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第2章 二度目の青春
4.授業のはじまり
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教室のドアを開ける。
開け放たれた窓には午後の柔らかい日差しが降り注ぎ、カーテンをそよ風が揺らしていた。
隅の席ではだれか女の子が机に伏せて寝ていた。
その姿はとても気持ちよさそうで、離れたところにいても寝息が聞こえてきそう。
ささやかな彼女の声色を聞き取るために、あたりはミュートな音量が海のように広がっていた。
うまく説明できないけれど、思ったことはただひとつ。
えもいわれぬ美しさ。
ずっとこの景色を見ていたかった。
でも、とある気づきがこの視界を不思議なものに変えてしまった。
......この子は誰なんだろう?
たとえ顔が見れなくても、同じクラスだったら少しでも人物が分かるポイントがあるだろう。でも、視界の先にいる子は少しもそんなことを感じられなかった。
顔だけでも見てみたくなった。
声はかけないで、ちょっと顔を視界に収めるだけ。
それなら良いだろうと勝手に解釈して、少しずつ歩を進めていく。
もし起こしてしまったら彼女は迷惑だろう、それでも自分の興味は止まることを知らなかった。
あと少しのところで、彼女の姿はふと消えてしまった。
あの子の肩に手が触れそうな距離だったのに。
僕の周りをただ静寂が包み込んでいるだけだった......。
・・・
スマートフォンのアラームが鳴る。
それは夢から現実の世界への帰還を告げる音。
目覚まし時計を止めても、ここにはまだ自分がいないような気がした。まだあの虚ろな夢の中のよう。
ふわふわした気持ちを抱きつつも僕は身体を起こした。
夢を見るのも、その中で愛しい人と巡り合うのも。そして、新しい朝日を浴びるのも。生きているから実感できることなんだろう。
輝く太陽に祈りをささげよう、今日一日が楽しい日でありますようにって。
空はどこまでも青く、雲ひとつない晴天だった。
高気圧に覆われて何日も晴れの予報が続くとのことだ。小学生のプール教室があった頃はいつも憂鬱で雨が降るのを期待していたけれど、今年はなんだか気分がちがう。
すいが待っている、笑っている顔を見れる。
それだけで高校に行く価値があるんだと思うと、暑い中に外出するのも楽しくなってくる。
交差点で信号が青になるのを待っていると、そよ風が吹いた。
何気なく空を見上げてみる。
自分の瞳に映る青空はなんだか悲しく見えたのは気のせいだろうか。
......このそよ風が強く吹かないように。ふとこんなことを願ってみた。
・・・
夏休みの校舎に入るのは大変だと思っていたけど、実際そんなことはなかった。
ほぼ毎日どこかの部活が行われているから、いつも通り制服を着ていれば校舎には入れる。体育棟はちょっとしたミッションとなるけれど、それがクリアできればすいに会えるわけだ。
「やっほー、今日も来たね」
彼女はプールにもう到着していて、こちらを見て手を振った。今日もにこにことしている。
「先生に見つからなかった?」
「うん、だいじょうぶだった」
水の上に浮かんでいた彼女は身体を起こして立ち上がると、こちらに向けて泳いでくる。
ちなみに、今日は普通に足があった。
やはりこないだ見た尾びれは気のせいだったろうか。
彼女はどうしてここにいるのか、どうして毎回のように忍び込めるのか。疑問ばかりが浮かんでしまう。
「ほら、どうしたの。はやくやろうよ」
プールの縁に手をかけたままのすいがこちらを見上げて声をかける。その表情にはこちらの心配などひとつも気づいていなかった。
すいはプールから上がるなり腕を組んで左右にぐりぐりと回している。そっか、プールに入る前にはきちんと準備体操をしないと。
「そうだよ。ちゃんとわたしが見ててあげるから、手を抜いたらだめだよ」
腕立て伏せと腹筋、そしては背筋くらいはやろうか。運動神経がなくてもできるメニューが思い浮かんだところで、すいが声をかけた。
「さ、立ち上がって。体を前に倒しましょう」
こともあろうことか、すいが動きを指定してくる。簡単な動きから入るんだなあ。彼女の指示通りに上半身を倒して床に手をつけた。
「さ、次は床に座って腕を前に伸ばして」
あどけない顔をしているコーチに言われるがまま、座って両腕を伸ばす。
そのまま準備体操をしていると、いきなり腕をつかまれた。なにがあったのかと思うと、ぐいっと思いっきり引っ張られた。
腕回りの筋が張るような感覚を覚えるも、まだ掴まれたままだ。
ああ、痛い。
これ以上は限界だというところで、やっと離してくれた。
