眼鏡の奥を覗かせて

柚舞木

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1話

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まだ寒さが残る2月下旬。

今日は水曜日。

俺、佐倉さくらはると高校からの親友である市ノ瀬いちのせ悠翔ゆうとの二人で営むカフェ「mirage」の定休日だ。

だが、生憎休みでは無い。

店内に無数にセットされた撮影器具。
忙しなく行き来するスタッフの人達。
非日常だけど、最近は多い頻度で撮影の依頼が来るので少し慣れてきた。
今回はドラマの撮影をするとの事で、いつもこの店を使ってくれる監督さんからの依頼だった。


「一応許可は頂いてますが、店内の備品やセットの移動は店主の佐倉さくらさんに確認を取るようにお願いしまーす!」

「「了解でーす」」

若い男性のスタッフさんの呼び掛けに、忙しなく動きながらも返事をする皆さん。
いつもは静かな店内も、撮影となると賑やかだ。

「佐倉くん、朝早くからお世話になっちゃってごめんね?」

入口付近のカウンターの席に座っていた俺に眉を下げながら話し掛けてくれたのは、田島監督。
慌てて立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。
ガタイが良く、無精髭で厳つい見た目だが、腰が低くて優しい人だ。

「田島監督、そんな、こちらこそいつも使って頂いて…」

この人が、「mirage」を開店した当初に映画の撮影で使ってくれた。
そのお陰で、業界内で噂が広まり、ちょくちょく撮影の依頼が来るようになった。
ただ、一般のお客さんに迷惑が掛からないよう、なるべく定休日に撮影をしてもらうようにしている。

「この店は業界内でも人気高くてね、画は映えるし、場所的にも人目に付かずに撮影できるし、佐倉くんも気遣って飲み物出してくれるし、市ノ瀬くんは人当たりが良い。それに、2人ともイケメンだから女性スタッフもやる気が違うんだよ~。」

「いえいえ、そんなこと……」

次から次に褒め言葉をくれる田島監督。
凄く嬉しいけれど、何て返すのが正解か分からない。

「謙遜しなくていいんだよ、本当だから。」

極度の人見知りの俺に、毎回優しく話し掛けてくれる監督には頭が上がらない。

「ていうか、本当にいつも眼鏡にマスクだね。」

「あ、はい……人見知りですし、単純に視力悪いんで……」

「それなのに俺の映画出てくれてありがとうね」

あの時は本当に助かったよ、と優しく微笑む監督。

そう、俺は数年前、田島監督に頼み込まれて"Kura"という偽名?芸名?で映画に出演した事がある。
出演する予定だった俳優さんが警察沙汰になり、雰囲気や背丈が似ている俺に声を掛けてくれた。
いつもの俺だったら断っていたが、店を贔屓にしてくれていたし、役柄も大した事なかったので渋々承諾した。
最初こそ凄く緊張していたし、手の震えが止まらなかったけど、終わってみれば意外と楽しかった。
一番大変だったのは、人生初のコンタクトレンズだった。
自分だけで付けれなかったので、メイクさんに手伝ってもらった。それでも30分近く奮闘したのだ。

「いや、こちらこそ、こんな素人が……二度とあんな経験出来ないでしょうし、今となっては良い思い出です。」

「そう言ってくれて、凄く、有難いんだけど……」

監督は困った顔をして、頬を掻きながら言い淀む。
俺は、監督が次に話す内容を察して少しだけ焦りを覚える。

「また、Kuraを紹介して欲しいって、業界の人達から言い寄られてるんだよね…」

本当に芸能界興味無い?

田島監督からの何度目かのお誘い。
mirageで撮影がある度にこういう話を持ち掛けられる。
ずっと断っているんだけど、業界の人達はかなりしつこいのか、田島監督は板挟み状態らしい。

「えっ、と……」

こちらとしては、業界の人たちが俺に執着する理由が分からない。出演したのは数年前のあの一回きりだし、脇役の中の脇役みたいな役柄しかやってないのに。
店の事もあるし、人見知りの身としては人前に出るなんて恥ずかしくて非常に困るんだけど、何度も断り続けているからか、どうやって断ればいいのか分からなくなっていた。

「……その…………」

「ちょっと田島さん、また晴を勧誘してますー?」

厨房の奥にある控え室から爽やかな笑顔で颯爽と現れたのは、mirageの従業員であり、俺の高校からの親友でもある市ノ瀬悠翔

「ぁ、悠翔……」

「晴は押しに弱いんですよ?断れなくなっちゃうじゃないですか~」

店主に抜けられたら困りますよ~
と、俺の肩に腕を回して雰囲気を崩さないようにサラッと断ってくれた。
俺よりも頭一つ分くらい大きな悠翔に、アイコンタクトでお礼をすると、ウィンクで返してきた。
男前だなぁ……

