きらめく水面に、思い出は棲む

卯月ゆう

文字の大きさ
19 / 25
第4章 人魚姫の願い

18.はじめての気持ち

しおりを挟む
 夏休みが目前に迫った7月。
 わたしが教室に入るなり、灯里さんが挨拶してくれた。彼女の瞳は待ってましたと言わんばかりだ。
「すいちゃんおはよう。なんか不機嫌な顔をしてるのね」
「灯里さんおはよう」
 どうしたのとこちらの表情をうかがう彼女に、わたしは小さな愚痴をこぼした。
「お日様が暑くてさあ、なんかもう痛いくらい」
「そうねえ、すいちゃんもう腕とか赤いよ。ちゃんと日焼け止め塗ってるの?」
 もちろん、と頷いて答える。わたしは人一倍肌が白いから、日焼け止めはぜったい必要なんだ。
「夏って本当に嫌いだよねえ」
 と、となりに座っている里美さんも会話に入ってくる。
「すぐ汗かくからさあ、お化粧できないし。それに、何着たらいいか分からないもん」
「たしかに、こういうとき制服があって助かるよね」
 え? 何気に発せられた言葉にわたしはつい目を丸くした。
「お化粧って、里美さんしてるの?」
「してるの? ......って、逆にすいちゃん興味ないの?」
 自然と顔を合わせるわたしたち。近くで見てやっと、彼女がうっすらとメイクしてるのがわかる。
 なんだかじっと見つめてしまう。女の子の顔だとわかっているのに、なんだか恥ずかしくなって慌てて体ごと離した。
 火照ってしまったわたしは顔を手で仰いだ。
 それでも熱いのは収まらないから、無意識に制服に手を伸ばす。水色のリボンを取ってしまって、ブラウスの一番上にあるボタンは外してもだいじょうぶだろう。でも、もうひとつ外していたら、灯里さんが慌てて手を伸ばした。
「あー! すいちゃんストップ!」
 彼女の大声に反応した生徒たちがこちらに顔を向けている。何が起きているのかわからないまま、みんな硬直していた。彼ら彼女らの視線はなぜだかわたしの手元に向いている。わたしがしようとしていたことは、恥ずかしい非常事態。
 やっと気づいたわたしは、慌てて席を立ちあがってお手洗いに走っていった。
「すいちゃんってさ、......もしかして男子を意識したことないの?」
 里美さんはわたしが戻ってくると、耳元に向けて小声で話しかける。
 わたしは返事の代わりにこくんと頷いた。まだ別の意味で顔が真っ赤だった。
 つい言葉を失ってしまう。校庭のどこかで鳴いているであろう蝉時雨が流れてくる。
 
 わたしはやっと灯里さんが持っていた紙袋に気づいた。
「どうしたの、それ」
「チョコだよ。つい話が盛り上がって忘れてたわ」
 母親がどこかでたくさんもらって食べきれないから、クラス中に配っているのだという。
 まさか男子に? わたしの早とちりに彼女は笑って答えた。
「違うよ、女子だけだよ」
 私、男子苦手だもん。そう言う彼女に意味深な影を感じたのは気のせいだっただろうか......。
 
 里美さんはここぞとばかりに話題を変えてくれた。
「まあ、夏はほんと嫌だねえ。冬の方がオシャレできるんじゃない? マフラー巻くのかわいいし」
 たしかにそうだね。冬はマフラーに手袋に、かわいい小物がいっぱいある。
 みんなの私服姿を想像してみたい。学校の遠足も制服だったし、そういえば休日にだれかと出かけたこともなかったし。
 ちょうど、湊くんが教室に入ってきた。わたしはまた無意識に彼のことを目で追ってしまう。
 
 そういえば、お気に入りのワンピースを出してなかったな。ふとそんなことが頭に浮かんだ。

 ・・・

 午後は体育館で全校集会をしている。
「教室で話してくれればいいじゃんね」
 里美さんが小声でつぶやきながらわたしを肘でつつく。そうだねとこちらからもひそひそ声で返した。
 バイトをしないように。遅くまで遊ばないように。
 わかりきっている夏休みの生活態度の話題なんて、だれが真剣に耳を傾けるのかな。誰かしらちょっとは破るのかもしれないけれど、わたしの周りの子たちはそんなことはしないと思っている。
 それにしても蒸し暑い。
 ドアや窓は開けているのに、まったく空気が流れる感じはしなかった。そんな中に皆が集合しているから、体育座りをしているだけでも誰もが辛そう。誰かしら倒れてしまうんじゃないかと思う。
 わたしは先生の話を半分くらいしか聞いていなくて、里美さんの言葉が脳裏を駆け巡っていた。
 男の子。それはわたしが今まで意識したことのない響き。
 別に小学校とかでは普通に話したりしていた。
 でも、だれかのおうちに遊びに行くとか付き合ってほしいとか言われたことはなくて。教室に行けば居る存在、それがわたしにとっての男の子。
 それは高校生になっても、自分の中では変わらない。......はずだった。
 きみがこのクラスに居るから。いつの頃から湊くんのことを目で追うようになったのだろう。
 
