喫茶店のマスター黒羽の企業秘密

天音たかし

文字の大きさ
20 / 32

第五章 水の守護者の願い④

しおりを挟む
 小石で埋め尽くされている地面を蹴り、膝くらいの高さの岩を飛び越える。心臓が高鳴るごとに全身に血が巡り、貪欲に空気を肺が貪った。状況が理解できなくて不安な心に追い打ちをかけるように、再び低い唸り声が全身を叩く。
「クソ」
(不安など汗と共に流れて行ってしまえ)と黒羽は、半ばやけくそ気味に走る足にさらに力を込めた。
 左手に川、右手には岩とロッグ・ツリーだけが見える景色。そこに変化が生じる。具体的には、岩とロッグ・ツリーが砕け散り、大きなクレーターが地面に穿たれている景色だ。
 クレーターの中心にはアクア・ポセイドラゴンとサンクトゥスがおり、奥には巨大な口を持つ魔物が殺気を噴出させて佇んでいる。カバのような体にワニによく似た顔を持つ魔物は、口を大きく開いた。口内は鋭い牙が何列も並んでいて、さながら剣の山と呼ぶにふさわしい。
「何だあれ」
「マンイーターキメラです! 万物を喰らう捕食者。まさか、ドラゴンも捕食対象なの?」
「ドウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ」
 雄たけびを上げ、マンイーターキメラは体に似合わない機敏さで、アクア・ポセイドラゴンに接近する。対してアクア・ポセイドラゴンは右前足を振り上げ、地面へ叩きつけた。直後、地響きと共に裂け目が数か所発生し、そこから勢いよく水が発射されて、マンイーターキメラの巨体を宙に浮かす。
 サンクトゥスはその隙を逃さなかった。マンイーターキメラの腹に、容赦なく蹴りを叩き込み、遠くまで吹き飛ばした。
「凄い……サンクトゥス、無事か!」
「あなた達、来ては駄目! この程度じゃ死にそうにないわ」
「あんな一撃を受けたんだ、流石に……マジか」
 並の生物なら原型すらとどめないほどの一撃を受けてなお、彼の生物には致命傷たりえない。だるそうに体を起こすと、口を開けて再度の突撃を開始する。
「来るぞ! どうすれば……ってレア?」
「ドラゴンじゃないのなら通用するはず。……皆さん、私に任せてください」
 レアはそう言うと、目を瞑り、体内で魔力を練り上げる。ヒュ―ンの源たる心臓。鼓動と共に魔力を生み出し、毛細血管の隅々まで漲らせた。暖かな陽光のような光が体中に満ちた時、彼女はゆっくりと瞼を開けた。
「レア……」
 黒羽は息を呑む。レアの瞳の色は澄み渡った空の色だ。しかし、今はプラチナのように艶やかな銀色の瞳へと変化していた。
 ――高濃度に魔力を生み出した影響で、一時的に瞳の色が変わったのだ。誰でもこの現象が起きるわけではなく、常人の何倍以上もの魔力を生成できる人物だけがそのように変化する。
 普段の彼女とは異なり、凛とした佇まいはどこか神秘的で、美しく力強い。
「いきます。耳を塞いで伏せてください。〈雷よ。穿て〉」
 突き出した右手から鮮烈な光が放たれ、宙を横切る。衝撃波をまき散らしながら、知覚すら許さないほどの速さで捕食者の大きな口の中へと入ると、地面が揺れた。遅れて轟音が鳴り響き、衝撃が黒羽達の体を叩く。
 何がどうなっているのか、まるで分からない。意識が幽体離脱したみたいだ。必死に腕で頭を覆って、ピクリとも体を動かさずに、時が過ぎるのを待った。
(静まったか? クソ、耳鳴りが……)
 耳がキーンとなり、しばらく使い物になりそうにない。目を開けて、恐る恐る地面から体を起こした黒羽は絶句した。
「うわ……」
 レアの前には、魔法の凄まじさを物語る雷の道が形成されていた。土は抉れて、焦げた臭いが辺りに満ちており、ロッグ・ツリーは炭化し、幹は裂けている。視線をもっと先へと動かしていくと、黒い物体があった。それこそが、マンイーターキメラの死骸である。断末魔すら上げることが叶わず、捕食者は原型が何だったのか分からなくなるほど、無残にも体は破裂していた。
「○×△○×△」
 心配そうに駆け寄ってきたレアが何かを話しているが、黒羽は全く聞き取れなかった。首を振ると、彼女は手を黒羽の耳に当てた。柔らかい手の平から淡い深緑の光が灯り、じんわりと温かい液体のようなものが耳の内部に染み渡るのを感じる。
「あ、あれ? 聞こえるようになった」
「回復魔法を使いました。サンクトゥスさん達は問題ありませんでしたか?」
「ええ、問題ないわ。鼓膜を変身能力で消したから大丈夫。ポセイドラゴン、あなたは?」
「問題ない。それにしても娘、なかなかの才だ。あれほど強力な魔法を使える人間は、そうはいまい」
 知的な声。この声は、まぎれもなくカリムと戦闘をする前に聞いたあの声だ、と黒羽は思い当たる。
 アクア・ポセイドラゴンは、頭を下げた。
「礼を言う。危ないところであった」
「そんなお礼なんて。え、えっと、どうしよう。は、初めてドラゴンと話しちゃった」
「レアちゃん、私もドラゴンなんだけど」
 間の抜けた顔で、そうでしたと驚くレアに、黒羽はほっとした。瞳の色と魔法の凄さが相まって、とても遠い存在になったような気がしていたからだ。
「それで、お前達はなぜここへ? 我を助けたということは、討伐しにきたわけでもなさそうだが」
「討伐だなんてとんでもない。僕達はあなたにお話を伺いに訪れただけです。アクア・ポセイドラゴン、率直に質問します。あなたはカリムの仲間ですか? それとも敵ですか?」
 この問いは、黒羽にとってかなりの勇気を必要とした。目の前にいるドラゴンを改めてよく見ると、なんと恐ろしいだろうか。岩のようにゴツゴツとした甲羅は爆弾でも耐えられそうなほど頑丈そうで、そこから飛び出している四つの足には、軽自動車ほどの大きさの立派な爪がずらりと生えている。トカゲのような顔には尖った鼻があり、額から伸びた角が陽光を反射して、光り輝いている。体長は十メートルぐらいだろう。昔動物園で見た象が小さく思えてしまい、黒羽は冷や汗が止まらなかった。
「敵だ。仲間になれと何度も勧誘してきたが、断ってきた。その結果が今の我よ。ヤツめ、我の不意を突いて毒を盛ったのだ。おかげで力は弱体化し、マンイーターキメラにも不覚を取る有様。なさけない」
「仕方ないわ。それにしても私達に効く毒があったのね」
「カリムは独自に何らかの研究をしているような口ぶりだった。恐らくはその成果によるものだろうよ」
「あ、あの二人はお知り合いですか?」
 おっかなびっくりという様子で、レアが質問する。その問いにサンクトスは頷きで答えた。
「ええ、古い知り合いよ。彼も、もとは始まりの世界出身で、昔からこの辺りで暮らしていたわね」
「へ、へえー。それって、フラデンができる前からですか?」
「ああ、そうだ娘よ。我はお主が生まれるずっと前からここで、あらゆる生き物の生と死を見守ってきた。フラデンか……。遠目で見たことがあるが、僅か五百年ほどであれほど発展した町になるとはな」
 アクア・ポセイドラゴンの声が、染み入るような優しい声音に変わった。黒羽はその声を聞いた瞬間、怖い感情よりも信頼したいという気持ちの方が強まった。一歩前に出ると、黒羽は語り始めた。自身の素性と目的、フラデンの現状など、包み隠さず伝える。アクア・ポセイドラゴンは適度に相づちをうち、時に質問し、時に笑ったり、驚いたりしながら話を真面目に聞いてくれた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

