きらめく水面に、思い出は棲む

卯月ゆう

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第6章 あの日に待ってる

21.愛されている証

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 僕は西原とすいの家の前にいる。
 西原の提案で、すいのご両親に挨拶に行こうと約束を取り付けてくれた。何も事情を教えられなかった僕は仕方なく彼女についていき、今日この日、門の前ですべてを思い出した。
 ......すいは亡くなっていた。たった一日の、たった一瞬の出来事が彼女の命を奪ってしまったのだ。
「だまって連れてきてごめんなさい。でも、こうでもしないときみは......」
 ここで西原は言いよどんだ。頭を下げた彼女に、自分は告げる。
「どうして言ってくれなかったの?」
「言おうとしたわよ! でも、プールで楽しそうにしているきみはたった一人で。私には何も見えなかったけれど、楽しそうでいたから、そこに怖さもあったから......」
 怖さ。その言葉がふと僕に現実を押し付ける。自分は何を見ていたんだろう、今まですいの姿を見ていたはずなのに。傍からしたら、どんな姿を見ていたのだろうか。
 だから、イマジナリーフレンドなんて言葉も出てきたんだ。
 西原は少し呼吸を整えて、神妙な顔つきのままゆっくりと告げた。
「......成瀬くんは夢の中から出てきてくれない。しっかりと、現実を見てほしいんだ」
 太陽は天高くに上り、力強く僕たちを照らす。そこから作り出される影は色濃く残り、襲ってくる眩暈で揺らめいてしまう。
 すぐ振り返って帰れたら良かったのに。影踏みされたように足が動かない。
 
 ......それならば、真実を知らなきゃいけない。
 
 ここまで来たら逃げ出したくなかった。
 息を整えるから待ってほしいと西原に告げる。
「いいよ、ゆっくりと時間をかけて深呼吸してかまわないから」
 どれくらいの時間が経っただろう。
 西原が、インターホンを押した。

 ・・・

 すいの母親はすいをそのまま大人にしたような人物だった。
 多少髪の毛が長いような気がしたが、ほとんど生き写しといってもいいくらい瓜二つ。その姿をついまじまじと見てしまった。
 なにぼうっとしてるのよと西原は僕のことを肘でつつき、母親に向かってお忙しいところありがとうございますと頭を下げた。
 僕も習ってお辞儀をする。
「今日のところはありがとうね、さあいらっしゃい」
 ぴんと張った手のひらに誘われるように、僕たちは玄関へ足を踏み入れた。
 
 畳のある和室に案内されると、その隅に小さな祭壇が置いてあった。こんじまりとしていながらも花で飾り付けられていて、その中にすいの遺影が置かれていた。
 ワンピースを着ている姿を写した一枚で、いつもと同じように笑っている。まるで、彼女の笑みが満開の花のように咲き誇っている感じだった。
 ああ、やっぱりそうなんだな。
 思わずすいの写真を手に取ってしまいそうになる。その方が、現実を実感できそうな気がして。いや、いけない。落ち着きなおして、線香に火をともした。
 それからゆっくりと時間をかけて手を合わした。きみのことを知ることができました、きみのことをもっと知りたいです。その願いを込めて。
「その遺影に選んだ写真は特にお気に入りだったワンピースを着たときのものよ。あの子、どこに行くにもあの一枚を着たがって、まるで幼稚園児みたいにわがままで可愛かったわ」
 母親が説明してくれる。
 この衣装は見たことがある。あの日、亡くなったときもこの服を着ていた。
「成瀬くん、きみにはいろんな迷惑をかけたわね」
 ......ありがとう。その言葉を言われると、やはりすいが亡くなってしまったことを実感してしまい、今更涙が出てきてしまう。沈みかけた肩に、西原が手をそっと置いてくれた。
 今になってやっといろいろと思い出してくる。
 救急車ですいと一緒に病院まで行ったこと。待合室でご両親がやってくるのを待っていたこと。
「でも、きみは立派に仕事を成し遂げたのよ。事故に遭ったって電話をかけてくれた、それだけで私たちは一足でも早く行くことができたんだから」
 実際、すいは両親が病院がたどり着くまで間に合わなかった......。
「最初の頃はそれこそ大変だったわ。でも、お葬式も済ませて落ち着いてくるとね、こうやって君たちが集まってくれたんだなって嬉しくなったのよ。すいはいい友達をもって幸せだったんだなって考えられるようになったの」
 つい話にのめり込んでしまう。母親が用意してくれたゼリーには誰もが手を付けなかった。
 
