ドラゴノア -素質なき愛姫と四人の守護竜騎士-

高柳神羅

文字の大きさ
6 / 24

第6話 当主代理の決断

しおりを挟む
 居間は、集った家族が茶を嗜んだりして寛ぐための部屋である。
 広々とした間取りの縦長の空間に、銀糸で刺繍が施された純白のカーペットが敷かれている。窓に掛けられているカーテンも白く、天井から注がれる照明の光も白いため、屋内なのにまるで太陽の下にいるかのように明るい部屋に見えた。
 アヴィル家の者が身に着けている衣服もそうだが、屋敷も家財道具も用いる色に『白』を選んでいるのは、彼ら──竜人ドラゴノアケテル種の象徴色が白だからである。
 竜人ドラゴノアには、全部で十の種が存在する。それぞれの種には種の象徴である『色』と『宝石』が割り当てられており、ケテル種に与えられている色は白だというわけだ。
 因みに、種の象徴色は彼らの髪や肌、瞳の色でもある。人間は黄色系の肌に黒髪か茶髪を持つのが一般的だが、竜人ドラゴノアの場合は全身に種の象徴色が表れているため、一目で人間か竜人ドラゴノアか、またどの種であるのかが分かるのだ。
 テーブルの中央に飾られている花の色も白。花瓶も白。色があるのは部屋を出入りするための扉と皿の上に大量に盛られている紅茶葉のマフィンくらいのものだろう。
 茶菓子の前には、背中を丸めて涙目でマフィンを頬張っているナギと、テーブルを挟んで彼の反対側の席に座っているウル、そしてウルの左隣にティーカップを右手に腰掛けている男の姿がある。
 身に纏った宮廷装束が浮きそうなほどに、やけに短く髪を刈った──まるで手入れしたばかりの芝生のような頭をした男だ。年の頃は、若いことは若いがナギやウルと比較すると若干齢を重ねている雰囲気に見える。目元に微妙に皺が刻まれているのは、年齢のせいなのかそれとも日頃からの苦労によるものなのか……何処か疲れているように見えなくもない、そんな人物だ。
 彼はミラが居間に入ってくるなり、伏せていた視線を持ち上げて彼女の方を見た。
「ああ、風呂が済んだのか。まだ夕飯ができるまで少し時間がかかる、君も軽くお茶にするだろう?」
「あ、は、はい。頂きます。ファズさん」
「うわぁあああんミラちゃぁぁぁぁん!」
 ミラがナギの右隣の席に座るなり、それまで両手に持ったマフィンに齧りついていたナギが涙声を上げて彼女にひしっと抱きついてきた。
 先程地面に転がされて泥だらけになっていた服は着替えたらしく、デザインの異なるシャツとズボンを身に着けている。派手に着崩しているのは相変わらずだが。
「ねぇ聞いてよ! シュイの奴がさぁ!」
「こら、ナギ。ミラちゃんに抱きついていいって誰が言ったの。駄目でしょ、セトの許可なくそんなことしちゃ」
 ナギの様子を眺めながらウルが呟く。目隠しのせいで顔が半分近く隠れているため傍目からでは表情の変化が分かりづらいのだが、それでも言葉のニュアンスなどから彼が呆れている様子が読み取れる。
「だってぇぇぇ」
「駄目なものは駄目。めっ」
「うぅ……」
 子供のように駄々を捏ねるナギをやんわりと叱るウル。
 ナギは納得していなさそうではあったが、セトからの制裁を食らうのは流石に嫌だったのか、渋々と腕の中のミラを開放した。
 ファズは溜め息を漏らしながら、新しい紅茶を淹れたティーカップをミラの目の前に置いた。ソーサーには白い角砂糖が三つ、ティースプーンと一緒に載せられている。
「ミラちゃんは、紅茶には角砂糖三個だったよな」
「あ、ありがとうございます」
 個人の嗜好をしっかりと覚えてくれているファズは、流石アヴィル家当主代理の任を任されているだけあってしっかりしている。
 そのようなことを考えながら、ミラは角砂糖を紅茶の中に落とした。
 不純物の少ない白砂糖というものは、庶民の間で使われている黒砂糖の倍近い値段がする。含まれている栄養素は精製せずに作る黒砂糖の方が多いとも言われているが、白砂糖の方が見栄えが良いため上流階級の者に愛されているのだ。
 因みに、ミラは超が付くほどの甘党で、とにかく甘いものに目がない。アヴィル家にミラが来てから、消費する砂糖の量が三倍になったらしいが……それはさておき。
「ミラちゃん。セトから頼まれていた、君の実家の薬屋にやる人手の件なんだが」
 かちゃ、と手元のソーサーにティーカップを置いて、ファズが静かな口調で話を切り出した。
「君さえ良ければ、斡旋所の方で本格的に求人募集を出そうと考えているんだが。賃金の方はアヴィル家で負担するし、雇用主の名義は俺にするつもりだから、雇用に関しては君に一切の負担はかからない。雇用人に仕事の内容を教える時だけ、君の手を借りることになるが……どうだろう」
