使用人、最強精霊と契約して成り上がる。

もるひね

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学校編

第八話

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 意気込んで応答したはいいものの。

「何をしておるのだ?」
「は!? 申し訳ありません!」

 ついびしょびしょの床を雑巾で拭き拭きしてしまっていた。すぐさま作業を中断して一礼。
 主人の命に背くだなんて、僕はなんと許されないことを!

「とことんバカにしてくれるわね、ちっこいの……!」

 頭を上げた先、それほど遠くは無い窓際──夕日を背にする黄昏の少女ナイルは、明らかな憤怒を醸し出し、肩をぷるぷる震わせている。

「ちっこいちっこい煩いぞ! なれは少しばかりデカイからといって! 少しばかり胸があるからといって!」
「幼女にしか見えないアンタに言われたかないわ! このロリ!」
「言うか小娘!」

 うん? それは我が主人を侮辱した発言でありましょうか?
 であるならば、矢面に立たなければならないのは私であります。

「む? 何をしておるのだ奏者よ」
「はい、上着を脱いでおります」

 僕は制服を脱いでワイシャツ姿へ。上着は丁寧に畳んで足元へそっと置く。

「汝、まさかとは思うが……」
「私の御役目で御座います」
「いやまあ……そんな気はしておったのだがな? しかしだな、そろそろ我も活躍したいというかだな? いい加減見せ場が欲しいというかだな? 役に立ちたいというかだな?」
「そのような畏れ多い……!」
「そう返されるということも分かっておったのだがな? しかしだな、精霊の相手は精霊というのが常というかだな?」

 勿論僕だってエアリィの威光を世に知らしめたい──のだけれど、手を汚させるわけに、ましてや水を被らせるわけにはいかない。
 主人に仇なす者、障害となる者は全員僕の敵だ。
 まあ、模擬戦闘本来の在り方ではないことは分かっている。闘いの中で精霊と信頼関係を構築する為であり──悪魔と呼ばれる精霊と対を成す敵対存在、あるいは狂精と呼ばれる自己を失って暴走する精霊、それらと戦う訓練なのだから。

「と・こ・と・ん……あぁもう!」

 エアリィの前に立とうと問答をしていると、窓際から美しい旋律が聴こえてきた。
 流した視線の先には、楽器──クラリネット──を演奏しているナイルの姿。それが奏でるは操緒。

 何も新たな精霊を呼び出そうとしているわけではない、対価を支払っているのだ。
 精霊の自己保存という願いの対価。

「本気で潰す……あんたも奏でたら? 待ってやるわよちっこいの」

 短い演奏を終わらせると、相変わらず棘のある言葉を投げてきた。

「ふん、汝相手に必要無いわ!」
「私の御役目で御座います故」

 お嬢様、何故冷ややかな目を向けられるのですか。

「ま、ま、お互いに落ち着いて」

 水撃のショックから蘇ったロイバーが、再び僕たちとナイルの間に割って入る。彼は全身ずぶ濡れだが、頭上に佇む精霊クロウは一滴も滴らせていない。従者を守るのが本懐なのだろうけれど、〝これくらいいつものことだ〟とでも言うように頭皮を突っついていた。

「ナイル、本当にやるんッスか?」
「当然! 気に入らないのよヘコヘコしてるヤツって!」
「相手はドリットッスよ?」
「関係ないわよ! 三祖だかなんだか知らないけど、見かけはただのガキじゃない!」
「精霊は見かけで判断しちゃいけないッス」
「優等生ぶるな!」
「手厳しいッス……」

 ナイルの剣幕に捲し立てられてロイバーは身を引き、僕たちへ諦観を浮かばせた微笑みを向ける。

「アクストくん、これも授業の一環ってことで、奏でてみたらどうッスか」
「むう……アクスト!」
「は!」
「あれぇ……?」

 僕はリコーダーを鞄から颯爽と取り出して構える。
 武器として構えるのではなく、演奏する為に構える。
 何故かと言うと、エアリィの力を最大限に引き出す為。
 言い換えれば、エアリィの存在を確固たるものにする為。
 自己が強くなればなるほど、その魔法は威力を上げる。しかし無尽蔵であるわけでもなく、無理に魔法──つまりエネルギー──を放ち過ぎると衰弱し、器が崩壊したり契約を断たれたりするのだとか。