解放された僕は疲れながらすいのことを見上げた。彼女はふふ、と微笑みながらストレッチの効果について話してくれる。
「体を動かしてちょっとはすっきりしたでしょ。ちゃんと準備体操するとやわらかく体を動かせるから」
たしかにそうかもしれない。肩回りとかが楽になって、なんだか体全体が軽くなった気がする。
「でも、ちょっとやりすぎだからね」
「ああ、ごめんごめん」
すいは明るい表情に少しの謝罪を混ぜて頭を下げた。
でも、自分のためというのを理解できるから、悪気は感じなかった。少々ガサツだけど他人のことを考えてくれるのが、彼女の良いところだ。
少し休憩したところで最後は腹筋をやろうということになった。
あまり休憩を挟まない方が良いのではと思ったが、まあ初日だしこんなものだろうか。
さあはじめようと足を組んだところで、すいがその足を押さえてくれた。別にそんなことをしなくて良いのに。
気にせず運動をしようと思っていたのに、体を起こしたまましばらく動けなかった......。
近いんですけど。
体を起こしたところにはすぐ目の前にはすいの顔があって、もう鼻がくっつきそうな距離だ。
白い肌と対をなす黒い瞳。
しっかりとピントが合って、そのまま見ていたいと思ってしまった。
「なに、湊くん......?」
すいもこちらの顔をうかがう。ふたりの視線が混ざり合って、ついお互いに見つめ合ってしまう。ついお互いの想いがリフレインするように、通じ合っているのを感じてしまった。どちらの頬も赤く染まるまで、どれくらいそのままにしていただろうか。
「わ、ごめん」
「こっちこそごめんね」
ふたりして慌てて離れる。
嬉しさや恥ずかしさが混ざり合ってしまい、どちらもうつむいてしまった。
何も話す雰囲気じゃなかったふたりを、プールに浮かんでいるトンボがこちらを覗いていた。
・・・
すいがプールに入っていく。
それに続いて、自分もゆっくりと入水した。思わず立ち止まって、彼女の方を見つめてしまった。
「......湊くん、どうしたの?」
「あ、なんでもないんだけどさ。......すいって教えられたっけ」
水泳部でない彼女は一瞬きょとんとしたが、吹き出すように笑い出した。
「だいじょうぶだよ、ちゃんと本で読んだもん!」
本で? 不思議な会話に首をかしげていると、すいは次第に気恥ずかしさで顔を染めていた。
「だ、だいじょうぶだって! すいちゃんにまかせなさい」
気を取り直して、すいは質問をしてくる。
「ちょっと聞きたかったんだけど。湊くんってさ、水が怖いの?」
とても直球だ。そういうことを、あまり考えたことがなかった。
シャワーは普通に浴びれるから、授業と関係ないところからつまづくことなんてあるのだろうか。
「たまにそういう子がいるらしいよ。顔に水かけるのすら怖いって、小学校の子が言ってたよ」
まあ、その子すぐ泳げるようになっちゃったけどね、などと静かに釘を刺してくる。
「自分のペースでいいんだよ」
それでも、あたたかい一言を添えてくれた。少し胸をなでおろしたのは秘密にしよう。
「さあ、この腕を取って」
そう言いながらすいは水中で左腕を差し出した。なにをするのかわからないまま、自分の左手で彼女の手をつかむ。すると、すいは間髪入れずに勝負を挑んでくるのだった。
「じゃんけんしよ! 最初はグーだよ」
慌てて自分の手を出すも見事に負けてしまった。勝ち誇った笑みをしたすいは、そのまま水に顔をつけてと指令を出す。
「とりあえず10秒でいいよ」
これだけ聞くとあっという間な気もするが、実際やってみるとなかなか大変だった。水中で息を止めないといけないからだ。
「ぷはっ」
「けっこう大変でしょ。静かに息を吐きだすよう意識してみるといいよ、あとがんばって目は開けてみてね」
さあ、次のじゃんけんをしよう。
視線をぶつけながらお互いのこぶしを掲げる。
しかしながら、勝負はおもしろい方向に進むのだった。
「......なんで何回も勝負しているのに、湊くんがほとんど負けてるの!!」
すいは握っている手を離して、お腹の前に手を添えて笑い出してしまった。
開け放たれた窓には午後の柔らかい日差しが降り注ぎ、カーテンをそよ風が揺らしていた。
隅の席ではだれか女の子が机に伏せて寝ていた。
その姿はとても気持ちよさそうで、離れたところにいても寝息が聞こえてきそう。
ささやかな彼女の声色を聞き取るために、あたりはミュートな音量が海のように広がっていた。
うまく説明できないけれど、思ったことはただひとつ。
えもいわれぬ美しさ。
ずっとこの景色を見ていたかった。
でも、とある気づきがこの視界を不思議なものに変えてしまった。
......この子は誰なんだろう?