 斡旋所とは、庶民に仕事の斡旋を行ったり経営者に人材を紹介する仲介の役割を担っている施設である。経営は町村単位で独立して行われているが、余程辺境で寂れた集落とかでもない限りは基本的に何処にでも存在している。
 日雇いの仕事から、長期雇用の仕事まで。力仕事から事務仕事、接客業まで。小さな個人商店から大きな商会が経営する大店、時には上流階級の家が執事や女中を探す時にも利用されている施設だ。広報力は折り紙つきなので、この町一番の名家でもあるアヴィル家が人材を募集していると情報が拡散すれば、すぐにでもそれは大勢の人々に知られることとなるだろう。
「業務内容は店の経営と農作業。雇用条件はある程度薬草か農業に関する知識を持っており、最低限の計算ができる者。経験者優遇。だが何より信頼して店の経営と畑の管理を任せられる者。給与は日当二百ルッツ……こんな感じで考えている。もちろん、君が希望するなら、雇用する者は君が直々に面接を行って選んでもいい。他にも追加してほしい条件があったらそのように求人広告を作るが」
「うん、いいんじゃない? 俺はそれで問題はないと思うけど」
 のんびりと自分の紅茶を飲みながらウルが相槌を打っている。
 それに対して異を唱えたのはミラだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい」
 彼女はうっかり噴き出しかけて顎に垂らした紅茶を掌で拭いながら、丸くなった目でファズを凝視した。
「日当二百ルッツって……それは流石に払いすぎですよ! 相場の何倍すると思ってるんですか!」
 ルッツとは、この国で使用されている通貨の単位である。
 貨幣の種類は五種類。鉄貨、銅貨、銀貨、金貨、白金貨に分類され、鉄貨一枚で一ルッツとして数えられる。鉄貨十枚で銅貨一枚となり、銅貨十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚、金貨十枚で白金貨と同レートとなる。
 一般的な四人家族の平民の家庭では、一カ月……三十日で千ルッツ、つまり金貨一枚分の収入があれば食費等諸々の経費を賄って暮らしていくことができる。千ルッツは庶民が一般的な仕事に就労して月に二十日間働いたとして、よほど賃金の低い仕事でもない限りは手にできるだろう、そのくらいの金額だ。
 以上のことを踏まえると、今ファズが提示した金額が如何に桁外れでぶっとんでいるものなのかがよく分かる。五日間働けば、それで一カ月分の収入が得られてしまうということなのだから。これはミラが狼狽するのも無理はない。
 しかしファズは、特に訝しがる様子もなく落ち着いた言葉を返してくる。
「俺は妥当だと思うけどな。……いいかい、ミラちゃん。有能な人材を雇い入れて長く自分の下で働いてもらうためには、その価値に見合った対価を支払うべきだと俺は思っている。安い賃金では、本当に有能な者は雇われてくれない。自分を安く買い叩かれて使い潰されると分からない奴しか来てくれないんだよ。それじゃ店の価値も落ちるばかりだ。分かるか?」
 末永く続く商いをするためには、初期投資をケチってはいけないのだと彼は語る。
 経費を如何に低く抑えるかも商売人としては重要なこと。しかし資産を築くために敢えて莫大な投資をする決断を下せるようになることも商売人には必要なスキルなのだという。
 誰だって綺麗に整えられていて品揃えが良くて接客態度が良い店員が働いている店の方が気分良く買い物ができるし、また来たいと思えるだろう? そういうことなのだ。
「薬の調合技術なんかの専門知識は、そう簡単に会得できるものじゃない。あのシュイが言うくらいだから相当のものなんだろう。その専門知識を持った者を雇おうとしているんだから、むしろこの程度の賃金じゃ安いくらいだ。だからこの雇用条件は妥当なところだろう。君だって、生半可な技能しか持っていない奴なんかよりも、信頼できる技能を持った奴に自分の店を任せたいだろう?」
「それは……その……欲を言えばそうなんですけど……」
「だったら何も問題はないじゃないか。この条件で求人募集を出そう。書類を作るが、構わないな?」
 ファズもセトを始めとする他の兄弟たち同様ミラに対しては甘いところがあるが、物事に応じてしっかりと線引きができる人物である。アヴィル家の本来の当主から当主代理の役を任されるに相応しい責任能力を持っているだけではない、商売人としての顔も持っている彼は、資産を運用して利益を上げる才に誰よりも長けているのだ。その彼がここまで断言するのだから、この決断に間違いはないのだろう。
 皆が異論がないのならそれでいい、とミラが同意しようとした、その時。