 それはさておき演奏。精霊の気を惹いた、共鳴する精神の調べ。
 邂逅した際のものが一番効果的らしいけれど、そこは人間、どうしても変わってしまうものである。その為、契約後は人間の様々な精神に共鳴、共感できるよう調教する必要がある……あまり用いたくない表現である。

 まあ、難しく考える必要は無い。
 僕は只、お嬢様の為だけに。

「では、僭越ながら──」

 咥えたリコーダーは学校から支給されたもの。音色は精霊ごとに好き嫌いがあるので、それを判別する為に真っ先に演奏させられるのがこれなのだとか。

 まあ、いつまでも葉っぱを吹いているのはエアリィに失礼でもある、これで少しは立派に見えるだろう。屋敷から与えられた荷物の中にはフルートらしき黒い物体があったのだけれど、口を付けるだなんて恐れ多いことは理性が拒否してしまう。

 今は只、

「──」

 奏でよう、貴方の為に。
 小さな小さな、主人の為に。

「うわぁ……」
「あは、あははは……」

 何を笑っているのですか、何が面白いのですか?

「もう良いぞ」

 主人に止められてしまいました。
 まあ、うん、自覚はある。リコーダーだなんて今日の授業で初めて手にしたものだし、音階だなんて未だ分からないし。楽器は邪魔にならないよう鞄へと戻す。

「えらいメチャクチャね」
「ま、今まで楽器なんて触ったことないんすから。それに、上手く演奏できれば良いってもんでもないッスし」
「それは分かってるけどさぁ……短い旋律位すぐ覚えられるでしょ?」
「それも才能ッス」

 それにしてもこの二人、随分仲が良いようだ。僕たちが来る以前から共に勉強していたのだし当然か。

「ええい、我の奏者を愚弄するか! 喧嘩である、喧嘩であるぞ!」
「はい、お嬢様!」
「だから何故前へ出ようとする!?」

 露払いは従者の務め!

「こんな所で模擬戦なんてして欲しくないんッスけどねぇ……ナイル!」
「分かってる、殺さなきゃいいんでしょ? あと備品の破壊は出来るだけしない」
「もう壊れてるんッスけど……ま、どうせこのクラスに生徒が増えることはそうそう無いだろうし、いいんッスかねぇ。俺が審判するッス、止めって言ったら戦闘を止めてくれッス」
「うむ!」

 畏まりました。

「演奏者への直接攻撃は無しッスよ、あくまで力比べってことで。じゃあ、始め!」
「穿て、川より河へツォルン!」

 何か良からぬ言葉が聞こえた気がしたのだけれど、それを確かめる間もなくナイルが先制。彼女が契約した精霊、大蛙フロッシュの口がガバッと開き、先ほどよりも強力な水鉄砲──面で押しつぶすかのような濁流──が放たれた。

 避けるのは不可能、このままではエアリィも僕も呑み込まれてしまう。
 なら、体を張って守らなければ。無礼ながらも前へ出ようとした──足が止まった。

「任せておけ」

 力強い言葉が、聞こえたから。

「吼えよ、送狐の想いライデンシャフト!」

 彼女が突き出した両手から、轟々と燃え上がる灼熱の炎が迸る。それは精霊の力、エネルギーの塊、自己保存の対価。
 視界を埋め尽くす程の火炎が濁流へと叩きつけられ、直後、蒸気と熱気がこの空間へ満ち満ちていく。

 力は均衡……いや、分はエアリィにある。彼女の魔法は、冷却が追い付かない程の強力な焔なのだから。

「──ふっ!」

 瞬間、疾走。
 濃霧に埋め尽くされてはいるけれど問題無い、おおよその位置は分かる。置き去りにした後方からはエアリィの「偉いであろう!」という叫びが聞こえたのだけれど──申し訳ありません、ここからは私にお任せ下さい。
 許せない。
 例え水だろうと、水蒸気だろうと、主人を汚したことに変わりはない。

