泣き虫王子はオとしたい

蟻と猿の糸つむぎ

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17. 弱き心にこそ清き願ひ宿り

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「それで、何を企んだって?」



 無骨な内装にテーブルとソファを置いただけの、ごくごく簡素な皇帝の居室で、ユフィリスは小さな唇を尖らせ甘い紅茶を啜っていた。



 応接テーブルには、美味しそうな果物と野菜に加え、朝から何故こんなにこってりと焼いたのかと疑問に思うほどにツヤ出しされた鳥の肉がでんと鎮座している。

 聖女の朝は早く起床してからもう数時間は経っているが、それでも向かい側のソファでだらしなく頬杖ついてサンドイッチを摘まむ陛下を見れば、美味しそうな朝食も少しだけ色あせて見えた。



「どうして知っているんですか?口留めしておいたのに」

「どうしてって、おまえ……うちの兵士にちょっかいかけて俺に報告が来ないわけがないだろう」



 さすがに国のトップたる皇帝にまで緘口令が通じるとは思っていない。しかし兵士達のあの夢見るような…………何かに洗脳されたようなあの呆然とした表情を見れば、こんなにすぐに報告がいくとも思っていなかったユフィリスであった。



 黙っていろと言ったのは、神聖王国に自国の出身でない聖女の存在を知られないため。



 皇帝に知られたところで、特に被る害もないユフィリスは、もう一度紅茶を啜ってちらりと皇帝陛下を盗み見た。



「…………どうして怒っているのですか?」



 聖女の卵を見つけたから、保護した。砦の守護のために彼女達に協力を仰いで、けれど安全のためにそれを秘密にしてもらった。それだけである。



 国家転覆の企みとかではない。むしろ帝国を救うための企みだというのに。

 銀灰色の瞳には剣呑な光が宿り、本気で首を傾げるユフィリスを見てますます眉間にしわが寄った。



「………………あの……怖いんですけれど」

「怖がらせているのだ。悪い事をしたら仕置きをしなければ」

「だから、あの………………わたし、なにか悪い事しました…………ひっ!」



 不意に伸びてきた左手にカップを持つ手を掴まれ、ユフィリスはビクリと肩を竦ませた。

 額に走る傷跡の上に、くっきりと大きな青筋が浮かんでいる。



「なにか、だと…………?兵士を何人も誑かしておいて、何もしていないと?」

「たぶ…………?っあ、でも、それはべつに、悪いことでは」

「悪いに決まっているだろう!」



 怒鳴りつけるような低音に心臓が震える。

 ジワリと浮かんだ涙を胡乱な目つきで睥睨した皇帝は、身を乗り出してユフィリスの頬を両手で挟み込んだ。



「ジゼルと、ラルーだったか。あの者達にお前が聖女教育を施しているらしいことは聞いていた。あいつらに怪しげなお守りを作らせて兵士達に渡していたのも、お前がカーファイの実をまた大量に採ってきたのも、全部知っている。お前がこのスタンピードのために…………帝国民を助けるためにどれだけ働いているか。それを知っているから、報告がなかろうが、何をしていようが、ある程度は見逃していたのだ」



 そうだろうとは思っていた。

 一歩外に出れば従者か護衛が必ず付いてくるこの身の上で、この皇帝に対して何か隠し事ができるとは最初から思っていない。だからといって逐一自分から報告しに行くのもおかしな話だと思い、悪い事をしているわけでもなし、好きにやらせてもらっていたのだ。



 しかしそこまでしっかり把握していながら、何故この皇帝はいまさら怒っているのか。



 震えそうになる喉元に力を入れてそう聞こうとした時、両手で固定された額にちゅ、と柔らかい唇が押しつけられて、ユフィリスはビクリと全身を強張らせた。



「…………っ」



 柔らかなその感触とは対照的に、差すような眼光が至近距離でユフィリスを射抜く。



 あまりに強い視線に、体が緊張して震える。



 ――――…………怖い。逃れられない。





 そして目尻に浮かんだ虹色の涙が零れだそうとした寸前…………至極不機嫌そうに発された皇帝の言葉に、ユフィリスは驚き目を見開いた。



「……聖女達の“運命の騎士様”だと?だから聖女様にひみつを教えてもらったんです、だと?おまえらッ……俺を差し置いて、なぁに楽しいことしてやがんだ、ァア゛?」



 あまりに強い眼力で凄まれ、ユフィリスの瞳からは勝手に虹色の涙が零れ落ちる。



「…………え、それ、?」



 ――――意味が分からない。



 何だかいろいろと誤解があるようだが……勝手に聖女を育成していたことでも、勝手に兵士を隠蔽に巻き込んだことでもなく………………いや、皇帝を差し置いて楽しいことなんて別にしてすらいないのだが…………ええ?



