【完結】犬猿の同期が、恋人になるまで

なの

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第2話:火花散る営業先と予期せぬ共闘

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週明けの月曜日。第一営業部のフロアは、週末の弛緩した空気を振り払うように、朝から活気に満ちていた。だが、俺、相田春人の心だけは、重く垂れ込めた梅雨空のように晴れない。

原因は、言うまでもなく橘京平だ。

先週末、あの居酒屋で別れた後、俺は一人で考え込んでいた。
『お前は本当に、わかりやすいな』
そう言った時の、橘の真剣な瞳。下の名前で呼ばれた時の、心臓の跳ね方。嫌いなはずなのに、なぜか心地よかった二人だけの時間。
そのすべてが、消化不良のまま胃のあたりにもやもやと居座っている。

オフィスで顔を合わせても、どう接すればいいのかわからない。
ちらりと橘の席に目をやると、彼はすでにPCに向き合い、完璧な姿勢でキーボードを叩いていた。その横顔は、いつもの冷徹なポーカーフェイス。週末の出来事など、まるで記憶から消去されているかのようだ。そのいつも通りの態度が、なぜか無性に腹立たしい。俺だけが、こんなにも意識しているみたいじゃないか。

「――では、今週の重点目標だが」

朝礼が始まり、斎藤部長の声が響く。俺は思考を切り替え、仕事モードへと自分を叩き込んだ。

「各々、今週の最重要攻略クライアントを一人一社、発表するように。まずは、相田から」

「はい!自分は、北山工業です。先代社長のころから5年間アプローチを続けている難攻不落の相手ですが、今週こそ必ず突破口を開いてみせます!」

俺が力強く宣言すると、チームのメンバーから「おお、相田、強気だな!」「頑張れよ!」と声援が飛ぶ。
北山工業は、俺が新人時代からずっと追いかけてきた、いわば因縁の相手だ。担当者とは人間関係も築けている。あと一押し、その手応えは確かにあった。

「いい意気込みだ。次は、橘」

「自分は、新規開拓リストの上位三社に集中します。データ上、今週中に少なくとも二社からは契約が見込めると予測しています」

淡々と、事実だけを述べる橘。そのロジカルで揺るぎない自信に、フロアがわずかにどよめく。俺の情熱的な宣言とは対照的な、いかにも橘らしいやり方だ。
また俺は、こいつと比べられるのか。そう思うと、胸の奥がざらついた。

朝礼が終わり、各自が自分の業務に戻る。俺も北山工業への最終提案資料の準備に取り掛かろうとした、その時だった。

「相田さん、お疲れ様です!よかったら、これどうぞ」

声をかけてきたのは、営業事務の後輩、川上さんだった。屈託のない笑顔で、俺のデスクに栄養ドリンクをことりと置く。

「北山工業の件、頑張ってください!相田さんの粘り強さ、本当に尊敬してます!」

「お、おお、サンキュ、川上さん。頑張るよ」

まっすぐな応援に、少し照れながら礼を言う。不器用な俺を、こうして慕ってくれる後輩がいる。その事実が、乾いた心にじんわりと染みた。

そんなやり取りを、誰かが見ている。
ふと視線を感じて顔を向けると、橘が、少し離れた場所からこちらを無表情で見ていた。
目が合った瞬間、彼は興味を失ったかのように、すっと視線を逸らして自分の席に戻っていく。

「相田は後輩にモテモテだなー。その素朴なところが母性本能をくすぐるのかねぇ~」

隣の田中先輩が、ニヤニヤしながら茶化してくる。

「それに比べて橘は、完璧すぎて近寄りがたいもんな。まあ、女子社員からの隠れファンは一番多いらしいが」

「……興味ないです」

俺はぶっきらぼうに返し、PC画面に向き直った。
だが、頭の中はさっきの橘の視線でいっぱいだった。一体、どんな顔で見ていたんだ? なぜ、俺と川上さんの会話を?
考えれば考えるほど、仕事に集中できなくなっていく。

***

約束の午後二時。
俺は、北山工業の立派なエントランスで、気合を入れ直していた。

今日こそ、長年の悲願を達成する。バッグの中の資料は完璧だ。何度もシミュレーションしたプレゼンの流れも、頭に入っている。

受付で名前を告げ、応接室に通されるのを待っていた、その時。
背後で、よく通る低い声がした。

「お待たせいたしました。アポイントをいただいております、橘です」

嘘だろ。
凍り付いたように振り返ると、そこには、涼しい顔で受付嬢に微笑みかける橘の姿があった。
なぜ、お前がここにいるんだ。

「……橘ッ!てめえ、どういうつもりだ!」

俺は、周囲の目もはばからず、橘に詰め寄った。

「何のつもり、とは?俺も北山社長に呼ばれた。それだけのことだが」

「とぼけるな!この案件は、俺がずっと追ってきたんだぞ!人の獲物を横取りするなんて、それでも同期か!」

激昂する俺を、橘は冷めた目で見下ろす。

「落ち着け、相田。ここは会社じゃない。それに、これは横取りじゃない。どちらの提案が会社に利益をもたらすか、クライアントが判断するだけのことだ。ビジネスとしては、至極当然だろう」

