大正貴族の階段 ~侯爵令嬢の恋~

ご隠居

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女子華族院4年生の静子(しずこ)と5年生の寛子(ひろこ) 2

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 寛子(ひろこ)と静子(しずこ)はそれから教室からそう遠く離れていない窓辺のところまで移動し、寛子(ひろこ)は窓の外を見ながら隣に立つ静子(しずこ)に語り始めた。

「実は…、高等科には進まないかも知れない…」

 寛子(ひろこ)の思わぬ告白に静子(しずこ)は思わず、「えっ」と声を上げた。

「それは…、進学を諦(あきら)める、ってことですか?」

 静子(しずこ)は信じられないといった顔で尋ねた。すると寛子(ひろこ)は窓外(そうがい)から静子(しずこ)へと目を転じると、「そうじゃない」と頭を振って見せた。

「それじゃあ…」

「別の学校に進学しようと思ってるの…」

 成程(なるほど)、それで…、と静子(しずこ)は寛子(ひろこ)が自分を教室の外へと誘(いざな)ったことに合点(がてん)がいった。確かに教室にはごく僅(わず)かな生徒しかいなかった。具体的には5年生ではこの寛子(ひろこ)の他には誰もおらず、4年生にしてもまた然(しか)りで、静子(しずこ)の他には誰もおらず、あとは3年生が2人の合わせて4人しかいなかった。

 それでも2人の耳がある以上、他の学校に進学しようなどということは聞かれなくないと思うのが普通であった。

「でも…、具体的にはどこの学校に?いえ、差し支(つか)えなければで結構ですけど…」

 静子(しずこ)は寛子(ひろこ)がどこの学校に進学するつもりか大いに興味があったが、無理やり聞き出すつもりはなかった。

 すると寛子(ひろこ)は、「それを教えようと思って、外に誘ったのよ…」と笑顔で答えると、

「女子英語塾に進学しようと思ってるのよ…」

 そう教えてくれた。

「女子英学塾…、あの津田梅子先生が開学された高等師範学校ですね?」

 静子(しずこ)も寛子(ひろこ)の心中を慮(おもんぱか)り、小声で確かめるように尋ねた。

「そう…」

「と言うことは英語の先生に?」

 高等師範学校はさしずめ教員養成大学であり、わけても女子英学塾はその名からも察せられる通り、英語の先生を養成する学校であった。

「そう…、このまま高等科に進学しても…、こう言っては悪いけど先がないから…」

 先がない…、寛子(ひろこ)の言わんとするところは静子(しずこ)にも分かった。女子英学塾が四年制のさしずめ大学ならばこの女子華族院の高等科は二年制であり、言わば短大であった。

 いや、短大は大学よりも劣るからとか、そういう話ではない。その授業内容が問題なのである。

 要するにこの女子華族院はどこまでいっても「お嬢様学校」なのである。つまりは「花嫁養成機関」に過ぎないのだ。もっと言うなら、

「良妻賢母」

 を養成する機関であり、だからこそ卒業を待たずして、「寿退学」が奨励(しょうれい)されたりするのだ。

 無論、静子(しずこ)にしても寛子(ひろこ)にしてもそういう学校の方針に異を唱えるつもりはない。またそれに従う女学生の存在も…、「寿退学」するような、「良妻賢母」を目指すような女学生の存在も否定するつもりはない。

 だが寛子(ひろこ)は、そして静子(しずこ)にしてもそうだが、自立心が強く、「寿退学」するつもりもなければ、「良妻賢母」を目指すつもりもなかった。つまりは男と同じように将来的には自立して生きていきたいと強く望んでいたのだ。

 そんな寛子(ひろこ)にとって「花嫁養成機関」、「良妻賢母養成機関」の延長線上に過ぎないこの女子華族院の高等科で二年を過ごすことは正に、

「無為(むい)に過ごす…」

 それ以外に言いようがなかった。

「無論、高等科である以上、その高等科に内部進学させるからにはこうして講習を…、学問の講習を受けさせることを建前にはしているけれど、でも…」

 寛子(ひろこ)はその先は言わなかったが、静子(しずこ)は言われずとも分かった。つまりは、

「高等科に進学すればまた家事やら裁縫やらといった花嫁養成、良妻賢母養成が待っている」

 ということであった。

「本当は山脇高女にでも進学したかったんだけどね…」

 寛子(ひろこ)のその告白は静子(しずこ)にとっては思わぬものであったが、しかしすぐに「成程(なるほど)…」と思ったものである。

 山脇高女とは山脇高等女学校のことであり、今から5年前の大正8(1919年)に初めて洋装の製服を取り入れた女学校であり、極めて進取(しんしゅ)の気性(きしょう)に富んだ学校であった。それだけにこの女子華族院のような、

「花嫁養成機関」

 あるいは、

「良妻賢母養成機関」

 でもなく、純粋に学問を教える学校であった。

 だが華族の子女に生まれたからにはそれもあたわず、であった。華族の子女はこの女子華族院に入学するのが半ば義務であったからだ。無論、絶対に、というわけではなく、女子華族院以外の女学校にも進学可能であったが、しかし実際にはほぼすべての華族の子女はこの女子華族院に進学しており、そんな状況では寛子(ひろこ)が例え憧(あこが)れの山脇高女に進学しようと思っても、子爵である父がそれを許さなかったであろう。

 寛子(ひろこ)の父、野村(のむら)益三(ますぞう)は子爵にして、貴族院議員でもあった。静子(しずこ)の父、義意(よしおき)も侯爵として貴族院に議席を置き、その点、静子(しずこ)と寛子(ひろこ)は良く似ていた。

 いや、似ていたのはそればかりではない。考え方にしても同様で、義意(よしおき)にしても益三(ますぞう)にしても共に、娘に対しては「良妻賢母」を求めてはおらず、それよりもむしろ、

「自立した女性」

 それを求めていた。いや、益三(ますぞう)は義意(よしおき)以上にそう求めていたやも知れぬ。

 だがその益三(ますぞう)をもってしても娘をこの女子華族院に入学させることは不可能であった。

「余計なお世話かも知れないけれど…、いや、余計なお世話だから聞き流してもらって結構なんだけど、静(しず)ちゃんも高等科じゃなく、他の学校への進学を考えたらどうかしら…」

 静子(しずこ)にしてもまた、「良妻賢母」になろうとは思っていなかったので、寛子(ひろこ)のその言葉は胸に突き刺さった。

「あっ、そろそろ授業が始まる頃かもね。戻ろう…」

 寛子(ひろこ)は静子(しずこ)の手を取った。確かにもうそろそろ2時限目の授業が始まる午前10時20分かも知れなかった。2時限目は数学の授業であり、今日は幾何(きか)であった。
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