君と俺は二度泣いた

一片澪

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16.――『選んで』貰わないと、無理。

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「おい……顔が怖いぞ」
「ああ、お前が余りにもおぞましい単語を口にするから怒りを制御できなかった」

どうにか言った基臣に返って来たクレイヴァルからの言葉は実に辛辣なものだった。
これが普段の基臣だったら「お前言い過ぎだろ」と即座に言えるが、何と表現すれば良いのだろう……クレイヴァルの目に宿る怒りというか苛立ち度合いが本気だから基臣も思わず口籠る。
しかし少しの間の後今悪かったのは確実に自分だなと思い至ったので基臣は素直に謝罪することにした。

「悪かったな、勘違いしてた」

基臣の言葉を聞いてクレイヴァルは小さく息を吐いて、いつも通りの口調で返してくれる。

「……構わん。どうせ街の連中が好き勝手言ってるのでも聞いたのだろう?」
「知ってたのか?」

心底どうでも良い様に言い放たれた言葉に基臣は驚いた。
しかし当の本人であるクレイヴァルは涼しい顔で自分で用意したお茶を飲みながら軽く頷く。

「いちいち否定するのも面倒だったから放っておいた。そのせいで適当に尾ひれでもついていたのだろう。……まあ、まさか『番認定していた』なんて馬鹿なことになっているとは思わなかったがな」
「……馬鹿なこと?」

先程あれだけ苛立っていたのに冷静な頭で考えたらあまりにも馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう、というのがありありと分かる表情でクレイヴァルは言った。

「どう考えても馬鹿だろう? 仮定の話だとしても不愉快極まりないが、一体何処に『番認定』した相手が自分から離れていくのを指をくわえて見ているだけの獣人がいるんだ」
「そりゃ、確かに言われてみればそうだけど……なんかお前ってそういうところありそうだろ?」
「……どういう意味だ?」

基臣の言葉が不思議だったのかクレイヴァルは素直に不思議そうな表情を浮かべた。
最初のあの完成された筋金入りの鉄面皮っぷりを思うと随分打ち解けたものだと基臣は心の隅で感慨深く思いながらも合っていた視線を少しだけ逸らして言葉を返す。

「上手く言えねえけど……『本能』より『理性』が勝ちそうっつーか、ジルナークみたいに都合よく自分の中だけで解釈して我を通して突き進むよりも『相手の幸せ』を優先してなんか、一人で我慢してそうじゃん」
「……――」

俯いて、その自分の動作をより自然なものに見せる為に基臣はテーブルに置いていたカップに手を伸ばす。
だから自分が放った言葉を聞いたクレイヴァルがどんな表情をしているのかを基臣は見なかった。

「……ぃ――だな」
「ごめん、今なんて言った?」

クレイヴァルが呟いた言葉が聞き取れなかった基臣が反射的に顔を上げると、自分を見ているクレイヴァルの視線は思ったよりもずっと強い。

「随分買い被られたものだな、と言ったんだ」
「?」

ふーっと息を吐きながら言ったクレイヴァルだったが、表情は穏やかなものに戻っていたから怒ってはいないのだろう。
基臣は再度カップをテーブルに戻して視線を合わせたままのクレイヴァルを見た。

「なんでだ?」
「俺もただの『獣人』だと言っている」
「でもお前はジルナークみたいにはならないだろ、絶対」

ハッキリとなんの躊躇いも無く言い切った基臣を見てクレイヴァルは一瞬だけ息を飲んだ。

二人だけしかいない、他者が来る可能性が限りなく低いこの空間で基臣が自分に対して恐れや警戒心を見せない真意はどこから来るのか。
この世界で最弱、生存競争に敗れ保護種族筆頭の『ヒト族』であるくせに基臣は常に冷静で堂々としている。
いくらあの大魔女が太鼓判を押した防御魔法を持っているとしても振る舞いが自然体過ぎることがクレイヴァルは常々疑問だった。
だが、妙に怯えられるよりはずっと良いので頭の中に浮かんだ疑問を奥に追いやってクレイヴァルは会話を続ける。

「お前は時折、根拠に乏しいことを真顔で言うな」
「そうか?」
「ああ。日頃の言動が理論的かつ客観的な分とても目立つ」

クレイヴァルの言葉に基臣は少し考える素振りをしたが、すぐに表情を元に戻した。
お互いこんな風にゆっくりと会話をするのは初めてだがテンポやトーンが合うおかげでストレスが無い。

「お前は確かに不愛想でぶっきらぼうでつっけんどんで最初見た時は何だコイツって正直思ったけど」
「……『もらはら』が過ぎるだろう」

基臣のド直球な言葉にクレイヴァルがふっと笑う。
その相変わらず下手な発音の『もらはら』を聞いて、基臣も笑いながら軽く返した。

「お前は優しくて良い奴だよ。――少なくとも他人を踏み台にしたり、出し抜いたりするようなタイプでは絶対無いと俺は思ってる」

基臣が明るい表情でそう言い切ったのを受け止めて、クレイヴァルは先程よりも小さく本当に微かな笑みを口元に浮かべて話題を変えた。

「そうか。……で、お前が元の世界に残して来た『番』はどんな相手なんだ?」
「――っ」

咄嗟に出たその一瞬のリアクションは基臣的には「あれ、そういうことになってたんだっけ?」と記憶を浚う為の間だったがクレイヴァルはそうは思わなかったようですぐに空気が変わった。

「何か摘まむか?」
「え、あ……うん」

さり気無く空間魔法から食料品を取り出してテーブルの上に並べだしたクレイヴァルの整った横顔を見ながら基臣は思わず口ごもる。
テイクアウト用の紙袋に入ったサンドイッチを渡されて、礼を言って受け取りはしたが基臣の脳内は忙しいままだ。


ジルナークがクレイヴァルの番ではなかったというのは基臣にとって良い知らせだった。
でもだからと言って、自分とクレイヴァルの関係が変化するのとは全く別の話だという当たり前のことに気付いてしまうと今この空気の中で改まって切り出すのが適切なのかが分からない。


「――どうした? 別の物が良いのか?」
「あ、違う違う! ここのサンドイッチ美味いよな。俺好きだよ」
「ああ、俺も好きだな」


穏やかな低音がそう言って、クレイヴァルは食事を開始する。
その顔をちらりと見て基臣は分けて貰った自分のサンドイッチに思い切りかぶりつきながらいつかクレイヴァルから借りたあの種族図鑑の内容を思い出していた。



――『クトゥラ族:空中戦ではほぼ敵なしと言われるほど強い少数種族。理性的であり好戦的な人間は多く無いがその分本気で怒らせたら命懸けだと心得た方が良い。』

――『恋愛観:死ぬほど一途。本能で惹かれる番認定ではなく理性をもって。成人までに魔術で翼を隠す方法を体得するが翼の内側に一枚だけ各自色が異なる特別な羽根を持ち、それを自らが定めた相手に渡すことで相手を番と定め生涯番だけを愛し抜く。』




――こっちがいくら好きでも、無理。
クレイヴァルから『選んで』もらわないと……無理。


「どうした?」


初対面の時あんなに冷たかったクレイヴァルの瞳には今、確かな温度がある。
突き放すようなことしか言わなかった男が自分に返事を求めるように語尾を上げる。


――もしかしたら、このままで良いのかもしれないな。


臆病と打算が入り混じったヒト族そのものの思考に基臣は自虐的に笑ってしまう。


「なんでもない。コレ、美味いな」


感情のままに突っ走るなんて……この歳になってしまうと不可能だと、改めて基臣は実感してしまった。
前途多難過ぎて、どうやら手も足も出せそうにない。
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