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第2章:城での生活と、過剰すぎる優しさ
6:他の誰でもない「俺」を、見てくれる人
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ヴァルトの宣言から一日が経った。
響人は昨夜のことを思い返していた。広間に響いた「かけがえのない人」という言葉――。
全員が凍りついたあの場の空気。自分の心臓の音が、鼓膜の裏側まで響いていたのを覚えている。
昨日までは避けられて、目も合わせてもらえなかった。けれど今日は違った。挨拶を返してくれる人がいる。笑顔を向けてくれる人さえ、いた。たった一日で、こんなにも人の態度が変わるものなのかと思うと、やるせなさもあった。でもそれ以上に……
「俺が選んだ者を否定する者は、俺を否定するに等しい」
あの言葉が、今も胸に残っていた。誰かが、こんなにも真っすぐに自分を肯定してくれることがあるなんて思っていなかった。他人の評価がすべてだった自分にとって、その絶対の後ろ盾は、どれほど心強いものだったか。
***
それからの響人は、城での生活に少しずつ慣れていった。
朝は中庭の花に水をやり、ヴァルトの身支度を手伝い、鱗の手入れをする。
昼は書類の整理をするヴァルトの傍でお茶を淹れ、たまに愚痴を聞く相手になる。
たった――それだけだ。
でも、「怒鳴られない」「誰かの顔色を窺わなくていい」──そんな日常が響人にとっては夢みたいだった。でも……夢みたいで、逆に怖かった。
***
ある日の朝。
「……あの、その、ヴァルト様。こっち向いてもらえますか?」
響人はオイルを手に、ヴァルトに向かって声をかけた。
ヴァルトは上半身だけ竜の姿を残しており、艶やかな黒鱗が肩から腰にかけてびっしりと並んでいる。それを手入れするのが響人の役目だった。
ヴァルトが静かに問いかける。
「……嫌か?」
「いえ、そういうわけじゃ……ただ、まだちょっと緊張してて……」
「気にするな。触れていい」
ヴァルトは無表情で答えながら、じっと響人に身を預けてくる。体温が高く、鱗の下に脈打つ鼓動が伝わってくるたびに、なんだか変な気分になった。
「……これ、本当にお世話係の範囲ですか……?」
「当然だ」
鱗の間を丁寧に布で拭っていく。すると、ふと耳元に低い声が落ちた。
「響人、お前の手は……心地いい」
「……そう言われると、なんか恥ずかしいんだけど……」
「なら、もっと撫でてくれ。ずっとでもいい」
「……やっぱこの人、変態なんじゃないか……」
ぼそりと呟いた声を聞いて、ヴァルトは珍しくふっと笑った。
「聞こえているぞ」
「わざとです」
***
午後、響人は図書室でヴァルトの書類整理を手伝っていた。
ヴァルトは王としての責務が多く、外敵への布告や、城内の管理、魔力源の調整など膨大な業務がある。
「俺にできることなんてないと思ってたけど……こういうのなら、意外と役に立てるかも」
ポツリと呟いた響人に、ヴァルトが静かに顔を向けた。
「役に立つために、お前を側に置いているのではないと前にも言ったが」
「……そうだけど……怖くて」
「なぜだ?」
その問いに、響人は俯いた。答えを口にするには、まだ少し勇気が足りなかった。
──捨てられるのが怖い。必要とされなくなるのが、怖い。そんな言葉を簡単に口にしてはいけない気がした。
そのとき、ヴァルトがふいに立ち上がり、響人の頭をそっと撫でた。
「他の誰でもなく、響人だから、ここにいてほしい。それ以上でも、以下でもない」
その手が、驚くほど優しくて、響人はまた泣きそうになった。
「……ヴァルト様は、やっぱりちょっと変わってますよ」
「俺も、そう思う」
「え?」
「お前に触れると、落ち着かなくなる。……それが恋というものだろう?」
あっさりと言われて、響人は顔を真っ赤にして硬直した。
「こ、恋とか、まだ一言も言ってないでしょ!?」
「……では執着か……独占欲でも構わん」
「もっとダメじゃん!そういうの……軽々しく言うもんじゃ……」
「軽くない」
真顔だった。すごく真剣だった。響人は押し黙り視線を落とした。
──怖い。けど嬉しいと思った自分が、もっと怖い。
夜。眠れずにバルコニーに出た響人は、星空の下でひとり膝を抱えた。
広い空。光る星。静かな風。何もかもが美しくて――現実世界じゃないみたいだった。
でも、自分の手の中には確かにあの大きな手のぬくもりが残っている。
「ここにいてもいいのかな……」
そう呟いた瞬間、背後からあたたかな布が肩にかけられた。
「いるべきだ」
振り返れば、ヴァルトがそっと自分に毛布をかけてくれていた。
「寒い夜は、お前を抱き寄せるに限るな。……湯たんぽのように」
「誰が湯たんぽですか……!」
「嫌か?」
「……嫌じゃない」
そう呟いてしまった。
そっと寄り添った身体は、あたたかくて。ヴァルトの手は響人の肩を守るように包み込んでくれた。
