十歳で運命の相手を見つけた少年は小さな幸せを夢見る

永江寧々

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ピアス

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 二人で朝の仕込みを済ませたあと、皆が揃うまで少し休もうと言った頃には空は既に朝を迎えていた。
 身体と精神を休ませるためにジルヴァの部屋を借りて一人で仮眠することはあっても二人で階段を上がるのは久しぶりだった。

「人のケツ見て興奮してんじゃねぇぞ」
「してないよ!」

 興奮はしていないが凝視はしていた。オージたちはいつも『アイツは背中にも後頭部にもうなじにも目がついてるから気をつけろ。全部見られてるぞ』と言う。ディルもそれは冗談ではないと思うときもあったが、今回ばかりは本当についているのだと強く思った。

「ヤるにはいいが、お前と二人で寝ると狭いかもな」
「オレまだそんなに大きくないから邪魔にはならないと思う」
「自分で言ってて情けなくねぇか?」
「別に? ジルヴァと寝られるなら情けなくてもいいし」
「俺なんかのどこがいんだかねぇ」
「全部だよ」

 即答するディルに「そうかよ」と返事はそっけないが、表情を見ればまんざらでもないことが伝わってくる。
 脱いだコックコートを椅子に投げかけてズボンを脱ぐ。つい視線がジルヴァの下半身に向くも失礼なことをしているとすぐに逸らした。

「お前も脱げよ」
「俺はいいよ」
「俺が嫌なんだよ。服が擦れるの気持ち悪ィだろ」
「い、いや、でも、いいよ! あ、俺、床で寝るから!」
「床で寝るなら家帰れ」

 脱ぎたくないのには理由がある。家に帰ればそれを見せずに済むが、せっかくジルヴァから誘ってもらったこの時間を自分から放棄したくないディルの葛藤が表情に見え隠れする。

「引かない?」
「さあな」
「笑わない?」
「さあな」
「どっちか約束してよ!」
「それが何か教えもしねぇのに約束なんざできるかよ」

 正論だと黙り込むディルがいつまでもそうしていると時間ばかりが過ぎていく。まるで初夜に裸を見せるのを恥ずかしがってなかなか触れさせない女のようだとその女々しさに苛立ったジルヴァが追い剥ぎのように服をひん剥くとディルがやはり女のように胸を隠した。

「自分で脱げるのに!」
「お前……」

 一瞬見えただけだが、ハッキリとソレが確認できた。身体中にある鞭で打たれたのだろう傷や火傷痕がひどく残っている身体は直視するのも嫌になるほどだが、もうこれ以上増えることがないそれらに安心したジルヴァはディルが気にしているだろうことに意識を向ける。

「なんだそりゃ!」

 大笑いするジルヴァの反応はディルの予想よりも大きいもので、てっきり眉を寄せたりするものだと思っていただけに愉快な物を見たような反応に顔を上げると楽しげに笑っているジルヴァの笑顔が映る。

「お前、どこにピアスしてんだよ」
「オレがしたくてしたんじゃないから!」
「普通はまず耳からだろ。チャレンジャーだな」
「だからオレがしたくてしたんじゃないってば!」

 これはマダムの命によって開けられた物で自分にとっては負の遺産でしかなく、これこそ情けない物。もうマダムとは縁を切ったのだから外せばいいのだが、開けたときの痛みを身体が覚えているせいで外すときのことを考えると痛みがあるかもしれない恐怖から今もまだ外せないでいる。
 鏡を見るのも嫌なため自分の身体からは極力目を逸らして過ごしているが、身体がこの違和感に慣れてしまう前に外したかった。

「外してやろうか?」

 ディルの表情から読み取った感情に応えるように問いかけるとディルの目があっちこっちに動き回る。
 外したい。でもまじまじと見られたくない葛藤に返事ができないでいるとギシッと音を立ててジルヴァがベッドに腰掛けた。そして上を向けた人差し指をクイクイと曲げることで呼び寄せる。有無を言わせないその呼び方に従順にもディルの足が進んでジルヴァの前に立った。

