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第Ⅱ章
第20話 闇を流離う少年
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榊黒流離は、表情が乏しく言葉を話さない子供だった。元からの性質なのかは、わからない。三歳の時、13課から集落に戻された昏睡状態の父親を目の当たりにしてからの特徴だった。
五歳の時の神降ろしは、速佐須良姫神が望んだ故に執り行われた儀式だった。流離に降りた後も、速佐須良姫神は流離の父親である榊黒修吾を気にして傍から離れなかった。
そのせいか、流離は速佐須良姫神と上手く馴染めずにいるようだった。
直桜は隔離されていた修吾に近付く行為はおろか調べること事態を禁止された。何故、修吾が昏睡状態で戻ったのか、流離がどういう状態なのか、知る術は断たれていた。
(けど、あの時の俺は、自分から修吾おじさんや流離に積極的に関わろうなんて思ってなくて。あの時、ちゃんと向き合うべきだったんだ)
もう何度目になるかもわからない後悔が胸の中に渦を巻く。
黒い闇に包まれる流離を目前にして、直桜はまた同じ後悔を強く感じていた。
「いつから、こんな状態なんですか?」
流離の事情を何も知らない護が問う。動揺を隠せない声音は、直桜以上の狼狽を含んでいた。
13課の地下三階、梛木の空間術に一際強く守られた部屋の中で、流離は自らが作ったと思われる真っ黒い闇の球体の中に籠り、小さく蹲り眠っていた。
「つい数時間前だと思うわ。私たちが仕事で外に出る前までは、いつも通りに静かに座っていたの」
律の言葉に、護が直桜を振り返った。
直桜と護の連携訓練を始めて一週間、梛木から緊急招集が入った。
呼び出された地下三階で目の当たりにした光景に、直桜は言葉を失った。
「流離は元々、仕事をさせるために13課に呼んだのではないの。惟神と一緒にいた方が力が開眼するんじゃないかって判断で、集落から離れたのよ」
13課は若くて十五~六歳、高校に進学してからでないと所属ができない。例外はほとんどなく、あの紗月でさえ十六歳を過ぎてからの所属だったらしい。
律の説明は13課の規則という点で納得できる。
「流離坊、なんで……」
瑞悠が涙目で闇の中に浮かぶ流離を見詰めている。
「流離に何が起こっているんですか?」
畏怖にも似た瞳の色で、智颯が直桜に問い掛ける。
直桜は黙ったまま、闇色の球体に手を近づけた。黒い靄が直桜の手に絡まる。闇が触れた部分の皮膚が赤く爛れた。
「直桜!」
見かねた護が直桜の手を引く。
爛れた皮膚を、直桜はぼんやりと眺めた。
「拒絶、だね。この中に、誰にも入ってほしくないんだよ」
「流離が直桜様を拒絶なんて、ありえません」
智颯の言葉は、恐らくその場にいた惟神全員の気持ちだったろう。何も話さず表情が変わらない時でさえ、流離は直桜に懐いていた。
「して、何故の拒絶だ? 己を守るためか? 他者を守るためか?」
護が握る直桜の手に、梛木が手を翳す。
爛れていた皮膚が元の色に戻った。護が直桜以上に安堵の表情を漏らしている。
「両方だろうね。ねぇ、律姉さん、どうして修吾おじさんを集落に置いて来たの?」
直桜の視線に、律が俯いた。
「連れてこられるはずがないわ。修吾さんは十年もあの状態なのよ。動かすのは、危険よ」
普段は毅然とした律の瞳に、戸惑いが浮いて見えた。
「じゃぁ、質問を変えるよ。どうして流離と修吾おじさんを離したの? 離せば、どちらかが危険な状態になるって、陽人はわかっていたはずだよね」
びくりと肩を揺らして、律が顔を上げた。
「どうして、直桜がそれを知っているの……?」
律の驚愕した瞳が直桜を眺める。
直桜は小さく息を吐いた。
「知らなかったよ。今、わかった。なんで修吾おじさんが死んだように生きているのかも、流離がこんな状態なのかも、今、触れてわかった」
小さな闇は、まるで救いを求める幼子の手のようだった。なのにその手は、直桜という救いを拒絶した。
(早くに向き合っていればって思ったことは、今までに何度もあった。けど、これは。流離と修吾おじさんは、集落にいた頃の俺でもどうにかできたじゃないか。むしろ、あの頃の方が何とか出来た)