 その気持ちが何か、わたしが知らないだけかもしれない。
 自分の知らないところで、みんなは誰かと付き合ったことあるのかな。
 
 異変が起きたのはその時だった。
 列の前の方で誰かが倒れてしまった。ふらふらと身体を起こしたところを、近くの生徒に支えらている。
 ああ、気分悪くしちゃったんだ。
 慌てて駆けつけた先生によって、その子は列を離れていく。あまり見てちゃいけないな。そう思うながらも、その様子をちらりと覗いてみる。
 え! と小さな声を上げそうだった。運ばれているのは、なんと灯里さんだった。
 もうそこからは先生の話を聞いていなかった。彼女はだいじょうぶかな、そんなことしか考えられなかった。
 体育棟の入り口なら少しは風が当たるかもしれない、ちょっと飲み物でも飲めば回復するかもしれない。
 灯里さんが休まる方法を、永遠と考え続けていた。
 すると、視界の縁で誰かがこそこそと動いていた。湊くんだった。
 品がないけれどお手洗いに行きたくなったのだろうか、それでも何か彼なりの理由があるのだろうか。
 集会が解散してぞろぞろと教室に戻るとき、わたしはあちこちに首を振って彼のことを探してみる。
 でも、彼はそこにはいなかった。
 仕方なくわたしも教室に戻ろう。そう思って体育棟を出るところだった。
「あ、すいちゃん」
「すい」
 湊くんは体育棟の入り口にいて、灯里さんと話しているではないか。
 しかも彼女の手にはスポーツ飲料のペットボトルがあった。何気ない理由を付けて集会を抜け出した湊くんが渡したのだろう。
 わたしはしばしふたりの姿を見つめていた。知らない間に、お目目を細く狭めて。
「だいじょうぶだったんだね、良かったよ」
 なぜかこれだけの言葉しか生まれなかった。
 もっと心配するセリフは思い浮かぶはずなのに、みんなに明るく接してあげるのが自分なのに。
 ......わたしたちは仲の良い関係だったはずなのに。
 頬を膨らませながら、わたしはひとり教室に向けて歩いていく。
 
 ・・・
 
 帰宅したわたしは、ボフンと音を立てるベッドに勢いよく飛び込んだ。
 制服もろくに脱がないまま、そのまま枕に顔をうずめる。
 あのふたりに感じた違和感はなんだったんだろう。まるで寄り添うように見えてしまった。
 もし好き合っていたらどうしよう。
 ......でも、湊くんの近くにはわたしがいたはずなのに。
 ふたりの間に何もないのは頭では分かっているつもりだったのに、どうして心はつれない素振りをしてしまうのだろう。もう自分自身がよく分からなくなっていた。
 ごめんなさいなんて言葉は一瞬生まれただけで、どこかに飛んでいってしまった。まるで風に流されたように。
「お姉ちゃんだったらどうするんだろう」
 わたしは小さくつぶやきながら、もらったチョコを口に放り投げる。なんと、これは今まで食べたことのないチョコ。ウイスキーが入っていた。
 ひとくちで酔ってしまい、悲しみの気持ちがこみ上げる。
 幼い頃、お母さんに"恋ってなあに"って聞いたことがあった。お母さんは笑って、ひとりでいるときでもその子のことを思い出すことって答えてくれたっけ。
 
 "あのかたが海の上を、船に乗ってお通りになっているのだわ。おとうさまよりもおかあさまよりももっと好きなあのかたが。あたしがいつも思っているあのかたが。"
 
 人魚姫は王子様と一緒になりたかった。
 大人になるたびふくらんでいた、本当の願いにやっと気づくことができたんだ。湊くんと一緒にいたいって、これがわたしのはじめての気持ち。
 でも、恋はきれいなものだと思っていたのに......。
 
 恋をすれば、悲しみに濡れちゃうんだな。はじめて味わう味はこんな感じなのかなあ。
 小さな涙を流しながら、そのまま眠ってしまった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

『大人の恋の歩き方』

設楽理沙
現代文学
初回連載2018年3月1日~2018年6月29日 ――――――― 予定外に家に帰ると同棲している相手が見知らぬ女性(おんな)と 合体しているところを見てしまい~の、web上で"Help Meィィ~"と 号泣する主人公。そんな彼女を混乱の中から助け出してくれたのは ☆---誰ぁれ?----★ そして 主人公を翻弄したCoolな同棲相手の 予想外に波乱万丈なその後は? *☆*――*☆*――*☆*――*☆*    ☆.。.:*Have Fun!.。.:*☆

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

処理中です...