてやる。エリシアは描いた。舞台での彼の演技も、観客も、その後のトイレも控え室も、何もかも描いた。描いて描いて描き続けて……


 気づけば窓の外も部屋も深海に沈んでゆく。
 スケッチブックがじわじわと闇に埋もれてゆく。

「あ……」

 きっと何度目かの教会の鐘の音。夜だった。ほぼ新品だったスケッチブックは最後まで使い切って、気づけば手が暗闇でもわかるほど真っ黒だ。消しパンは食べきってしまったらしい。紙袋だけが残っている。

「はぁぁぁぁ……」

 つかれた。エリシアは残りわずかな力を使って胸の下の枕を引っ張り出し、頭をうずめた。やりすぎた。学校を卒業して今後はスケッチブックも鉛筆も無料ではない。気をつけなければ。

 でも……スッキリした。今日あった事はすべて昇華できた気がする。
 意識が泥のように溶けてゆく。
 二十八時間ぶりの睡眠だった。
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