口惜しさで、奥歯を噛み締める。
「直桜……。違うのよ。これも一つの方法で、速佐須良姫神を流離に完全に降ろすためには、修吾さんと離す必要が……」
「それじゃ駄目だ!」
直桜は思わず声を荒げた。
律と護が驚いた顔をしているのが視界に映った。恐らく智颯や瑞悠も同じ顔をしているのだろう。
自分ですら、自分が怒鳴った声に驚いた。
「何故、ダメだと思う? 根拠は何だ?」
ただ一人、冷静な梛木が直桜に問う。
「修吾おじさんと速佐須良姫神の縁はまだ切れていない。流離に降りても、速佐須良姫神は修吾おじさんを守ってる。流離のこの状態は、その結果だよ」
たとえ物理的な距離が離れても、速佐須良姫神は修吾の傍から離れていない。神力が弱まった流離はこの状態で自分を守り、速佐須良姫神を守っているのだ。それは結果的に、修吾を守るのと同じだ。
「何故、そこまでして流離が修吾を守る?」
梛木が重ねて問う。
その問いかけには正直、腹が立った。
「俺の方こそ、聞きたい。梛木は知っているんだろ。どうして修吾おじさんがあの状態で帰ってきたのか。どうして俺が近寄らせてもらえなかったのか。もし集落にいた頃にちゃんとみていたら、俺ならきっとどうにかできた!」
殴りかかる勢いで梛木に迫る直桜を、護が制した。
「修吾おじさんの中に、何かいるんだろ? 俺に触れさせたくない何かが。今でもそれを抑え込んでる。だから流離はいつまでも不完全な神降ろしのままなんだ。このまま解決しなきゃ、流離自身が掻き消えるかもしれないのに!」
梛木が変わらぬ表情で直桜を見上げた。
「直桜、落ち着いて。修吾さんを直桜から隔離したのは集落の判断よ。仕方がなかったの、どうにもできなかったのよ」
直桜に触れようとする律の手を振り弾いた。
「俺ならどうにかできたかもしれない。むしろ、あの時何とか出来たのは俺だけだったはずだ。なのにどうして隔離なんて」
「どうにかしたか?」
梛木の声が耳に入って、直桜は言葉を止めた。
「あの頃の、惟神である己を呪っていた直桜が、修吾を何とかしようと思うたかは、果たして謎じゃの」
直桜は言葉を失くした。何も言えなかった。
今の自分なら、どうにかしようと考える。しかし、あの時の自分は、力はあっても心がなかった。
絶対に何とかしたと、言い返すことはできなかった。
「梛木は知っているんだろ。修吾おじさんの中に何が封じられているのか。教えてよ」
集落が惟神二人を犠牲にしてでも隔離して、直日神の惟神を守らねばならないような存在とは、何なのか。
「正確には、修吾の中ではない。根の国底の国に堕とした穢れを抑え込んでおるのじゃ」
「梛木様! まだ話す許可は下りていません!」
律が悲鳴に近い声を上げる。
「頃合いじゃ。陽人も解しておるじゃろ。これ以上、隠しおおせる話ではない」
梛木の視線に、律が口を引き結ぶ。
諦めの表情で、律が俯いた。
「十年前に起きた大事件は、多くの犠牲を出した。修吾もその一人じゃ」
「また、十年前か……」
紗月を保護して以降、十年前に起きた事件の話の欠片がそこかしこに落ちている。それを拾っては集めて繋ぎ合わせようとしても、全くうまく繋がらない。
「13課で生きるなら、あの事件は避けて通れぬ。修吾が抑えておる穢れは、それで知れる。語るべき者に、聞くと良い」
「梛木は副班長だろ。梛木が教えてくれたらいい。今更、勿体付けるなよ」
「今、修吾が抑える穢れの話だけを聞けば、お主は集落に戻ろうとするじゃろう。それでは解決にならぬ。腹を括ったのなら、総てを知れ。それがお主の義務じゃ、直桜」
梛木が話しているのは、きっと正論だ。
わかっていても、憤怒の感情が先走って、巧く思考が回らない。
「中途半端に隠したり、聞けって言ったり、何なんだよ。俺だって、ちゃんと知りたいと思ってるよ。逃げるつもりもないし、流離を助けてやりたいよ」
ぎりっと歯ぎしりして、直桜は扉へと向かった。
「直桜! 待って、どこへ……」
「副長官室。陽人に聞けばいいんだろ。語るべき者は、アイツしかいないだろ」
直桜を止めようとした律を梛木が止めた気配がした。
直桜は振り返らずに扉に向かう。