「こんな場所が欲しかった」――いつしか、そんな想いが胸を占めていた。
響人は昨夜のことを思い返していた。広間に響いた「かけがえのない人」という言葉――。
全員が凍りついたあの場の空気。自分の心臓の音が、鼓膜の裏側まで響いていたのを覚えている。
昨日までは避けられて、目も合わせてもらえなかった。けれど今日は違った。挨拶を返してくれる人がいる。笑顔を向けてくれる人さえ、いた。たった一日で、こんなにも人の態度が変わるものなのかと思うと、やるせなさもあった。でもそれ以上に……
「俺が選んだ者を否定する者は、俺を否定するに等しい」
あの言葉が、今も胸に残っていた。誰かが、こんなにも真っすぐに自分を肯定してくれることがあるなんて思っていなかった。他人の評価がすべてだった自分にとって、その絶対の後ろ盾は、どれほど心強いものだったか。
***
それからの響人は、城での生活に少しずつ慣れていった。
朝は中庭の花に水をやり、ヴァルトの身支度を手伝い、鱗の手入れをする。
昼は書類の整理をするヴァルトの傍でお茶を淹れ、たまに愚痴を聞く相手になる。
たった――それだけだ。
でも、「怒鳴られない」「誰かの顔色を窺わなくていい」──そんな日常が響人にとっては夢みたいだった。でも……夢みたいで、逆に怖かった。
***
ある日の朝。
「……あの、その、ヴァルト様。こっち向いてもらえますか?」
響人はオイルを手に、ヴァルトに向かって声をかけた。
ヴァルトは上半身だけ竜の姿を残しており、艶やかな黒鱗が肩から腰にかけてびっしりと並んでいる。それを手入れするのが響人の役目だった。
ヴァルトが静かに問いかける。
「……嫌か?」
「いえ、そういうわけじゃ……ただ、まだちょっと緊張してて……」
「気にするな。触れていい」
ヴァルトは無表情で答えながら、じっと響人に身を預けてくる。体温が高く、鱗の下に脈打つ鼓動が伝わってくるたびに、なんだか変な気分になった。
「……これ、本当にお世話係の範囲ですか……?」
「当然だ」
鱗の間を丁寧に布で拭っていく。すると、ふと耳元に低い声が落ちた。
「響人、お前の手は……心地いい」
「……そう言われると、なんか恥ずかしいんだけど……」
「なら、もっと撫でてくれ。ずっとでもいい」
「……やっぱこの人、変態なんじゃないか……」
ぼそりと呟いた声を聞いて、ヴァルトは珍しくふっと笑った。
「聞こえているぞ」
「わざとです」
***
午後、響人は図書室でヴァルトの書類整理を手伝っていた。
ヴァルトは王としての責務が多く、外敵への布告や、城内の管理、魔力源の調整など膨大な業務がある。
「俺にできることなんてないと思ってたけど……こういうのなら、意外と役に立てるかも」
ポツリと呟いた響人に、ヴァルトが静かに顔を向けた。
「役に立つために、お前を側に置いているのではないと前にも言ったが」
「……そうだけど……怖くて」
「なぜだ?」
その問いに、響人は俯いた。答えを口にするには、まだ少し勇気が足りなかった。
──捨てられるのが怖い。必要とされなくなるのが、怖い。そんな言葉を簡単に口にしてはいけない気がした。
そのとき、ヴァルトがふいに立ち上がり、響人の頭をそっと撫でた。
「他の誰でもなく、響人だから、ここにいてほしい。それ以上でも、以下でもない」
その手が、驚くほど優しくて、響人はまた泣きそうになった。
「……ヴァルト様は、やっぱりちょっと変わってますよ」
「俺も、そう思う」
「え?」
「お前に触れると、落ち着かなくなる。……それが恋というものだろう?」
あっさりと言われて、響人は顔を真っ赤にして硬直した。
「こ、恋とか、まだ一言も言ってないでしょ!?」
「……では執着か……独占欲でも構わん」
「もっとダメじゃん!そういうの……軽々しく言うもんじゃ……」
「軽くない」
真顔だった。すごく真剣だった。響人は押し黙り視線を落とした。
──怖い。けど嬉しいと思った自分が、もっと怖い。
夜。眠れずにバルコニーに出た響人は、星空の下でひとり膝を抱えた。
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でも、自分の手の中には確かにあの大きな手のぬくもりが残っている。
「ここにいてもいいのかな……」
そう呟いた瞬間、背後からあたたかな布が肩にかけられた。
「いるべきだ」
振り返れば、ヴァルトがそっと自分に毛布をかけてくれていた。
「寒い夜は、お前を抱き寄せるに限るな。……湯たんぽのように」
「誰が湯たんぽですか……!」
「嫌か?」
「……嫌じゃない」
そう呟いてしまった。
そっと寄り添った身体は、あたたかくて。ヴァルトの手は響人の肩を守るように包み込んでくれた。
「こんな場所が欲しかった」――いつしか、そんな想いが胸を占めていた。
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