その正論が、さらに俺の怒りに火を注ぐ。

やがて、「お待たせいたしました」と担当者が現れた。俺と橘の間に流れる不穏な空気に一瞬戸惑いながらも、彼は俺たち二人を同じ応接室へと案内した。

重厚な革張りのソファに、俺と橘が並んで腰掛ける。テーブルの向こうには、北山工業のトップ、北山社長が座っていた。

「二人とも、今日は来てもらってすまんな」

社長はそう言うと、俺たちを交互に見た。

「相田くんの情熱的な提案は、非常に魅力的だ。長年、我が社のために足繁く通ってくれた君の熱意は、よくわかっている。
だが、橘くん。君が先日送ってくれたデータ分析も、実に興味深かった。そこでだ。今日は、君たち二人の口から、直接プレゼンを聞きたい。君たちが、もし『二人で』我が社を担当するとしたら、どんな未来を見せてくれるのか、とね」

社長の言葉に、俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。

二人で?この俺と、橘が?ちらりと隣を見ると、橘は、まるでこうなることなど最初からわかっていたかのように、落ち着き払っていた。

プレゼンが始まった。
まず、俺がサービスの概要と、それが北山工業の企業文化にいかに貢献できるかを、熱を込めて語った。手応えはあった。だが、社長からコスト面に関する厳しい質問が飛んだ瞬間、俺は言葉に詰まってしまった。

「……その点については、現在、鋭意検討中で……」

歯切れの悪い俺の答えに、社長の眉間にわずかに皺が寄る。まずい。このままでは……。
その時だった。

「社長、その点については、こちらのデータをご覧ください」

すっと、隣から声がした。橘が、手元のタブレットを社長に見せながら、流暢に語り始める。

「相田の提案は、初期投資こそ従来のプランより15%ほど上回ります。ですが、導入後の業務効率化による人件費削減、そして顧客満足度向上によるLTV、いわゆる顧客生涯価値の飛躍的な上昇を考慮すれば、わずか3年で投資コストは回収可能。5年後には、御社に年間8000万円以上の純利益をもたらすと試算しています」

淀みない説明。完璧なデータ。それは、俺の提案の唯一の弱点であったコスト面の懸念を、見事に、そして完璧に補強するものだった。なぜ、こいつが、俺の提案を補うデータなんて持っているんだ?
まるで、俺のプレゼンの内容をすべて知っていたかのように。

俺が呆然とする中、橘はさらに続けた。

「相田の持つ、人を惹きつける情熱と、私の持つ、事実を分析する力。この二つが合わさることで、我々は、御社にこれまでにない価値を提供できる、唯一無二のパートナーになれると確信しております」

その言葉に、北山社長は大きく頷き、満面の笑みを浮かべた。

「見事だ!君たち、噂では犬猿の仲と聞いていたが、最高のコンビじゃないか!よし、この話、前向きに進めよう!」

***

商談は、望外の大成功に終わった。
北山工業からの帰り道、俺と橘は、気まずい沈黙のまま並んで歩いていた。夕暮れの光が、俺たちの影を長く伸ばしている。

「……なんで、助けたんだよ」

耐えきれず、俺は呟いた。

「俺だけの力で、取れるはずの案件だった。お前がいなくても……」

「それはどうかな」

橘は、前を向いたまま、素っ気なく答える。

「お前は、最後の最後で詰めが甘い。情熱だけでは、ビジネスは動かせん」

「……っ!」

痛いところを突かれ、言葉に詰まる。

「勘違いするな。俺は、会社としての利益を最大化するために、最も合理的な判断をしただけだ。それに……」

橘はそこで一度言葉を切り、小さく、だが俺にははっきりと聞こえる声で呟いた。

「お前の長年の努力が、他の誰でもない、俺以外の誰かに評価されるのは、気分が悪い」

その言葉に、俺は顔を上げ、隣を歩く橘の横顔を見た。

夕陽に照らされたその表情は、いつものように冷静で、何を考えているのかわからない。
だが、その耳が、ほんの少しだけ赤く染まっているのを俺は見逃さなかった。

まただ……。
また、こいつに助けられた。そして、また、こいつのことがわからなくなった。

悔しい。腹が立つ。
なのに、胸の奥で、どうしようもなく暖かい何かが、確かに生まれていた。
ライバルへの競争心とは、明らかに違う。もっと、ずっと厄介で、名前のつけられない感情。

俺は、その正体から目を逸らすように、一歩先を歩く橘の広い背中を、ただ黙って見つめていた。


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