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18. そはわが思ふ心に等し
しおりを挟むそれから皇帝と聖女は、朝食を食べながらたくさんの話をした。
読書が好きなこと。肉も本当は好きなこと。神聖王国は嫌いだけれど、小さな頃から聖女様達は大好きだったこと。皇帝には弟のように可愛がっている獣人の従弟がいて、教会で洗礼を受けられなかったこと。それで怒った皇帝が、教会に殴り込みに行ったこと。だから、皇帝は皇都の司教に未だに畏れられているということ。
好きな花、好きな場所、休みができたらしたいこと、嫌いな食べ物に苦手な季節。
それはとてもささやかな事ばかりだったが、国の重要機密たる情報がなくても、2人の会話は途切れることがなかった。
「ノースフォートには歴史ある図書館があった。この要塞の旧市街地に近い場所だ。かつてのノースフォートも神聖王国嫌いの国で、聖女の派遣を拒絶し武力を極めたらしい」
「それはそれは、国王が生きていればさぞ気が合ったでしょうね。図書館はさすがにもうないのでしょう?」
「あれば魔獣がいようと出て行きそうだな、おまえは…………ノースフォートの蔵書のうち、損耗が少なく貴重なものは皇都図書館と皇城書庫に分かれて所蔵されている。反神聖王国派の書物は教会の校閲が厳しいから禁書扱いだがな」
「そうなんですか?じゃあ皇都に帰ったら、また書庫への入室許可が欲しいです」
「古書がそんなに好きとは……俺と行けば禁書も読み放題だが」
「絶対一緒に行きましょう!」
膝の上に座っていることにも馴染み始めるほど話込んだユフィリスは、摘まんでいた果物が最後の1つになってしまっていたことに気づき、この時間がもう少し続けば良いのに、とふと思った。
皇帝はずっと、笑っている。
彼がいま何を考え、何をしようとしているのかなんてユフィリスは知らない。
これから自分達はどうなるのか。全てが終わった時、彼が自分のことをどうするつもりなのかなんて、そんなくだらない質問は、到底する気にもならなかった。
――――俺達はここでこうして、ただとりとめもない話をしては笑う仲でありたかった。
帝国とか王国とか、皇妃とか王子とか。自分達がただの皇帝と偽聖女の枠をこえてどこかに行けるはずもないのに…………どうしてこの人は、近寄ってきたのだろう。
世界的魔獣災害。そんなものは決して歓迎できるものではないはずなのに、非現実的なこの枠組みの中で………………ユフィリスはずっと目をつむって揺蕩っていたいような…………平和を、望んでいたはずの幸せな未来を…………もっとずっと先に放り投げておきたいような――――そんな、心地になった。
不測の足音はもうすぐそこにまで、忍び寄ってきている。
止まりそうになる足を無理矢理引きずるようにしてでも、ユフィリスはもう、前に進む他はない。
未来の約束をする軽薄な自分自身の言葉が、心臓の皮を擦り取るようにぞろりと見えない傷を刻んだ。
―――――
呑気でとりとめもない談笑の場は、それだけで綺麗に終わってくれることはなかった。
「絶対に食べ過ぎません。約束します、絶対です」
そろそろお暇しようかと膝を降りかけたユフィリスの、ポケットが大きく膨らんでいるのを皇帝陛下が見つけてしまったのだ。
見逃してくれていたはずのカーファイの実の摂取量を執拗なほどにしつこく確認され、ユフィリスは辟易と唇を尖らせた。
以前預かられていたカーファイの実は生で食べるにはもう日が経ちすぎていたが、きちんと管理してくれたらしく良質な天日干しのドライフルーツになっていた。
これなら日持ちもするし便利だと喜んだユフィリスに対し、皇帝は渋い顔のままだ。
「これは本当に滋養強壮の薬なのか」
「当たり前です。聖女たる者であれば修練のために必ず摂取するものですから。逆にどうしてそんなにこだわるんです?ただの果物じゃないですか」
とぼけたようにそう言いながらも、ユフィリスには何となく皇帝の考えが分かっていた。
「おまえは、これを食べた瞬間…………表情が抜け落ちる。次に、何かとても怖いものでも見たように体が震えて涙腺が緩みだす。瞬きを合図に意識が戻り…………その後、この世の者ではないような…………とても綺麗な笑い方をする」
