喫茶店のマスター黒羽の企業秘密

天音たかし

文字の大きさ
17 / 32

第五章 水の守護者の願い①

しおりを挟む
「やめてくれ! どうしてだ? どうしてこんなことを」
 目に映る全ての景色が焼ける。音は断末魔と怒号、そして誰かが嘲笑う声だけで満たされている。昨日楽しそうに天気の話をしていた少女は、自身の足元に物言わぬ肉となって転がり、冗談をよく言って笑わせてくれた老人は、原形が何だったのか分からないほど殴打されてしまった。
 空に立ち上る黒煙。暖を取る時や料理をする時に見れば、人の営みを感じ心温まるその煙も、今は恐れと恐怖以外、何も感じられない。
「殺す必要があったのか?」
 目の前で笑う男に問いかけた。男は血みどろの棍棒を肩に担ぐと、邪悪さを顔に張り付けてよく聞こえる声で答える。
「あるさ。お前ら邪神に与する異物は、人の形をしているだけの魔物だ。殺さねば、世が終わる。災いが起きて、人は腐って死ぬ」
 災いが起きる? すでに起きている。人の形をした魔物? それはお前だ。
「ウアアアアアアアアアアアアア、アアアアアアアアアアアアアアアアアア」
 誰の声だ? ――俺だ。俺の喉が震えている。いや、震えているのは喉だけか? ――心だ。心も酷く震えて、止めようもない。どうすれば震えは収まる? どうすれば……ああ、そうだ。こうすれば良い。
「え?」
 何かが宙を飛んで、地に跳ねた。男は崩れて、首から紅の果実を潰した時のように赤い液体が零れた。心なしか、少しスッとした。胸に手を当てると、黒い炎が渦巻き、声を発している。
 ――殺せ。排除しろ。人という病魔を滅せよ。滅せよ。滅せよ。滅せよ。滅せよ。滅せよ。
「滅せよ」
 いつしか胸の中だけに響いていた声は、口をついて出た。震えはもう止まっている。後は、心に従って行動するのみ。
 ――さあ、行こう。殺戮の平野を見に行こう。俺には力がある。大丈夫。どうにかなる。
 体中に魔力を漲らせて、地を蹴る。怯え、逃げ惑う魔物達。決して逃がしはしない。
「遅い」
 腕を振り上げて、下ろす。地面は、赤く染まった。
 ※
「ヌウ!」
 閉じた瞼ごしに光を感じる。男は眠気を吹き飛ばすように勢いよく体を起こすと、周りを確認する。森の景色は昨日と代わり映えはなく、木々の隙間から陽光が降り注いでいた。
「カリム様。お目覚めですか?」
 真っ黒いマントを被り、目以外の全てを黒い布で覆い隠す男が、カリムの傍に来て膝をついた。
「見れば分かるだろう。昨夜は何かあったか」
「いいえ、特に異常はありません」
「よろしい。では、皆を集めよ」
「すでに六人全員揃っています」
 男の背後には、同じ格好をした五人が控えている。カリムはそれらの面々を流し見ると、左端にいた男に話しかけた。
「セーム。前に出ろ」
 低く寒気のする声に、セームと呼ばれた男は全身を震わせながら従う。カリムは懐からナイフを取り出し、ゆっくりと歩み寄る。
「お、お待ちください。次こそは、あのような失態はいたしません。挽回するチャンスをお与えください」
「そうか。そうだな。あの男は人間にしてはかなり強かった。良いだろう。もう一度チャンスをやろう」
「あ、ありがとうございます。必ずや……」
 続きの言葉を男は紡ぐことができなかった。鮮血が宙に舞い、男だったものは細切れの肉片となって周囲に散らばった。
「死んで生まれ直せ。そうすれば、次こそは失態を冒さずに済むだろう」
「カ、カリム様。何も殺す必要はなかったのでは?」
「俺に指図するな人間風情が。いいか、貴様ら。次、一撃で倒されるなどの失態を冒してみろ。ただ、殺すのではない。貴様自身と家族、友人、知人に至る全ての人間を徹底的に痛めつけ、辱める。分かったか?」
 五人の配下は、深く頭を下げる。
 濃厚な血の臭いは、木々の隙間を縫うように漂う。五人の配下にとっては、恐れと吐き気、嫌悪だけを感じさせる臭いだが、森に住まう獣にとっては食欲を刺激する良き匂いだ。低い唸り声を上げながら、カリム達を包囲するように集まる。カリムは楽しそうに笑うと、散らばっている肉片を拾い上げ、獣に向かって放り投げた。生い茂った木々に隠れて見えにくいが、嬉々と食べている様子が咀嚼音から察せられる。
「おい。美味しいか? そうかそうか。役立たずな男もやっと何かの役に立ったな」
 優雅に、それこそ貴族に見えるような動きで五人の前を横切ると、カリムは和やかな声で命を下す。
「アクア・ポセイドラゴンを説得するのは難しそうだ。で、あれば殺す。そして、ドラゴニュウム精製炉をヤツの体内から抜き取り、本国へと帰還する。お前達は情報を収集して、アクア・ポセイドラゴンの居所を掴め。ああ、あとお前らと交戦した人間の男を発見したらすぐに報告しろ。恐らく長い黒髪の女も側にいるはずだ。では、散れ」
 音もなく黒マントの五人は立ち去り、カリムと獣だけがその場に残された。肉片一つ残さず食べ終えた獣達は、まだ腹を空かせているのか、カリムへと近寄る。彼は、それでもなお慌てる様子はない。口元は慈愛すら感じさせるほど穏やかに笑っており、鼻歌交じりに周りを眺めた。
「まだ、腹を空かせているのか。だが、止めておいた方が賢いだろうな。貴様達の力では、俺を狩るにはあまりにも脆弱すぎる。多少栄養を摂取できたのだから、それで良しとしろ」
 真横に線を引いたような細いカリムの目が、わずかに開く。その瞳には殺意だけが宿り、体からどす黒いウロボロスが燃え上がる。獣達は理解した。自分達が獲物にしようとしていたのは人ではない。絶対的な捕食者であると。ならば、ここで取るべき行動など一つしかない。
「おお、良い逃げっぷりだ。やはり人よりも純粋な分、獣の方が可愛げがある。……さて、そろそろ俺も動くか。フハハハハハ」
 男はひとしきり笑うと、森の中を飛ぶように移動する。
 空には地を恐れる鳥達が、太陽を覆い隠すように風を切って飛んでいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

