私はビブリオテカ ―― 終わりなき博物誌編纂の過程で生きて嘆いて食べて笑って藻掻く姿に幸あれ ――

屑歯九十九

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第零章 ―― 哀縁奇淵 ――

第028話 ―― 拝んで命ず

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【前回のあらすじ――。ノックはメリアに魔法の力で森の奥へと引っ張りこまれ、そこで精霊セレスタンと遭遇し、思わず魔物呼ばわりし、精霊に怒鳴られ、尻餅を搗く。メリアは不用意な発言で精霊に頭を殴打され地面に倒され、髪を引っ張られ生え際を踏みつけにされた。ノックは助けようとするも、精霊の見せる凶悪な威嚇に震えることしかできない】










 邪魔がないと分かるや、精霊セレスタンは暴力を増長させる。

「誰が邪悪ですって! あのクソじじい! 孫娘にどんな教育してんのよ!」

 メリアはゆっくりと落ち葉の海から顔を上げて、ほほに塗られた腐葉土をぬぐった。

「すみません前言撤回ぜんげんてっかいです。やはり人ならざるものは、関わり方を一つ間違えると、こうして災いとなるのです」

「災いになってるのはあんたのその減らず口の方よ! あんたの舌鋒ぜっぽうは、あのクソジジイの剣より鋭いって自覚なさい!」

 四つんいの姿勢のメリアが動かなくなると、セレスタンは小規模な暴行を終え、手を叩き合わせ一息つく。

「はぁあ……もういいわ。とりあえず。そこのガキ、名前は?」

 あごで示された少年は、立ち上がれぬまま自分自身を指さし。

「え、あ、俺……? 俺はノック」

「そう。ノックって言うの。じゃあ、クソガキ……」

「え、ノック……」

 セレスタンは薄翅うすばねひるがえすと、少年を見下ろす位置まで飛翔し、胸に手を当てて朗々と誇らしげに語りだす。

「心して聞きなさい。我は神聖にして高潔なる精霊の中でも、風雲天業ふううんてんぎょうことわりに属し、命のかたわらでははねをもつものを助け、四季においては春を運ぶ比類なき貴種一凛いちりんあざなはセレスタン」

「し、シルフ? 精霊せいれい……はッ! 精霊ッ! 精ぃ霊ぃいいいッ!!」

 ノックは両手とひざを駆使した爬行はこうで後ろに引きさがり、じんよう2名をおののかせ、間もなくその場で平身低頭した。

「ノック殿、どうしたのですか?」

 まったく少年の行動が理解できません、といった面持ちのメリアに対し。
 ノックは頭の高さを変えず、血走った眼を向けて告げる。

「お前こそ何立ってんだ! ひれ伏せうやまあがたてまつって御心みこころしずめてもらうよう祈れ! お願いです……ッ。言うことを聞いてぇ……」

 怒りの言葉は最終的には悲壮な懇願こんがんに代わる。
 歩き出すメリアは少年の横に並び、片膝をついて、地面に向けられた顔を覗こうとする。

「一体何がどうなっているのです?」

 最早、立場は変わっていた。
 混乱する少女に対し、少年は確信めいた口調でささやく。

「いいか……ッ。精霊ってのはな、自然の摂理せつりつかさど不変不朽ふへんふきゅうの存在なんだ……ッ。俺たち人間なんかじゃ及びもつかない力でこの世界を動かしているんだ。勿論もちろん、その中には動物のように純粋で無垢むくなものもいれば、邪悪で恐ろしいものもいるし、慈悲深く衆生しゅじょうに恵みをもたらす大いなる存在もおられるんだ……ッ。セレスタン様を見ろ、どこからどう見ても大いなる力を秘めた神々しい御尊容ごそんようじゃないかよ……ッ。きっと……、すごい力を持っている。おもて上げたら両目失う。だから早く頭を下げて、お願い……。事を荒立てないで……」
 
 そうなんですか? とメリアは精霊に暢気のんきな顔と眼差しを向けてたずねる。
 話題の当事者セレスタンは脱力しきって、疲れを漂わせる溜息ためいきを盛大に吐いた。

「はぁあぁ……。これだから無学な人間と対面するのは嫌なのよねぇ……。あたしを見ると悪魔だのなんだの言って罵詈雑言ばりぞうごんを吐いてわめくか。ありがたやありがたやどうか鎮まりくださいって言って地面にめり込む勢いで平身低頭しておがみ倒してくるかの二極しかないんだもん。ほんと、気疲れして嫌になる……」