…………食事の度にカーファイを摂取するユフィリスを、ノヴァはずっと見ていた。
1粒なら問題ない。2粒、3粒と増える度に、ユフィリスの情緒は不安定になっていくように見えた。
ヘレフォード救護所で熱を出したあの一件以降、ノヴァはカーファイに対する不信感を抱き続けていたのだ。
「これは……精神に作用する薬物の類ではないか?何故、聖女達はこんなものを食べている?」
「神聖王国の聖女であれば、カーファイの実を食べるのはむしろ空気を吸うのと同じくらい当たり前のことです。長年これを食べている聖女様でも、カーファイによって精神に何か大きな不調をきたしたという話は、聞いたことがありません。わたしがこれを食べた時に震えたり、涙腺が緩んで見えるのは…………この実が、想像を絶する程とっても不味いからじゃないでしょうか」
…………事実、カーファイの実は震えが走るほどにすっぱい。飲み込むのに勇気がいるほどのえぐみと、表情を保っていられないほどの後味の悪さがある。
神聖王国で女児を宿した妊婦はみんな、聖女となり得る胎児の神聖力向上のため、一定の期間内に規定量のカーファイを摂取することが義務付けられている。しかしカーファイの実があまりに不味いので、貧困を理由に購入しなかったり、食べたふりして実際には捨ててしまう人が結構な数いるようである。
「どうしてこんなものを食べるのか……それは、食べると神聖力の増加に加えてコントロール性がとてもよくなるという経験に裏付けされた結果です。言い換えれば、神聖王国の聖女はカーファイが食べられてこそなれるもの。カーファイなくして、大いなる力を行使する国の守護者たるには及びません」
――――そして、ユフィリスは可笑しそうに笑った。
「先輩の聖女様がおっしゃっていました。こんなものを食べられるのは女ぐらいのものよって。女にしか出産ができないのは、男ではその痛みに耐えられないから。女が聖女たり得るのは、女だけがこの苦しみに耐えられるからこそなのですって。…………だからわたし、悔しくなって、カーファイの実を食べる時には酸っぱい顔も苦い顔も絶対にしないように猛特訓しました。わたしが聖女様がたに唯一勝てるのは、カーファイの実を食べた時のポーカーフェイスだけです」
――――そしてそれが、男であるユフィリスを聖女たらしめた要因であった。
「……皇帝陛下は、わたしがこの滋養の実に頼って無茶をするのがお嫌なんでしょう?ありがたいことに、私には今ジゼルとラルーという頼りになる聖女の卵ちゃんたちがいます。回復術も解毒術もほとんど必要ないぐらいには薬も補充されているし、昨日の魔除け術も神聖力はほとんど彼女達のものを使わせてもらいました。肉を食べない私のために、カイナは植物性のタンパク質を沢山摂らせてくれていますし…………健康状態も良好。ほら、肌がツヤツヤじゃないですか?」
ノヴァの手を取って己の頬に当てさせれば、ノヴァは無言のままユフィリスの頬を撫でた。
――――聖女たるもの、そらごとを言ふなかれ。
ユフィリスの言葉はいま、そのすべてが事実で構成されている。
ノヴァの疑問をすべて事実でねじ伏せて、無言のままユフィリスを見つめる皇帝の瞳にしっかりと視線を合わせた。
「…………わたしいま、とても充実しています。人のために働ける。無力な第四王子などではなく、自分の力で聖女を育て、人々の命を救う手伝いができている。…………戦場ではあるけれど、窮屈で大嫌いな神聖王国から出たら、こんなにたくさんの人に出会うことができました」
――――ユフィリスは今、とても幸せだ。
偽物の聖女として神聖王国を脱出し、冷遇を受けることを覚悟していたのに、こんなにたくさんの恵みを受けている。
世界的魔獣災害、まさに今その最前線にいるというのに…………ユフィリスは今、とても幸せなのだ。
「無理はしません。絶対。だってわたし、死にたくはないから」
心の底からそう言って笑ったユフィリスの笑顔を、ノヴァは眩しそうに、目を細めて見つめた。
そして柔らかな頬に、ちゅ、とキスを落とすと……………………その華奢な体を、苦しいくらいに抱きしめたのだった。
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