相続した畑で拾ったエルフがいつの間にか嫁になっていた件 ~魔法で快適!田舎で農業スローライフ~

ちくでん
ファンタジー
山科啓介28歳。祖父の畑を相続した彼は、脱サラして農業者になるためにとある田舎町にやってきた。 休耕地を畑に戻そうとして草刈りをしていたところで発見したのは、倒れた美少女エルフ。 啓介はそのエルフを家に連れ帰ったのだった。 異世界からこちらの世界に迷い込んだエルフの魔法使いと初心者農業者の主人公は、畑をおこして田舎に馴染んでいく。 これは生活を共にする二人が、やがて好き合うことになり、付き合ったり結婚したり作物を育てたり、日々を生活していくお話です。

最初から最強ぼっちの俺は英雄になります

総長ヒューガ
ファンタジー
いつも通りに一人ぼっちでゲームをしていた、そして疲れて寝ていたら、人々の驚きの声が聞こえた、目を開けてみるとそこにはゲームの世界だった、これから待ち受ける敵にも勝たないといけない、予想外の敵にも勝たないといけないぼっちはゲーム内の英雄になれるのか!

ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。

タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。 しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。 ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。 激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。

『25歳独身、マイホームのクローゼットが異世界に繋がってた件』 ──†黒翼の夜叉†、異世界で伝説(レジェンド)になる!

風来坊
ファンタジー
25歳で夢のマイホームを手に入れた男・九条カケル。 185cmのモデル体型に彫刻のような顔立ち。街で振り返られるほどの美貌の持ち主――だがその正体は、重度のゲーム&コスプレオタク! ある日、自宅のクローゼットを開けた瞬間、突如現れた異世界へのゲートに吸い込まれてしまう。 そこで彼は、伝説の職業《深淵の支配者(アビスロード)》として召喚され、 チートスキル「†黒翼召喚†」や「アビスコード」、 さらにはなぜか「女子からの好感度+999」まで付与されて―― 「厨二病、発症したまま異世界転生とかマジで罰ゲームかよ!!」 オタク知識と美貌を武器に、異世界と現代を股にかけ、ハーレムと戦乱に巻き込まれながら、 †黒翼の夜叉†は“本物の伝説”になっていく!

【完結】剣の世界に憧れて上京した村人だけど兵士にも冒険者にもなれませんでした。

もる
ファンタジー
 剣を扱う職に就こうと田舎から出て来た14歳の少年ユカタは兵役に志願するも断られ、冒険者になろうとするも、15歳の成人になるまでとお預けを食らってしまう。路頭に迷うユカタは生きる為に知恵を絞る。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

本の知識で、らくらく異世界生活? 〜チート過ぎて、逆にヤバい……けど、とっても役に立つ!〜

あーもんど
ファンタジー
異世界でも、本を読みたい! ミレイのそんな願いにより、生まれた“あらゆる文書を閲覧出来るタブレット” ミレイとしては、『小説や漫画が読めればいい』くらいの感覚だったが、思ったよりチートみたいで? 異世界で知り合った仲間達の窮地を救うキッカケになったり、敵の情報が筒抜けになったりと大変優秀。 チートすぎるがゆえの弊害も多少あるものの、それを鑑みても一家に一台はほしい性能だ。 「────さてと、今日は何を読もうかな」 これはマイペースな主人公ミレイが、タブレット片手に異世界の暮らしを謳歌するお話。 ◆小説家になろう様にて、先行公開中◆ ◆恋愛要素は、ありません◆

処理中です...