「わぁあああああッ!?」

 屋敷の何処かで、建物全体を揺るがす──ほどではないが、何かが爆発するような激しい音が響いたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

離宮に隠されるお妃様

agapē【アガペー】
恋愛
私の妃にならないか? 侯爵令嬢であるローゼリアには、婚約者がいた。第一王子のライモンド。ある日、呼び出しを受け向かった先には、女性を膝に乗せ、仲睦まじい様子のライモンドがいた。 「何故呼ばれたか・・・わかるな?」 「何故・・・理由は存じませんが」 「毎日勉強ばかりしているのに頭が悪いのだな」 ローゼリアはライモンドから婚約破棄を言い渡される。 『私の妃にならないか?妻としての役割は求めない。少しばかり政務を手伝ってくれると助かるが、後は離宮でゆっくり過ごしてくれればいい』 愛し愛される関係。そんな幸せは夢物語と諦め、ローゼリアは離宮に隠されるお妃様となった。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

転生したら悪役令嬢になりかけてました!〜まだ5歳だからやり直せる!〜

具なっしー
恋愛
5歳のベアトリーチェは、苦いピーマンを食べて気絶した拍子に、 前世の記憶を取り戻す。 前世は日本の女子学生。 家でも学校でも「空気を読む」ことばかりで、誰にも本音を言えず、 息苦しい毎日を過ごしていた。 ただ、本を読んでいるときだけは心が自由になれた――。 転生したこの世界は、女性が希少で、男性しか魔法を使えない世界。 女性は「守られるだけの存在」とされ、社会の中で特別に甘やかされている。 だがそのせいで、女性たちはみな我儘で傲慢になり、 横暴さを誇るのが「普通」だった。 けれどベアトリーチェは違う。 前世で身につけた「空気を読む力」と、 本を愛する静かな心を持っていた。 そんな彼女には二人の婚約者がいる。 ――父違いの、血を分けた兄たち。 彼らは溺愛どころではなく、 「彼女のためなら国を滅ぼしても構わない」とまで思っている危険な兄たちだった。 ベアトリーチェは戸惑いながらも、 この異世界で「ただ愛されるだけの人生」を歩んでいくことになる。 ※表紙はAI画像です

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

君は番じゃ無かったと言われた王宮からの帰り道、本物の番に拾われました

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ココはフラワーテイル王国と言います。確率は少ないけど、番に出会うと匂いで分かると言います。かく言う、私の両親は番だったみたいで、未だに甘い匂いがするって言って、ラブラブです。私もそんな両親みたいになりたいっ!と思っていたのに、私に番宣言した人からは、甘い匂いがしません。しかも、番じゃなかったなんて言い出しました。番婚約破棄?そんなの聞いた事無いわっ!! 打ちひしがれたライムは王宮からの帰り道、本物の番に出会えちゃいます。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...