 ここで、西原が祭壇に置かれているもうひとつの写真に気づいた。そこには、すいよりだいぶ幼い子供が写真に収められている。
「あら、もうひとつ置かれている写真は......?」
 ......聞いてしまってよいのか分からないけれど、と添える西原の質問にすいの母親はかまわないと答えて話してくれた。
「この写真はすいのお姉ちゃん。"みどり"っていうのよ」
 すいに姉がいたなんて初耳だった。しっかりと話を聞いてみたい。そう思って改めて顔を上げた。
「そうね......。西原さんって言ったっけ。下の名前は何ていうのかしら?」
灯里あかりっていいます」
 すいの母親は少し呼吸を整えて、話はじめた。
「カワセミっていう鳥を知っているかしら。そう、川とか池にいる美しい野鳥よ。私はなかなか子供ができない身体だったの。それでも、やっとみどりを授かることができたのよ」
 カワセミは主に都会を離れた水の澄んだところに生息する野鳥だ。その美しさにあやかり、幸運や安産といった意味を持つとされる。
「そう、私が一番好きなエメラルドの鳥。......私は最初の子が産まれただけで満足するべきだったのに。夫婦そろって姉妹にしてあげたいって願っちゃって。大変なのが分かっていても、夫は子供を授かることを応援してくれたわ」
 つい話にのめり込む。
「ある日、気晴らしにバードウォッチングに行こうって声をかけてくれて、その時にカワセミを見たのよ。それなのに......」
「あの、みどりさんは......」
 ちょっとした隙に西原が質問を挟んだ。
 すいの母親はゆっくりと首を横に振って答えてくれた。......これで両親の願いが叶う、そんなタイミングだったという。
「風邪をこじらせて、みどりは急に体調を崩してしまった。でも、みどりが亡くなったからすいが産まれたんだなって。私は信じているのよ」
 母親が語りたいのは、生命のめぐり逢い。
 もしかしたら、"みどり"も"すい"も、カワセミを意味する"翡翠"という漢字から由来する名前なのだろう。
「すいはね、もともと内向的な性格だったの。何をするにも自信がない子だったわ。あれは十歳の誕生日だったかしら。"きみにはお姉ちゃんが居たんだよ"って説明してあげたら、少しずつ明るくなっていって、いつも笑顔を絶やさない子になってくれたのよ」
 懐かしいわね、と母親が言うのに合わせて僕たちも相づちを打った。
 すいといえば太陽のような笑顔でみんなのことを明るく照らす。そのスポットライトに心躍るシーンをよく見てきた。その由来を知ることができて、とてもうれしく思った。
「灯里さんって言ったわね。みんなもいずれは家庭という輪に入るのかもしれない。子どもを作るかはもちろん自由だけど、もし出来たら、うんと可愛がってあげるのよ」
 産まれてきた、それだけで愛されている証なのだから。こう告げる母親の瞳は希望を望むようにきらめいていた。

 ・・・

 僕と西原はすいの家を離れて駅に向かって歩いていく。
 もうすでに夕日が落ちる時間帯で、ふたり歩く影は行くときよりもうんと伸びている感じだった。
 支え合うように重なって見える影に、安堵の気持ちがこみ上げてくる。
 その温かい気持ちは瞳に集まる水滴を我慢することができない。今までの授業がすべて嘘だというのなら、僕は何を見ていたのだろう。
 それでも、やっと真実を実感することができたことには変わりない。
 
 人魚姫のネックレスを思い出していた。
 これはきみの為を思って買った品だ。だけども、その相手は渡すわけにはいかないまま、天に登ってしまった。
 ずっと一緒にいたいと願ったのに、行かないでほしいと願ったのに、もう遠い存在になってしまったから。
 ネックレスは机の中に眠っているまま、ひとり輝いている。その美しさは去年からまったく変わっていない。その存在を理解できるから、僕はネックレスを、彼女の存在を実感しよう。
 それでも、自分の心の中に握りしめているのはつらかった。
 彼女の死因が自分のせいなんじゃないかと思うと、安堵の気持ちを抱いたというのに、まだやりきれない。
 その輝きが、身体という全身を締め付けているよう。
 
「......成瀬くん、もう泣いていいんだよ」
 その言葉に反応して、自然と涙があふれてくる。
 西原がそっと自分の頭に腕を伸ばす。そのまま胸にうずめるよう持ってきてくれた。辺りには誰も居ないからって耳打ちしてくれて。
 僕は大きな声で大粒の涙を流してその場で泣き続けた。
 すいが亡くなった日もそうだった。一番最後に病院に駆け付けた西原は、足を止めて何も言わずにすべてを理解した。
 そして、すぐに彼女なりの答えを見つけてくれた。
 背中に回してくれた手は陽だまりのように温かい。今もあの日も、ずっと背中をさすってくれた......。
 僕はその日はじめての涙を流すことができた。
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