婚約破棄された悪役令嬢、異国で無双する

ほーみ

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アグナス王立魔導学舎での初めての一週間は、想像以上に濃密だった。

私は学年で唯一の“留学生”として注目され、授業のたびに教師たちの目が厳しく光る。けれど、どれも私にとっては挑戦ではなく、もはや日常の延長だった。
魔力制御、構築演算、応用創造術――どれも高得点を叩き出し、学内における評価は急速に高まっていた。

そしてついに、噂の“戦闘術演習”が行われる日がやってきた。

「戦闘術の特別講師、セイラン・ディルファレスだ」

会場に響いた低い声に、生徒たちの空気が一瞬で引き締まる。

長身、引き締まった体躯、冷たい灰色の瞳。あのバルコニーで私を見下ろしていた男が、ゆっくりと歩いて前に出る。その姿は美しく、隙がない。そして、何より“恐ろしいほどの魔力”を纏っていた。

「俺は甘やかさない。武器を持っている以上、それを使え。魔導士であろうと、咄嗟に剣を取れなければ死ぬ」

その言葉に、誰もが息を呑む。

「まずは、模擬戦だ。志願者は?」

誰も手を上げない。沈黙の中、私は一歩前に出た。

「――私がやります」

その瞬間、空気がざわめいた。

「え、留学生?」

「まさかセイラン様と……?」

セイランは少しだけ眉を動かした。無言で私を見つめる。

「お前……レティシア・フォン・アイゼンシュタインだったな」

「はい」

「面白い。だが後悔するなよ」

「しません」

目を見据えて答えると、彼は小さく鼻で笑った。

「じゃあ始めよう。――全力で来い」





模擬戦は、結界で囲まれた円形のフィールドで行われた。

セイランは一歩も動かない。まるで、こちらの出方を楽しんでいるかのように。

(なら――見せてあげる)

私は両手を広げ、魔力を練る。空気中の水分が凍り、鋭い氷の矢となってセイランへと放たれた。

だが。

「遅い」

その一言と共に、氷の矢が空中で粉々に砕けた。

(なっ――!?)

一歩踏み出す彼の気配。重力のような魔力圧に、膝が震える。

「まだまだだな。お前は魔力に頼りすぎてる」

言いながら、彼は目の前に出現させた剣を軽く振った。風圧だけで私の髪がなびく。

(……くそっ、なめないで)

「氷晶結界――反転」

私は両手を地面に押し当て、フィールド全体を氷の檻で包んだ。視界を遮り、彼の動きを鈍らせる狙いだ。

だが次の瞬間――背後から囁きが聞こえた。

「死角、甘いな」

「――っ!?」

振り返った瞬間、セイランの剣が私の喉元にあった。

「……」

結界が、静かに溶けていく。私の敗北だった。

「悪くない。氷の扱いは一級だ。だが、本当の戦場は一撃の隙が命取りになる」

私は悔しさに唇を噛みしめた。

「……もう一度、お願いします」

その時だった。彼の手が、そっと私の髪に触れた。

「血が出てる」

頬に小さな傷があったらしい。彼は親指でそれをなぞり、ぬぐった。

「……っ」

肌に触れるその手が、思いのほか優しくて、私は目を伏せた。

「次は、勝て」

静かにそう言ったセイランの言葉が、胸に残る。

(この人……冷たいだけじゃない)

不覚にも、私は少しだけときめいていた。





その日の夜。

私は黒猫亭でカイと会っていた。

「セイランに勝負挑んだって?無茶するなぁ、ほんと」

「無茶じゃないわ。私は……自分の力で、認められたいの」

「ふーん。あのセイランに“髪、触られた”って噂、学舎で広まってるぜ?」

「……!!」

「やっぱ図星か」

「――そんなつもりじゃなかったのよ」

カイは酒を片手に、からかうように笑った。

「レティさ。……セイランのこと、どう思ってる?」

「どうって……尊敬はしてるけど」

「好きになるなよ」

「は?」

「アイツは……危険だ。過去に、直属の部下を殺したって噂もある」

「……」

「それに」

カイはふいに立ち上がり、私の頬を指でそっとなぞった。

「こういうこと、された方がドキドキするんじゃねぇの?」

「――っ!」

私の頬が一瞬で熱くなる。

「バカ……っ!」

「ははっ、照れてる顔、可愛いじゃん」

彼の無邪気な笑顔に、心臓がまた跳ねた。

(……なんなの、この男たち)

セイランの静かな優しさと、カイの情熱的な仕草。どちらも私を揺らしてくる。

「困るわ。どちらにも惹かれるなんて」

つぶやいた言葉に、自分で驚いた。





数日後、私は予想外の人物に呼び出された。

「レティシア様、王立図書館へ――セイラン様がお待ちです」

(……何の用?)

静かな書庫の中、セイランは本棚の前に立っていた。

「来たか」

「何のご用件でしょう?」

「君に――推薦を出そうと思っている」

「推薦?」

「魔導騎士団・研修課程への入隊推薦だ。成績と実技を見て、可能性を感じた」

驚いた。あの騎士団は、実戦経験者でもなければ入れないはず。

「……なぜ私に?」

「君は、“本物”だからだ」

その目は、まっすぐ私を見ていた。

「……私に、その資格があると?」

「ある」

一歩、近づいてきた彼の影が私に重なる。

「君の目は、生きるために戦う者の目をしている。……初めて見た時から、気になっていた」

「……セイラン……」

指先が、そっと私の手に触れる。

「……怖くはないか?俺は、血にまみれた男だ」

「……平気よ。あなたの手、温かいもの」

その瞬間、セイランの瞳がかすかに揺れた。

だが、彼はそれ以上触れてこない。

「研修の案内書を渡す。読むといい」

静かにそう言って、彼は手を離した。




帰り道、胸の奥がざわついていた。

セイランのまなざし。手の温もり。
それに、カイの不意打ちの指先。

(私……どうしたいの?)

その夜、ミーナと夜空を眺めながら、私はぽつりと呟いた。

「恋って、怖いわね」

「うん。でも、すごく、素敵なことでもあるよ」

ミーナは、少女のように笑った。

「レティも、きっと“特別な人”に出会える。私、そう思うの」

胸の奥に芽生えた、小さな想い――
私はそれを、まだ名付けることができずにいた。
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