蜘蛛の糸の雫

ha-na-ko

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隼人さん

1. 僕も一緒に敷地の外の公園へと行くことになった。

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「てちまー!」

「はい、隼人さん」

もう大学4回生となり、卒業論文などの準備にもとりかかっているころ。
社長のご子息の隼人さんは1歳10か月となり、よちよち歩きまわり、僕を呼んでは遊ぼうと誘うようになっていた。

就職活動ということをしなくていい僕は4回生でも比較的時間もあり、講義も減っていたため、今はこの隼人さんと遊ぶことがとても楽しみになっている。


明美さんは、隼人さんを産んで、しばらく入院していた。
退院後も何度か家に居るのを見かけはしたが、隼人さんと会うこともあまりなく、海外をあちこちと飛び回っているようだった。
隼人さんにはあの産婦人科で僕たちを案内してくれた侍女が乳母としてつけられた。
あの時の社長の言葉をうけてなのか、それとも僕が社長と抱き合っているのを見たからなのか、この乳母は僕のことを社長と同じように対応してくれていた。
もともと明美さんの実家から来た侍女ではあった。
普通なら、明美さんと一緒に海外へと行くことになっていたと思うが、子供を置いて明美さんに付いて行かなくてはいけなくなることも配慮し、社長は隼人さんの乳母にしたのかもしれない。



「どこに行くんですか?」

乳母が隼人さんのベビーカーを押して敷地から出ようとしていた。

「すぐそこに公園が見えたものですから……。
同じ年くらいの子供さんが沢山遊んでいたので、隼人様も行きたいと……」

「…でも、ここからでるのは……」

僕が躊躇していると、隼人さんはベビーカーから抜け出すほどに身を乗り出して僕の手を掴み、

「あっちー!!」
と門の外を指さす。

「隼人様も、もうそろそろ同じ年ごろのお子様とコミュニケーションを取っていったほうがいいのかもとも思います」

遊びたくて仕方ない様子の隼人さんの姿と、もう年も50代の子育てのベテランであるこの乳母の優しい笑顔にほだされ、僕も一緒に敷地の外の公園へと行くことになった。

僕もこの乳母に少しばかり、幼くして亡くした母の面影を重ねていたのかもしれない。


歩いて10分ほど。住宅街の一角の比較的広い公園に着いた。
谷垣のお屋敷は高台の森の中。
よくあそこからこの公園が見えたものだと、子供の好奇心に関心する。

隼人さんは逸る気持ちを抑えられず自分からベビーカーを降り、まだおぼつかない歩みで何人かの子供たちが遊んでいる砂場へと足を踏み入れた。
そこに置いていた誰かのスコップを持った時、すぐ横の隼人さんより明らかにいくつか年上の男の子が掴みかかった。

「これ、僕の!!」

隼人さんが泣きそうになり僕は慌てて駆けつけたが、僕より先に乳母がすっと隼人さんの横に座った。

「隼人様、これは隼人様のものではありませんよ。
お友達のものを使わせていただくには「貸して?」と聞いてください」

今にも大泣きしそうな顔だった隼人さんは涙をぐっとこらえて、掴みかかった男の子に「かちて!!」と大きな声で言った。
怒っていたはずのその男の子はにこっと笑って「いいよ!」と取り上げたスコップを隼人さんに渡し「一緒に遊ぼう!」と誘ってくれた。

大人ばかりに囲まれ思い通りに事が運ぶ毎日を送っていると、こんな当たり前の人とのやり取りもわからないままだっただろう。
些細なことかもしれないが、こうして他の子供たちの輪の中に入って遊ぶことは、隼人さんを大きく成長させてくれるに違いない。

4月の暖かな陽気の中、僕は乳母に見守られながら遊ぶ隼人さんをぼんやり見つめ、
自分もこの歳のころ、あの優しい母に見守られながら公園で遊んだこともあったのだろうかと記憶すらもうない母を思い少しばかり瞼を閉じた。

その時……





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