「ジッとしてろ」

 近いジルヴァの顔は見ていたいが、見ていると嫌でも自分のピアスが視界に入ってしまう。無意識に目が追うだろうその手とピアスを見たくなくて目を閉じた。
 
「ッ!」

 ジルヴァの指が触れると見ていなかっただけに大袈裟に身体が跳ねてしまい、その反応にジルヴァが声を殺して笑う。ピアスが摘まれ、ゆっくりと引き抜かれるその違和感に肌が一瞬で粟立ちディルの目を見開かせる。
 反射的に掴んだジルヴァの肩。抜くのは一瞬でも抜けたあとも嫌な感覚が残っている。一つ抜けてももう一つ残っている。それも抜き終わるとマダムの呪縛から解放された感覚はあるが、その感覚に安堵するよりも吐き気のほうが強く感じ、眉を寄せる。

「穴開いてる?」
「今はな。でも塞がる」

 あんな場所に穴を開ける必要がどこにあったのか一生理解できることはないが、あれが首輪と同じでマダムの所有員ではあったのだろうことは外されたピアスに施されているマダムシンディの家にあった家紋が刻印されているのを見て理解した。

「うわッ! な、なにッ!?」

 ピアスを見ていたせいで耳に伸びていたジルヴァの手に気付いてなかったディルがまた大袈裟な反応を見せるも耳たぶを揉むように触るジルヴァの指は止まらない。

「こっちのハジメテももらってやろうか?」
「……痛い?」

 ジョージに押さえつけられ、ティニーにニードルでピアスを開けられたときは叫ぶほど痛かった。耳にもあれと同じ痛みがあるのなら嫌だと思う一方でジルヴァが開けてくれるならと思う気持ちもある。恋は成就せずとも一生の思い出にはなると。

「んだよ、痛かったら泣くのか? えーんって?」
「痛いなら覚悟しときたいじゃん」
「なら覚悟しとけ。泣くほどイテーから」

 またあの痛みに襲われるのは怖いが、ジルヴァから与えられる物なら平気だと自分に言い聞かせながらディルもジルヴァの耳に手を伸ばす。

「痛いのにこんなにいっぱい開けたの?」

 ジルヴァの耳には石やリングピアスがたくさんある。唇や舌にピアスをしていないのが不思議なぐらい。毎回そんな痛みを覚悟しながら開けていたのだろうかと思い出す痛みに眉を寄せるもジルヴァはなんでもない顔をしながら開けたのだろうなと自分が知らない若い頃のジルヴァを想像する。

「暇だったんだよ」

 暇だったからピアスを開けようという考えになることは一生ないと見えない未来のことまで断言できるディルにとってその思考は理解できないものだがジルヴァらしいと思う。

「一番最初に開けたのは?」
「これ」

 指した先にあったのはピアスではなくピアスの穴。

「アルフィオが開けたときに俺も開けて、アイツがくれたピアスをつけてた」

 ジルヴァは自分で開けたのだろうか。それともジルヴァのハジメテはアルフィオに奪われたのだろうかと自負できるほどの気持ち悪い考えに思考に支配されていると自分の耳たぶを触るジルヴァの指の動きでハッとする。

「ま、でもアイツ気持ち悪ィからな」
「え?」

 まさかの言葉にディルが目を瞬かせる。婚約者であろうと気持ち悪いものはハッキリ言う。それほど驚くことではないが、婚約者に向ける言葉ではないことにジルヴァらしいと思う気持ちとアルフィオに聞かせてやりたい性悪な気持ちが二つある。

「どこが気持ち悪いの?」

 好奇心から問いかけたその内容を思い出したジルヴァが嫌悪に塗れた表情を見せる。

「お前がハジメテ開けた穴に通したのが俺が贈ったピアスだと思うと滾るものがあるな」
「うわぁ……」

 ピアスを見るたびに自分が贈ったんだとご満悦したかったのだろう昔から性格が変わっていないアルフィオにディルは若干引き気味な反応をする。

「俺はその場で投げ捨てて新しいの付けたわ」
「どうしてはずしたの?」

 ピアスはたくさんついているのに第一号だけ外している理由が気になった。

「耳触るたびにそこにあるってだけであのクソ台詞思い出して吐き気がするから外したんだよ」
「他のはいいの?」
「位置が違うからな。それにピアス変えても開けてりゃ昔のことグダグダ美化した思い出話として語りやがるからウゼーんだよ」