たとえ顔が見れなくても、同じクラスだったら少しでも人物が分かるポイントがあるだろう。でも、視界の先にいる子は少しもそんなことを感じられなかった。
顔だけでも見てみたくなった。
声はかけないで、ちょっと顔を視界に収めるだけ。
それなら良いだろうと勝手に解釈して、少しずつ歩を進めていく。
もし起こしてしまったら彼女は迷惑だろう、それでも自分の興味は止まることを知らなかった。
あと少しのところで、彼女の姿はふと消えてしまった。
あの子の肩に手が触れそうな距離だったのに。
僕の周りをただ静寂が包み込んでいるだけだった......。
・・・
スマートフォンのアラームが鳴る。
それは夢から現実の世界への帰還を告げる音。
目覚まし時計を止めても、ここにはまだ自分がいないような気がした。まだあの虚ろな夢の中のよう。
ふわふわした気持ちを抱きつつも僕は身体を起こした。
夢を見るのも、その中で愛しい人と巡り合うのも。そして、新しい朝日を浴びるのも。生きているから実感できることなんだろう。
輝く太陽に祈りをささげよう、今日一日が楽しい日でありますようにって。
空はどこまでも青く、雲ひとつない晴天だった。
高気圧に覆われて何日も晴れの予報が続くとのことだ。小学生のプール教室があった頃はいつも憂鬱で雨が降るのを期待していたけれど、今年はなんだか気分がちがう。
すいが待っている、笑っている顔を見れる。
それだけで高校に行く価値があるんだと思うと、暑い中に外出するのも楽しくなってくる。
交差点で信号が青になるのを待っていると、そよ風が吹いた。
何気なく空を見上げてみる。
自分の瞳に映る青空はなんだか悲しく見えたのは気のせいだろうか。
......このそよ風が強く吹かないように。ふとこんなことを願ってみた。
・・・
夏休みの校舎に入るのは大変だと思っていたけど、実際そんなことはなかった。
ほぼ毎日どこかの部活が行われているから、いつも通り制服を着ていれば校舎には入れる。体育棟はちょっとしたミッションとなるけれど、それがクリアできればすいに会えるわけだ。
「やっほー、今日も来たね」
彼女はプールにもう到着していて、こちらを見て手を振った。今日もにこにことしている。
「先生に見つからなかった?」
「うん、だいじょうぶだった」
水の上に浮かんでいた彼女は身体を起こして立ち上がると、こちらに向けて泳いでくる。
ちなみに、今日は普通に足があった。
やはりこないだ見た尾びれは気のせいだったろうか。
彼女はどうしてここにいるのか、どうして毎回のように忍び込めるのか。疑問ばかりが浮かんでしまう。
「ほら、どうしたの。はやくやろうよ」
プールの縁に手をかけたままのすいがこちらを見上げて声をかける。その表情にはこちらの心配などひとつも気づいていなかった。
すいはプールから上がるなり腕を組んで左右にぐりぐりと回している。そっか、プールに入る前にはきちんと準備体操をしないと。
「そうだよ。ちゃんとわたしが見ててあげるから、手を抜いたらだめだよ」
腕立て伏せと腹筋、そしては背筋くらいはやろうか。運動神経がなくてもできるメニューが思い浮かんだところで、すいが声をかけた。
「さ、立ち上がって。体を前に倒しましょう」
こともあろうことか、すいが動きを指定してくる。簡単な動きから入るんだなあ。彼女の指示通りに上半身を倒して床に手をつけた。
「さ、次は床に座って腕を前に伸ばして」
あどけない顔をしているコーチに言われるがまま、座って両腕を伸ばす。
そのまま準備体操をしていると、いきなり腕をつかまれた。なにがあったのかと思うと、ぐいっと思いっきり引っ張られた。
腕回りの筋が張るような感覚を覚えるも、まだ掴まれたままだ。
ああ、痛い。
これ以上は限界だというところで、やっと離してくれた。
解放された僕は疲れながらすいのことを見上げた。彼女はふふ、と微笑みながらストレッチの効果について話してくれる。
「体を動かしてちょっとはすっきりしたでしょ。ちゃんと準備体操するとやわらかく体を動かせるから」