瑞悠と智颯が心配そうな、少し怯えた顔で直桜を見詰めているのに気が付いた。
「大声出して、ごめんな」
二人の顔を見たら、少しだけ冷静さを取り戻せた気がした。
五歳の時の神降ろしは、速佐須良姫神が望んだ故に執り行われた儀式だった。流離に降りた後も、速佐須良姫神は流離の父親である榊黒修吾を気にして傍から離れなかった。
そのせいか、流離は速佐須良姫神と上手く馴染めずにいるようだった。
直桜は隔離されていた修吾に近付く行為はおろか調べること事態を禁止された。何故、修吾が昏睡状態で戻ったのか、流離がどういう状態なのか、知る術は断たれていた。
(けど、あの時の俺は、自分から修吾おじさんや流離に積極的に関わろうなんて思ってなくて。あの時、ちゃんと向き合うべきだったんだ)
もう何度目になるかもわからない後悔が胸の中に渦を巻く。
黒い闇に包まれる流離を目前にして、直桜はまた同じ後悔を強く感じていた。
「いつから、こんな状態なんですか?」
流離の事情を何も知らない護が問う。動揺を隠せない声音は、直桜以上の狼狽を含んでいた。
13課の地下三階、梛木の空間術に一際強く守られた部屋の中で、流離は自らが作ったと思われる真っ黒い闇の球体の中に籠り、小さく蹲り眠っていた。
「つい数時間前だと思うわ。私たちが仕事で外に出る前までは、いつも通りに静かに座っていたの」
律の言葉に、護が直桜を振り返った。
直桜と護の連携訓練を始めて一週間、梛木から緊急招集が入った。
呼び出された地下三階で目の当たりにした光景に、直桜は言葉を失った。
「流離は元々、仕事をさせるために13課に呼んだのではないの。惟神と一緒にいた方が力が開眼するんじゃないかって判断で、集落から離れたのよ」
13課は若くて十五~六歳、高校に進学してからでないと所属ができない。例外はほとんどなく、あの紗月でさえ十六歳を過ぎてからの所属だったらしい。
律の説明は13課の規則という点で納得できる。
「流離坊、なんで……」
瑞悠が涙目で闇の中に浮かぶ流離を見詰めている。
「流離に何が起こっているんですか?」
畏怖にも似た瞳の色で、智颯が直桜に問い掛ける。
直桜は黙ったまま、闇色の球体に手を近づけた。黒い靄が直桜の手に絡まる。闇が触れた部分の皮膚が赤く爛れた。
「直桜!」
見かねた護が直桜の手を引く。
爛れた皮膚を、直桜はぼんやりと眺めた。
「拒絶、だね。この中に、誰にも入ってほしくないんだよ」
「流離が直桜様を拒絶なんて、ありえません」
智颯の言葉は、恐らくその場にいた惟神全員の気持ちだったろう。何も話さず表情が変わらない時でさえ、流離は直桜に懐いていた。
「して、何故の拒絶だ? 己を守るためか? 他者を守るためか?」
護が握る直桜の手に、梛木が手を翳す。
爛れていた皮膚が元の色に戻った。護が直桜以上に安堵の表情を漏らしている。
「両方だろうね。ねぇ、律姉さん、どうして修吾おじさんを集落に置いて来たの?」
直桜の視線に、律が俯いた。
「連れてこられるはずがないわ。修吾さんは十年もあの状態なのよ。動かすのは、危険よ」
普段は毅然とした律の瞳に、戸惑いが浮いて見えた。
「じゃぁ、質問を変えるよ。どうして流離と修吾おじさんを離したの? 離せば、どちらかが危険な状態になるって、陽人はわかっていたはずだよね」
びくりと肩を揺らして、律が顔を上げた。
「どうして、直桜がそれを知っているの……?」
律の驚愕した瞳が直桜を眺める。
直桜は小さく息を吐いた。
「知らなかったよ。今、わかった。なんで修吾おじさんが死んだように生きているのかも、流離がこんな状態なのかも、今、触れてわかった」
小さな闇は、まるで救いを求める幼子の手のようだった。なのにその手は、直桜という救いを拒絶した。
(早くに向き合っていればって思ったことは、今までに何度もあった。けど、これは。流離と修吾おじさんは、集落にいた頃の俺でもどうにかできたじゃないか。むしろ、あの頃の方が何とか出来た)
口惜しさで、奥歯を噛み締める。
「直桜……。違うのよ。これも一つの方法で、速佐須良姫神を流離に完全に降ろすためには、修吾さんと離す必要が……」
「それじゃ駄目だ!」
直桜は思わず声を荒げた。
