4 / 30
女子華族院4年生の静子(しずこ)と5年生の寛子(ひろこ) 2
しおりを挟む
寛子(ひろこ)と静子(しずこ)はそれから教室からそう遠く離れていない窓辺のところまで移動し、寛子(ひろこ)は窓の外を見ながら隣に立つ静子(しずこ)に語り始めた。
「実は…、高等科には進まないかも知れない…」
寛子(ひろこ)の思わぬ告白に静子(しずこ)は思わず、「えっ」と声を上げた。
「それは…、進学を諦(あきら)める、ってことですか?」
静子(しずこ)は信じられないといった顔で尋ねた。すると寛子(ひろこ)は窓外(そうがい)から静子(しずこ)へと目を転じると、「そうじゃない」と頭を振って見せた。
「それじゃあ…」
「別の学校に進学しようと思ってるの…」
成程(なるほど)、それで…、と静子(しずこ)は寛子(ひろこ)が自分を教室の外へと誘(いざな)ったことに合点(がてん)がいった。確かに教室にはごく僅(わず)かな生徒しかいなかった。具体的には5年生ではこの寛子(ひろこ)の他には誰もおらず、4年生にしてもまた然(しか)りで、静子(しずこ)の他には誰もおらず、あとは3年生が2人の合わせて4人しかいなかった。
それでも2人の耳がある以上、他の学校に進学しようなどということは聞かれなくないと思うのが普通であった。
「でも…、具体的にはどこの学校に?いえ、差し支(つか)えなければで結構ですけど…」
静子(しずこ)は寛子(ひろこ)がどこの学校に進学するつもりか大いに興味があったが、無理やり聞き出すつもりはなかった。
すると寛子(ひろこ)は、「それを教えようと思って、外に誘ったのよ…」と笑顔で答えると、
「女子英語塾に進学しようと思ってるのよ…」
そう教えてくれた。
「女子英学塾…、あの津田梅子先生が開学された高等師範学校ですね?」
静子(しずこ)も寛子(ひろこ)の心中を慮(おもんぱか)り、小声で確かめるように尋ねた。
「そう…」
「と言うことは英語の先生に?」
高等師範学校はさしずめ教員養成大学であり、わけても女子英学塾はその名からも察せられる通り、英語の先生を養成する学校であった。
「そう…、このまま高等科に進学しても…、こう言っては悪いけど先がないから…」
先がない…、寛子(ひろこ)の言わんとするところは静子(しずこ)にも分かった。女子英学塾が四年制のさしずめ大学ならばこの女子華族院の高等科は二年制であり、言わば短大であった。
いや、短大は大学よりも劣るからとか、そういう話ではない。その授業内容が問題なのである。
要するにこの女子華族院はどこまでいっても「お嬢様学校」なのである。つまりは「花嫁養成機関」に過ぎないのだ。もっと言うなら、
「良妻賢母」
を養成する機関であり、だからこそ卒業を待たずして、「寿退学」が奨励(しょうれい)されたりするのだ。
無論、静子(しずこ)にしても寛子(ひろこ)にしてもそういう学校の方針に異を唱えるつもりはない。またそれに従う女学生の存在も…、「寿退学」するような、「良妻賢母」を目指すような女学生の存在も否定するつもりはない。
だが寛子(ひろこ)は、そして静子(しずこ)にしてもそうだが、自立心が強く、「寿退学」するつもりもなければ、「良妻賢母」を目指すつもりもなかった。つまりは男と同じように将来的には自立して生きていきたいと強く望んでいたのだ。
そんな寛子(ひろこ)にとって「花嫁養成機関」、「良妻賢母養成機関」の延長線上に過ぎないこの女子華族院の高等科で二年を過ごすことは正に、
「無為(むい)に過ごす…」
それ以外に言いようがなかった。
「無論、高等科である以上、その高等科に内部進学させるからにはこうして講習を…、学問の講習を受けさせることを建前にはしているけれど、でも…」
寛子(ひろこ)はその先は言わなかったが、静子(しずこ)は言われずとも分かった。つまりは、
「高等科に進学すればまた家事やら裁縫やらといった花嫁養成、良妻賢母養成が待っている」
ということであった。
「本当は山脇高女にでも進学したかったんだけどね…」
寛子(ひろこ)のその告白は静子(しずこ)にとっては思わぬものであったが、しかしすぐに「成程(なるほど)…」と思ったものである。
山脇高女とは山脇高等女学校のことであり、今から5年前の大正8(1919年)に初めて洋装の製服を取り入れた女学校であり、極めて進取(しんしゅ)の気性(きしょう)に富んだ学校であった。それだけにこの女子華族院のような、
「花嫁養成機関」
あるいは、
「良妻賢母養成機関」
でもなく、純粋に学問を教える学校であった。