「メリアはそんなことはしませんよ」

 ほがらかに笑うメリアにセレスタンは。

「いやあんたはあんたで違う意味で疲れんのよ……。というか、むしろ少しは敬いなさい」

 そうですか? とメリアは表情を消して少年の背にそっと触れた。

「大丈夫です。攻撃さえしなければ、セレスタン様も命までは奪いません」

「命どころか五体満足で生かしてあげるわよ。そしてメリア、あんたはそこはかとなくあたしをおとしめるのをやめなさい」

「すみません。御じい様とセレスタン様のやり取りを見て育だったものですから……。精霊に対する礼節と言葉遣いの具体例がそれ以外なく……」

「つまり諸悪の根源はあのクソ爺ってわけね。了解したわ。次会ったらぶっ殺す」

 ひぃいい! 精霊の物騒な発言を耳にしたノックは、一瞬上げそうになったつらを土に戻す。
 メリアが苦言を呈する。

「セレスタン様、あまり下品な言葉は控えたほうが良いですよ。ノック殿も聞くにえぬと顔を背けてしまいました」

「あんた冗談で言ってるのよね? お願い。そうだと言って」

 冗談です……、と断言するメリアの表情はずっと真剣なものである。
 ともすると無表情に見え、精霊は小娘の言い知れぬ圧力にたじろぐ。恐れよりも困惑が大きいのか、肩も顔も落とすと憂鬱ゆううつを封じ込めた重たい息を口から出し切って、気を取り直す。

「もういいわ。えっと、ノック? だっけ? 本当に何もしないから安心して面を上げなさい」

 静々と顔を上げたノックは、本当? などと幼稚で必死な声で尋ねた。
 
「本当だって言ってんでしょうが! それとも恐ろしい目にいたいわけ?」

 違います! とノックは素早く飛び上がり、枝を払ったすぎみきごとく空中で真っ直ぐになってから着地を果たす。
 腰に手を当てたセレスタンは満足気にうなずいたが、直後、横から流れてきた光の糸に顔をしかめ撤退する。
 少年と同じく目を丸くしたメリアは、大丈夫ですか? と尋ねた。

 大丈夫なわけ……、と口走る精霊は、忌々いまいましい気持ちを顔と態度に表していたが、平然としたたたずまいに早変わりし、コホン、と咳払いして言い直す。

「もちろん大丈夫に決まってるでしょ? あたしを誰だと思ってるわけ? こんなまじない、微風そよかぜ程度にも感じないわ」

 と豪語するが背中に光の糸が触れた瞬間、生理的嫌悪や怖気おぞけてられたようにって、翅をたたみ、執拗に背中を拭う。
 もうなんなのよ! と拳を振り上げるセレスタンだが。怒りに膨らむ頬を震わせた状態でしばし動きを止め。
 もう! と言ってきびすを返す。

 メリアは周囲を見渡す。

 3名が今いる林は、まるで雪の照り返しがあるように明るくなっており、白いきり天蓋てんがいのように囲っている。
 空模様とは裏腹に、明るくなっているのは、周囲をゆったりと漂う光の糸によるものなのか、天蓋が原因か、それとも見えない光源のせいなのか。

「これって、異界いかいってやつなのか?」

 セレスタンは蛾眉がびを上げ、口を開いた少年に近づいた。

「あんた、無学だけど言葉は知ってるみたいね」

 鼻先に触れそうなほど精霊が近づいて、ノックは血の気が引き、頭だけって息を止める。しかし、それ以上の動きをすることを恐怖が押し止めた。
 若造の内心を見透かしたセレスタンはあざけるような微笑みを向け、腕を組んで向きを変えた。

「どうやら、無駄に知識を知ってるやからに、色々吹き込まれたみたいね」

「あ、えっと……その、知り合いに、薬草師やくそうしがいて……」

「薬草師ぃ?」

「あ、薬草師っていうのは、薬草を採取して、それを調合して……」

 セレスタンは険しい表情を少年に突き出す。

「薬草師くらい知ってるわよバカ!」

 すみません! とノックが頭を下げたと同時に、セレスタンの胴体が少女の手に鷲掴わしづかみにされた。
 メリアは平然と手中に収める精霊をたしなめる。

「セレスタン様。あまり不遜ふそんな態度はひかえてください。あなたへの評定は、それすなわち契約者けいやくしゃである御じい様の評定になるのですから」

「ケイヤクシャ……?」

 少女の言葉を復唱したノックは、親友とその従者である狼を思い出し、頭を上げて精霊を見た。
 メリアは。

「ああ、契約者とは、いわゆる紋章術の主従関係や、それに近いものにじゅんじた対象を指す言葉で……」

「てことは、その精霊様は……、ヘイミルさんの従者?」

「誰が従者ですって……ッ!!」

 精霊は怒りを爆発させメリアの手から噴出する。
 悲鳴を上げるノックは、また腕で体を隠す。
 飛び掛かろうとする精霊は再びメリアの手に捕縛され、さらに強い力で握られ無様にうめいた。