「──!?」

 決して広いとはいえない教室であり、すぐさま目標との距離は詰まった。だけれど、向こうもこちらに気付いたのか、熱気と靄を裂いて何かが放たれた。

 魔法ではない、しかし神秘の一つ。大蛙フロッシュの長く、強靭な、舌だった。それは確実に僕を捕らえようとし、反射的に掲げた左手に巻き付いていく。

 何故叩かないのだろう。
 鞭の使い方を知らないのだろうか。
 ふと浮かんだ疑念を振り払い、僕の体を左右へ揺さぶる舌に耐え、手繰るように進んでいく。

 いた。

「冗談でしょ──」

 目標目の前。
 後はやるだけ。

「突っ込むなんて──」

 右手を振り上げる。

「正気じゃない──」

 大蛙の精霊フロッシュへ向けて。
 彼(彼女)が偉大な存在だということは分かっているのだけれど、僕の主人に仇なしたので制裁を加えなければならない。

「申し訳ありません!」

 深く謝罪しながら拳を下ろした。
 ぬめりとした感触が拳全体に広がっていく。あくまでエネルギー体の器なのだけれどそこまで再現しているのか──湧く興味を払って二撃目が必要かどうか判断。フロッシュは気絶してくれたわけではないだろうが、衝撃で舌の拘束が緩んでいた。これで十分。

 ふと。
 どこかで似たような光景を見た、聞いた、気がした。
 そうだ、あの時だ。
 何故僕は、彼女に手を出さなかったのだろう。
 僕の主人に仇なした不埒者だというのに。
 ああ、そうか。
 僕はもう、あの時から。

「──っ!」

 呆けていたのは刹那。
 すぐ右傍に鎮座していた契約主ナイルが動き、空気を震わせる。
 彼女は流線的な動作で、僕へ攻撃を放とうとしていた。
 構え、踏み込み、打つ、という対人戦においては酷く悠長なもの。

「──波ァ!」

 放たれたのはストレート。
 避けられるしそのまま反撃へ繋げられる──筈だった。
 フロッシュが主人の命令無しに、水鉄砲を発射しなければ。

「ぐっ──!」

 先程の濁流ではなく、ロイバーへ食らわせたものより抑えているであろう威力。攻撃というよりは目くらましを主眼においたものだろう。
 顔面は水浸しで不完全な体勢、これではカウンターが決まらない。僕と彼女の身長差ならばおおよそ首か胸あたりだろうと予測して防御し──吹き飛ばされた。

「──っ」

 的中したようで体は無事、すぐさま受け身を取って立ち上がる。拭った視界には僕の元へ歩みを進めるナイルの姿。その顔には鬼の形相が。

「先走りおって!」
「穿て、川から河へツォルン!」
「ぬおう!?」

 靄の彼方では精霊同士が再戦。

「この──ちっこいのォ!」

 こちらでは奏者同志の戦闘。

「波ァ!」

 とにかく、すぐに、黙らせなければ。

「──っ!」

 渾身の踏み込みを乗せた彼女のストレートを──掴んで、引き寄せて、同時に肘を、相手の鼻の下、急所である〝人中〟へ叩き込もうとして、

「止め!!」

 ロイバーの強い声に遮られ、不発で終わった。

「…………」

 ええと……つい止まってしまったのだけれど、僕はエアリィの従者なので彼女の命令が無ければ止まる必要など無いのでは? まあ、僕より聡明な御方で年上な御方で背が高い御方なのだから当然、従わなければならないのだけれど。

 いやそうじゃなくて……そうだ、これは模擬戦。演奏者自身への直接攻撃はしてはならないと注意していたではないか!

「も、申し訳ありません、出過ぎた真似を!」

 謝罪しながら肘を引く。
 その奥から顔を覗かせたのはナイル──の筈だったのだけれど、何故か消えていって、というか倒れていってる!?

 このままでは頭を打つ。そう判断して緩んでいた手をもう一度握り直し、片方の手を素早く腰へ回す。身を乗り出して落下を食い止めた。

 ううむ、女性の体というものは存外軽い……いやいやそうじゃなくて、僕は元使用人で、そんな僕がお体に触れているのは不味いのであって、というか顔が異様に近いのであって、若干潤んでいる瞳がとても怖いのであって、どうぞ僕を殴って欲しいのであって、いつかの嗜好品のような香りが鼻腔を擽るのがとてもたまらな──いやいや何を考えているんだ僕は!?

「申し訳ありません……」

 とりあえず、そっと、置いた。

「…………馬鹿にすんなっ!」

 そのビンタは、避けられませんでした。


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