だが華族の子女に生まれたからにはそれもあたわず、であった。華族の子女はこの女子華族院に入学するのが半ば義務であったからだ。無論、絶対に、というわけではなく、女子華族院以外の女学校にも進学可能であったが、しかし実際にはほぼすべての華族の子女はこの女子華族院に進学しており、そんな状況では寛子(ひろこ)が例え憧(あこが)れの山脇高女に進学しようと思っても、子爵である父がそれを許さなかったであろう。
寛子(ひろこ)の父、野村(のむら)益三(ますぞう)は子爵にして、貴族院議員でもあった。静子(しずこ)の父、義意(よしおき)も侯爵として貴族院に議席を置き、その点、静子(しずこ)と寛子(ひろこ)は良く似ていた。
いや、似ていたのはそればかりではない。考え方にしても同様で、義意(よしおき)にしても益三(ますぞう)にしても共に、娘に対しては「良妻賢母」を求めてはおらず、それよりもむしろ、
「自立した女性」
それを求めていた。いや、益三(ますぞう)は義意(よしおき)以上にそう求めていたやも知れぬ。
だがその益三(ますぞう)をもってしても娘をこの女子華族院に入学させることは不可能であった。
「余計なお世話かも知れないけれど…、いや、余計なお世話だから聞き流してもらって結構なんだけど、静(しず)ちゃんも高等科じゃなく、他の学校への進学を考えたらどうかしら…」
静子(しずこ)にしてもまた、「良妻賢母」になろうとは思っていなかったので、寛子(ひろこ)のその言葉は胸に突き刺さった。
「あっ、そろそろ授業が始まる頃かもね。戻ろう…」
寛子(ひろこ)は静子(しずこ)の手を取った。確かにもうそろそろ2時限目の授業が始まる午前10時20分かも知れなかった。2時限目は数学の授業であり、今日は幾何(きか)であった。
「実は…、高等科には進まないかも知れない…」
寛子(ひろこ)の思わぬ告白に静子(しずこ)は思わず、「えっ」と声を上げた。
「それは…、進学を諦(あきら)める、ってことですか?」
静子(しずこ)は信じられないといった顔で尋ねた。すると寛子(ひろこ)は窓外(そうがい)から静子(しずこ)へと目を転じると、「そうじゃない」と頭を振って見せた。
「それじゃあ…」
「別の学校に進学しようと思ってるの…」
成程(なるほど)、それで…、と静子(しずこ)は寛子(ひろこ)が自分を教室の外へと誘(いざな)ったことに合点(がてん)がいった。確かに教室にはごく僅(わず)かな生徒しかいなかった。具体的には5年生ではこの寛子(ひろこ)の他には誰もおらず、4年生にしてもまた然(しか)りで、静子(しずこ)の他には誰もおらず、あとは3年生が2人の合わせて4人しかいなかった。
それでも2人の耳がある以上、他の学校に進学しようなどということは聞かれなくないと思うのが普通であった。
「でも…、具体的にはどこの学校に?いえ、差し支(つか)えなければで結構ですけど…」
静子(しずこ)は寛子(ひろこ)がどこの学校に進学するつもりか大いに興味があったが、無理やり聞き出すつもりはなかった。
すると寛子(ひろこ)は、「それを教えようと思って、外に誘ったのよ…」と笑顔で答えると、
「女子英語塾に進学しようと思ってるのよ…」
そう教えてくれた。
「女子英学塾…、あの津田梅子先生が開学された高等師範学校ですね?」
静子(しずこ)も寛子(ひろこ)の心中を慮(おもんぱか)り、小声で確かめるように尋ねた。
「そう…」
「と言うことは英語の先生に?」
高等師範学校はさしずめ教員養成大学であり、わけても女子英学塾はその名からも察せられる通り、英語の先生を養成する学校であった。
「そう…、このまま高等科に進学しても…、こう言っては悪いけど先がないから…」
先がない…、寛子(ひろこ)の言わんとするところは静子(しずこ)にも分かった。女子英学塾が四年制のさしずめ大学ならばこの女子華族院の高等科は二年制であり、言わば短大であった。
いや、短大は大学よりも劣るからとか、そういう話ではない。その授業内容が問題なのである。
要するにこの女子華族院はどこまでいっても「お嬢様学校」なのである。つまりは「花嫁養成機関」に過ぎないのだ。もっと言うなら、
「良妻賢母」
を養成する機関であり、だからこそ卒業を待たずして、「寿退学」が奨励(しょうれい)されたりするのだ。
無論、静子(しずこ)にしても寛子(ひろこ)にしてもそういう学校の方針に異を唱えるつもりはない。またそれに従う女学生の存在も…、「寿退学」するような、「良妻賢母」を目指すような女学生の存在も否定するつもりはない。