律と護が驚いた顔をしているのが視界に映った。恐らく智颯や瑞悠も同じ顔をしているのだろう。
自分ですら、自分が怒鳴った声に驚いた。
「何故、ダメだと思う? 根拠は何だ?」
ただ一人、冷静な梛木が直桜に問う。
「修吾おじさんと速佐須良姫神の縁はまだ切れていない。流離に降りても、速佐須良姫神は修吾おじさんを守ってる。流離のこの状態は、その結果だよ」
たとえ物理的な距離が離れても、速佐須良姫神は修吾の傍から離れていない。神力が弱まった流離はこの状態で自分を守り、速佐須良姫神を守っているのだ。それは結果的に、修吾を守るのと同じだ。
「何故、そこまでして流離が修吾を守る?」
梛木が重ねて問う。
その問いかけには正直、腹が立った。
「俺の方こそ、聞きたい。梛木は知っているんだろ。どうして修吾おじさんがあの状態で帰ってきたのか。どうして俺が近寄らせてもらえなかったのか。もし集落にいた頃にちゃんとみていたら、俺ならきっとどうにかできた!」
殴りかかる勢いで梛木に迫る直桜を、護が制した。
「修吾おじさんの中に、何かいるんだろ? 俺に触れさせたくない何かが。今でもそれを抑え込んでる。だから流離はいつまでも不完全な神降ろしのままなんだ。このまま解決しなきゃ、流離自身が掻き消えるかもしれないのに!」
梛木が変わらぬ表情で直桜を見上げた。
「直桜、落ち着いて。修吾さんを直桜から隔離したのは集落の判断よ。仕方がなかったの、どうにもできなかったのよ」
直桜に触れようとする律の手を振り弾いた。
「俺ならどうにかできたかもしれない。むしろ、あの時何とか出来たのは俺だけだったはずだ。なのにどうして隔離なんて」
「どうにかしたか?」
梛木の声が耳に入って、直桜は言葉を止めた。
「あの頃の、惟神である己を呪っていた直桜が、修吾を何とかしようと思うたかは、果たして謎じゃの」
直桜は言葉を失くした。何も言えなかった。
今の自分なら、どうにかしようと考える。しかし、あの時の自分は、力はあっても心がなかった。
絶対に何とかしたと、言い返すことはできなかった。
「梛木は知っているんだろ。修吾おじさんの中に何が封じられているのか。教えてよ」
集落が惟神二人を犠牲にしてでも隔離して、直日神の惟神を守らねばならないような存在とは、何なのか。
「正確には、修吾の中ではない。根の国底の国に堕とした穢れを抑え込んでおるのじゃ」
「梛木様! まだ話す許可は下りていません!」
律が悲鳴に近い声を上げる。
「頃合いじゃ。陽人も解しておるじゃろ。これ以上、隠しおおせる話ではない」
梛木の視線に、律が口を引き結ぶ。
諦めの表情で、律が俯いた。
「十年前に起きた大事件は、多くの犠牲を出した。修吾もその一人じゃ」
「また、十年前か……」
紗月を保護して以降、十年前に起きた事件の話の欠片がそこかしこに落ちている。それを拾っては集めて繋ぎ合わせようとしても、全くうまく繋がらない。
「13課で生きるなら、あの事件は避けて通れぬ。修吾が抑えておる穢れは、それで知れる。語るべき者に、聞くと良い」
「梛木は副班長だろ。梛木が教えてくれたらいい。今更、勿体付けるなよ」
「今、修吾が抑える穢れの話だけを聞けば、お主は集落に戻ろうとするじゃろう。それでは解決にならぬ。腹を括ったのなら、総てを知れ。それがお主の義務じゃ、直桜」
梛木が話しているのは、きっと正論だ。
わかっていても、憤怒の感情が先走って、巧く思考が回らない。
「中途半端に隠したり、聞けって言ったり、何なんだよ。俺だって、ちゃんと知りたいと思ってるよ。逃げるつもりもないし、流離を助けてやりたいよ」
ぎりっと歯ぎしりして、直桜は扉へと向かった。
「直桜! 待って、どこへ……」
「副長官室。陽人に聞けばいいんだろ。語るべき者は、アイツしかいないだろ」
直桜を止めようとした律を梛木が止めた気配がした。
直桜は振り返らずに扉に向かう。
瑞悠と智颯が心配そうな、少し怯えた顔で直桜を見詰めているのに気が付いた。
「大声出して、ごめんな」
二人の顔を見たら、少しだけ冷静さを取り戻せた気がした。
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