「うんめいの、きしさま、っていうのはね、その…………」

「おまえが言ったんだろ?あいつら自慢げに名乗ってたぞ。クソッ!……陛下も知っているなら良いですよね、俺たちは聖女様から直接教えられたんですけど…………ッて別に俺が特別教えてもらえてねェ訳じゃねぇっつーーーーーの!!」

「へいか…………口調が、お崩れになってますよ…………」





 ――――……ふっ、と気が抜けて笑いが込み上げる。



「ふッ…………ふふふふ」

「……おい、何笑ってんだ」

「だって…………ぶふッ、は、はははッ」



 青筋立てたままの皇帝陛下の眼光が余計に可笑しくて、ユフィリスは零れ出る涙もそのままに、顔を真っ赤にして大笑いした。



 ちゅ、と額に降るキスは優しい。



 それがなんだかこそばゆくて、ユフィリスは抗う気も起きずに笑い続けていた。

 いつの間にか隣に移動してきた皇帝が、仏頂面でユフィリスを膝の上に乗せる。



 ――――ドキリと脈打った心臓が、溢しっぱなしの涙を跳ねさせて、厚い胸板を覆う真っ白なシャツを濡らした。



「……っへ、へいか……これはちょっと近すぎです」

「そんなことはない。運命の騎士様よりも長い時間を共にしているのだからこれぐらいが適切だ」

「そんなわけないでしょって……ふふっ。まあ、わたしの運命の騎士様に比べたら、確かにカイナや皇帝とは過ごした時間が長いですね。……それじゃあ公平を期して、あなたにも何か、秘密をお教えしましょうか」



 涙を拭き拭き皇帝陛下を見下ろせば、銀灰色の視線が少しだけ和らいでユフィリスの瞳を覗き込む。ぞわぞわとする胸の内をどうにか誤魔化しながら、ユフィリスはそっと陛下の耳元に唇を寄せた。



「わたしね、本当は…………神聖王国ハルティナのこと、大っ嫌いなんです」



 母国への不敬は聞かれたら大罪だ。

 敵対こそしておらずとも微妙な関係にある帝国の皇帝だからこそ、打ち明けてしまえる秘密。



 しかし皇帝はそれを聞くなり片眉を上げ、「なんだ」と呆れたように鼻を鳴らした。



「そんなことか」

「そんなことって、神聖王国側の人間に聞かれたら大変なことですよ?」

「確かに聞かれたら大変だろうが、おまえが母国を嫌いなことぐらい、見ていれば分かるだろう」



 ――――神聖王国の王族特有のプライドがないこと。帝国人や獣人に対しての態度や、生まれ故郷での話をしない徹底した望郷心のなさ。生きるためとはいえ、母国の利益に反する聖女を育てようとしていること。来訪当初……謁見の間で見せた、父王の親書を渡す時の硬く引き結んだ唇。

 膝の上のユフィリスを支えるのとは反対の手で、ユフィリスの母国嫌いの理由を列挙する流れるような皇帝の仕草に、ユフィリスは開いた口が塞がらなかった。



 ――――見られていた。そんなに分かりやすく態度に出した覚えはないのに…………ずっと、見られていたのだ。



「……なるほど。あなたが……わたしのこと、引くほど見ていたのはよく分かりました」



 呆然としたように呟けば、皇帝がくくっと可笑しそうに笑う。



「その通り。俺はお前をよく見ていた。だからほら、もっとよく見ても分からないような秘密を教えろよ。そうしたら俺も、公平を期して、何かお前に教えてやろう」

「え、いいんですか?それなら帝国の機密情報とか、教えて欲しいです」

「それを聞いてどうするんだ?……そもそもおまえが帝国の機密情報に足る情報を俺に寄越せるかどうかだが」

「質より量ならあげられますよ!気になる事、どんどん言ってみてください」



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