たしかにそうかもしれない。肩回りとかが楽になって、なんだか体全体が軽くなった気がする。
「でも、ちょっとやりすぎだからね」
「ああ、ごめんごめん」
すいは明るい表情に少しの謝罪を混ぜて頭を下げた。
でも、自分のためというのを理解できるから、悪気は感じなかった。少々ガサツだけど他人のことを考えてくれるのが、彼女の良いところだ。
少し休憩したところで最後は腹筋をやろうということになった。
あまり休憩を挟まない方が良いのではと思ったが、まあ初日だしこんなものだろうか。
さあはじめようと足を組んだところで、すいがその足を押さえてくれた。別にそんなことをしなくて良いのに。
気にせず運動をしようと思っていたのに、体を起こしたまましばらく動けなかった......。
近いんですけど。
体を起こしたところにはすぐ目の前にはすいの顔があって、もう鼻がくっつきそうな距離だ。
白い肌と対をなす黒い瞳。
しっかりとピントが合って、そのまま見ていたいと思ってしまった。
「なに、湊くん......?」
すいもこちらの顔をうかがう。ふたりの視線が混ざり合って、ついお互いに見つめ合ってしまう。ついお互いの想いがリフレインするように、通じ合っているのを感じてしまった。どちらの頬も赤く染まるまで、どれくらいそのままにしていただろうか。
「わ、ごめん」
「こっちこそごめんね」
ふたりして慌てて離れる。
嬉しさや恥ずかしさが混ざり合ってしまい、どちらもうつむいてしまった。
何も話す雰囲気じゃなかったふたりを、プールに浮かんでいるトンボがこちらを覗いていた。
・・・
すいがプールに入っていく。
それに続いて、自分もゆっくりと入水した。思わず立ち止まって、彼女の方を見つめてしまった。
「......湊くん、どうしたの?」
「あ、なんでもないんだけどさ。......すいって教えられたっけ」
水泳部でない彼女は一瞬きょとんとしたが、吹き出すように笑い出した。
「だいじょうぶだよ、ちゃんと本で読んだもん!」
本で? 不思議な会話に首をかしげていると、すいは次第に気恥ずかしさで顔を染めていた。
「だ、だいじょうぶだって! すいちゃんにまかせなさい」
気を取り直して、すいは質問をしてくる。
「ちょっと聞きたかったんだけど。湊くんってさ、水が怖いの?」
とても直球だ。そういうことを、あまり考えたことがなかった。
シャワーは普通に浴びれるから、授業と関係ないところからつまづくことなんてあるのだろうか。
「たまにそういう子がいるらしいよ。顔に水かけるのすら怖いって、小学校の子が言ってたよ」
まあ、その子すぐ泳げるようになっちゃったけどね、などと静かに釘を刺してくる。
「自分のペースでいいんだよ」
それでも、あたたかい一言を添えてくれた。少し胸をなでおろしたのは秘密にしよう。
「さあ、この腕を取って」
そう言いながらすいは水中で左腕を差し出した。なにをするのかわからないまま、自分の左手で彼女の手をつかむ。すると、すいは間髪入れずに勝負を挑んでくるのだった。
「じゃんけんしよ! 最初はグーだよ」
慌てて自分の手を出すも見事に負けてしまった。勝ち誇った笑みをしたすいは、そのまま水に顔をつけてと指令を出す。
「とりあえず10秒でいいよ」
これだけ聞くとあっという間な気もするが、実際やってみるとなかなか大変だった。水中で息を止めないといけないからだ。
「ぷはっ」
「けっこう大変でしょ。静かに息を吐きだすよう意識してみるといいよ、あとがんばって目は開けてみてね」
さあ、次のじゃんけんをしよう。
視線をぶつけながらお互いのこぶしを掲げる。
しかしながら、勝負はおもしろい方向に進むのだった。
「......なんで何回も勝負しているのに、湊くんがほとんど負けてるの!!」
すいは握っている手を離して、お腹の前に手を添えて笑い出してしまった。
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