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Act 1 大事な恋の壊し方(本編)
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しおりを挟む館内にいる女性陣からちらほらと注目を集めながら入館の手続きをして。
智実が手渡してくれたチケットの半券とパンフレットを、やっとのことで受け取った。
……さっき、挨拶を交わしたときの瀬川さんは普通だったけれど。
彼のほうを容易には振り向けなかった。不自然にならないように心掛けてはいるけれど、嫌な動悸が止まらない。
――悪夢のようなダブルデートだ。
震えそうになる指先をぎゅっと握り込んで、鞄の肩掛け部分に爪を立てる。目線だけはどうにか絵画に縫いつけ、俯きそうになるのを必死で耐えていた。
世界的にも有名な貴重な絵画の数々が並んでいるというのに、じっくりと眺めていられる状況じゃない。
瀬川さんの視線を察知するたびにオレの心臓は震え上がった。
逃げるなと、あの夜、男から告げられた直後にオレは逃げ出したのだ。
……怒ってるんだろうか。
例え怒ってはいなくとも、彼が今日ここに現れた時点で、平穏無事な未来は崩れ去ったも同然だ。何事もないなんて、あり得ない。
わざわざ千華ちゃんを絡めてきたことに狙いはあるんだろうか。
彼女はセフレの一人だと言っていた。単純に興味が尽きたのだとしても、関係解消の話にわざわざ出向いてあげるほど、瀬川さんが誠実な男だとは思えないのだ。
千華ちゃんはといえば、健気にもずっと瀬川さんに寄り添うように歩いていて。美貌の男と一言二言交わすたびに、隠しようのない恋心で頬をほんのりと染めていた。
そんな二人の様子を、智実は心配そうな表情で頻繁にチラ見している。
オレの隣にいるというのに、彼女の心は一秒たりとも千華ちゃんから離れない。……そのおかげで、オレの挙動不審に彼女が気付くこともないのだけれど。
(瀬川さんが千華ちゃんに会いに来たのでないのなら……彼女は駒だ。オレを呼び出すための? 本当にそれだけなのか?)
あの日の写真や動画が脳裏に過った。
結局オレはデータを消すこともできなくて、瀬川さんの良心に賭けるしかない状況で。
今日は智実が一緒にいる。……この場で暴露されたらどうする? 狙いはそっちなのか? 嫌な想像ばかりが頭の中で膨らんで、心がひどく掻き乱されてしまう。
ほかに気を配る余裕なんて皆無だった。とてもじゃないが、絵画を堪能しようという気分になんてなれっこない。
だけど美術品を愛でる余裕がないのは千華ちゃんや智実も同じようで。
悠々とこの場を楽しんでいる様子なのは瀬川さんだけだった。
一階から二階に上がり、順序通りに絵画を巡っていって。時折興味深げに足を止めては、瀬川さんが千華ちゃんと小声で言葉を交わしている気配がある。
(ダメだ……早く、逃げないと。全部無駄になる。瀬川さんが千華ちゃんの傍にいるうちに、どうにかこの場から……!)
突然の事態に動転してしまって、どう対応したら良いのか最善策が浮かばない。
震え慄くビビりな本能に任せて逃げ出したくても、智実たちの手前、不自然な行動をとることも躊躇われた。
できるだけ自然に、なるべく早く――なにか言い訳を探さなくてはならないのに。
いくら考えようともポンコツすぎる頭は空回ってしまって。
焦るばかりでどうにもできないオレは、瀬川さんから少しでも距離をとることに躍起になっていた。智実にペースを合わせるふりをして、あるいは絵画に興味を惹かれるふりをしてその場に踏みとどまり、前方の二人とペースをずらして遅らせる。
千華ちゃんはどうやら瀬川さんと二人きりで話をしたいみたいだから、まあそれで良いんだけども。
――だけど正直。もうオレも限界だった。
二階の展示室をすべて鑑賞し終えたところで、先を歩いていた千華ちゃんと瀬川さんは何事かを話し込みながら、零れた液体みたいな形をしたアートっぽいベンチに腰を下ろした。
オレと智実はさり気なくそこを通り過ぎ、二人の姿を確認できるくらいの場所で様子を窺うことになる。
廊下の端にあった白いシンプルな椅子にオレたちも腰掛けた。固く握り続けた拳はもうとっくに冷えきっている。
二人を注視する智実の横顔に、オレはそっと話しかけた。
「……あのさ、智実。瀬川さんには会えたわけだし、もうオレたち、二人とは別行動にしない? もうオレの役目も終わったんだろ?」
「え、駄目よ! 千華が心配だもん。だってあの子、ずっと泣きそうな顔してる。上手くいってもいかなくても、私は千華を置いては帰れないよ」
ちらりと視線を寄越したのみで、きっぱりと言い切る智実にオレは口を閉ざすしかなかった。
友情に厚い智実の性格がオレは好きだったし、彼女のそういうところが誇らしいとさえ思ってきた。
だけど。……今日だけは、今だけは、そう思えなくて。
ちっともオレの気持ちを顧みてくれない智実に珍しく苛立ちを感じていた。
――だって、ダメなのだ。
絶対、間違いなく危険だ。
これ以上この場所に、瀬川さんと同じ場所に居続けることは危険すぎると本能が告げているのだ。
……ならばもう、最終手段だ。
今すぐに、自分だけでもこの美術館から離れようと結論を出した時、智実が「あっ」と小さく声を発した。
はっとして顔を上げ、智実の視線を辿ってみると、千華ちゃんが瀬川さんの傍から離れてどこかに小走りで駆けていくところで。
「ちょっと私、行ってくる!」
智実が慌てた様子で立ち上がり、千華ちゃんの走っていった方向へと足早に追いかける。
フロアの奥のほうへと消えていく彼女の後ろ姿を呆然と見つめていたオレだったけれど、ふと視線を感じて、吸い寄せられるようにそちらへと振り向いた。
見慣れてしまった癖のある黒髪を軽く流し、相変わらずセンスの良いブランド物の衣服に身を包んだ男がすらりと佇んでいた。
今日も冴え冴えとした美形っぷりの瀬川さんと間違いなく目が合って――その瞬間、オレは場所もわきまえずに身を翻していた。
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