相続した畑で拾ったエルフがいつの間にか嫁になっていた件 ~魔法で快適!田舎で農業スローライフ~

ちくでん
ファンタジー
山科啓介28歳。祖父の畑を相続した彼は、脱サラして農業者になるためにとある田舎町にやってきた。 休耕地を畑に戻そうとして草刈りをしていたところで発見したのは、倒れた美少女エルフ。 啓介はそのエルフを家に連れ帰ったのだった。 異世界からこちらの世界に迷い込んだエルフの魔法使いと初心者農業者の主人公は、畑をおこして田舎に馴染んでいく。 これは生活を共にする二人が、やがて好き合うことになり、付き合ったり結婚したり作物を育てたり、日々を生活していくお話です。

最初から最強ぼっちの俺は英雄になります

総長ヒューガ
ファンタジー
いつも通りに一人ぼっちでゲームをしていた、そして疲れて寝ていたら、人々の驚きの声が聞こえた、目を開けてみるとそこにはゲームの世界だった、これから待ち受ける敵にも勝たないといけない、予想外の敵にも勝たないといけないぼっちはゲーム内の英雄になれるのか!

ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。

タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。 しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。 ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。 激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。

『25歳独身、マイホームのクローゼットが異世界に繋がってた件』 ──†黒翼の夜叉†、異世界で伝説(レジェンド)になる!

風来坊
ファンタジー
25歳で夢のマイホームを手に入れた男・九条カケル。 185cmのモデル体型に彫刻のような顔立ち。街で振り返られるほどの美貌の持ち主――だがその正体は、重度のゲーム&コスプレオタク! ある日、自宅のクローゼットを開けた瞬間、突如現れた異世界へのゲートに吸い込まれてしまう。 そこで彼は、伝説の職業《深淵の支配者(アビスロード)》として召喚され、 チートスキル「†黒翼召喚†」や「アビスコード」、 さらにはなぜか「女子からの好感度+999」まで付与されて―― 「厨二病、発症したまま異世界転生とかマジで罰ゲームかよ!!」 オタク知識と美貌を武器に、異世界と現代を股にかけ、ハーレムと戦乱に巻き込まれながら、 †黒翼の夜叉†は“本物の伝説”になっていく!

【完結】剣の世界に憧れて上京した村人だけど兵士にも冒険者にもなれませんでした。

もる
ファンタジー
 剣を扱う職に就こうと田舎から出て来た14歳の少年ユカタは兵役に志願するも断られ、冒険者になろうとするも、15歳の成人になるまでとお預けを食らってしまう。路頭に迷うユカタは生きる為に知恵を絞る。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

本の知識で、らくらく異世界生活? 〜チート過ぎて、逆にヤバい……けど、とっても役に立つ!〜

あーもんど
ファンタジー
異世界でも、本を読みたい! ミレイのそんな願いにより、生まれた“あらゆる文書を閲覧出来るタブレット” ミレイとしては、『小説や漫画が読めればいい』くらいの感覚だったが、思ったよりチートみたいで? 異世界で知り合った仲間達の窮地を救うキッカケになったり、敵の情報が筒抜けになったりと大変優秀。 チートすぎるがゆえの弊害も多少あるものの、それを鑑みても一家に一台はほしい性能だ。 「────さてと、今日は何を読もうかな」 これはマイペースな主人公ミレイが、タブレット片手に異世界の暮らしを謳歌するお話。 ◆小説家になろう様にて、先行公開中◆ ◆恋愛要素は、ありません◆

処理中です...