 ジルヴァがこれほど嫌悪感丸出して話をするのも珍しく、その話の内容がアルフィオのことであるためディルは不思議そうに首を傾げる。

「んだよ。お前までアイツに優しくしてやれっつーんじゃねぇだろうな?」
「そうじゃないけど……婚約者のことをそこまでボロカスに言うのに結婚するんだなって思って……」
「ミリー・ウェルジーのな」

 結婚という言葉を自分で吐いて自分でショックを受けて俯くディルの耳に届いた知らぬ名前に即座に顔を上げる。

「ミリー・ウェルジー?」

 聞いたことのない名前。ディルは都市部に出向くこともないため情報を得ることがない。オージたちのように新聞を読んで国の情勢について語り合うこともしない。だから世界的に知られている有名人のように名前を出されてもピンとこなかった。

「世界的大富豪の娘だ」
「ジルヴァじゃなくて?」

 一層濃くなるジルヴァの嫌悪。

「ジョーダンでも言うんじゃねぇ。ゲロぶっかけんぞ」
「で、でも、二人が、キス……してるの見た、よ?」
「あの雨の日にお前が見たのは未遂だ」

 いつ見たのかは言っていないのに告げられた雨の日の記憶。ジルヴァと目が合ったと思ったとき、本当に目が合っていたのだ。慌てて隠したが、それさえも見られていた。客に甘えるように抱きついていた姿を。

「最悪だ……」

 その場でしゃがみ込むディルの頭に手を置いて指先で軽く揉むように動かすジルヴァが笑う。

「このピアスより最悪なことはねぇだろ」
「どれも最悪だよ……」
「終わったことだ。いつまでも振り返ってマゾヒズム楽しんでんじゃねぇよ」
「楽しんでない」
「なら辛いこと思い出して自分の心虐める必要ねぇだろ」
「そうだけど……」

 ディルは少し混乱していた。見られたショックとアルフィオの婚約者はジルヴァではなかったこと。喜びとショックに感情が定まらない。

「じゃあ一緒にどこ行ったの?」
「ミリー・ウェルジーが俺に会いたいっつーから会いに行っただけだ」

 しゃがみ込んでいた身体から力が抜け、床の上にドサッと座り込んだ。ギシッと音を立てる床の上で放心状態のように脱力して見上げてくるディルにジルヴァはベッドの上で胡座をかいた膝の上で頬杖をつきながらニヤつきを見せる。

「アイツと俺が婚約してるって思ってたのかよ」
「だって指輪の話……」
「崇高な趣味をお持ちのようで」
「た、たまたまだよ!」
「俺は指輪を贈る男なんざごめんだね」
「でも結婚するときは指輪でしょ?」
「邪魔だろ」

 アルフィオが出した指輪を見たときもジルヴァはそう言っていた。指輪を出してプロポーズしても涙を浮かべて「はい」と愛らしい声で返事をする性格ではないため言ってることは理解できるが、指輪を渡してプロポーズする夢を見ていただけに夢は一瞬で塵となった。

「なんで世の中の常識に従わなきゃならねぇ? 結婚は誰とすんだよ。世の中か? テメーらの理想が合えばそれでいんじゃねぇのかよ」
「それは……そうだけど。でも指はいつでも見えるし」
「俺は二人だけが確認できる場所のがロマンがあると思うぜ」
「例えば?」

 ココ、と言ってジルヴァが指したのはヘソ。そこにもピアスがある。子供のときにそれが見てはいけないもののように見えて直視しなかったが、今は直視どころか凝視してしまう。
 鍛えられた脂肪のない腹筋。そこで光るピアスにディルが無意識にゴクリと喉を鳴らす。

「見れるのは伴侶の特権だろ?」
「そう、だね」
 
 間近で見つめるディルの目は一度も瞼を下さない。焼き付けるように見つめるその視線を放つその目を見て肩を揺らすジルヴァが額にデコピンをかました。

「鼻息荒いんだよエロガキ」
「ご、ごめん」

 そこそこの音がしただけに痛みも強く、額を押さえながら謝るも興奮は否定できない。

「オ、オレが贈ったら付けてくれる?」
「さあな。でもその前にお前の耳の穴が先だろ」
「明日?」
「都合がついたらな」

 拒否はしなかった。それだけで心の底から湧き上がる喜びにディルの表情が明るくなる。
 空元気の笑顔ではないその笑顔にジルヴァが優しく頭を撫でた。
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