焔と華 ―信長と帰蝶の恋―

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第9話:紅蓮の誓い

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――天正元年・秋。
比叡山の焼き討ちから数ヶ月、信長の名は“恐怖”とともに都に広まり、
その“焔”の勢いは誰にも止められぬものとなっていた。

だがその反面、信長の行動は各地の反発をも招いていた。
とくに、石山本願寺――浄土真宗の拠点は、信長を“魔王”と呼び、徹底抗戦の構えを見せていた。

それは、信長が仏と対峙した戦いの、第二幕の始まりだった。

◇ ◇ ◇

岐阜の居館。
帰蝶は、信長の出陣を前に、静かに髪を結っていた。

「今回は本願寺、ですか……。
 信仰を盾にする者を敵に回すのは、比叡山とは違った苦しみがありましょう」

「承知の上だ。だが、俺はもう止まれん。
 どこかで線を引けば、すべてが崩れる。一人の情けで千の命を危うくするくらいなら――」

「千の命を救うために、一万の命を焼く。それがあなたの選ぶ道なのですね」

信長は微かに口を歪め、肩をすくめる。

「俺はこの国の業火そのもの。ならば、その“火”の意味を示すしかない」

帰蝶は、そっと信長の手を取り、膝に置いた。

「では――私も、その火の中にいます。
 あなたの焔が人を焼くとき、せめて私がその苦しみを知っていましょう。
 あなたの孤独がどれほど深いものか、私は知っているつもりです」

「……帰蝶」

信長は、その手を強く握り返した。
その掌には、幾度もの戦で刻まれた、無数の剣傷と火傷の痕があった。

◇ ◇ ◇

信長の軍は、大坂湾を越え、石山本願寺を包囲した。

戦況は熾烈を極めた。

宗徒たちは民草でありながら、命を懸けて戦った。
信長の軍も、その“信仰”の力に翻弄され、一進一退を繰り返す。

戦の最中、信長はしばしば文を帰蝶に送っていた。

「火は強すぎると、風に煽られる。
人は恐れるよりも、憎むようになった。
だが、それでも俺は止まらぬ。
これが、俺の選んだ道だ。おまえだけは、それを忘れるな」

その文に、帰蝶はこう返した。

「焔の奥に、人の影がある限り――私は、あなたの“鬼”になります。
どんなに人に恐れられても、あなたが“人”であろうとする限り、私は見失いません」

◇ ◇ ◇

その頃、京では奇妙な噂が流れていた。

――織田信長は、もう“人”ではない。
――比叡山を焼き、本願寺を攻め、次は神仏そのものを否定するのだ。

人々は彼を“第六天魔王”と呼び始めていた。

だが、その異名は信長にとって、もはや侮辱ではなかった。

ある夜、戦陣の中。
信長は月を見上げ、独りごちた。

「魔王か……上等だ。ならば、俺はこの国の“業”をすべて背負って、焼き尽くしてやる。
 そうして初めて、新しい世が見える」

すると、背後から帰蝶の声が響いた。

「ならば、私はその魔王に仕える“華”となりましょう」

信長が振り返ると、帰蝶が馬に乗って、陣へと駆けつけていたのだった。

「何故来た! ここは戦場だ、女が来るところではない!」

「女ではありません。織田信長の正室として、この目であなたの戦いを見届けに来ました。
 焔に咲く華であるならば、灰になるそのときまで、あなたの隣に咲いてみせましょう」

信長は、言葉を失った。

そして、思わず笑った。

「……ふふ。おまえという女は、俺よりずっと“狂ってる”のかもしれんな」

「それは、あなたに惚れた日から、始まっていたことですわ」

◇ ◇ ◇

夜が明け、本願寺との戦いは、さらに激しさを増していく。

だが、信長の内には今、ただの怒りではなく、“何かを守るための強さ”が灯っていた。

焔の中で――
帰蝶は、信長が“人”として戦い続けることを願いながら、静かに祈りを捧げていた。

それは、燃え尽きぬ誓い。
ふたりの“愛”という名の紅蓮の誓いだった。


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