だが寛子(ひろこ)は、そして静子(しずこ)にしてもそうだが、自立心が強く、「寿退学」するつもりもなければ、「良妻賢母」を目指すつもりもなかった。つまりは男と同じように将来的には自立して生きていきたいと強く望んでいたのだ。
そんな寛子(ひろこ)にとって「花嫁養成機関」、「良妻賢母養成機関」の延長線上に過ぎないこの女子華族院の高等科で二年を過ごすことは正に、
「無為(むい)に過ごす…」
それ以外に言いようがなかった。
「無論、高等科である以上、その高等科に内部進学させるからにはこうして講習を…、学問の講習を受けさせることを建前にはしているけれど、でも…」
寛子(ひろこ)はその先は言わなかったが、静子(しずこ)は言われずとも分かった。つまりは、
「高等科に進学すればまた家事やら裁縫やらといった花嫁養成、良妻賢母養成が待っている」
ということであった。
「本当は山脇高女にでも進学したかったんだけどね…」
寛子(ひろこ)のその告白は静子(しずこ)にとっては思わぬものであったが、しかしすぐに「成程(なるほど)…」と思ったものである。
山脇高女とは山脇高等女学校のことであり、今から5年前の大正8(1919年)に初めて洋装の製服を取り入れた女学校であり、極めて進取(しんしゅ)の気性(きしょう)に富んだ学校であった。それだけにこの女子華族院のような、
「花嫁養成機関」
あるいは、
「良妻賢母養成機関」
でもなく、純粋に学問を教える学校であった。
だが華族の子女に生まれたからにはそれもあたわず、であった。華族の子女はこの女子華族院に入学するのが半ば義務であったからだ。無論、絶対に、というわけではなく、女子華族院以外の女学校にも進学可能であったが、しかし実際にはほぼすべての華族の子女はこの女子華族院に進学しており、そんな状況では寛子(ひろこ)が例え憧(あこが)れの山脇高女に進学しようと思っても、子爵である父がそれを許さなかったであろう。
寛子(ひろこ)の父、野村(のむら)益三(ますぞう)は子爵にして、貴族院議員でもあった。静子(しずこ)の父、義意(よしおき)も侯爵として貴族院に議席を置き、その点、静子(しずこ)と寛子(ひろこ)は良く似ていた。
いや、似ていたのはそればかりではない。考え方にしても同様で、義意(よしおき)にしても益三(ますぞう)にしても共に、娘に対しては「良妻賢母」を求めてはおらず、それよりもむしろ、
「自立した女性」
それを求めていた。いや、益三(ますぞう)は義意(よしおき)以上にそう求めていたやも知れぬ。
だがその益三(ますぞう)をもってしても娘をこの女子華族院に入学させることは不可能であった。
「余計なお世話かも知れないけれど…、いや、余計なお世話だから聞き流してもらって結構なんだけど、静(しず)ちゃんも高等科じゃなく、他の学校への進学を考えたらどうかしら…」
静子(しずこ)にしてもまた、「良妻賢母」になろうとは思っていなかったので、寛子(ひろこ)のその言葉は胸に突き刺さった。
「あっ、そろそろ授業が始まる頃かもね。戻ろう…」
寛子(ひろこ)は静子(しずこ)の手を取った。確かにもうそろそろ2時限目の授業が始まる午前10時20分かも知れなかった。2時限目は数学の授業であり、今日は幾何(きか)であった。
0
あなたにおすすめの小説
王弟が愛した娘 —音に響く運命—
Aster22
恋愛
村で薬師として過ごしていたセラは、
ハープの音に宿る才を王弟レオに見初められる。
その出会いは、静かな日々を終わらせ、
彼女を王宮の闇と陰謀に引き寄せていく。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
月夜に散る白百合は、君を想う
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。
彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。
しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。
一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。
家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。
しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。
偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる