泣き虫王子はオとしたい

蟻と猿の糸つむぎ

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12. いとけなき命のげに尊きや、知らでいかで背く

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『どうしてもと言うなら、これだけは返そう。お前のはまるで……薬物中毒者のようじゃないか』



 ノヴァ・グラヴィオンが出発した日、手元に返されたのはたった十数粒のカーファイの実だけだった。

 ユフィリスのものだから盗りはしないと言ったくせに、預かるだけだとか念のためだとか、何だかんだこじつけられて言いくるめられ、集めたカーファイの実はほとんど持っていかれてしまったのだ。



 普通なら、ただの果実にしか見えないカーファイをどれだけ食べていたところで、だれも見咎めはしない。強い酸味と苦味のせいで必要に駆られなければ誰も食べたがらないものではあるが、それはれっきとした神の果実…………聖女となるべき人間がどれだけ食べていようと、少し変わった味覚を持っているのだろう、敬虔なる使徒なのだ、そう思われる程度のはずであった。





「どうかしたんですか?聖女様」



 手のひらで残り数粒になってしまった赤い実を転がしていたユフィリスは、かけられた声に慌てて意識を引き戻した。





 ヘレフォード滞在7日目。

 後方支援部隊は急ピッチで部隊の編制を終え、今日の午後にはここを出立する。

 北の砦周辺に出現した魔物はその数を増やし、ついには高知能を有する魔物達が連携を取り出したと早馬で連絡が入った。



 事態は一刻を争う。



 駐在兵と二個師団の活躍により領民たちへの被害は減少したものの、北の砦間際のノースフォート領は壊滅状態。皇帝率いる主力部隊は高レベル魔物への対処に当たっているという。

 

 兵達の消耗に加えて物資の消耗も激しく、物資補給と医療要員を有する後方支援部隊の増援は急務。



 知らせを受けた後方支援部隊は急遽予定を前倒しして、小都市ヘレフォードを急ぎ足で去ることとなった。



「途中の休憩地ででもカーファイを摘めれば良いのですが……」

「まぁた陛下に怒られますよ?ただでさえ余計なのをくっつけて行こうとしてるってのに」



 イェダが呆れたように後方を見れば、小さな2つの背中がビクリと震えた。

 避難民用の孤児院で見つけたジゼルと、貧民街出身の孤児ラルー。

 彼女達は聖女であるユフィリスの後継……けれどその事実は、“神聖王国にのみ聖女は現れる”という社会通念の影響を加味して、今はまだ誰にも明かしていない。

 イェダの不躾な視線はペタリと垂れ下がったラルーのこげ茶色の耳へと止まり、次の瞬間にはあからさまな嫌悪の色に染まった。



「獣人なんぞ、人間ですらないじゃないか」

「…………やめなさい、イェダ」



 視界を遮るように移動したユフィリスは、苛立ちを隠そうともしないイェダを叱責して睨み上げた。



「わたしの手伝いを出来る人材が必要なのです。わたしの見出した逸材なのです。まだ幼いこの子達には申し訳ないですが、無理をしてついてきてもらうのですよ」

「はは、そりゃ孤児と獣人なんぞ、戦場で使い潰すには丁度いい奴隷身分ですがね。変なもん勝手に連れて行って、帝国側にいちゃもんつけられたらたまったもんじゃねぇです」

「イェダ!」

「やめろよイェダ。いまさらグダグダ言ったところで予定は変わんねぇし、この聖女様の考えも変わらねぇって知ってんだろ」



 見かねたサイモンが止めるのに、イェダはケッと不満げに鼻を鳴らしたが、反論することはせず唾を吐き捨てると背を向けて行ってしまった。



「…………すいません、サイモン」

「別に肩を持ったわけじゃねぇ。あいつ、聖女の馬車じゃなく詰め込み馬車に乗せられんのが気に入らねぇだけなんすよ…………ったく、肉の壁でもありゃ多少は役に立つかもしれねぇっつーのに、それを分かってねーんだから」

「……っ!!」



 酷薄な表情に嘲りをのせて、苦しみに歪むユフィリスの顔を堪能したいがためにサイモンはわざと辛辣な言葉を囁く。

 ユフィリスの頬がカッと熱を帯びた瞬間、サイモンはニヤリと口端を上げた。



 ――――実際のところ、イェダに比べれば聖女の仕事を手伝うことも多いサイモンは、この2人の少女がどういった存在なのか、薄々だが理解しつつある。

 聖書だけでなく聖句や祝詞まで覚えるのは、聖女以外でいえば神官や修道士だけだ。ただの小間使いの少女にそれを教える意味はないし、膨大な量の古語の羅列は、学のない平民にとって片手間仕事で習得できるものでもない。

 そもそも、神聖王国の生まれでもなく聖女の儀も受けていない人間が、いくら修練を積んだところで聖女になれるはずもないのだが…………しかし。

 彼女達がこのまま、もし本当に“そう”なるとして……………それは聖女の輩出というアドバンテージによって成り立ってきた神聖王国の歴史を、根本から塗り替えてしまう、神聖王国にとっての不穏分子となり得る存在であった。





 ――――しかし、それも、サイモンにとってはどうでも良いこと。



 神聖王国から監視の役目は仕ったが、自分にはそのすべてを全うする義理もなければ意味もない。自分はただ報酬をもらい、この王子がヘマをしないよう監視し、私見や予測を交えず嘘のない程度の情報を流す、それだけのこと。

 この面倒な仕事への苛立ちはユフィリスが負ってくれるし、面倒に見合うリターンもある。事情を知らないイェダが立場の弱い偽聖女や孤児に突っかかりたくなる気持ちも、まあ分かるには分かるのだが…………この偽聖女の行動が従者である自分達の明暗をも握っている以上、サイモンにはこのか弱くも賢しい愚かな聖女様に従わない理由がなかった。



「精々頑張って、国を救ってもらわねぇとなぁ」



 にっこりと笑って視線を向ければ、ギクリと揺れる偽聖女の虹彩。

 戸惑ったように揺れる小さな2対の瞳が、そんな偽聖女とサイモンとの間を行き来し……心配そうな上目遣いで聖女のほうへと駆け寄って行った。





「――――……ええ。尽力させていただきます」



 ギュウと抱き寄せた二つの温もりに、聖女は目を瞑り、小さく震える吐息を吐き出す。

 サイモンはついと顔を背けると、大きなため息を吐き出してガシガシと頭を掻きむしった。



「…………あーあ、気に食わねぇの」



 詰め込み馬車に詰め込まれるのは、サイモンとて同じこと。

 せめて泣き顔のひとつでも見られれば気分が晴れただろうものを、踵を返した背中に感じる聖女の視線が煩わしくて、サイモンは足早にその場を後にした。

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