運命に至る

麻田夏与/Kayo Asada

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2-2.

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 七月の終わり、昼過ぎなのに夕立が激しい。
 雷が鳴り、ざあっと雨音が屋根や庇を叩く。いつもなら紬が、縁側の雨戸を閉める音が聞こえるのに、何故だがそうされない。

(どうしたのだろう)

 至は心配になり、立ち上がったときだった。甘ったるい匂いを嗅いだような気がしたのは。

(っ、何だ、これは!)

 途端に熱くなる身体、激しく焚きつけられるような性衝動。立ってすらいられない。いや、足が勝手に香りを辿る。これが何か、考える隙もないほど、甘さに思考が支配される。
 香りの出所は、紬の部屋だった。襖を開いたまま倒れ伏している、紬から、香りが、衝動が押し寄せる。

(オメガのフェロモンか!)

 これが話に聞く、ヒート時期のオメガがアルファを誘う、フェロモン。
 これほど強力なものだなんて、思わなかった。紬が発情抑制剤を飲んでいないのが何故かを考える余裕さえない。

(逃げな、ければ)

 そう思う理性と、紬を我が物にしたいという本能が、せめぎ合う。膝から崩れ落ち、頭を掻きむしる。そうして出した答えは、理性と本能どちらが勝ったとも言えないものだった。

(紬さんを、助けなければ。頭を打っているかも)

 肩を抱き起こすためにふれた、瞬間。
 知らない、凶暴な感情に襲われた。
 紬の全てを奪いたい、その胎に子を孕ませてしまいたい。その考えに頭が支配される。
 意識のない紬の着物を素早く脱がせ、襦袢さえ剥がしてしまう。真っ白な肌、に、淡い梅色の胸の尖りがあまり可愛い。それに、欲情しきった紬自身が桃色に色付き、蕾からはもう、しとどに愛液をこぼしている。

(ああ、きれいだ)

 この男はきっと、至の子を宿すために生まれたんじゃないかと錯覚するほどの、凶暴な性欲が湧き上がる。気を失っていることさえどうでもいい。彼の秘所に、至が指を突き入れようとすると。

「いた、る、さん」

 うっすらと、色素の薄い紬の目が開いた。至を映すその瞳が、とても愛おしく思えて敵わない。
 いつもは染井吉野のような淡い色なのに、ぽってりと木瓜(ぼけ)のように色付き艶めいた唇が、一言。

「たすけて」

 一瞬で、至の血が氷点まで冷え込んだような気がした。
 記憶が、走馬灯のように巡る。
 この別荘で見た、母親の優しげな顔。
 殴られた時の悲しそうな母、惨めに謝る姿、父の無表情。
 それから、母の葬儀の線香の香り。
 がらんとした葬儀場には親族さえ来ていなくて、ひっそりと死に、運命の番にさえ悼まれなかった母。
 ──今、至が紬に強いようとした行為の先にあるものはそれだ。

(嫌だ)

 紬に急いで着物を被せる。

(生殖なんて、俺はごめんだ)

 走り出す。下駄を履いて、竹林を走り抜ける。何処をどう走ったものか、至自身にもよく分からない。だが、気が付いたら近所の医院にいた。

「ヒート中のオメガがいます。緊急鎮静剤をください」

 声のばかりに叫んだ至に、受付の者が驚いて、すぐに裏に入っていった。そうして現れた高齢の医者は、至の姿を見て目を剥いた。

「きみ、香坂家の別荘に住んでいるアルファじゃないか」
「はい。使用人のオメガにヒートが来て……苦しそうだし、俺もあそこにいたら襲ってしまいかねない。薬をお願いします」
「まあ、信じがたいねえ。アルファが鎮静剤をもらいに来るなんて初めてだ」

 訝しみながらも、医者は緊急鎮静剤を処方してくれた。この薬だけは、本人以外でも受け取ることができる。
 また駆けて帰ると、紬はまた意識を失っていた。ふれてもそのままでいてくれることを願いながら、急いで紬に鎮静剤を打つと、すぐにフェロモンが薄まってくる。ほっとして至も腰が抜けた。深く息を吐く。
 しばらくすると紬が目を開けた。

「……至さん」

 紬は虚ろな瞳だが、こちらのことは認識しているようでまたひとつ、至は安堵した。

「気が付きましたか。これからは発情抑制剤を飲んでください。毎回こんなのでは俺が困る」

 溜息を吐いてみせる。抑制剤の飲み忘れかもしれないが、そんな甘い意識で隙だらけ、なんて迷惑なだけだ。そう至は思った、のに。

「……たすけてって言ったのに」
「は?」
「してくれなかったんですね。生殖」

 紬は顔を至から背けた。紬がふて腐れている理由が分からなくて、至は首を傾げる。

「……あなただって別にしたくはないでしょう」
「発情したオメガがアルファに放っておかれる辛さ、あなたには分からないでしょうね」

 拗ねたように紬に言われたので、至は顔が熱くなった。だって、その意味は。

「誘ったつもりだったんですか、あれで」
「……そうですが」
「通じませんよ! 発情したオメガはもっと淫らなんじゃないですか!?」
「そんなのひとによるでしょう! 五つも年下の方を相手に卑猥な強要なんてできません」

 そうして着物を握りしめて身体を縮こめるので、なんだか無性にこのひとは可愛いんじゃないかと思ってしまった。

「……何故抑制剤を飲んでいないのです」

 その問いに紬は答えてくれなかった。「ご自分で考えてください」なんて思わせぶりな言葉が、このひとから出るなんて、と至は苦悩したのだけれど。
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