「ごめんごめん、才能を前にするとついね。」

悠翔の言葉に監督も引いてくれたみたいで、この話はここで終わった。

「そういえば佐倉くんって、韓ドラ好きだっけ?」

「へ……?」

突然の予想もしていなかった質問に思わず変な声で返事をしてしまった。

「そういえば晴、韓ドラにハマってた時期あったね!」

悠翔が思い出した後にようやく俺も思い出す。
何年も前に監督とそういう話したかもな。

「あー……、何年か前までは結構観てましたね。最近は全然観れてないんですけど。」

「そっかぁ、じゃあ分かんないかな~…」

俺の回答に少し肩を落とす監督。

「なかなか忙しくて……」

韓ドラはストーリーは良く作り込まれているし画も凄く綺麗なんだけど、時間が無いと中々見れないのだ。
ハマっていた時期は仕事以外の時間全てを費やしてたくらい韓ドラ三昧の日々で、韓国語もほんの少しなら話せる位になっていた。

「そうだよね~、いや実はさ、今回のメインキャストに韓国の俳優さんを起用してるんだよね。」

「え、そうなんですか?」

以外だな、と思った。
前に韓ドラの話をした時は、そこまで興味のあるような反応じゃなかったというか、全くかじった事も無い様子だったから。

「晴も知ってる俳優さんなんじゃない?」

「んー、どうだろう。」

「2年位前に出て来た新人俳優さんだからね。」

2年前はもう韓ドラ見なくなってた頃かも。
寝不足になって仕事に支障が出たら困ると思い、自分で禁止したのだ。

「じゃあ分からないです…」

「その俳優さんって名前なんて言うんですか?」

「えっとね……」

監督が名前を言おうとした時、丁度スタッフさんに呼ばれたようで、俺達に謝りながらその場を後にしたのだった。

「名前聞けなかったね~。ざーんねん!」

「聞いても分からないだろうけどな。」

「そうだけどさぁ。あ、晴は韓国語分かるからワンチャン仲良くなったりして~」

口を尖らせながら人差し指でツンツン小突いてくる悠翔。

「いや無理、人見知りにハードル高すぎる、話せない。」

ましてや韓国の人なんて、とんでもない。
日本人とも、初対面じゃ緊張してまともに話せないのに。

「そっか~…なら良かった。」

にこにこと笑う悠翔は何となく嬉しそうに見える。

「何が?」

「んーん!何でもないよ。」

鼻歌を歌いながら上機嫌な悠翔。
まあいつもの悠翔と言われればそうか。

「てか、来るの早かったね。ゆっくりで良かったのに。」

「ゆっくり来てたら誰かさんが危うく芸能界行っちゃう所だったね~」

「うぅ、ほんとにいつもありがとう。」






カランカラン……


店の入口付近の窓際のカウンター席で暫く他愛もない話をしていると、ドアベルが鳴り、店の扉がゆっくり開く。
外のひやりとした空気が入り込み、少し身を震わせた。
開いた扉から差し込む太陽の光が、スラッとしたシルエットを照らしている。


「ドユン役、パク・ドハさん入られまーす!」


スタッフさんの声を聞いて、彼が噂の韓国人だと分かった。距離的には2m程しか離れていないものの、彼の顔は逆光で良く見えない。
でも、スタイルが良いのは分かる。悠翔と同じくらいの身長かな。

ゆっくりと扉が閉まり、彼の顔がはっきりと見える。

「……ぅ、わ……」

一重で切れ長な目に、綺麗に通った鼻筋。
少し動くだけでサラッと揺れるセンター分けされた黒髪。
思わず声が出てしまい、悠翔と顔を見合わせる。

「めっちゃイケメンだね……!」

きらきらした顔で言ってくる悠翔もまたイケメンなので、俺は心の中で悪態をついた。


「ドユン役のパク・ドハです!よろしくおねがいします!」


クールな顔立ちとは打って代わり、元気良く笑顔で挨拶をする彼に少し驚く。笑うと少し幼いんだな。
これがギャップってやつか。
彼の挨拶に拍手が沸きあがる。
なんか、日本語の発音上手だった。
格好良くて身長も高いなんて羨ましいな。

ふと、パクさんが俺達の方を振り向く。
ぱちっと俺と目が合った瞬間。

「……っ…」

何故か彼は目を見開き、ぽかんとした顔で固まった。
一気に緊張と不安が押し寄せる。
どうしよう、何か言った方がいいのかな。あぁ、挨拶しないと。

「ぇ、あ、えと、この店の店主の、さ、佐倉です…」

「…………」

自己紹介をするも、パクさんは黙って俺を見て固まったままだ。
すかさず悠翔に助けを求める。

「……俺、変な事言ったかな…?」

「……んー、どちらかと言うとパクさんの方が変かな…」

「…おい」

若干失礼な事を言ったので肘で軽く小突く。





それから数秒程、相変わらず俺を見たままのパクさんが、そっと口を開く。




『……ノム…イェップダ凄く、綺麗だ……』





思わず吐き出されたような。
優しく、小さく呟かれたその言葉の意味を、







「……ぇ…」








生憎、俺は知っている。











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