「セレスタン様。お静まりください。言葉は不適格かもしれませんが本質は間違っていないのですから」

 セレスタンは手足を突発的に伸ばし、魔手から解き放たれると喚いた。

「全然違うわよ! ! クソ爺あいつあるじなの!」

 セレスタンは強情に腕を組んで胸を張ると、そっぽを向いた。
 そしてまぶたを固く閉ざした顔に、光の糸が張り付く。
 大急ぎで顔を襲うものを引き剥がしたセレスタンは、掴んだものを下へと投げて、その可愛らしい声で牛の鳴き声を真似して立腹を表現する。

「大丈夫、ですか?」

 振り返った精霊は目を丸くして、心配の声をかけてくれた少年を見下ろす。
 おびえが垣間見えるノックの言葉と顔。しかし、気遣いは確かに感じられた。

 諦念ていねんを含む溜息を発したセレスタンは、大丈夫よ……、と背中を見せて手であおぐ。そして、若干せわしなく薄翅が震える。
 メリアは、分かりづらいが、優しい微笑みを一瞬見せ、直ぐに真顔になる。

「それで、我々を呼んだのは何用があってのことですか?」

 これよ……、と精霊は小さな指で漂う光の糸を指し示す。
 ノックは、周囲にも漂う同じものに触れぬよう気を付けながら、同時に目を細めて観察した。
 それは正しく光の糸で、まるで蜘蛛の糸に朝露を均一に塗ったようでもある。

 人は触れても大丈夫よ……、と精霊が言うので。
 ノックもメリアも触れたが、本当に何も起こらない。
 むしろ、糸のほうが人を忌避きひするように泳いで、近づく指から離れる。

「これは、のろい……なのでしょうか?」

 とのメリアの質問に精霊が答える。

「正確に言えば、結界けっかいと分類するべきね……。まあ、あたしにしてみたらのろいなんだけど。あんたたち愚鈍な人間にも理解できるように言葉を選んであげたの。感謝しなさい」
 
 かたじけのうございます……、とノックは頭を下げる。
 とても素直で従順な態度を求めた通りに受けたセレスタンは、すごく嫌な顔をする。

「やっぱり普通でいいわ。なんか、あのクソじじいと長らく一緒に居たせいか、下手にうやまわれると虫唾むしずが走る。それはそうと。あんた達にさっそく仕事よ。この結界を壊さないようにくのを手伝いなさい」

「壊さない? どういうことですか? セレスタン様はこれにとらわれているのですか?」

 とメリアが尋ねる。
 状況が呑み込めず少女と精霊に視線を交互に向けるノックは無視され、精霊は話を進める。

「確かに。あたしは今結界の陣中じんちゅうにいるけど、別に囚われている訳じゃないの。こんな安い呪いなんてあたしが少しでも力の片鱗を見せた瞬間、跡形もなくなるわ」

 一見すると強がりに聞こえる文面だが、精霊の口ぶりは平然として。話を聞いていた少女も表情を変えず首肯しゅこうした。
 
「なるほど。それを防ぐためにメリアを呼んだと……。しかし、なぜノック殿まで?」

「お、俺、呼ばれてたの?」

 やっぱり状況を理解しきれていない少年の心情を無視して精霊は話を続ける。

「ノック。あんたこの結界について何か知らない?」

「え……ああ、この結界は、えっと、たぶん、コレボクが、あ、さっき話した薬草師の爺さんがこしらえてくれたものです……。普通は、何もないはずだけど……。ええと、コレボクは変わり者だけど親切で博学で。この結界も、何かよこしまなものが……あ、もちろん精霊様のことを言ったのでは!」

 失言が逆鱗に触れかねないと慌てるノック。
 セレスタンは苦々しい表情になると執拗にうなずき、話を進めろと手を振った。

「わかったわかった。つまりそのクソ薬草師の仕業ってわけね……ふん」

 セレスタンは考え込んだように視線を別に向ける。

「まあいいわ。それで、あんたはそのクソ薬草師の為人ひととなりを知ってるくらいには親しいなら。の場所も分かってるんじゃない?」

「ジュグ?」

 聞きなれない単語を復唱し、目をまたたく少年に精霊は大人しい嘆息たんそくこぼす。









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